藤吉晴美は眠ることに決めた。
間近に迫ったオンリーイベントの為に、このところ徹夜が続いている。続きすぎている。
千里にも付き合ってもらっているというのにまだ原稿が終わりそうにない。
この分では今日も徹夜になるだろうし、これでは身が持たない。
よって、眠れる時に眠っておくべきである。

たとえばこの授業時間に。

「絶望した!」
担任教師がまた何かに絶望している。晴美はうとうととしながら
夢見ごこちにその言葉を聞いていた。
どうせまた、大したことでもないのに絶望しているのだろう。
それに千里が何か言って可符香が混ぜっ返して、そんな風に話は進むはずである。

「いいえ、先生。それは違います! 生肉は生肉として食べるべきです!」
ほら、千里が何か反論してる。半分夢の中で晴美はそう思っていた。
睡魔が晴美の身体を引っ張る。眠りの沼に落ちていく。

だが、突然教室に響いたがたんという音とみんなの悲鳴のような声が
晴美をかろうじて現実の世界につなぎとめた。

「千里ちゃん!」「木津さん!?」
普段冷静なあびるが慌てる声が聞こえる。絶望先生も珍しく小走りに
黒板の前から教室の中央の方へ進んだようだ。

――千里……?
まだ少し眠さの残る眼で晴美は千里の姿を探した。
姿が見えない。
はっきりと晴美は目を見開いた。
千里の席は空席だ。正確には空席ではなく、椅子が後ろにひかれていて
そのすぐ横に千里が倒れている。

「千里!」
晴美ははっきりと覚醒した。すぐに立ち上がり千里のもとへと駆け寄る。
あびるや絶望先生も晴美の為に道をあけるかのようにその場をどいた。

「千里……?」
かがみこんで名前を呼びながら様子を窺う。千里は目を閉じたまま、
規則正しく呼吸をしていた。
「ん……?」
この感じはどこかで覚えがある。少しの間記憶を探って、
晴美は小学校の時を思い出した。二人で徹夜して課題をしあげた翌日、
千里が突然倒れて眠り始めたことを。

「藤吉さん、千里ちゃんは?」
あびるの声が頭の上から聞こえてくる。
「寝てるだけだと思う。最近寝不足だったから」
晴美が顔を上げて答えるとあびるは意外そうに眼を丸くしたがすぐ安心したように、
「まあ、それならいいけど」
と自分の席へと戻っていく。

「先生、千里保健室に連れて行きます」
「ああ……そうですね、そうしてください」
行くよ、千里。そう声をかけても起きないので晴美はよいしょと千里を背負った。
同じくらいの背丈の高校生同士で片方が片方をおんぶするのは普通難しいものだが、
常人離れした体力を持つ晴美にはそれほど大変ではなかった。
晴美はすたすたと歩いて教室を出ると保健室に向かう。
今日は保健の先生がいない日だったので、勝手に奥に入ると
「降ろすよ」
と背中の千里に声をかけてベッドの上にどさりと千里の身体を横たえる。
「ん……」
千里が声をあげたので起きるかと思ってみていたが、千里はまた
眠り込んでしまっていた。晴美はしばらくベッドサイドに立って千里の様子を窺っていた。

――眠ってると、小さい頃と変わらないね。
そんな感想を抱く。小学校の頃から千里と同じ学校に通っている晴美にとって、
千里の寝顔はもう何度も見たものだ。
意志の強い瞳がこの時ばかりは隠れ、ただ起こされるのを待っているばかりの
か弱い少女のように見えるから不思議だ。

はああ、と晴美の口からあくびが漏れた。考えてみれば晴美だって眠いのだ。

――誰もいないし、いいよね。
ベッドがあいているのだからここで眠らせてもらおう。
そう決めて晴美は千里のベッドの隣のベッドの上に横になる。
徹夜がたたっている晴美も、目を閉じるとすぐに眠りの世界へといざなわれた。
だが、
「ん?」
どん、という衝撃が背中に当たる。晴美が目を開けて体の向きを変えると、
寝返りで転がってきた千里が晴美のすぐ横にいた。

――千里って結構寝相悪いよね。
晴美は内心で苦笑した。きっちりしているのを好む割に、千里は意外と
こういうところで詰めが甘い。寝ているから仕方がないのだが。

毎朝、時間をかけてきっちりとセットしている髪も少し乱れている。
元々くせっ毛の千里が彼女の考えるきっちりとした髪型――ストレートのロングヘア――
になるためには、ストレートパーマをかけたりと日々の様々な苦労があるのだ。

――木津家の体質とか性格とかって、本当はキタ姉みたいなのが普通なのかもね。
と晴美は思う。キタ姉はキタ姉で、千里の影響でだいぶ極端な体質に
なってしまっているのだが、あちらのほうが木津家の人たちが持つ
本来の性質に近いような気はする。

千里はそのきっちりとした性格ゆえに、色々と頑張って自分の体質を克服せざるを得ない。
小さなころから千里を見ている晴美としては、そんな千里がいじらしい。

間近に眠る千里の顔を見ていると、額にうっすらと何かの傷跡が残っていた。
クラスメイトの誰かと戦った時についた傷の痕跡かも知れない。

――早く治るといいね。
おまじないのようにその傷跡にそっと口づける。晴美の瞼はまた静かに降りてきた。
やがて保健室には静かな寝息が二人分聞こえるようになった。

-完-

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