「……王子様がキスをすると、白雪姫の口から毒リンゴのかけらがぽろりとこぼれました。
 そして白雪姫はゆっくりと目を開けました……」
 
絵本を読んでいたジルは首を傾げた。絵本はずいぶん古いもので、最近ギルドの片づけを
していたソルシエールが見つけたというのでジルにくれたのだ。
ギルドには相変わらずソルシエールとジル、それにナギ、シュウ、カラトがいるが、ナギは数か月ほど出かけていて最近ようやく帰ってきた。

帰ってきたときはだいぶ疲れていたようだったが今はずいぶん回復したようだった。

ジルは絵本を持って、てくてくと歩くとナギの部屋を訪れた。


「……おや、ジル」
ノックをして部屋に入ると、ナギは意外そうにジルを見た。
「今日はシュウと一緒にアイテムを探しに行くんじゃなかったんですか。……シュウに
 急用が入って町に? そうですか」
それで、僕に何か? と言いながらナギはジルに椅子に座るように促す。ジルは
小脇に抱えていた絵本をナギに見せた。

「『白雪姫』……その絵本がどうしたんです?」
ジルは、読んでいてどうしても分からないところがあると訴えた。
「絵本ですし、そもそもおとぎ話ですから分かるとか分からないとか考えなくても
 いいんじゃないですか」
ジルがふるふると首を振ると、

「……はあ」
とナギは諦めたような声を上げた。
「それで、何が分からないんです?」
ジルは最後の方のページを開く。王子様が白雪姫にキスをする場面だ。

「え? 毒リンゴが口から出ただけでどうして白雪姫が生き返ったのかって?
 さあ……口に含んでいるだけで仮死状態になってしまうようなタイプの毒なんじゃ
 ないですか」
ナギは適当に答える。そもそもおとぎ話だ、正解はない。
ジルはまた首を捻った。

「そんな毒は聞いたことがない? ……まあ、僕もありませんが。
 古今東西、色々な毒があるわけですからそんな毒があってもおかしくはないでしょう」
ジルはまだ納得したとまでは言えないようだったが、再び質問をすることはなかった。
「その絵本、どこかで見つけてきたんですか?」
そう言ってナギはジルの方に手を伸ばした。ソルシエールに貰ったと言って
ジルは絵本をナギに渡す。
絵本は古いが、どこにも折れたり落書きされたりした跡は見つからなかった。

「白雪姫」の話は、ナギも小さいころに絵本か何かで読んで知っている。
ジルが持ってきた絵本も、ナギが記憶している通りの筋書だった。
ある王国で美しく生まれた白雪姫だったが、継母にその美しさを妬まれ
幾度も幾度も殺されかける。
何度も失敗した継母は、とうとう自ら作った毒林檎を白雪姫に食べさせに行く。
一口かじった白雪姫はその場で倒れて死んでしまうのだ。

次のページは、白雪姫の遺体を発見した小人たちが嘆き悲しみ、彼女を棺に入れて
弔う場面だった。その絵は、ナギに最近見た棺を思い起こさせた。

「……」
そのページの次のページを、なかなかめくることができない。ナギはとうとう、
そこで読むのを止めてジルに絵本を返した。

「……」
ジルは不思議そうな顔をしていたが、黙って受け取るとそのままゆっくりと部屋を出ていく。
ぱたん、と扉が閉じるのを確認してナギはベッドにうつ伏せに寝転がった。

――イスベルグさん……。

ナギが最近ギルドを離れていたのは、モガリ送りをしていたからだ。
モガリ送りは要するに葬式のことで、亡くなったのはイースともシラユキとも
イスベルグとも師匠とも呼ばれていた彼女だ。
彼女の血には毒があった。それゆえに、長生きは望めない身体だった。

ナギが小さな頃過ごしていた修道院に――そこにはグレゴ―ルもいた――、
彼女はよく訪れていた。ナギから見てグレゴールとイスベルグは愛し合って
いたように見えたが、しばらくして二人はほとんど連絡を取らなくなった。

イスベルグのモガリ送りを執り行ったのがグレゴールだったことにナギはほっとした。
そして、グレゴールのことが心配でしばらく付き添っていたのだが、本人の様子が
だいぶ落ち着いてきたのでギルドに戻ってきたのだ。

――そういえば、グレゴールはイスベルグさんに最後、キスはしなかったな……
ナギはそんな風にモガリ送りを思い出した。すると、

「するわけないじゃない、馬鹿ね」
という声が聞こえてきた。ナギががばりと飛び起きると、ベッドサイドには
イスベルグの姿が見えた。
「イスベルグさん、また……」
「そうね、ずいぶん久しぶり。モガリは段々見えなくなっていくはずなのにね」
彼女はそう言って笑って見せる。もちろんこれは、ナギにだけ見える幻影だ。
彼女はすでに死んでいる。このイスベルグは、ナギの心がナギに見せている空想のものに過ぎない。

「……あの人が、私にキスなんてするはずないじゃないの。
 したところで生き返るはずもないことは十分わかっているんだし」
「そうですね、でも……僕には、あなた達の関係は、そういうことをしてもおかしくないように
 見えていました」
ナギがそう答えると、イスベルグの幻影は照れたようにやや頬を染めた。
そして、すうっといなくなってしまった。

――消えた。こんなに短い間で……。
彼女の幻影は、以前現れた時にはもっと長い間色々なことを喋っていた。
もっと頻繁に現れた。現れることも少なくなり、現れたとしても、すぐ消えるように
なってきている。

――こうやって、モガリは消えていくんだ、この世界から……。

ナギはベッドの上に、今度はあおむけになって寝ころんだ。


人が死ぬとき、その人が持っていた記憶も消える。その人がこれまで生きていた中で
経験したこと、その時に抱いた気持ちも消える。
イスベルグがこれまでの人生で抱いた思いも、綺麗さっぱり消えてしまった。
グレゴールが自分とキスをした後、血を吐いているとしったイスベルグの気持ちも、
もう誰にも分からない。

――馬鹿ね。私の血の毒なんて誰にも消せるはずはないのに……

王子様に助けられなかった白雪姫が内心呟いたその言葉は、誰にも知られることなく消えていった。

-完-

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