来賓として来た人の祝辞はつまらないものと決まっている。
夕凪中学の卒業式にやってきた市議会の議員だという人の
祝辞もその例に漏れなかった。

体育館に椅子を並べて、満や咲たち二年生は後ろ寄りに座っていた。
今日の主役の三年生は舞台のすぐ近くで神妙に来賓の祝辞を聞いている。
話の内容としては「若者はのびのび生きよ」ということだろうと思われたが、

――それだけのことがどうしてこんなに長い話になるのかしら。
あくびを噛み殺しながら満は内心呆れていた。隣に座っている薫は
背筋をぴんと伸ばして話をじっと聞いていたが、
――くだらないって思ってそうね。
薫の顔を横目で窺って満はそう結論を出した。薫は真面目に聞いているが
内心ではどうでもいいと思っていそうだ。だからと言って満のように
あくびが出そうになっているわけでもないらしい。

前の方では同じように椅子に座っている星野健太が先ほどから
舟をこぎ始めていて、大きく身体が揺れるたびに宮迫にひじで突かれている。
あれが正しい反応だと満は思った。

体育館にかかっている時計を見やると、議員が話し始めてから
十分くらいが経過している。そろそろいいんじゃないかしら、と満は思った。
行きつ戻りつ、結局どこに落ち着かせたいのかよく分からなくなっていた話だったが
だんだん一つのゴールを見つけてそちらに向かっているような気がする。

果たしてそれから少しして、議員の話は終わった。
予定に従い在校生からの送辞、卒業生からの答辞と式は進行していく。

この送辞と答辞は当事者だからか、先ほどの祝辞のようにあくびが出るほど
つまらないということはない。特に三年生にとっては生徒会長の答辞は
胸を打つものだったらしく、三年生の席からは少しずつすすり泣きが
聞こえてきた。

――ふうん。
と、満は思う。ダークフォールが消滅してからまだ日は浅い。
緑の郷での経験が浅い満は――知識としては薫よりたくさんのことを知っているが、
実感として知っていることはまだまだ少ない。
卒業式と言うこの行事についても咲や舞から「すごく大事なことなんだよ」とか
「小学校の卒業式の時には少し泣いちゃった」といった説明は受けているのだが、
この式にどういう意味があるのかはまだよく分からないままだった。
だから満は、三年生の席から泣き声が漏れ始めたのを見て、そういうものなのかと
どこか物珍しい気持ちで見ていた。

だが、自分たちが座っているあたり――二年生の席からも泣き声が聞こえてきたので
満は驚いて思わず声のしてくる方へと視線を向けた。
――え?
泣き声の発生源は咲だった。満は思わず目をぱちくりとさせる。
咲の背中は震えていて、隣に座っている舞が軽く手を当ててさすっている。
――そういうものなの?
満は不思議だった。卒業式の時に在校生側がどうなるのかという話は
聞いていなかったので、咲が泣き出すとは思わなかった。
舞の手の動きが大きくなり、小声で咲に何か言っているらしかったが、
咲はまだ泣き止まない。
答辞が終わり校長先生の話が終わり仰げば尊しを歌うことになった時、咲はとうとう
舞にハンカチをかりて目の辺りをそれで拭っていた。


式が終わると、生徒たちは一旦教室へと戻った。篠原先生が簡単に
連絡事項を伝えて教室から出ていく。これでもういつ帰ってもいいのだが、
多くの生徒たちはまだまだ教室に居残っていた。
舞が薫のところにやってくる。
「薫さん、そろそろ行ってみない?」
「ええ」
じゃあ、また後で。とでも言いたそうな表情で薫は満の顔を見てから立ち上がった。
その顔つきはどこか硬い。
満は頭の上で腕を組んで椅子の背にもたれかかりながら教室を出ていく薫と舞を見送った。
薫は舞に誘われて、美術部に仮入部という形になっている。
美術部は毎年、卒業する三年生にはみんなで絵を描いた色紙を贈るのが恒例だそうで、
薫も色紙づくりに参加したらしい。

――入ったばかりの部員にそんなの描かれても、どうなのかしら。
そう満は思ったし薫もそう考えていたようだったが、
「とにかく一緒に描いてみましょう」と舞に誘われて参加してみたらしい。

――何を描いていいか分からなくて、学校の絵にしたと言っていたっけ。
満は完成した薫の絵を見ていないので出来栄えがどうかは分からない。

「美翔さん! 霧生さん! 先輩たちそろそろ出てくるみたいだから
 校庭に行ってみよ!」
廊下から舞たちと同じ美術部員の竹内彩乃の声が聞こえてくる。
一応歓迎されているみたいだし、そんなにひどい絵というわけでもなかったのかしらと
満は思った。

