やはり足腰は全ての運動の基本である。ソフトボールもその例外ではない。

ジリリと目覚ましが鳴りかけたところで咲はその音を止めた。
「咲……もう起きるラピ……?」
咲のベッドで眠っていたフラッピが眠そうに目をこする。
同じ部屋でみのりも眠っているので、聞こえないように小さな声だ。
咲は目覚まし時計を見てふああと大きなあくびをして、そのまま二度寝することなく
ベッドの上でむっくりと起き上がった。
「もう起きるラピ?」
フラッピが驚いて再度尋ねる。咲はうんと頷くと、
みのりを起こさないように気をつけながらごそごそとベッドから降りる。
フラッピはぽんとコミューンの姿になると咲の手の中に納まる。

「どうしたラピ? 今日は朝練の日じゃないラピ」
「そうなんだけどさ」
部屋を出て咲は階段を下りる。すぐに香ばしいパンの匂いが漂ってくる。
咲の両親はもう開店時間に間に合うようにパンを焼き始めていた。
開店したらすぐ、職場や学校に持って行って食べるためのパンを買いに来る人も多いのだ。

多くのパン店がそうであるように、PANPAKAパンも開店直後はまだパンの数が
少ないものの、そういったお客さんに対応できるようになるべく早めにパンを店頭に
並べるようにしている。

「お母さんお父さん、おはよう」
「あら、咲」
寝ぼけ眼のまま厨房の入り口で朝の挨拶をすると、お母さんは驚いたような
顔で咲を見た。

「まだ早いじゃない。今日は朝練のない日でしょう?」
「うん、そうなんだけど」
咲はううんと伸びをした。
「ちょっと自主練」
「自主練?」
「うん。自分でもちょっとやった方がいいかなって」
「そうなの。頑張りなさいね」
うん、と咲は答えて朝ご飯を食べると一旦部屋に戻り、ジャージに着替えて
ランニングシューズを履くと家の外に出た。肩にはスポーツタオルをかけている。
首にはクリスタルコミューンだ。
フラッピが顔だけをコミューンから出す。

「大会終わったばっかりなのにもう練習ラピ?」
「そうよ。やっぱり、気合入れて行かないと。これから私たちが最上級生になるんだし」
中学生ソフトボール部の地区大会は先週終わったばかりだ。
泉田先輩たち三年生は引退するので、咲たち二年生が部を引っ張っていくことになる。
咲がキャプテンになるのは、もう既定事項と言ってもいい。

「咲が自分から朝早く起きるなんて珍しいラピ〜」
「ちょっと何よそれ」
フラッピとそんな風に言い合いながら、咲はゆっくりとした速度から次第に早足へとなっていく。
軽いウオーミングアップだ。

トネリコの森の入り口に来て咲は立ち止まると準備体操を始めた。
上を見上げれば大空の樹が今日もその枝を空いっぱいに広げている。
「ここをのぼるラピ?」
「うん、やっぱりね、」
咲は柔軟体操をしながら、
「昨日、ソフトボールのピッチングについての本を読んでみたんだけど、
 足腰を鍛えるほど速い球が投げられるんだって」
「コントロールはどうするラピ? 咲はノーコンの時があるラピ」
「ノーコンって何よ! コントロールもね、まず下半身がしっかりしないといけないんだって」
咲は柔軟体操を終えるとアキレス腱をよく伸ばしてから、よし、
とトネリコの森に向かい合った。
朝の空気はまだ冷たい。一度大きく深呼吸をしてから、咲は坂道を走って登り始めた。


舞と話しながら登っていればすぐに頂上についてしまうものなのだが、
一人で走って登っていると思ったよりも時間はかかる。
樹の根が張り出している箇所もあるが、咲はそのすべてを分かっているので
ものともせずにどんどんどんどんと上っていく。
初めは早起きの鳥たちが鳴き交わす声が聞こえていたが、
そのうち自分の息の音しか聞こえなくなる。
朝の冷たい空気が咲の身体の中に入って熱くなる。
小鳥が何羽か、驚いたように木の枝から飛び立っていった。
この森に今日は咲が一番乗りだ。


「着いた〜」
はあはあと息を切らせて咲はやっと大空の樹の待つ頂上にたどり着くと、そこで少し
早足で歩きながらやがて立ち止まった。
ラピ、とフラッピがコミューンの中から顔を出す。
「随分速かったラピ」
「頑張らないとトレーニングにならないもんね」
咲は首にかけたスポーツタオルで額から流れ出した汗を拭うと、
「わあ」
と声を上げた。

