郵便屋さんの落し物、と言うわけではないがたまに郵便受けに他の家への
葉書や手紙が入っていることがある。

遠くの家であれば「誤配されました」と書いてポストに落とせばいいし、
ご近所さんであればその家の郵便受けにそっと入れておけばいい。大した手間ではない。
間違って配達されてくる郵便物がある、ということは当然、日向家に来るべき
郵便物が他の家に行ってしまっていることがある。

咲がこの日郵便受けから取り出した葉書もそんな経緯で他の家を
回ってから日向家に届いてきたものだった。消印の日付から大分遅れてしまっている。

「お母さん、大変!」
店内にお客さんがいないのを確認してからぱたぱたと母に駆け寄る。

「どうしたの?」
「これ、今日までだったみたい」
咲が差し出した葉書には行きつけの獣医からの「予防接種のお知らせ」が
書いてある。「キャンペーン期間」の文字の下に書いてある日付は、今日までで
終わっている。

「あら……困ったわね」
コロネは毎年一回予防接種を受けている。キャンペーン期間でなければ
受けられない――ということはなく、後からでも行けばいいのではあるが、
キャンペーン期間はかなり費用が安くなるのも事実であった。


「今日はお父さんがずっと配達に回ってるから車もないし……」
「私、コロネ連れて行ってこようか?」
コロネの話をしているのを聞きつけてみのりが入ってくる。

「コロネがどうかしたの?」
「予防注射の期間、今日までだったんだって」
咲が言うと、みのりは「あ〜」と思い出したような声を出す。

「お父さん今日はずっと配達みたいだから、私が連れて行こうかと思って」
「みのりも行くー!」
「じゃあ二人とも、やれるだけやってみてね」
少し心配そうにしている沙織に、二人はうん、と力強く頷いた。


「で、コロネどこにいた?」
自宅部分に向いながら咲は声を潜め、みのりに聞く。
「さっきはテレビの前にいたよ。寝てた」
「じゃあ私、一度玄関に回ってそっちから入るよ。みのりはこっちから入ってコロネに
 近づいてね」
「うん! りょーかいっ!」
うっかり大声を出したみのりに「しーっ」と注意して咲は一度店から出、
玄関に回った。
音を立てないようにこっそりとドアを開ける。
誰も見ていないはずのテレビの音が聞こえてくる。
みのりがコロネと一緒に先ほどまで見ていたのかもしれない。
抜き足、差し足と不自然な足取りで咲はリビングに向う。

大物タレントの新作映画クランクインを告げるテレビの前で、
みのりの言ったとおりコロネは丸くなっていた。
向こう側から来たみのりと目を合わせて、咲は足音を立てないように
コロネに近づく。

――うん、意外と簡単だったかも……
十分コロネに近づき、そっとかがんで手を伸ばす。だが咲の手が触れる前にコロネは
かっと口を開け、一瞬怯んだ咲の腕の横をすり抜け走り逃げる。

「しまったー!」
咲もみのりもすぐにコロネの後を追いかける。

「お姉ちゃん玄関閉めてきた!?」
「あ、開けっ放し!」
「もうっ!」
果たしてコロネは玄関から飛び出す。みのりも咲も靴を履き――ここで数秒のロスが生まれ
更にコロネに引き離される――、家の外に出る。

コロネはいつも店か家で寝ている割にこういう時の動きは妙に素早く、
たったったと軽やかに飛び跳ねるように道を進んでいた。


――あ、この木。もう花が開き始めてる……
その頃、舞はのんびりと景色を見ながら咲の家に向っていた。
昨日まではまだ固いつぼみをつけていた木が今日は二輪、三輪と花を開かせているのを
見て顔をほころばせる。

普段何気なく歩いている道でも、気をつけて見てみると毎日少しずつ、少しずつ
変化がおきてくるものだ。
例えばいつもごろごろしているコロネが道を疾走して来るとか。

「コ、コロネ!? どうしたの!?」
コロネは舞の姿を見ると一瞬悩んだようだがそのまま直進してくる。

「あ、舞! コロネを止めてーっ!」
「咲? え、えーと、止めてって……」
とりあえずコロネの進路の前に出てみたが手を出す暇もなくぱっと塀の上に跳び乗ると
コロネはそのままぴょんぴょんと塀の上を進む。

