「あう〜」
失敗した。どんよりとした日塔奈美の顔からはその四文字が簡単に読み取れた。
奈美の家に遊びに来ていた小節あびるは床の上に座って壁に寄りかかりながら
そんな彼女を見つめていた。

部屋の壁にはAKBN84のポスターが貼ってある。
AKBN――アカバネ84。
奈美やあびるのクラスメート、根津美子(ねづ みこ)と丸内翔子(まるうち しょうこ)が
仕切っているアイドルグループである。

他には同じくクラスメートの大浦さんや以前先生の下宿の隣に住んでいた女子大生も
メンバーとして参加している。
奈美はもともとは参加していなかったが、ある時に人数が足りないという理由で根津美子と丸内翔子に
頼まれ、メンバーの一員になっていた。

奈美が参加していることからも分かるように、素人に毛が生えた程度のアイドルグループでは
あるのだが、ご当地アイドルとして――商店街のイベントなどによく出演している――
人気を博している。

素人に毛が生えた程度だからといって、例えば高校生の部活動のような爽やかなものをイメージしてはいけない。
仕切っているのが根津美子と丸内翔子――ネズミ講、マルチ商法と良く似た語感の名を持ち、
悪徳商法で先生やクラスメートからもうまいことお金を巻き上げる二人なのだから。
熱狂的なファンから集金をするためのシステムとしてのアイドル活動と言った方が
実態に即している。

あびるは何度かAKBN84の活動を見に行ったことがある。といっても会場の中まで
入ったことはなく、会場に入っていくファンの姿や公演後のグッズ販売会場に群がるファンの姿を
見たまでだが。
公演終了後しばらくしてから楽屋から出てくる奈美を待って一緒に帰ったものだが、
普段言うことがきついあびるとしても「奈美ちゃんのグッズはあんまり人気がないみたい」
なんてことは言えなかった。
奈美は根津美子や丸内翔子が新手の商売としてこのアイドル活動を仕掛けたことに
感づいてはいたものの、アイドルとしてスポットライトを浴びること自体が
気持ち良かったようで、楽しそうに活動していた。

「ああ……なんだかなあ……」

そんな奈美がAKBN84を引退した。
本人にやめる意志があったわけではない。
引退宣言をしてファンに引き留められ、涙のカムバック……という路線を都合よく考えていたのだ、
奈美としては。
だが未遂という中途半端な行為を許さない女、木津千里に見つかったのがまずかった。
カムバックするつもりで仮の引退宣言をした奈美は千里に脅される形で
そのまま本当に引退に追い込まれたのである。

「やめて良かったと思うけど?」
あびるがそう呟くと、
「あびるちゃんは元々反対だったもんね、AKBN84やるの」
と奈美はいつもと比べて元気のない口調で返す。
「うん」
はっきりとあびるはそう言った。

「やっぱり、やってることが悪どいから?」
「うん」
「まあ、グッズの売り方とか結構すごかったみたいだけどね――」
奈美はあまりよく理解していないのだが、「結構すごかった」というレベルでないことを
あびるは良く知っていた。

それに、奈美がAKBN84の活動をすることに反対していたのはそれだけが理由ではない。
先ほども書いたことだが奈美はメンバーの中でそれほど人気がある方ではない。
奈美が一番好きというファンもいたようではあるが、
人気メンバーのものと抱き合わせにしないと明らかに売れない奈美のグッズを見ていると
悲しい気持ちになってくる。
それでも、奈美がどうしてもアイドルになりたくて夢を追いかけているといった事情なら
応援したかもしれない。しかしそういうわけでもないようなので
それだったらやめた方がいいというのがあびるの考えだった。

「丸井さんがね」
「ん?」
あびるが突然クラスメートの名前を出したので奈美は聞き返した。
「ずっと茶道部の部員だと思ってたんだけど、本人は仮入部のつもりだったんだって」
「え? そうなの?」
奈美もそれは初めて聞く話で、意外そうに声をあげた。丸井円はすっかり茶道部の一員のように
振る舞っていたからだ。
「うん。なんであんなに部員っぽいかっていうと、仮入部なんて中途半端な形は許されないから」
「ああ……」
誰が許さないのか。すぐに想像はつく。
茶道部部長の木津千里だろう。

