「明日は……」
薫が手元の書類に目を落とす。読ませたいのか読ませたくないのか、
小さな字が細かく印刷されている。

「受験票と筆記用具。最低必要なものはこれだけみたいね」
「それは、もう入れたわ」
「それなら明日の準備は完了ね」
薫は書類をぽんと鞄のそばに置いた。
咲や舞がしつこいほど、
「明日は忘れ物したらすごく大変なことになるから、
 絶対忘れ物ないようにね!」
と言っていたので改めて確認したものの、
満や薫はあまり忘れ物をする性質ではない。

夕凪中の鞄をしめる。と、薫は満が笑いをかみ殺すような表情で見ているのに
気づいた。

「……何よ」
「本当に、完了?」
「そうよ。今見たばかりじゃない」
「じゃあ、薫はこれは鞄には入れないんだ」
手に掛けてぷらぷらと顔の前で振って見せるのは、今日PANPAKAパンで
みのりに貰ったお守りである。
みのりが自分で作ったそうで、咲、舞、満、薫の4人それぞれに同じ形で色違いだ。

「……」
にやにや、と言っていいほど笑っている満から薫はぷいと目をそらした。
手に水色のお守りを握ると、
「これは制服のポケットに入れていくわ」
「ふ〜ん」
満は薫の言葉を聞きながら赤いお守りを鞄に結びつけた。

明日は4人の受験の日である。第一志望の高校だ。
無事に全員が合格すれば高校も同じ学校に通えることになる。

――眠れないな……
咲はベッドの中で何度も寝返りを打った。
いつもより随分早くベッドに入っている。寝る前にはちゃんと持ち物も
確認したし、もうすることもないのだが――、
「……」
もぞもぞと咲は起き出すと自分の机に行って卓上灯をつけ
数学の教科書を引っ張り出した。
気になっていた公式を確認して、それからぱらぱらと数ページめくり
また本を閉じると電気を消してベッドにつく。

――早く寝なくちゃ。明日は寝坊できないんだし……
咲には中々眠りが訪れなかった。

* *

「咲、お手洗いに行っておきましょう」
一時間目の試験を終えてぐったりとした表情を浮かべている咲の
席に舞がやってくる。咲と舞は偶然試験を受ける教室が同じだった。
満と薫は違う部屋だったが、2人は2人で一緒なので安心だろう。

「う……うん」
元気なく咲が立ち上がる。一時間目は咲が一番苦手としている数学だ。
あまりできなかったらしいことは咲の顔を見ているだけでひしひしと
舞に伝わってくる。

「咲……」
励ましたいが、うまく言葉が出てこない。そんな自分をもどかしく
思いながらも舞は咲を引っ張るようにしてトイレに連れて行った。

少し混んでいたトイレから教室に帰るとき、満と薫のいる部屋の前を通った。
咲が少し首を曲げて覗くと、
満と薫は前後の席に並んで座っていた。
いつものように平然とした表情で、真っ直ぐ前を見たままだ。
どこか緊張に呑まれていつもとはテンションが違う様子の受験生たちの中で、
いつもどおりの満と薫の姿は却って不自然にも思えるほどだった。

「はあ……」
思わずため息が出てしまう。
「咲?」
舞が心配そうに咲の顔を覗き込む。
「あっ、……ううん。なんでもないよ」
慌ててごまかした。
――満も、薫も、舞もいいなあ……こんな風に落ち着いて、いつも通りで……。
どんよりとした雲のようなものが咲の心に広がってきた。

4人で一緒の高校を受けると言っても、他の3人が咲にレベルを合わせてくれた――
わけではない。咲が背伸びをして舞たちの受ける高校を受けることにしたのだ。
「絶対に通らない」と言われるほどの学力が足りないのではないが、少し無理を
していることは確かだった。
咲もそのことはよく自覚しているので、ついつい自信をなくしてしまいがちになる。

「咲」
自分たちの部屋に入るときにぽんと舞の手が咲の背中を叩いた。
一緒に頑張ろう――という舞の言葉に咲は頷くと自席に戻る。

* *

満と薫とは、校門を出て少し行ったところで待ち合わせの約束をしてあった。
試験を終えた咲と舞がその場所に行くと満と薫はもう待っていた。

「ごめんなさい、待たせちゃった?」
「ううん、私たちも今来たところよ」
満が答え、舞の後ろでずっと俯いたままの咲を見て
「どうしたの?」
と舞と咲、2人に問いかける。

「あ、あの……」
どう答えようか舞が言葉に詰まっていると、「なんでもないよ」と
咲が気の抜けたような口調で答えた。
「……そう?」
あまり納得のできない答えだった。とても「なんでもない」ようには見えない――、
「そうは見えないけど」
薫が呟くと、俯いていた咲は顔を上げた。
「なんでもないよ」
先ほどよりは力のある声だ。表情がいつもと少し違う。
落ち込んでいるような、やけくそになっているような。
舞も満も、もちろん薫もその異変には気づいていた。
だから薫は食い下がった。

「そうは見えないわ」
「なんでもないってば!」
咲が突然怒鳴ったので薫は驚いた表情で固まった。
「……ごめん!」
言い捨てるようにして咲はぱっとその場から駆け出す。

「咲!?」
「待って咲!」
舞と満が止める声も聞かずに咲はそのまま走っていってしまった。

「……」
残された3人の上に沈黙が広がる。薫は舞と満の視線を感じながら
戸惑ったように黙ったままだった。

「ねえ、舞」
このまま待っていても薫は何も言い出しそうにない――と判断した満は
舞に目を向ける。
「咲、どうしたの? いつもと全然様子が違うわ」
「咲は……」
舞はちょっと躊躇ったものの小さな声で話し始めた。
満も薫も自然、舞に近づいてその声を聞き逃さないようにする。