この場所からは夕凪町が良く見える。いつもよく見ている町だったが、
今日は特に空気が澄んでいるのだろうか、朝日をあびてきらきらと輝く町は
いつにも増して綺麗に見えた。

「舞とも一緒に来たら良かったな」
思わず咲がそうつぶやくと、
「舞をトレーニングにつき合わせるラピ?」
という非難がましい声が聞こえてくる。
咲はその声に笑った。
「そういうわけじゃないけどさ。でもフラッピも見えるでしょ?」
クリスタルコミューンを顔の近くまで掲げてフラッピにも景色を見せる。
フラッピはぽんと元の精霊の姿に戻ると、咲の腕の中にぽんと収まり夕凪町の
光景を見た。

「綺麗ラピ」
「でしょ?」
「チョッピも一緒だったらよかったラピ」
「ほら、フラッピだって同じこと言ってるじゃない」
咲が突っ込むとフラッピは「ラピ!?」と驚いた後、
「トレーニングじゃなくて舞とチョッピと一緒に来たら良かったラピ」
フラッピの慌てた言い訳を聞きながら咲は首にかけたスポーツタオルで
汗を拭うとよく柔軟運動をして、
「よしっ!」
と気合を入れると登ってきた山道を駆け下り始める。
降りる方が楽だが転びやすいので気を付けながら、咲はどんどんと坂道を下っていく。
自然、スピードは上がる。
早朝の風が気持ちよく咲の頬をなでる。

一気に山を下り終えてしまうと、咲はペースを少しずつ落としながら今度はアスファルトの道を
海に沿うようにしてかけていく。

――どこに行こうかな……。

本当は、山を登って降りたらそれでおしまいにして家に帰るつもりだった。
だが思っていたよりもずっと気分が良くなってきたのでもう少し走ってから
帰りたかった。

咲の足は、自然とある方向に向いていく。よく行く場所。
最近は、毎日のようにその近くを通る場所。
美翔家を特徴づけるドームが視界のなかに見えてきた。
舞の家はいつものように静かに、その場所に建っている。
舞はきっとまだ眠っているだろう。それでも咲は、その家を目指した。
別に起こして会おうというつもりはない。
ただ、何となく舞の近くに行きたかっただけだ。

だから、角を曲がって舞の後ろ姿を路上に認めたとき咲はわが目を疑った。

「舞!?」
思わずあがった咲の声に舞も後ろを振り返り、咲を見て目を丸くする。

「咲!? どうして?」
「舞こそ、」
咲はゆっくりとスピードを落とすと、舞の前で止まってはあはあと荒れる息を
そのままにタオルで顔の汗をぬぐってから、
「どうして? もう起きてたの?」
「早く目が覚めちゃったの」
舞はそう答えて微笑を浮かべた。

「せっかくだから朝の海をスケッチしてきたの。咲は?」
「私はちょっと朝のトレーニングをしようと思って」
「頑張ってるのね」
舞の言葉に、咲は照れたような笑みを浮かべた。

「じゃあ咲、またあとで学校でね」
「うん! またね!」
これから朝ごはんで、それから登校だ。もう時間はあまり残っていないのである。
咲は自分の家へとランニングしながら、

――こういうの、早起きは何文の得っていうんだっけ。
と思っていた。朝の練習もして、町の奇麗な姿も見て。舞にも会って。
ずいぶん得をしたような気がする。

――よっし! やっぱり続けようっと!
咲はそう決意を固めていた。

 * * *

「日向!」
その日、一時間目の英語の授業。
咲たちの教室には篠原先生の怒鳴り声が響いていた。

「さ、咲」
咲の後ろに座る舞が咲の背中をとんとんと叩く。咲はすっかり熟睡していた。
舞が軽く叩いたくらいではその眼は覚めない。

「いい度胸だ」
篠原先生が黒板の前から咲の机に向かってつかつかと歩いてくる。
「咲!」
舞はなおも咲を起こそうとするが、咲はまだ起きない。

「起きろ! 日向!」
机のそばで篠原先生の大声が響き、舞は思わず耳をふさいだ。
咲はようやく、目をぼんやりと開けていた。

-完-

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