小節あびるがマスクをしていると、いつも左目にしている眼帯と相まって顔の8割くらいが医療用品で
覆われることになる。
マスク姿で登校してきたあびるに二のへ組の面々は一瞬固まったが、すぐにただの風邪かと思い普通に戻る。

「おはよう、あびるちゃん。風邪?」
自分の机の上に鞄を置いて中のものを引っ張り出そうとしているあびるに、日塔奈美が声をかける。
「……うん」
日頃から口数の少ないあびるだが、今日の答え方は無口だというだけではなく反応速度が
落ちていることを感じさせた。奈美の何でもない質問を一々頭の中でゆっくり考えてから
やっと言葉が出てきたというような。

「最近風邪流行ってるもんね。熱大丈夫?」
「……家出てくる時は大丈夫だったんだけど」
教科書などを出し終えて鞄を机の横にかけてあびるは自分の席に座った。あびるの顔で今、唯一見えていると
言っても過言ではない右目が熱っぽくうるんでいる。

「熱出てそうだよ」
「……うん。そんな気がする」
休んだ方がいいんじゃない、と奈美は思ったが
「でも、今日の数学の小テストは受けておかないと」
とあびるが先回りして呟いた。
――それくらいいいんじゃないかなあ。
と奈美は思うが、あびるがそう決めているらしいのでとりあえずはそのままにして様子を見ることにする。
「調子悪かったら、すぐ保健室に行った方がいいよ」
ん、と喉の奥で小さな声を出してあびるは頷いた。


数学の時間を何とか乗り切ったあびるだが、当然次の体育の時間は見学することにする。
最近の体育はバレーボールが中心だ。体育館を2面のコートに分けて、今日はアタックの練習をするらしい。
体育館の端にある椅子に腰かけてあびるはぼんやりと、みんなの様子と飛び交う白い球を眺めていた。
熱がさらに上がって来たのかもしれない。自分の吐く息さえ熱く、それがマスクの中で跳ね返って
自分の顔に返ってくるものだから顔が火照ってくるような気がする。
ごくりとあびるは唾を飲み込んだ。喉が渇いているようにも思う。
そろそろ真面目に保健室に行くことを考えた方がいいか。
そう思い始めた時、あびるの目がある一点で止まった。

小節あびるは動物好きである。正確には、動物の尻尾好きである。彼女がこれまでに引っ張ってきた動物の
尻尾は数知れず、近所の猫の尻尾は当然のようにすべて引っ張ってある。彼女に生傷が絶えないのも
この性癖のせいだ。

その性癖が、また彼女を厄介なことに巻き込もうとしていた。

――尻尾……
宙に浮いている尻尾があびるには見えた。こんな時でもなければ立ち止まってまずよく確認するくらいの
ことはしただろうが、あいにくと彼女は熱にうかされていて余計なことを考えられる状態ではなかった。
全く、確認などというのは余計なことなのだ。尻尾らしきものを見たらそれを掴む。
それが尻尾好きとしての本来あるべき姿ではある。

熱は、あびるを本来の尻尾好きの姿に戻した。立ち上がると眼の前で動いている尻尾を掴む。まるでそれは随分
大型の動物の尻尾でもあるかのように、あびるの首元あたりの高さにあった。

「こ、小節さん!? すみませんすみません!」
二のへのクラスメート、加賀愛は突然あびるに髪の毛――後ろで縛っているちょろっと伸びた毛――を
引っ張られて大慌てで謝っていた。
加害妄想がひどく何かにつけ控えめに行動せざるを得ない彼女は、今日もコートの一番端で
練習をしていたのだが、ペアを組んでいる相手がアタックしたボールを拾おうとしてあびるの目の前まで
追いかけてきた。
その時に彼女の髪の毛がぴょこぴょこと跳ねるのを見たあびるが尻尾と勘違いしたのである。

そして喜劇はそれだけでは終わらない。

「加賀ちゃん危ない!」
木津千里が打ったボールが二人の方へと飛んでいく。そして、加賀愛ではなくあびるの頭部を直撃した。
「あびるちゃん!」
何人かの生徒が同時に叫ぶ。あびるは加賀愛の髪の毛から手を離してへろへろとその場に倒れた。
「すみません小節さんすみません!」
加賀愛がパニック気味になりながらとにかく謝る。あびるちゃん、と生徒たちが集まってくる。
当のあびるは熱と今の衝撃でぼんやりとした頭を抑えながら立ち上がると――あびるが立ち上がったのを
見て生徒たちは少し安堵した――、
「保健室行ってくる」
と言ってふらふらとその足を体育館の出入り口の方に向ける。

「すみません小節さん私などの髪の為に!」
「あ……ごめん、加賀ちゃん。気にしないで」
後ろから加賀愛の謝罪の言葉が聞こえてきたので、あびるは一旦振り返ってそう言ってから
体育館を後にした。


