「別冊 事実夢魂」の編集部から記者の陸瑠羽子が居なくなって1ヶ月になる。
取材で訪れた島から退職願が届き、それっきり出社しなくなってしまった。
彼女の乱雑な机もそのままになっている。一部にコアな人気を誇るものの、
決して売れ筋とは言えない三流カストリ誌の編集部にすぐに人員が補充されるはずもなく
放置しておいてもこれまでのところさして問題はなかった。

「なあ、陸君の机片づけないか?」
しかし、そろそろ潮時だろう。これ以上待っていても陸君は戻ってこようとはしないだろう。
もしも戻ってきたなら何とか彼女を復職させてもらえないか関係各所にかけあってみる
つもりだったのだが。
私は編集長として、けじめをつけるべき時だと感じていた。

編集部内の机はどれも汚い。私は自分の机の前に座ったまま、陸君と似たような年恰好の女性記者、
海君に声をかけてみた。
海君は原稿を書いている途中だったらしく死んだような眼を私に向けたかと思うと、

「あー、彼女、もう帰らないんですか」
と私に聞いてきた。
「さあねえ。連絡を取ってみても返事がないんだ。それが陸君の回答だろう」
「今もまだ、臓物島に?」
彼女は眠気覚ましのガムを咥える。
「そうじゃないかね」
「そうですか」
彼女は陸君の机に負けず劣らず汚い机の上を引っ掻き回したかと思うと、
少しくたびれたコピー用紙の束を取り出した。

「確か、奥さん一人に愛人を何人も囲っている男性の件を取材していたんですよね、陸さんは」
海君は長い髪をかきあげて封筒を持って私の机のところにきた。
「そうだと聞いているがね」
「私も少し取材を手伝っていたんですが、その過程でこんな手紙を読む機会があったんです。
 島にいる愛人の一人から、実家への手紙です」
それはこんな手紙だった。

『 拝啓

 朝顔がずいぶん伸びてまいりました。お母さまはいかがお過ごしですか。

 先日はのぞみに浴衣をありがとうございました。のぞみもたいそう喜んで、
 今年のお祭りにはこの浴衣を着ていくと張り切っております。写真を同封いたしました。
 水色の浴衣がのぞみによく似合っています。
 一緒に写っている毛布をかぶった女の子は、一つ下の妹にあたります。近ごろはこの子と
 一ばん仲が良いようです。

 二人で家に戻り、のぞみに良い教育を与えられるようにしてはとのお言葉、
 ありがとうございます。確かにこの島には、それほどしっかりした学校はございません。
 しかし、海や野原で生き物と戯れ、兄弟姉妹とお遊戯をして遊んでいるのぞみを
 見ていますと、どうしてもこの島を離れる決心がつかないのでございます。


 あの方は、わたくしを愛してくださっています。わたくしに優しい言葉をおかけになり、
 わたくしが妻である時は他の誰よりもわたくしのことを愛してくださいます。

 先日、あの方から帯を贈っていただきました。黒地に刺繍の入った美しい帯で、あの方は
 手ずから帯を結ってくださると私の姿を見て目を細めて喜ばれたのでした。
 わたくしにとって、着飾った姿を愛しき人に愛でていただけるのは一ばん嬉しいことでございます。
 「杏さん」
 とあの方はわたくしのことを呼ばれました。こうした時、あの方はいつもこのように
 わたくしのことをお呼びになるのです。そしてあの方は、耳元で優しく
 「わたくしと契りを交していただけませんか」
 と囁かれるのです。こうなるとわたくしはもう、頷くしかできないのです。
 まるで体の内から欲しているかのように、愛しき人に身を委ねてしまうのです。

 わたくしのことを本当の名前でお呼びになることはございませんが、それは他の女友達
 があの方の妻となっている時にも同じでございます。
 あの方は私たち、わたくしと他十六人の女友達に代わる代わる平等に愛を注いでくださいます。
 そしてもちろん、私たちが産んだ子供たちのことも可愛がってくださいます。

 この頃、わたくしは自分の名前が杏であったような気さえするのです。

 島の外から来る人にはあの方が狂人と見られていることは知っております。
 しかしそれならば、そんなあの方の周りを十重二十重のとぐろになって取り巻いている
 私たちもまた狂人なのではないでしょうか。昔むかし、わたくしが他の殿方に深い愛を
 捧げた折にも人は法を犯していると言って、それはひどくわたくしを謗ったものでございます。
 人を愛するとは、すなわち他からは理解されない狂人になることではないのでしょうか。

 のぞみは、他の女友達が産んだ子たちとも仲良くしております。他の子供たちものぞみに
 よく似て、腹違いの兄弟姉妹だからでしょうか、皆本当に良く似ていて少し遠くに並んでいると
 母親の私たちにも時折区別が付かないほどでございます。

 先ほども書きましたように、先日、あの方は再びわたくしを妻にしてくださいました。
 いずれ、のぞみの腹違いでない妹か弟が産まれるでしょう。
 わたくしの愛する人が、あの方、のぞみ、さらにもう一人増えることを思うと今から
 楽しみでなりません。きっとその子ものぞみによく似て、そしてあの方から可愛がって
 いただけるのでしょう。

 朝晩の暑さが堪えるようになって参りました。
 お母様もお体に気を付けてお過ごしください。お盆には一度里帰りをいたします。

 かしこ


 お母さまへ

 昭和○○年 七月 ○○日

 糸色 まとい


「……」
私は無言でコピー用紙から顔を上げた。
「この人は」
「旧姓、常月まといという人らしいです。少し調べたんですが、前科こそついてはいないものの
 何度か警察の厄介になっているようですね」
「なるほど……ね」
人間をまともな人とそうでない人に大雑把に分類するなら、この人はそうでない方に
分類されるタイプだろう。おそらく、島にいる関係者の誰もが。
そして、そうでない方の人間こそ事実夢魂の好物だ。
自分がまともであると信じきっている人間にそうでない方の姿を垣間見せることが
この雑誌の唯一の存在意義である。

「取材に行ってもいいですか?」
海君は私が思っていたのと同じことを聞いていた。彼女の嗅覚も、この島の住人達は
面白そうだと告げているのだろう。

「ああ、今の記事が終わったら行ってきてくれ」
「分かりました」
彼女はそう答えると今の仕事を終えるために自分の机へと戻っていった。

犠牲者を増やしてしまうということにこの時の私はまだ気づいていなかったのである。

彼女は数日後に臓物島に向けて旅立ち、それから私は二度と彼女に会うことはなかった。

-完-

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