「咲は、すごく不安なんだと思うの」
「不安? 何が?」
「この学校に合格しないことよ」
「でも、咲の成績上がってるじゃない」
満が意外そうに言葉を返す。3年生になってから咲の成績は上がり続けている。
それは満が咲に勉強を教えているからでもあるし、
「舞たちと一緒の高校に行く」という目標がしっかりできたからでもあるだろう。
だからこそ、担任の先生もこの学校を受験することを認めてくれたのだ。

「上がっているけど……、もともと勉強は得意な方じゃなかったし。
 それに、もし受からなかったら、満さんたちとは別々の学校に
 通うことになるから……」
自分だって、落ちるかもしれない。舞はそうも思った。満と薫は問題なく
合格するだろうが、自分や咲には不確定な要素も多いのだ。

「……、それなら」
黙ったままだった薫が口を開いた。
「言ってくれればいいのに……『なんでもない』なんて言わずに……」
「咲はきっと自分でも、自分が不安でいることを認めなくなかったんだと
 思うわ。認めると本当にそうなってしまいそうで……」
満と薫は困ったように顔を見合わせた。

「……私、咲の家に行ってみるね」
舞は2人にそう告げると、「2人はどうする?」と尋ねた。
「……私たちは……」
困ったように薫は満の顔を見た。「少し考えたいことがあるから、
後で行くわ」
満が決め、舞は「それなら、先に行ってるわ」とその場から離れた。

* *

「こんにちはー」
「あっ、舞お姉ちゃん!」
日向家を訪ねると、庭でコロネと遊んでいたみのりが出迎えてくれた。
「咲、帰ってる?」
「う、うん」
みのりが表情を曇らせる。
「どうしたの?」
「あのね、お姉ちゃん帰ってきたと思ったらずっと部屋に入ったままで
 出てこないの」
「そう……」
舞は心配そうに咲の部屋のあるあたりを見上げた。
「今夜はハンバーグカレーだって教えてあげても、
 全然返事がないんだよ。みのりのお守り、効かなかったのかなあ……」
「そんなことないと思うわ……ちょっと、部屋に行ってみるね」
「うん!」
裏口から入り咲とみのりの部屋の前に立つ。一度深呼吸するとこんこんと
ドアをノックした。

「咲? 入ってもいい?」
返事はない。静まり返ったままだ。舞はもう一度ノックを繰り返した。
「咲? ……入るね」
静かにドアを開ける。咲は自分のベッドの上にうつぶせになっていた。
「咲……」
そっと近づき、咲の背中に手を触れると「舞……」と咲が顔を上げた。
「私もうだめかも……」
舞がベッドに座るのにあわせるようにして咲が身を起こし体育座りになる。
「だめなんて、そんなこと」
「でも……」
ひざに顔を埋めるようにしている咲の手を舞の手が握った。

「ね、咲。昔夏祭りの夜に会ったときのこと覚えてる? まだ小さかった頃」
「え? うん。覚えてるよ」
咲は意外そうな声を出して顔を上げた。
「私ね、あれから引っ越したけど。でも、咲とはずっと一緒に居たような
 気がするの」
「うん、そうだね。私もそう思う」
「だから……ね」
舞は咲の手を両手で握りなおした。

「たとえ引っ越したって、高校が違ったって、私たちはずっと一緒だと思うわ。
 満さんも薫さんも」
「うん……」
咲はまだ浮かない顔だったが頷いた。
「ねえ、満と薫はどうしてるの?」
「後で来るって言ってたわ、咲のこと心配してた」
「……そう……薫に謝らなくちゃ……」
「大丈夫よ、満さんと薫さんなら。咲のこと分かってくれるわ」
またノックの音がした。

「咲? 入っていい?」
満の声だ。ドアを通しているので少しくぐもって聞こえる。
「う、うん!」
ドアを開けようと咲は立ち上がりかけたが満たちがドアを開いて
入ってくるほうが早かった。

「咲」
薫が満の前に出てくる。
「ごめんなさい、咲の気持ち考えてなかったわ」
「う、ううん! 私が突然怒っちゃったから……私こそ、ごめん」
「はいこれ」
満が咲の目の前に何かをぶら下げた。みのりの作ったお守りのように見えるが、
少し形が違う。

「……何、これ?」
「さっき、薫と一緒に作ったの。みのりちゃんのお守りの真似して。
 ……咲と私たちがずっと一緒に居られるようにって思って」
「……ありがとう」
咲は受け取ると手の中にそれを包み込んだ。
窓の外に目をやると今日は快晴だ。今まで全然気がつかなかった。

「ねえ、みんな」
咲の言葉に3人が視線を咲に送る。
「これから、みんなで大空の樹に行きたいんだけどいいかな」
「そうね、行きましょう!」
舞が真っ先に賛成し、4人は日向家からトネリコの森へと駆け出していった。

* *

試験から発表までの時間はあっという間に過ぎてしまう。
発表の日、咲は一人で掲示板を見に来た。人ごみに流されるようにしながら
掲示板に近づき一度目を閉じる。深く深呼吸して
二つのお守りを握り締めると、ぱっと目を開いて数字の列から自分の受験番号を
探していく。

4375……4382……4387……。

あった。
呼吸が止まったような気がした。

緊張が途切れたのにあわせるように目から涙が零れ落ちてくる。

――早く、みんなに言わなくちゃ!
舞と満、薫とは大空の樹で会う約束になっていた。
結果を見たらとにかくそこに集まろうということになっている。

入学のための手続き書類を貰うのももどかしい。
校門を出ると、咲は全速力で走り始めた。

-完-

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