「見て! これ買っちゃった!」
朝のへ組の教室。日塔奈美が昨日買ったCDを、隣の席のあびるに見せる。
「ああ、それ今やってる朝ドラの」
「そうそう、お店行ったら特設コーナーができてたからついふらっと」

「おやおや」
がらり、と扉をあけてこのクラスの担任、絶望先生こと糸色望が教室に入ってくる。
生徒達はみなばたばたと自分の席に戻って行った。
先生の背後にはいつものようにストーカー女こと常月まといがぴったりと貼りついて
尾行しているが、日常の光景なのでクラスの誰かが彼女に特に何か言うこともなかった。
今日は珍しく朝から洋食だったらしく、教師からはふっとクリームシチューの
香りがしているが、それに気づくのはまといくらいだ。

「『あまちゃん』ですか、さすが日塔さんは普通ですね」
糸色望は教卓に出席簿を置きながら奈美に言いたいことを言う。
「普通って言うなあ!」
彼女は彼女で間髪いれずに言い返す。
日塔奈美――人並み。
彼女の感性や考え方は何もかもがごく平凡である。
逆に言えば、彼女の好きなものは大抵世間的にも人気が高い。

「『あまちゃん』好きだったらいけませんか」
もう一度奈美が食ってかかると「いけなくはありませんよ」と教師は
さらりと答え、ぐっと溜めてから続ける。

「いけなくはありませんが、しかしみなさんお忘れじゃありませんか。
 ――『純と愛』のことを!」

「『純と愛』……」
奈美は一瞬何かを思い出そうと探るような目をした後、

「あー、あの色んな不幸が起きる暗いドラマ……」
「『あまちゃん』のたったひとつ前のドラマじゃありませんか。
 日塔さん今忘れていたでしょう」
絶望先生にそう言われ、奈美はそれはそうですけど、と言い返す。
「でも、あれ本当に暗かったですよ。以前病院に行った時に
 『純と愛』の昼の再放送をしていたんですけど」
自殺未遂を描いた回で、待合室の雰囲気がものすごく暗くなったと奈美は話す。
教師はそれを聞いてふっと皮肉めいた笑みを浮かべた。

「そこがいいんじゃありませんか。さわやかな朝に挑戦するかのような
 ホテルの倒産! 家族内の大喧嘩! 浮気! 狂言自殺に自殺未遂! 不治の病!
 乱舞する離婚届!
 あんなドラマそうそうありません!」
「そこがいいと思う人ってそんなに多くないと思います」
奈美が冷静にそう突っ込む傍らで、隣席のあびるはぼそりと、
「そもそもそんなに不幸な話だっけ? あのドラマって」
と呟いた。

「えっ?」
奈美は思わず隣の席を振り返る。不幸のオンパレードだったじゃない、
ちょっといいことがあってもすぐまた不幸になって、と奈美が言い返すと、
「最終的に、自分のホテルを持つっていう夢はかなえたわけだし。
 最初はいなかった友達もできたし、仲間も。家族との仲も修復できたし、
 なんだかんだ言っても、ヒロインは最後まで立ってたわけだし。
 結構ハッピーエンドじゃないかと私は思ったんだけど」
「えー!? ハッピーエンドじゃないよ!」
到底納得できないと奈美は言いたそうだった。
「だいたい、家族内であんな形の喧嘩とかする?
 もうちょっと仲良くてもいいでしょ!」
「そう? 家族内でもめ始めると、感情的なものが絡んで誰にも解決できない状態に
 なることもよくあると思うけど」
「そうかなあ……」
奈美は首を捻った。

「『純と愛』ねえ」
これまでずっと机の下に隠した漫画を読んでいた藤吉晴海が顔を上げて
この話に加わってきた。
「私は見どころあったと思うけどな……正×愛とか愛×剛とか」
「あなたは殿方同士のカップリングが妄想できればなんでもいいんでしょう」
晴海にそう突っ込んだのは木津千里。晴海はそれには答えずにただ怪しげな
笑みを浮かべただけだった。

「そういう木津さんは……」
と絶望先生が口を開く。
「『純と愛』に何か感想はあるんですか?」
「きっちりしてほしいと思いました」
クラスの大抵の者がそう答えるだろうなと予想した通りの答えを千里は口にした。
「それはどういう意味で?」
教師がさらに尋ねると、
「やはり、不幸になるのならもっときっちり不幸のどん底にまで落ちて行かなければ!」
「そっち!? そっちなの!?」
奈美が叫ぶ。
「当然じゃない。さっきあびるちゃんが言ったみたいに、あのドラマは
 まだまだ希望を残しているんだから。不幸な話を描くと決めたならもっときっちりと
 不幸の底まで!」
「不幸な話を描くと決めたわけじゃないんじゃないかな」
あびるが呟く。奈美は奈美で、
「大体あれ以上不幸ってどうやって」
と後ろの方に座っている千里を振り返る。
「最後の方の展開をちょっと変えれば。あと、中盤辺りでももっと血生臭い方向で」
「あーはいはい」
絶望先生がその会話に割って入った。何かと物騒な話の好きな千里のこと、
好きに語らせていたら猟奇的なことを言い出しかねない。