結局、その日は早退して病院に行った。医者からもらった風邪薬を飲んだらだいぶ症状も落ち着いたので、
翌日はまだマスクは手放せないものの比較的気持ちよく学校に向かうことができた。

「おはよう」
「おはよ。あびるちゃん、大丈夫?」
教室に入ってきたあびるを見てクラスメイトが声をかける。うん、と頷いてあびるはいつものように
自席につくと静かに鞄の中のものを机の中に移し始めた。
まだ今日は、あまり騒がずにおとなしくしていた方がいいだろう。教室内の喧騒に巻き込まれないように
しながらあびるは静かに始業時間を待っていた。

「遅れまして、すみませんすみません!」
加賀愛は遅刻が多い。今日も担任の糸色望が教室に入った直後に彼女は飛び込んできた。
先生にぺこぺこと頭を下げる姿もそれほど珍しくもない。ああ、いつも通りだと思いつつ
小節あびるは机の方に落としていた視線をあげた。そこで彼女の息が止まる。
事態は、ちっともいつも通りなんかではなかった。
「……!」
無言のままであびるは立ち上がっていた。加賀愛のことを指さしながら口をぱくぱくさせる。
「あびるちゃん?」
日塔奈美はそんなあびるの行動に怪訝そうな声をあげたが、加賀愛の方を見て、
「あ、加賀ちゃん髪切ったんだ!」
と気づいた。
「可愛いじゃない、その髪型も」
「そ、そんな私のような者が……」
加賀愛は思わず目を伏せると、
「あの髪で昨日小節さんにご迷惑をかけてしまいましたから」
と続ける。
「……」
目を白黒させたまま、あびるは加賀愛のことを指さしていた手を下した。
「あびるちゃん?」
さすがに様子がおかしいと思い始めた奈美が後ろの席から声をかけると、
「私、ちょっと保健室行ってくる……」
とぼそぼそと言い残してあびるはゆらりと歩き始めるとそのまま教室から出て行った。
「小節……さん……?」
加賀愛の顔から血の気が引く。自分がまずいことをしたのが分かった。
「す、すみません小節さん!」
すみませんすみません、とあびるが出て行った扉の方に向かって何度も何度も頭を下げるが、
あびるに届いているかどうかは定かでなかった。

「あーあ。」
一部始終をずっと見ていた木津千里がぼやく。
「あびるちゃん、ショックだったみたいだね」
という奈美の声に、
「身近で見ていた尻尾がなくなったんだもん、そらショックでしょう。」
と答える傍で加賀愛は「すみませんすみませんすみません」といつにも増して取り乱していた。

「大丈夫だよ加賀ちゃん。すぐ髪だって伸びるし、そうしたら」
奈美は彼女を落ちつけようとこう言ったが、「それでも、私のようなものが」と彼女は
パニックを起こしたままだった。
「この場合、人の髪を尻尾扱いしてるあびるちゃんの問題じゃないかと思うんだけど」
「まあね――、他の人であびるちゃんに髪の毛尻尾扱いされた人いるの?」
奈美の言葉を受けて千里が教室内を見回すと、
「あ、私」
と大草麻菜実が手をあげた。
「大草さんも? そっか、ポニーテールだもんね」
結んであれば誰のでもいいのかな、と奈美が考えている横で彼女は具体的な説明を始める。
「私の時は大体二、三回後ろから引っ張られるのでそれが終わってから振り向いてぎゅっと抱きしめてあげると
 満足するようで離れていくけど」
「……あびるちゃんは何がしたいんだ!?」
奈美は思わず叫んでしまった。彼女の尻尾好きは今に始まったことではないが、
ターゲットとなった人の具体的な声を聞いてみるといまさらのように彼女の嗜好がどこか異様であると
感じざるを得なかった。

「すす、すみません、私が大草さんみたいにちゃんと対応できなかったから!」
加賀愛は相変わらず謝り続けている。
「気にすることないから。」
千里は腕組みをする。
「加賀ちゃんに大草さんと同じ対応を求めていたならあびるちゃんが間違い。」
「それでも、私のせいで小節さんがあんな辛そうな顔を……!」
加賀愛はもともと加害妄想が激しい。自分が関係ないことでも自分のせいだと思い込む傾向にある。
ましてや、ここまで自分がかかわっている事件なら自分のせいだと思い悩むのに決まっていた。

「正直、あびるちゃんは二、三日放っておけば回復してくると思うんだけど。
 風邪で気持ちが弱ってるってのもあるだろうし」
奈美の意見は冷静なものだったが、ここで担任教師の糸色望が口を挟む。
「小節さんはそれで良くても、二、三日とか髪が伸びるまでとか悠長なことを言っていたら加賀さんが
 もちませんよ。何とかしないと」
しょうがない。何とかしよう。という方向に教室の雰囲気が変わっていく。

