「は〜、気持ちいいー!」
「咲、マジやり過ぎだって」
校庭に設置された水道の水をがぶ飲みし、さらに顔を洗って軽く髪まで濡らした
咲を見て隣の水道を使っていた仁美が苦笑する。
「だって、暑いもん」
水道の水を止めると咲はスポーツタオルでごしごしと顔と髪を拭く。
タオルはすぐにびっしょりと濡れた。

天気の良さが幸いして、夏休みの間のソフト部の練習はほぼ予定通りに行うことができた。
ユニフォームの外に出た咲の腕は、練習直後の今は赤く熱を帯びている。
仁美も腕の汗を洗い流すと水道を止めた。
「でも、マジいい感じに仕上がってきたよね」
「うんうん」
水道前からどいた仁美の次に並んでいた優子が水を全開にして出して手から腕を洗う。
「2年生のバッティングもだいぶ上手くなってきたし、サードの吉田さんの今日のファインプレー
 すごくなかった?」
「うん!」
濡れたタオルを首にかけて咲はにっこり頷いた。
「今度の試合が楽しみだよね!」
夕凪中ソフト部の3年生3人組、咲と仁美と優子はぐっと気合を入れる。

今年の夏休みのソフト部の活動の締めは、来週行う大海中との練習試合だ。
夏の練習の成果を確認する意味でも、秋から始まる地区大会の結果を占うためにも、
是非いい試合をしたい。最近の3人が頭の中はそれで一杯だった。

部室で着替え制服になって鞄を持って外に出てくると、スケッチブックを抱えた舞が
校門の前に立っているのが咲の目に入った。


「舞」
「咲!」
咲が近づいていくと舞も気づいて手を振り、駆け寄ってくる。

「どうしたの、舞?」
「そろそろ咲の練習が終る頃かなって思って」
舞が咲の隣に並ぶと、2人はゆっくりと夕凪中を出てPANPAKAパンへの道を辿る。

「今日はどこでスケッチしてたの?」
「大空の樹よ。あそこから町を見てたの」
舞はスケッチブックをめくると今日の絵を見せた。構図自体は去年のスケッチと
同じものだが、絵の雰囲気は去年見せてもらったものとは少し違って見える。
あれ? と咲は首を捻った。
「どうかした?」
不思議そうな顔で舞が尋ねると、
「これ、去年見せてもらったのと同じ場所から書いてるんだよね」
「そうよ」
「なんか去年のとイメージが違うような……?」
あ、それはと舞が答える。
「きっと、私が去年と少し違ったからだと思うの」
「舞が?」
ええそう、と舞は頷いた。
「絵って、やっぱり描く人の状態によって同じ物を描いても全然違うものに
 なるそうなの。技量とかそういうこととは別に。だから、きっと……」
「へえ〜」
咲は感心したように、舞の絵を見直した。去年の舞を頭の中に思い描いて、
今の舞との違いをその絵の中に見つけようとする――が、うまく言葉にならなかった。
「舞、去年とどんな風に変わったかなあ」
「自分でも良く分からないけど……」
舞はそう言って苦笑した。

「あ、そうだ舞。ちょっといい?」
自動販売機を目にした咲が立ち止まる。
「?」と舞が見ていると咲は財布から小銭を――ぎりぎりだったらしく慎重に数えて出し――、
500 mlのスポーツドリンクを一本買った。すぐに蓋を開けてごくごくと飲み始める。
わずかな時間でペットボトルは空になった。自動販売機横に設置されているゴミ箱に
空になったペットボトルを捨てる。

「和也さんがこの前教えてくれたんだ。運動の後はスポーツドリンクがいいって」
口を軽く拭って咲は舞と一緒にまた歩き始めた。
「お兄ちゃんが?」
「うん、そう。この前部活の後に会ってね、汗で、えーと、スペシウムとかが
 身体の外に出ちゃうからスポーツドリンクで補給した方がいいって」
「す、スペシウム??」
「うん、確かそういってたと思うんだ。だから夏休みの間はスポーツドリンク飲もうって
 思って。ちょっとお小遣い厳しいけど……」
咲が財布を振ると、中の小銭がかしゃかしゃと音を立てる。あまり沢山
入っていそうな音ではない。
「でも、夏休み一杯はなんとか持ちそうだよ」
咲はそういって照れ笑いを浮かべた。


翌日。舞は満と薫に自分の家に来てもらった。和也はいるが、両親は仕事で家をあけている。
「それで、舞。私たちに用事って何?」
満も薫も、舞の家は初めてではない。家に上がって通された舞の部屋で
慣れたようにベッドに座って舞の顔を窺う。

