結局のところ。

高校を卒業した私たちは絶望先生の新しい赴任先の島まで押しかけて結婚を迫ったものの、
誰も先生と結婚することはできなかった。
追いかけてくる島の人たちを振り切って教会まで先生を追いつめた私たちは、
その教会の中にある少女の姿を認めた。

「……あ、」
教会に入った私は思わず立ち止まって呟いてしまった。
私たちと同じように白いウエディングドレスを着た少女。どこかで見たことがある。いや、それどころじゃない。
良く知っている人だと私は思った。
良く、知っている。
毎日のように、同じ教室で過ごしていた。

どうして彼女がいなかったことに今まで気が付かなかったんだろうと思った。
どうして彼女のことを思い出さなかったんだろうと思った。

風浦可符香。

私たちのクラスメート。

「可符香……ちゃん」
千里ちゃんの震えた声が聞こえた。そうだ、さっき千里ちゃんは彼女の名前を言いかけていて、
でも言えなかったんだ。
どういうわけだか忘れてしまっていたから。
彼女が着ているのはきっと千里ちゃんが準備したウエディングドレスの最後の一着だ。


「ああ、こういうことになったんですか」
久藤君が牧師の格好をして私たちの後ろから入ってきた。
そして彼は先生と可符香ちゃんとの結婚式を執り行い、私たちはウエディングドレス姿なのに
ゲストとしてその式に出席したのだった。

式が終わると、微笑みを残して彼女は消えた。煙のように、すうっと。
千里ちゃんは式の途中に彼女の名前――風浦可符香――をメモに残していた。もう忘れないように。
それは賢明な判断だったと言わざるを得ない。
彼女の姿が消えると、私たちはまた彼女のことを忘れ始めたからだ。
千里ちゃんはそんな曖昧な決着を許そうとしなかった。

彼女はメモを片手に私たちを引き連れて先生や絶命先生、智恵先生を追い回し――、真相を知った。

私たち二のへ組に集まったみんなは、同じ一人の少女から臓器の提供を受けていたこと。
彼女の仮の名こそ風浦可符香。
臓器移植の原則により、彼女の実名が私たちに知らされることはない。
私たちは皆彼女の姿を見、彼女と共に高校生活を送っていた。
けれども実際には彼女はいなかった。
私たち臓器のレシピエントが代わる代わる彼女のことを演じていたのだ。

「あなたたちはきっとそのうち、彼女のことを忘れてしまう」
智恵先生はこうも言った。
「でも、それでいいの。彼女の身体はあなた達の一部となり、融合していくんだから」
と――。


でも、この結末に納得できるはずもない人がいた。



「あびるちゃん!」
千里ちゃんから私のところに電話がかかってきたのは島に先生を追いかけに行ってまた戻ってきた
数日後のことだった。
「あびるちゃん、今度の日曜、時間ある?」
「あるけど。どうしたの」
「どうしても納得できないの。」
電話口の彼女の声には力がこもっていた。

「何が」
「可符香ちゃんがいたのかいなかったのか! きっちりしなさいよ! そういうのってイライラするの。」
「……ああ、うん」
千里ちゃんはそうでしょう。私はそう思った。私に「きっちりしなさい」と言われても困るんだけど。

「それで、日曜日とそれと関係あるの?」
「ええ! 日曜日にきっちりさせるから、10時に高校前に集合。」
「うん、分かった」
電話はすぐ切れた。カレンダーの日曜日のところに、10時に高校前と書きこんでおく。
毎日のようにクラスメイトと顔を合わせていたころとは違って、みんなの進路は基本的にばらばらだ。
島で再会したばかりだけれど、また会っておくのも悪くないと私は思った。


当日、日曜日。
高校の前に同級生が集まった。呼び集めた千里ちゃんはもちろん時間通りにきっちり来ていたようだ。
私は少し遅れてしまったけれど。

高校の建物の周りには「危険 立ち入り禁止」と書いた紙をぶら下げたロープが張り巡らされている。
もともと古い建物だったけれど、小森ちゃんがいなくなった今は完全に廃屋のようになってしまっている。
もうすぐ壊して建て替えるらしい。座敷わらしとして認定されていた小森ちゃんがいなくなっても
完全な崩壊には至らなかったのは、彼女も卒業ということでお目こぼしにあったのかもしれない。

「行くわよ。」
来ると答えただけのメンバーがそろったと見るや、千里ちゃんは「立ち入り禁止」のロープをくぐって
さっさと校舎の中に入っていく。私達もすぐ後に続いた。
このくらいの規則違反はあまり気にならない。在校時はもっとひどいこともしていたものだし、
大抵の危険よりは千里ちゃんや他のクラスメートの方がよっぽど危険だ。
暗く静まり返った校舎の中は埃っぽかった。椅子や机はそのままに残っているけれど、
各自の私物はもうない。がらんとした校舎の中は妙に広く感じられた。