「簡単ですよ」
すぐに声をあげたのは風浦可符香。なにかとポジティブ思考の少女である。
「つけ毛をつければいいんですよ」
と、彼女のアイディアは珍しく常識的なものだった。即行動、というわけで学校を出て
つけ毛を買ってくる。

「買ってきました! いろいろ」
そう言って可符香は教室に飛び込んでくると、紙袋を自分の机の上にどすんと置いた。
――いろいろ?
どうしてそんなに色々買ったのだろうとみんなは思ったが可符香の勢いに押されて何も言えず、

「さあ加賀ちゃん! あびるちゃんのところへ!」
と鼻息荒く加賀愛を保健室へと連れて行く可符香を慌てて追いかけた。


「まず、これで行ってみては!」
保健室前の廊下で袋から出したつけ毛その1を加賀愛につけさせ、保健室の扉を開いて彼女の
背中を押す。みんなはその光景を見て固まってしまった。
「ね、ねえ、あれつけ毛じゃなくて尻尾の形したアクセサリーかなんかじゃないの!?」
加賀愛が入って行って閉じてしまった保健室の扉と可符香の顔を見比べながら
奈美が尋ねると、
「やだなあ、そんなはずないじゃないですか。ちゃんとつけ毛専門店で買ってきたんですから。
 ちなみにあれはミナミコアリクイの尻尾風にアレンジしてあるそうです」


保健室奥のベッドではあびるが布団を頭までかぶって丸くなっていた。
非常に、ショックである。
何がショックといって、自分の行動で尻尾――正確には尻尾のような物、だが――を
遠くに追いやってしまったのがつらい。
昨日あんなことをしなければ彼女も髪を切ったりはしなかっただろう。
クールな彼女には珍しく、あんなことをしなければという後悔が胸を満たしていた。

「小節、さん」
軽く壁を叩く音とともに加賀愛の細い声がした。
「加賀ちゃん――」
とあびるは布団の中から顔だけ出して彼女を見る。
「あ、あの。これでどうでしょうか?」
と言う加賀愛の後頭部にはミナミコアリクイの尻尾風つけ毛が踊っていた。


「……加賀ちゃん!」
保健室に入ってから数分後に加賀愛は暗い顔をして出てきた。
「あびるちゃん、どうだったの?」
奈美が勢い込んで尋ねると、
「これはいいけど何か違うそうです……すみません、私のようなものでは小節さんをお慰めできません!」
「大丈夫だよ、加賀ちゃん」
逃げそうになった加賀愛の手を可符香がつかむ。

「次はこれで行ってみよう!」
アナトリアヒョウの尻尾風つけ毛らしかった。


しかしあびるは何を考えているのだか、試す尻尾――もとい、試すつけ毛試すつけ毛に「何か違う」という
返答をしてはそのたびに加賀愛が暗い表情をして保健室から出てくるということが繰り返された。

「あーもう、あびるちゃんってば我儘!」
同じことが繰り返されることに流石に奈美が叫ぶ。
「じゃあもう最後、これで!」
と可符香が取り出したのは、尻尾風でない――昨日まで加賀愛の後頭部にあった髪の毛に良く似た
つけ毛だった。

「普通のもあるんだ」
「つけ毛専門店ですから」
奈美のツッコミにそう答えて、可符香はまた加賀愛の髪につけ毛をつけると保健室の中へと送り込む。

「小節さん」
加賀愛も疲弊していた。ただでさえ自責の念に駆られているところに、何回つけ毛をつけても
駄目と言われることを繰り返しているのだ。声もいつもに増して小さくなる。
「加賀ちゃん――」
「結局、いつも通りになってしまってすみません」
消え入るような声でそう言って、加賀愛はあびるに最後のつけ毛を見せた。
「あ」
あびるの胸の内で、何かがすとんと落ちた。
「良かった」
「小節さん……?」
「やっぱり加賀ちゃんにはその尻尾が一番いいよ」
猫にキリンの尻尾をつけても無理がある。ゾウにアルマジロの尻尾をつけても無理がある。
生き物にはそれぞれに合った尻尾というものがあるのである。
加賀愛の場合にも、やはり彼女に一番合った尻尾はこれである――と、あびるは確信した。


「ん。OKだったっぽいね」
今回は保健室に入った加賀愛が中々出てこない。きっとあれで落ち着いたのだろう――と
保健室前にいるみんなは安堵した。
「じゃあ先に教室に帰ってよう」
可符香の言うとおりに、みんなはぞろぞろと教室に移動した。
「可符香ちゃん、それどうするの?」
奈美が可符香の持っている紙袋を指さすと、
「そのうちあびるちゃんにあげようと思って。尻尾だから」
「……そうだね、それが一番有効活用だね」
二のへ組はやっと授業が始められそうだった。


-完-

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