「やっぱり、千里ちゃんがそうなったら大変だよね……」
「相当な覚悟はいるんじゃない? 千里ちゃんに反して自分の意志を通すなら」
そのぐらいならやめよう。いいことをしているわけでもないし。
奈美の顔にそんな表情が浮かんだのを見て、あびるはほっと安心した。

 * * *

――おっと、これは……
同じころ。AKBN84の仕掛け人の一人、根津美子は丸内翔子とルームシェアしている
マンションの自室でパソコンの画面を見て腕組みをしていた。

インターネット上を流れる情報には商売のヒントが隠れていることも多い。
少し前は、次の商売の種を探すためにパソコンを見ていることが多かった。
だが最近は、AKBN84のファンの動向を探るために見ていることが多い。
グッズの売り上げやコンサートでのファンの生の反応に加えて、インターネット上での
ファンの書き込みを見ることでその動向がより正確に把握できる。

根津美子が見ていたのは丸内翔子の熱狂的なファンのページ。
ファンだった人の、と言い換えた方がいいか。
彼女に彼氏ができたと誤解したらしく、熱狂的なアンチへと変わったようだ。
それ自体はさほど珍しいことでもない。

――でも、まだアンチなのか……。

彼がアンチに変わったことに根津美子が気づいてから1か月。
ファンサイトだった場所に書きこまれる罵詈雑言は毎日のように続き、今も続いている。

少し長い。
罵詈雑言がパワーアップしているような気もする。

危険な兆候だ――と足を組みながら根津美子は思った。
多くの場合、一時的にはアンチになったとしてもその内また別のアイドルのファンになっていく
ものである。
「別のアイドル」がAKBN84の誰かであれば根津美子たちには都合がいいが、
全く別のアイドルである場合もある。それはそれで、最悪の事態は避けられる。

最悪の事態とは、アンチになった元ファンがいつまでもその執着から抜け出せずに
最終的にアイドルに危害を加えるような事態になることだ。
可愛さ余って憎さ百倍。ファンからアンチに変化した場合の憎しみの度合いは
元からアンチだった人よりもずっと強い。

誰かを嫌いになったとしても、また別の誰かを好きになって前の人は忘れていった方が
お互いの為に幸せなのである。

――何か手を打たないと。
根津美子はそう感じた。単純に言って、丸内翔子の代わりに自分に注意を向けられれば
それでいいのだが、丸内翔子と自分とではタイプが違う。
クール、だとか、ボーイッシュ、だとかいった形容をつけられる自分とは違って
丸内翔子は大変女の子らしい女の子だ。守ってあげないと、と男たちが勘違いするような。
彼女のファン層と自分のファン層はほとんど重ならないので
アンチと化した彼は根津美子には見向きもしないだろう。

彼が翔子の次に好きなのは、日塔奈美だったはずである。

――……。
中空をにらんでしばし考えた後、根津美子は携帯電話を手に取った。

 * * *

「もしもし。美子ちゃん?」
奈美の携帯が鳴った。相手の名前を聞いてあびるはほんのわずかに眉を動かした。
「えっ? ……うん。……うん。でも私、もう引退したから……え? でも……」
奈美の声しか聞こえてこないが、なんとなく不穏な気配のする会話だ。
「代わって」
とあびるはメモ用紙に書いて奈美に見せた。奈美は「え?」と意外そうな声をあげると
「ちょっと待ってて」
と電話口の向こうの根津美子を待たせてあびるに「どうしたの?」と声を潜めて尋ねる。

「代わって」
とあびるは今度は口で告げた。
「え、でも」
「いいから。AKBN84にまた誘われてるんでしょ?」
断る気だ――と、奈美は思った。あびるちゃんは断る気だ。
この電話を渡せば、自分がAKBN84に復帰する可能性は完全に消える――。
そう推測して、一つ呼吸をすると