咲の席の周りに集まっていた仁美と優子、ソフト部組も動き出す。
咲が持っている大きな紙袋には花束が三年生のソフト部員の人数分入っていた。
三年生がそろそろ教室から校庭に出てくる。
その時に先輩たちに花束を渡そうという作戦である。
どこの部活でも似たようなことを考えているもので、三年生が出てくるらしいと
なった二年生の教室は前にもましてざわつき始めた。
先輩とのつながりは何も部活だけに限らない。加代や宮迫もクラス委員として
お世話になった先輩たちに贈り物をする準備を始めているようだ。

だが満にはとりたててつながりのある上級生はいなかった。

――どうしようかな。
教室を飛び出していく咲たちに手を振って見送ってから、満はうんと大きく伸びをした。
先に帰っていることもできるのだが、待っていたい気持ちもある。といって、みんなが出て行った
教室の中にいるのはなんだか落ち着かない。
がたりと立ち上がると、満は教室を出て屋上に向かった。

廊下の窓から見える木々はまだ葉を落としたままのものが多い。
だがよく見ると、そうした枝の先には小さな新芽がついている。
今にも開きそうに膨らみかけているものもあった。
満はそんな黄緑にわずかの時間目を奪われたものの、まだ屋上へと足を向けた。

もう四月になってしまったのかと思えるほど、この日は暖かかった。柔らかな春風が
屋上に出た満の頬を撫でる。空は冬に見せていた冷たい表情を忘れて
ぼんやりと霞のかかった穏やかな水色に染まっていた。

「……?」
屋上にはあまり人がいないことが多いので、この時も満は誰もいないだろうと
思って上がってきていた。
だから屋上に通じる戸を開けた時、人がいるのを見て驚いた。

生徒ではない。
長身のその背中を見るだけで、満にはそれが誰であるのか分かった。
咲や満のクラスの担任の篠原先生だ。ソフト部の顧問でもある。

「……」
満はくるりと踵を返すとそのまま階段を降りようとした。
だが屋上の扉がぎっと音を立てたのに篠原先生の方が気づいた。

「霧生?」
後ろからそう呼ばれて無視するわけにもいかずに満は振り返り、
篠原先生の表情に少し驚いた。
担任であるだけに先生の顔は見慣れているのだが、
今見せている満たされたような寂しそうな表情を満は今まで、見たことがなかった。

「霧生、校庭見に来たのか?」
尋ねられて曖昧に頷くと、
「みんなもう出てきてる」
と篠原先生は手すりにもたれかかって下を眺めた。軽く手招きをされたので
屋上を横切って先生の隣から下を見てみると、
グラウンドに出てきた卒業生に花や色紙を渡そうと下級生が集まり、
いつもとは違う喧騒が産まれていた。

「卒業式って不思議なものだな」
篠原先生はぽつりと呟いた。
満はその言葉の意味がはっきりとは分からなかったが、
ただ一つだけ気が付いていることはあった。
隣にいる篠原先生がどういう思いでいるのかよく分からない。
嬉しいのか悲しいのか、いろいろな感情がないまぜになっているように見える。
「卒業式」というそれだけでこんな風になるものなのか、
確かに不思議ではある。

「霧生は小学校を卒業したとき、嬉しいけど寂しくならなかった?」
「……あまり……」
満は曖昧に誤魔化した。普通の中学生ならば小学六年生の時に卒業ということを
一度経験しているはずなのだが、満にはその経験はない。細かいところをあれこれ
聞かれたらどうしようかと満が少し作戦を練り始めると、

「そうか」
と篠原先生は微笑んだ。
「来年は小学校の時とは少し違う気持ちになるかもしれないな」
「はあ……」
満が再度曖昧に答えていると、階段を駆け上がってくる音がした。
二人は思わず振り返る。屋上へ入ってくるドアが勢いよくばんと開いた。

「……篠原先生!」
やっと見つけた。上ってきたソフト部のキャプテン、泉田先輩の顔はそう言っていた。
満は教室の方に戻ったほうがいいのかと考えたが泉田先輩は満のことをまったく気にする
様子はなく、
「先生!」
と屋上の真ん中まで進み出ると、
「三年間、ありがとうございました!」
深々と一礼した。背筋をぴんと伸ばしたままお辞儀をするその姿は
どこかすがすがしかった。
篠原先生は泉田先輩に歩み寄るとぽんと肩を叩く。