千里ちゃんが入っていくのは、もちろんいつもの教室だ。私たちが長い長い高校生活を送った部屋。
可符香ちゃんもここにいた。

「それで、千里ちゃん」
私の言葉に、ん、と教室に入った千里ちゃんが振り返る。
「今日はここで何をする気なの?」
ああ、と千里ちゃんは両腕に抱えた大きな紙袋を教室の中の机の上に置いて私たちを
招き入れると、
「結局、可符香ちゃんがいたのかいなかったのか分からないままでしょう。
 きっちりさせるために本人に聞こうと思って。」
「どうやって?」
「霊を呼ぶ」
「え」
晴美手伝って、と千里ちゃんは後ろの方にいた晴美ちゃんを呼ぶと教室の窓に黒い布をかけ始めた。
すぐに日光は遮られ、部屋の中は真っ暗になる。千里ちゃんが机の上に置いた
ランタン型の電灯だけが部屋の中を照らした。

「じゃあ、みんな。」
千里ちゃんはいくつかの机をきっちりと並べると、
「この周りに座って。」
とみんなに指示をする。みんな、千里ちゃんに言われたとおりに並んで座った。
「降霊会っていうこと?」
奈美ちゃんが少し怯えたように千里ちゃんに尋ねると、
「そう。本人に会って聞きたいから。」
と千里ちゃんは答える。
千里ちゃん一人はみんなが座っている場所から離れて愛用のスコップを取り出していた。

降霊会のやり方なんてどこで覚えたんだろう、と自信満々な千里ちゃんを見て私は思ったが、
――まあ、千里ちゃんだから……
と思い直した。
彼女が色々と人並みはずれた技術を持っているのは今に始まったことではない。
恐山にもほぼ毎年行っているそうだし。

「じゃあみんな、これから私が呼ぶから可符香ちゃんが降りて来たら引き留めて。」
と千里ちゃんは言って――どうすれば引き留めることができるのか分からないままに
私たちはとにかく頷いた――スコップを持ったまま「うな!」と気合を入れると
怪しげな祈りの言葉を呟き始めた。

こんなことをしていて何になるのだろう、とついつい私は考えてしまう。
本当に彼女の霊は降りてくるのだろうか。

そう疑問を持ちながらも、しかし、暗い部屋でランタンの明かりを見ながら呪文を聞いていると
なんだか不思議な心持になってくるのも確かだった。何か普通ではありえないことが起きそうな。
そう、ちょうど高校時代に起きていたようなことが起きそうな――

ひゅうっと音を立てて、私と奈美ちゃんの間に座る加賀ちゃんが息を飲んだ。
「加賀ちゃん……?」
「あ……あ……」
がくんと、加賀ちゃんの身体が揺れる。
「加賀ちゃん!?」
奈美ちゃんが焦って加賀ちゃんの身体を支えようとしたが、加賀ちゃんはその手を払うようにして
ゆらりと立ち上がった。異変に気付いた千里ちゃんが黙る。

「加賀ちゃん……?」
加賀ちゃんは俯いていたが、突然顔を上げた。

「みなさん、数日ぶり!」
「加賀ちゃん……違う、あなたは……」
この件を引き起こした当事者であるはずの千里ちゃんの声が震えていた。
「可符香ちゃん?」
「もう、自分で呼んでおいて」
加賀ちゃんが笑う場合、どんな場面でもその笑いにはどこか影がある。
でも今の加賀ちゃんの笑いにはそんな影がない。
十字の髪飾りをつければ、これは間違いなく可符香ちゃんだ。
顔かたちは加賀ちゃんのままのはずなのに、私には段々彼女の顔が可符香ちゃんのそれに見えてきた。


「……本当に、あなた、霊なの。」
「ええ。だから今日来たんです。呼ばれたから」
千里ちゃんの質問に可符香ちゃんはすらすらと答える。当然だというように。
「私たちがここで高校生だったころ、あなたはいたの? 私たちが見ていた幻想じゃなくて。」
千里ちゃんはすぐに核心をつく質問をした。
「もちろんですよ。でないと、いろいろなことがおかしくなっちゃうでしょ。千里ちゃん」
と彼女は笑う。ああ、私はこの笑い方を良く見ていたと思った。

「可符香ちゃんは今は何してるの? ……その、来世……とか?」
奈美ちゃんは恐る恐る尋ねていた。「来世」は可符香ちゃんが良く言っていた言葉だ。

「ああ、実は」
可符香ちゃんはえへんと胸を張る。
「私、輪廻から解脱しちゃって今は涅槃なんだよ」
「ねはんっ!?」
奈美ちゃんが思わず叫ぶ。
「涅槃って極楽みたいなところでしょ?」
「うん、そんな感じの。いいところだよ、生肉草や浄土花が咲き乱れて」
なんか、イメージと違う。と私は思ったが黙っていた。

「あのさ。気になってたんだけど」
私の呟きに可符香ちゃんはこちらに視線を向けた。
「さっきから涅槃とか解脱とかって仏教的な概念だよね。降霊会って西洋発祥の行事なのに来ていいの?」
「やだなあ」
と可符香ちゃんは苦笑する。
「あびるちゃんだって、戒名とか成仏とかさんざん言ってたのに結婚式となると教会でウエディングドレスじゃない。
 そういう融合世界に住んでるんだから、細かいことにこだわってたら先に進めないよ」
それもそうか、と私は何となく納得した。

