――あの本を取りたい。
普通であることに少しコンプレックスを持っている普通の女子高生、日塔奈美は学校帰りに近くの書店に立ち寄っていた。
グルメコーナーの棚の少し高いところにあるラーメンの作り方についての
厚めの本を見てみたいと思っていたが、あいにくと手が届かない。
辺りを見回してみたものの店内に踏み台は置いていないようだった。
店員さんに頼めば取ってくれるだろうが、そこまですると買わなければいけないような気がするので
気軽には頼みにくい。

どうしよう、別の店に行ってみようかと奈美は思って、何かうまい考えはないかと
もう一度店内を見回した。――と、高校の同級生の姿が目に入った。

小節あびる。いつも身体のあちこちに包帯を巻いているが別段誰かに日常的に暴力を受けているというわけではなく
単にそそっかしく、かつ動物とのふれあいにより怪我が絶えないという事情によるものである。
彼女は長身だ。本人はそこにコンプレックスを感じたこともあったようだが。

奈美は本棚の方を見て、目分量で彼女の身長と本のおいてある棚との高低を比較した。
――あびるちゃんなら届きそう。

そう目算してから、つつっとグルメコーナーを離れあびるのいる科学コーナーに向かう。
やはりというべきか、あびるは動物の本を立ち読みしていた。大きくて立派な装丁の
いかにも高そうな本で、買う前の品定めというよりは買えないけれども立ち読みで済ませているといった
風情だった。

――ちょっと待とう。
あびるの表情があまりにも嬉しそうなので奈美は少し気を遣う。あびるはクールだ。
教室で皆が大騒ぎしている時でもあまり表情を変えることはなく、冷静な突っ込み役という
ポジションを確立している。
そんな彼女があれだけ嬉しそうな表情を浮かべているのだから、少し待ってから声をかけた方が良さそうだった。

そんな状況で数分も待っただろうか。
立ち読みしている本をじっくり堪能したらしいあびるが本を棚に戻すのを見て奈美は彼女に近寄ると、
「あびるちゃん」
と声をかけた。
「……あ、奈美ちゃん」
今まで読んでいた本の影響だろうか、まだ陶然とした表情を浮かべていたあびるが
奈美の声を聞いて我に返る。

「奈美ちゃんも来てたんだ」
「うん。それで、ちょっとお願いがあるんだけど」
「お願い?」
不思議そうな表情をするあびるをグルメコーナーまで連れて行くと、奈美は先ほどの本を指さして
取ってくれるように頼んだ。
お安い御用、とあびるが腕を伸ばす。

「さすがあびるちゃん! 届くんだね!」
「……まあ、このくらいなら」
長身にコンプレックスを持っていたことを知っているので奈美は大げさとも取れるくらいに
あびるを褒めたが、あびるの方はさらっと躱して
「はい」
と奈美に本を渡す。お礼を言って奈美は受け取ると、さっそくとばかりにぱらぱらとページを開き始めた。
興味があるのか、あびるは立ち去らずに奈美の隣で本を覗き込んでいた。

「ラーメンの、作り方の本?」
何ページか見たところで大体本の内容が分かって来たのかあびるが尋ねる。
うん、と奈美は頷くと、
「ほら、これとか! おいしそうだと思わない!?」
と勢い込んであるページに載っているラーメンを見せる。
「……太りそう」
具が盛りだくさんになっているラーメンだからあびるの感想は正しい。正しいのだが、
「うるさいっ」
と奈美は言下にあびるの言葉を否定していた。
「奈美ちゃんが太ってるって言ってるんじゃないよ? あくまで一般論として」
「それはそうかもしれないけど」
あびるは涼しい顔だ。奈美が体重のことを気にしているのを分かってこんなことを言っているのだ。
あびると話している時はほとんどいつも、からかわれているような気がする。
……多分それは、気のせいではない。

「あ、これおいしそう」
また更にページをめくっていると、今度は有名ラーメン店の商品が並んでいるページが出てきた。
「そこ行ったことある……と思う」
写真をみたあびるが呟く。
「本当? この店、近くにあるの?」
「うん」
こっくりとあびるは頷く。
「美味しかった?」
「うん」
また素直に頷いた。
「いいなあ。行ってみたいなあ」
奈美は呟きながら本を閉じると、裏表紙に印刷してある値段を確認した。これまで立ち読みした内容から、
この価格なら買ってもいいと判断すると本を持ってレジへと向かう。
一緒に帰ろうと思っているのか、あびるは奈美が会計を済ませるまで待っていた。
支払いの終わった奈美がふとあびるに目をやると、

――あれ?
入り口近くで奈美を待っているあびるの表情はいつもよりもずっと穏やかで、柔らかく笑っているように見えた。
彼女があまり見せることのない表情だ。

「ねえ、あびるちゃん」
並んで外に出ると、風がさっと二人を包んだ。
「ん?」
短くあびるは聞き返す。
「さっきのお店、良かったら今度一緒に行かない? 私も食べてみたいから」
「うん。いいよ」
「今度の土曜日でもいい?」
あびるは視線を空にさ迷わせて今後の予定との兼ね合いを考えているようだったが、
「うん。土曜日なら大丈夫」
とすぐに答える。
「本当? じゃあ土曜日、約束だよ」
「うん」
あびるは頷くと、奈美の顔を見てふっと笑った。奈美はその顔を見て少し卑屈になる。
「ひょっとして、『太るのに』とか思ってる?」
「えっ?」
あびるは奈美の言葉が本当に意外だったようで不思議そうな声を上げた。
「だって今、笑ったじゃない」
「……ああ、」
あびるは奈美の言葉を聞いて納得したように頷くと、
「奈美ちゃんは喜怒哀楽が分かりやすいから。見てて楽しい」
と、ぽんぽんと軽く奈美の頭を叩きながら言う。
「楽しい?」
奈美が聞き返すと、
「うん」
奈美の頭から手を離してあびるは頷いた。

――あびるちゃんの喜怒哀楽が分かりにくすぎるんだよ。
奈美はそう思ったが口には出さずに、

「他のみんなのこともそんな風に思ってるの?」
と尋ねる。
「みんなって?」
「ほら、たとえば千里ちゃんとか喜怒哀楽が分かりやすい――」
「……まあ、そうだけど」
奈美が出した同級生の名前にあびるは首を捻って少し考えると、
「喜怒哀楽の『怒』が突出し過ぎている気がする」
はは、と奈美は苦笑した。確かにそうかもしれない。
「加賀ちゃんなんかは?」
別の同級生の名前を出してみる。
「彼女は『哀』が突出してる」
「加賀愛ちゃんだけに」
「……」
そのダジャレはつまらない。あびるの目がそう言っていたので奈美は思わず黙った。

ぽん、とまたあびるの手が奈美の頭の上に乗ってきた。
「奈美ちゃんは喜怒哀楽のバランスがいいからいい。見てて安心する」
「安心?」
「うん」
あびるの手が奈美の頭を叩くというよりは撫でる感じになってきた。

「すごく、普通って感じで」
「普通って言うなああああ!」
手の下で叫ぶ奈美を見ながらあびるはくすくすと笑うとぽんぽんと奈美の頭を二、三回叩いた。


-完-

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