「咲にスポーツドリンクを作りたんだけど、どういう味がいいのか良く分からなくて」
「スポーツドリンク?」
満が首を傾げる。
「スーパーなんかで売っているあれのこと?」
「ええ、そうよ」
「あれってどういう成分なのかしら……」
薫も口に手を当て、すぐに考え始めている。
「スペシウムっていう成分は必要らしいんだけど」
「スペシウム?」「何それ?」
満と薫が口々に尋ねる。部屋のドアをノックする音がした。
「やあ、いらっしゃい」
和也がオレンジジュースを3つコップに入れて持ってくる。
ありがとうございます、と満と薫はそれを受け取った。

「あ、ねえお兄ちゃん。咲に、運動の後はスポーツドリンクがいいって言ったんでしょ?」
「ん? ああ、言ったよ。ただのお茶や水よりは電解質を含むもののほうがいいからね」
「ふうん……その電解質って、スペシウムっていうの?」
「へ?」
和也はきょとんとした表情を浮かべる。
「スペシウム? 何だそれ」
「咲がお兄ちゃんから、スペシウムを補給した方がいいからスポーツドリンクがいい、って
 説明されたって言ってたんだけど」
あははと和也は笑い声を上げた。

「それは咲ちゃんの聞き間違えだよ。汗って塩分を含むだろ。ところで塩って、
 化学の言葉だと何て言う?」
「え?」
突然の問題に舞が答えられないでいると、満が横から口を挟んだ。
「塩化ナトリウム。――ですか?」
「そうそう」
和也はにっこりと笑った。
「汗をかくとナトリウムが減っちゃうから、ナトリウムの補給をした方がいいんだよ。
 で、それにはお茶や水じゃなくて、スポーツドリンクがいいってこと」
「だったら――、」
満は考え考え、
「塩水で十分ってことにならない?」
舞の方を向くと、代わりに和也が答える。
「そうだよ。昔は塩水で十分だって言ってた人も多かったみたい。エネルギー補給のために
 糖分と、あとやっぱりおいしくするために味付けをいろいろすると
 スポーツドリンクになるんだよ」
「へえ……」
舞は和也の話を聞きながら考える。
――ということは、ジュースに塩分を少し足す感じで作ってみたら……
「舞、どうかした?」
黙りこくっている舞に薫が声をかけると、
「あ、ちょっと思いついたことがあるの。台所に来てくれない?」
満と薫は飲みかけのジュースを空にすると舞に続いた。和也は部屋に残り、
「やれやれ」と独りごとを言いながら苦笑する。


「このくらいかしら……どう?」
計量カップと計量スプーンで塩とオレンジジュースを計って混ぜ合わせ、溶けたところで
満と薫に飲んでもらう。二人とも微妙な表情を浮かべた。
「塩が濃すぎないかしら」
「最初に塩気が来て、後からオレンジジュースの甘味が来て、何だかどっちも
 強烈な感じね」
「じゃあ……、」
満と薫のコメントを参考に、舞は塩の量を減らしてみる。
「これは?」
満がまず一口飲んだ。薫はなぜか窓のそばによって外を眺めている。
「さっきよりは飲みやすいけど……ジュースがもうちょっとすっきりしたものだといいかも」
「レモンジュースがいいかしら?」
「そうね……いっそ、レモンを絞ったものに砂糖と塩と水、でもいいかもしれないわ」
なるほど、と舞は思いながら冷蔵庫にレモンを探しにいく。
「ねえ、舞?」
外を見ていた薫が声をかけた。
「どうしたの薫さん?」
「部活や試合の後の咲に飲んでもらうつもりなんでしょう? だったら、運動した後に
 飲んでみた味で考えないといけないんじゃないかしら」
「あ、そうね……」
盲点だったと舞は思う。「満、」と薫は満の手を掴むと、
「じゃあちょっと私たちその辺りを走ってくるから、何種類か用意しておいて貰えるかしら?
 運動してから飲んでみて、それで決めたほうがいいでしょ。いくわよ、満」
満は「仕方ないわね」とぼやいている。
「ごめんね、満さん薫さん。ありがとう」
「おいしいの作っておいてね」
満は舞に念を押すと、薫と一緒に部屋を出て行った。舞は冷蔵庫からレモンやトマトを
取り出してあれこれ混ぜ合わせてみる。

「あれ? 二人は?」
和也が台所に降りてきた。手には空のコップを持って。
「今、走ってきてくれてるの。運動した後に飲んだ方がスポーツドリンクの味を
 決めるにはいいからって」
「へえ」
「あ、お兄ちゃんそこのコップも洗っておいて」
「……はいはい」
レモンやトマトを絞ろうとしている舞を見ながら和也は苦笑して洗いものをする。
この妹も昔と比べて随分変わったものだ。
咲を中心に、色々な友達と世界を広げているような気がする。

-完-

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