「さーき!」
大空の木の下で咲が一人座って待っていると、
木の後ろから高い声がした。にっこり笑って振り返ると
舞が木の向こうから覗いている。

「ごめんなさい、待った?」
「ううん、大丈夫だよ。早く見せて見せて」
咲が急かすと舞は小さな声でもうと笑ってからスケッチブックを広げた。

「あ〜……、私こんな顔してたんだ……」
泣き笑いを浮かべながら優勝のトロフィーを抱えている自分の絵を見て
咲は恥ずかしそうにする。

「うん、すっごく嬉しそうだった」
舞は言いながら何枚か前のページをめくった。マウンド上で真剣な顔をしてバッターボックスを
見つめている咲の絵が出てくる。

「これはいつの時?」
「向こうのチームの一番の強打者を迎えた時よ。
 ほら、試合の終わりごろ、一人ランナー出して一発逆転っていうところ」
「ああ、あの時か……えへへ、何か私すごく真面目な顔してるね」
「うん、咲格好よかった」
木漏れ日がスケッチブックに落ちる。風に合わせ光もゆらゆらと動いた。

「それから、これがその時の伊東さん」
今年はショートに入った仁美が打球をダイビングキャッチしている絵が出てくる。

「本当にあの時は仁美のおかげだよ、絶対抜かれたって思ったもん」
「この後二塁のランナーが盗塁したのを太田さんが三塁でアウトにして、
 それでスリーアウトになったのよね」
「今思うと……」
咲はわずかに頬を掻いた。

「結構危なかったよね、この時」
「うん、でもみんなが頑張ったから」
「うん……本当にみんなのおかげだよ」
咲は最後のページを見た。夕凪中ソフト部応援団と咲たちとが集まっている絵だ。
集合写真を基にしているので舞本人も入っている。

下描きしているのを見せてもらってはいたのだが、今は柔らかい色もついて
この時のことをまざまざと思い起こさせる。
「フラッピたち、こうやって写真にも入れたら良かったのにね」
画面の中央を咲は撫でた。実際に撮影した集合写真には
精霊達は映っていない。今スケッチの中で飛び跳ねているフラッピたちは
舞が描き加えたものだ。

「そうね。この絵の下描きを見せた時は凄く喜んでくれたけど」
「そりゃそうだよ! 舞にこんなに可愛く描いてもらえるんだもん、
 フラッピだってチョッピだって喜ぶよ」
咲は背後の大空の木を振り返った。精霊達は緑の郷と泉の郷と自由に行き来できるように
なっているから、今ここに出てきてもおかしくないと思ったのだが
今日は来ないようだ。


「早く見に来ればいいのにね」
咲は再び絵を見直し、――小さくため息をついた。
「咲?」
舞が心配そうに咲の顔を覗きこむ。

「どうかした?」
「ううん、なんでもないよ。でもこの絵見てると、終わったんだなあってしみじみ思って」
「そうね……」
小学校の時は、と咲は少し遠くを見るようにして話し始める。

「ソフト部って言っても対外試合なんて全然なくて、部内で紅白戦をやるだけだったから、
 そんなに達成感もなかったんだけど……凪中のソフト部は本当に楽しかったし
 優勝できたし……でも終わったなあって思うんだ」
「そうね」
舞は咲の言葉を聞いて微笑む。

ソフト部も、地区大会終了後からは二年生が中心になり活動しているはずである。
美術部の場合は文化祭での活動が最後のメインイベントとなり、
舞たちは文化祭終了後から部の運営は二年生に任せて引退している。
引退している、とは言っても普段の活動時ではチームプレイを要求されることも
それほどはないので、勝手に美術室に行って絵を描いていることもある。

「咲は凄く頑張ったからきっとその気持ちも人一倍強いんだと思うわ」
「舞だって、そうだったでしょ」
文化祭前日、モニュメントが完成して涙ぐんでいた舞のことを咲は思い出す。
今年も舞はデザイン担当で、今年も悩みに悩んでいたのを見ていただけに
その舞の姿は嬉しかった。

「うん……」
頷いた舞を見て咲はまた絵に視線を落とす。舞のそばにいる人物を見て、
「そういえば和也さん」
と言うと舞は慌てて、
「ごめんね咲、お兄ちゃんこの日模試で試合の最後の方まで
 応援に来れなくて」
「う、ううん! そんな、謝ることなんて全然ないよ!」
咲はばたばたと手を振って舞の言葉を否定した。
「模試の日だったのに、すませてわざわざ来てくれたんだし……ねえ、舞、その……」
急にもじもじとし始めた咲に舞の顔にはきょとんとした表情が浮かんでいる。

「和也さん、やっぱり東京の大学受けるの?」
「うん、そうみたい。第二希望は夕凪大って言ってたけど」
「そうなんだ……」
第二希望の方に行ってもらいたい、と思いかけて咲はそんなこと思ったらだめだと
考え直す。