「はい」
と奈美は電話をあびるに渡した。誰かに断ってもらいたい気がした。
「ん」
あびるはそう答えて電話を受け取ると、
「もしもし」
と声を出す。

『え? 日塔さん……じゃないよね。小節さん?』
電話機の向こうの根津美子は少し慌てていた。
『なんで?』
「今、奈美ちゃんの家にいるから」
『ふうん。……それで日塔さんは?』
「奈美ちゃんはAKBN84には戻らないよ」
『本人から聞きたいな』
「断ってほしいってことだよ。私に電話渡したってことは」
『……ふうん……』
「根津さん。会えない?」
『なんで?』
根津美子は心底不思議そうな声を出した。
「ちょっと会って聞きたいことがあるんだけど」
『いいけど』

ちょっと出てくる。そう言い残してあびるは奈美の家を出た。


「話って?」
あびるが選んだ場所は奈美の家と根津美子のマンションのちょうど中間あたり、
学校の前だった。
根津美子は腕組みをしながらあびるの前に現れた。

「ちょっと奈美ちゃんの前では聞きにくいことだから。
 ……奈美ちゃん、あんまり人気なかったでしょう。最初に奈美ちゃんを誘ったのも、
 人数をあわせたかっただけなんでしょ?」
「ああ、気づいてた?」
舌でも出しそうな表情で根津美子は悪びれずに答えた。

「どうしてそれで、いまさら奈美ちゃんを誘うの? また人数合わせ?」
根津美子は校門に寄りかかった。
「聞いてどうするの、小節さん。日塔さんを戻してくれるって言うなら教えてもいいけど?」
取引をもちかけるようなその口調。だがあびるは、

「そう。なら、教えてくれなくていい」
とその話には乗らなかった。
「そっ」
根津美子はそっけなく答えると、
「小節さん過保護だね。日塔さんに対して」
と呟く。
「奈美ちゃんは優しいからね」
あびるは眼帯をしていない方の目でじっと美子を見つめていた。
「私たちに加わらせておくわけにはいかない?」
美子の質問にあびるは無言で頷き、
「じゃあね」
と踵を返して奈美の家の方へと戻っていく。

「根津さん」
五、六歩進んだところであびるは足を止めた。
「何」
「根津さん達も、もうやめたほうがいいと思うけど。あの商売」
「……久しぶりの大当たりだからね。それに、AKBN84は翔子がメインで動かしてる話だし」
美子がやんわりとあびるの提案を否定すると、「ふうん」とあびるは答えて
今度はそのまま帰って行った。

 * * *

――失敗、か……。
別の手を考えよう。
そう思いながら根津美子は一旦マンションに引き上げた。
と、先ほどは出かけていた丸内翔子が帰ってきているのに気が付いた。

「ただいま、翔子」
声をかけて、翔子の部屋を覗く。翔子は翔子で、机の上に置いたノートパソコンを
いじっている。

「お帰りなさい、美子ちゃん」
「何してんの?」
翔子が見ているサイトに見覚えがあってパソコンを覗き込む。

「あ、この人……」
翔子のアンチになった元ファンのサイトだ。罵詈雑言が並んでいるのは先ほど見た時と
同じである。
「この人、私のアンチになっちゃってね」
翔子はあっさりと言う。
「まだ次の好きな人ができてないみたいだから何とかしてあげようと思って」
「何とかって?」
「アイドルファンを装ってコメント欄に書き込みしてるの。好きそうなタイプのアイドルを
 どんどん教えてあげたらいいんじゃないかなって。ちょっと彼、興味示し始めてる人がいるから
 押してみるつもりなんだ」
そう言ってころころと笑う。なんだ、と根津美子は思う。
自分が慌てて動き回る必要なんかなかった。
丸内翔子は一見守ってあげたいと思わせるような女の子だが、その内面はずっと強かだ。
おそらく、自分よりもずっと。

「それでねえ、美子ちゃん。また別の企画を考えたんだけど……」
企画とはこの場合、ファンから搾取するための方法という意味である。
「次から次へとあくどい手をよく考え付くね」
「あなたほどじゃないわ」
澄ましてそう答えてから翔子は「企画」の説明を始める。
そのあくどさに内心感銘を受けながら、根津美子は丸内翔子の話をふんふんと聞いていた。

-完-

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