「ねえ、可符香ちゃんは今いるところで何してるの?」
晴美ちゃんが言葉を向けると、
「うん、いろいろ。ポロロッカ星人と交信したりとか」
こっちにいる時とやっていることが変わらないなと私が思っていると、可符香ちゃんは更に言葉を付け足した。
「地獄の方に蜘蛛の糸を垂らしたりとか」
「……え?」
晴美ちゃんの顔が青ざめる。
「蜘蛛の糸を垂らすと、一斉に人が群がってくるの」
という可符香ちゃんの顔にはどこか黒いものがあって、
「また人の心の隙間に付け込んで!」
と言う千里ちゃんの言葉で私ははっと思い出した。
そういえば可符香ちゃんは単なるポジティブ娘というだけではなかった。
……地獄にたらす蜘蛛の糸って、可符香ちゃんが今言っているようなものじゃなかった気がする。

「私たちも、そのうち涅槃なのかな」
奈美ちゃんが少しわくわくしているかのように尋ねると可符香ちゃんはひらひらと手を振った。
「やだなあ、そんな簡単なわけないって。
 未遂とは言えみんなは一度親より先に死にかけたんだし、精いっぱい長生きして善行を積まないと無理だよ」
う、と奈美ちゃんは言葉に詰まった。可符香ちゃんの言ったことは事実だ。空気がどよんと重くなる。

「でも大丈夫! 安心して!」
可符香ちゃんは持ち前のポジティブ精神を発揮し始める。
「来世に行っても、現世で縁が強かった人とはまた関係が産まれるから
 来世でもみんなは家族とか友達とか、」
私たちは思わずうんうんと頷いて聞いていた。
「近所の困った外人さんとか、そういう関係になるの!」
「ちょっと! 最後だけ私の方見て言ったでしょ!」
と文句をつけたのはカエレちゃん。

「やだなあ、そんなわけないじゃないですか。カエレちゃんはきっと来世では楓ちゃんと可愛い双子に」
「いや、あいつは来世とかに出てこないから! 私の別人格ってだけだから!」
きいきいと言い返すカエレちゃんを笑って見返している可符香ちゃんに、

「でも、可符香ちゃんはその来世には……いないんだよね?」
と奈美ちゃんが尋ねる。
「やだなあ」
と可符香ちゃん――加賀ちゃんの身体を借りた可符香ちゃんはぽんと奈美ちゃんの頭を叩いた。
その表情は私がいつか鏡の中の自分の姿に可符香ちゃんを見た時と同じ――母のような慈愛に満ちているように思えた。

「私はいつだって奈美ちゃんやみんなを見てるよ。今も、来世になっても」
「可符香ちゃん……」
「みんながどうしようもなく困ってたら蜘蛛の糸もたらすから! だから安心して!」
その糸は掴まっていいのだろうか。思わず私は考え始めてしまった。

「さて、と」
可符香ちゃんは軽く肩を動かして、
「あんまりずっと憑いてると加賀ちゃんに負担かけちゃうから。帰るね、これで。また今度」
また今度――と、幽霊らしからぬ挨拶を私たちと交して、可符香ちゃんは消えた。加賀ちゃんが元の
加賀ちゃんに戻る。

「すす、すみません! 私、風浦さんと二人きりで話し込んでしまって……」
元に戻った加賀ちゃんは開口一番こう言った。
え? と私たちみんなの顔に疑問符が浮かぶ。
「さっきから、私たちもずっと可符香ちゃんと話してたんだけど。」
「むしろ加賀ちゃんだけ可符香ちゃんと話せなかったんじゃないかと思ってたんだけど」
千里ちゃんと奈美ちゃんに口々にそう言われて、加賀ちゃんは加賀ちゃんで驚いていた。

「私、風浦さんと二人でずっとお話してたんですよ。身体を大事にするように言われました」


降霊会は終わりということで、窓に張った黒い布を回収して外に出る。
外はまだ明るく、今まで暗い室内にいたのが嘘のように感じられた。
校舎は相変わらず今にも崩れそうで、今日入ったのが最後になるかもしれないと感じさせた。


「決めた。」
校舎から少し離れたところで、千里ちゃんが足を止める。
「何を」
「私、絶対可符香ちゃんのこと忘れてなんかやらない!」
高らかにそう宣言する。さらに千里ちゃんは自分の胸を押さえて、
「だからこの心臓も私に融合なんてさせない! これは可符香ちゃんのものって、きっちりさせたままで行くわ!」
「千里〜もう……」
そんな宣言の仕方しなくても、と晴美ちゃんは言いたそうだ。でも千里ちゃんらしくて、私は
思わず笑ってしまって空を仰いだ。両目で見る空は昔より広くなったような気がする。

そうだね。私も可符香ちゃんのことは忘れない。
だからこの角膜も、可符香ちゃんのもの。もう皆を見ても、可符香ちゃんに見えることはなくなってしまったけれど。

「折角だからなんか食べて行こうよ〜」
奈美ちゃんがみんなを誘っている。奈美ちゃんはそうでしょう、と呟きながら私はその話に乗ることにした。


-完-

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