――和也さんが行きたいと思ってる大学に行くのが一番いいんだから!
自分に言い聞かせるように心の中で呟きぐっと右手を握る。
はっと気づくと隣の舞が怪訝そうな顔で見ているので咲は急いで手を開いた。

「どうかしたの?」
「ううん、なんでもないよ……で、でも舞、寂しくなるね」
「そうね……」
舞は大きく大空の木にもたれかかった。少しの間何かを考え、
また身を起こす。

「うん……ちょっと、寂しいかな……お兄ちゃんが一人暮らししてどうなるか、
 まだ想像がつかないから良く分からないけど」
「そうだよね、きっと……私も寂しくなるな〜」
「お兄ちゃんに言っとくね。咲もそう言ってるって」
「い、言わなくていいよっ!」
顔を真っ赤にして言う咲に舞は驚いたように「どうして?」と尋ねる。

「だって、和也さんが行きたいところに行くのが一番いいと思うし、
 気にしちゃうかもしれないから……」
「そう、じゃあ言わないでおくね」
優しいのねと舞は言って微笑む。やや釣り気味の目が細くなる。
こういう笑い方は和也に似ている。
何も気づいていないような全てに気づいて全てを知っているような、そんな顔だ。

「ねえ、舞。舞ってその、好きな人とか……いるの?」
舞の表情を見ているうちに咲はふと、以前から聞きたいと思っていたことを
聞いてみた。
「好きな人?」
どうして突然そんなことを、と言うように舞が聞き返す。

「その、誰か男の子で」
「いないわ」
即答だった。迷いもなにもなく、きっぱりと。

「修学旅行の時もそう言ってたっけ……」
「そうよ。あの時は咲もそう言ってたじゃない」
修学旅行の夜、女子部屋では定番の「男子で誰が好きか」という仁美主催の討論会で
盛り上がったのである。――主に優子が色々な方向から突っ込みを入れられていたが。
咲も舞も、それに満も薫も「クラスの男子に取り立てて魅力は感じない」という
意見で一致した。

「うん、そうだけど」
でしょ? と舞は頷いて見せる。

――舞は、あんなに格好いいお兄さんがすぐそばにいるんだもんね……
  大抵の人じゃ駄目なのかも。

「咲? どうしてそんなこと?」
「あ、ううん、なんでもないよ! えーっと、そのもうすぐ卒業だなって
 思ったらなんとなくね」
「咲ったら。まだ二学期なのに」
「うん、でも……ね」
咲は持っている絵に再び目を落とした。木漏れ日は相変わらずゆらゆらと
絵を照らしている。スケッチブックを閉じて舞に返した。

「受験だってまだなんだし」
「あ……あはは……」
舞の言葉に咲は力なく笑った。
「咲、だって三年生になってからすごく勉強してるじゃない」
「うん、満に教えてもらって、ね」
――だって私の第一希望は舞と同じ高校に行くこと、だし……

今のところ成績の伸びは今ひとつといった状態だが、部活がなくなるこれからが
勝負になってくるはずである……なってくるといいな、と咲は思っている。

「咲が勉強してる時はとっても真面目に満さんの言うことを聞くって
 この前満さんが言ってたわ」
「……満ぅ〜」
自分の膝の上に顔を押し付けるようにして咲は情けない声を出す。
満から舞にそんな話が伝わっているのはなんだか恥ずかしかった。

舞は咲の後頭部、ちょうど結んだ髪の先あたりを軽く撫でる。

「高校、一緒に行けるといいね」
「うん……」
しばらくそうされていた咲だったが、急にがばりと顔を上げた。

「舞、私がんばる! これからはソフトじゃなくて勉強に燃えるよ!
 舞と一緒の学校に行きたいもん!」
「咲……」
咲はきゅっと舞と手を繋いだ。舞は頷いて、
「私も頑張るわ。咲と一緒の高校に行けるように」
「うん、そしたらまた一緒に学校通って、新しい友達もたくさん作ろうね」
「うん!」
咲と一緒なら、と舞は思う。咲と一緒なら、引っ込み思案な自分でも新しい友達
ができそうな気がする。

「町の方に帰ろうか、舞」
「そうね」
二人は手を繋いで坂道を下り始めた。
自然小走りになる。だんだん勢いがついてくる。
咲は次第に気持ちが昂ぶってきた。道に木の根がはりだしているのが見える――
「舞、跳ぶよ!」
隣の舞にそう告げる。舞はええっと慌てるが、「せーの!」と咲は叫ぶ。

二人の足は同時に空中に舞い、同時に着地してよろめいた。
舞が咲に重なるように倒れてくる。

「ご、ごめんなさい咲! 大丈夫!?」
「えへへ、大丈夫だよ」
咲はすぐに舞の手を取って起き上がる。

「早く帰ろう、舞。満と薫にも頼んで、一緒に勉強しようよ」
「そうね」
舞と咲はまた手を繋ぐと、小走りに走り始めた。


-完-

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