教室を見回すと、生徒たちはこの話を取り立てて真面目に聞くでもなく――まあ、
始業前の雑談といったところなので――うるさくない程度に好きなことをしている。
トルストイの名言集を読んでいるものがいるかと思えば、四字熟語の書き取りを
しているらしい者もいた。

そんな中でもひときわ目につくのは、高校生ながらに結婚して借金で
苦労している大草麻奈美だ。吹き戻しを作る内職をもくもくとこなしている。

「おや大草さん、珍しいことをしていますね」
麻奈美は声をかけられたのが意外だったらしく、驚いた表情で顔を上げた。
「吹き戻しですか」
屋台などで売っている、紙を巻いたような笛である。ぴゅうと吹けば紙が伸びる。
教師は彼女の机に近づくと、完成した一つを手に取った。
商品なのでこれを吹いてみるわけにはいかないが。
「夏祭りのシーズンがもうすぐなので注文が多くて」
「それはそれは」
頑張ってください。と彼は言って吹き戻しを元の場所に戻すと、また教壇に戻りかける。
「『純と愛』にはちょっと期待してたんですけどね……、」
麻奈美が手を止めずにぼやいた言葉に、糸色望は思わず立ち止まった。
「ほう。何をです」
「色々な種類の内職が出てくるんじゃないかと思って。その中で割のいいのがあったら
 それをしようとおもっていたんですけど、意外とバリエーションがなくて……」
そう答えながら、大草麻奈美は器用に吹き戻しを作っては完成品の箱に入れていく。
「そんなニーズで見ている視聴者もいたんですか」
呆れたようにそう答えながら糸色望が教卓の前に立つと、

「先生。『純と愛』と言えば」
と突然背中から声をかけられ、「いたんですか」と視線だけを背後に向ければ
そこにはいつものように常月まといが立っている。
「私も少し期待はずれなところがあったんですよ。『純と愛』という名前だけに、
 もっと愛を伝える方法を描いてくれるかと思ったのに」
「そうだったんですか」
「相手を尾行する、とか無言電話くらいしか描かれなかったのは残念です。
 無限FAXもなかったし……好きな相手の動画を撮ってインターネットに上げるというのは
 少し目新しかったですけど」
「どうしてそういう伝え方ばかり注目するんです」
そうまといに突っ込んでから、さて、とばかりに教師は出席簿を開いた。

「まあ感想は様々でしょうが、次の朝ドラがここまでヒットしているとなると
 直前のシリーズの影はどうしても薄くなってしまうでしょうね」
まとめのようにそう言ってから出席を取り始めようとすると、
「先生大丈夫ですよ」
と明るい声がした。
声をあげたのは風浦可符香。クラスでも随一の、ひたすらに前向きな少女である。

「世の中には再評価ってこともありますから。『純と愛』が再評価される時も来ますよ」

「再評価ね……」
と教師はその言葉を信じていないかのように皮肉な笑みを浮かべた。
「そんなに簡単に再評価されたら苦労しませんよ。だいたい朝ドラなんて全部見るのに
 40時間近くかかるんだから。放映中ならともかく、今更DVDで見る視聴者も増えないでしょうし」
「再放送があるんじゃありませんか。そのうちには」
可符香は簡単にそう言う。

「再放送があるんでしょうか。このままだと再放送がなくてもおかしくない勢いですよ」
と、絶望先生が名前に恥じず絶望的になっているのに彼女は更に答える。

「大丈夫ですよ。幸い、『純と愛』には若手の俳優さん女優さんが
 たくさん出ているじゃありませんか。
 この人たちが名優に育っていけば『純と愛』が注目されて再放送ってこともありますよ」
「そうですかねえ」

「それが待てないんだったら、みんなにダイジェスト版でも見てもらえばいいんですよ。
 確かインターネットに、『1分で振り返る純と愛』という便利そうな動画が」
「そんなものがあるんですか。それはいいかもしれませんね」
だいぶ偏ったまとめ方をした動画なので未見の人には向かないということを
知らない教師はそう言ってからふうとため息をつくと、今度こそやっと出席を取り始める。

近所の人が録画しておいた「あまちゃん」を見始めたのか、テーマ曲が
どこかから小さく聞こえてきた。 -完-

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