「泉田。こっちこそ三年間、ありがとう。一緒にやれて楽しかったよ」
「先生……」
泉田先輩が身体を起こして顔を上げた。その眼には光るものが浮かんでいた。

「高校でも頑張れよ!」
「はい!」

「……」
その場で傍観していた満は、泉田先輩の涙は悲しくて出たものなのだろうか
嬉しくて出たものなのだろうかとぼんやり考えていた。
二人はしばらく何ごとかを話し合っていたが、篠原先生はふと思い出したように
時計に目をやると、

「そろそろこの屋上を閉める時間だ、霧生」
と満を見た。
「あ……はい」
満は一足先に屋上から校舎の中に戻り、篠原先生が扉の鍵を閉める音を聞いた。

 * * *

日はだいぶ傾き始めていた。校庭に残っていた卒業生たちもそろそろ帰り始め、
それにつられるようにして在校生の姿も次第に校庭から通学路へと吸い込まれていく。
咲や舞、それに薫も部活の先輩たちとの挨拶を終えてただ何となく校庭に立っていた。

「あ、満さん」
屋上から降りてきた満が校庭に出てきたのを目ざとく舞が見つける。そろそろ帰ろうか、
という気分に咲たちはなってきた。

「終わったの? 先輩たちにいろいろ渡すのは」
「うん、喜んでもらえて」
「へえ」
満に答える咲の頬には涙の跡がうっすらと残っていた。
上級生と話している間に涙が出てきたのかもしれない、と満は思った。
「じゃあ、そろそろ帰る?」
舞がそう水を向けると、咲はうんと頷いた。
と、篠原先生が満に少し遅れて校庭に出てくる。

「日向」
「はい?」
咲は篠原先生に呼ばれてすぐにそちらを向いた。
「泉田がソフト部をよろしくと言っていた」
「はい!」
大きな声ではっきりと咲は答えた。先ほど泉田先輩を初めとする
上級生たちに花を渡した時に直接言われたのではあったが、
改めて言われると身の引き締まる思いがする。

「……それと、咲と同じ高校でプレーできるのを楽しみにしてるって」
「はい! ……えっ?」
勢いそのままに答えた一瞬後には咲は戸惑いを覚えた。泉田先輩が入学することになっている
清海高校は、舞の兄の和也も通っているような進学校である。
当然、入試のレベルも高い。
「それって……?」
「清海高校は文武両道だから来年は勉強も頑張らないとな」
「は……はい……」
咲の声からは先ほどと打って変わって自信が消えた。

篠原先生はそれを見て微笑むと、「まあ自分のペースで、だな」と言って
校舎へと戻っていく。咲たち四人も荷物を取りに教室に帰り、帰宅することにした。

 * * *

「咲ったら、自分が卒業するみたい」
通学路をゆっくりと歩きながらまた目じりに浮かんできた涙を軽く拭っている咲を見ながら
舞が呟く。
「えへへ……だってさ……」
咲は照れ臭そうに笑って見せた。
「泉田先輩たちともう一緒にプレーできないんだなあって思ったら、
 自然に涙が出てきちゃって」
「式の時からそうだったの?」
「うん、答辞聞いてたらなんかそう思えちゃった」
満は咲と舞から少し後ろの場所を歩きながら、隣の薫に色紙にうまく絵が描けたのか
聞いていたが、

「ねえ咲」
と薫との会話を中断して咲に声をかけた。
「ん? 満、どうしたの?」
咲が足を止めてくるりと振り返る。
「その涙は悲しくて出た涙なの?」
「えっ? ……」
「涙は嬉しくても出るって、前言ってたじゃない。咲も舞も」
「ああ……」
咲は思い出した。満と薫がこちらの世界に帰ってきてくれた時に、
そんなことを話した。

「うん、そうだね。これは悲しくて出た涙かな。先輩たちがいなくなっちゃうから」
「そうなの」
そういうものなのかと満は思った。

「ああでも、明日から頑張んなくちゃ。自主練もやらないと」
咲はそういってうんと大きく伸びをすると、満や薫、それに舞と並んで
歩き始めた。
満が見る咲の横顔はどこかすっきりとしていて、
何か新しい決意に満ちているようにも見える。

――咲はああ言っていたけれど……
と、満は考える。

――やっぱり悲しいだけの涙でもないみたい。

来年になると今の咲たちの気持ちが少し分かるようになるのだろうかと満は思った。
他の樹よりも一足先に咲き始めた桜の花びらが通学路にひらひらと舞い落ちてきていた。


-完-

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