「あー、コロネコロネ……」
「どうしたの、コロネ、あんなに」
自分の横を走り抜けていく咲とみのりに併走しながら聞くと、

「注射打ちに、行かなくちゃ、いけないのに、逃げてるの」
みのりの答えが帰ってくる。大分息が上がっていた。
舞も釣られるように咲達と一緒にコロネを追いかけながら――少しずつ速度が落ちる。
みのりも舞がいることで安心したようにだんだんゆっくり走るようになってきた。
咲だけがどうにかコロネについていっている。

「あっ、満、薫!」
コロネの先を見た咲の顔がぱっと明るくなる。
「コロネ、止めて!」
一瞬怪訝そうな顔を浮かべた満と薫だがとりあえず咲の言うとおりにしようと
コロネの走る塀の上に薫は跳びあがりかけ、みのりの姿を遠くに認める。

――滅びの力を使うところをみのりちゃんに見られるわけには……っ!
中途半端に地上に降りた薫の頭を飛び石にしてコロネも道路に飛び降りる。
だがそこには満が待ち構えている。

「満!」
やった、と咲は思った。滑り込むようにコロネの前に立ち塞がった満がコロネの胴をがっしりと
掴み上げる。

「重っ!?」
予想外の重みに満が声を上げる。腕の中で暴れていたコロネがするりと抜ける。

「ごめん咲、手が滑った!」
「いいよ、満! 追っかける!」
「どうしてコロネを追いかけているのよ」
走る咲に満と薫が加わり、先頭集団が三人、二位集団が舞とみのりの二人という
構成になる。――舞とみのりはもうかなり突き放されている。

「予防注射に、連れて行きたいんだけど、コロネが逃げるから!」
「それは必要なの」
「うん! 病気を防ぐから!」
なるほどと納得して満と薫もコロネを追いかける。コロネは夕凪中前を通った。
学校には入らず素通りする。咲の視界に、学校の前に放置されている台車が目に入った。

家からここまでコロネを追って走り続け、咲も冷静さを欠いていたのだろうか。
天啓のように咲の頭にある考えがひらめく。
走り抜けざまに左手で台車の持ち手を掴むと、坂の上で台車に飛び乗る。

「咲!」
満も薫も慌てた。咲は飛び乗ったままスケートボードに乗るようにして
坂を下るコロネを追いかける。
にゃっと悲鳴のような声をコロネもあげて本気で走り出す。
咲がまともに台車に乗れていた時間は一秒もない。

「ちょちょちょちょっと、速すぎ〜!」
速度をぐんぐんと上げて台車は坂を落ちていく。乗り手の咲にも制御できるものではなく、
掴まっているので精一杯だった。――手を放して台車から飛び降りた方が
いっそ安全だろうが、今の咲にそこまで考える余裕はない。

「咲!」
満が地面を蹴った。地上すれすれの高さを飛行し咲を追う。薫もそれに続いた。
――みのりちゃんに見られても仕方ない!

「満、あなたは咲を!」
「うん!」
薫は必死で走っているコロネを台車の寸前から救い上げる。台車の前に横入りする形になった
薫の身体に台車は乗り上げ、乗っている咲はバランスを崩し

「わあああああっ!」
大きく宙を舞う。
坂の上についた舞はぎゅっとみのりの頭を抱いてこの惨劇からみのりの目を
逸らさせた。

「咲!」
どうにか追いついた満が咲の下敷きになる形で全てが止まる。

「み、みんな大丈夫!?」
舞はみのりから手を離し坂の下に急ぐ。薫はコロネを、満は咲を抱いたまま転がっていて
台車は道からはずれ、からからと坂の一番下まで降りていった。

「ごめん、満、薫、変なことしちゃった……」
「私は大丈夫だけどね」
ゆっくりと満が起き上がり咲を立たせた。
「……コロネは?」
「大丈夫みたいよ」
満の問いに答える形で薫もコロネを抱きかかえたまま立ち上がる。

「何だかもう、逃げる気もなくしちゃったみたいだけど」
薫の腕の中でコロネは疲れ果てた顔をしていた。満もその様子を見て、
「まあ、あれだけ怖い思いしたら……ね」
「ごめんね、コロネ」
咲がコロネを撫でる。最初は不機嫌そうにしていたが、次第に喉を鳴らし始めた。

「みんな、ありがとう。このまま獣医さんの所に連れて行くよ」
「お姉ちゃん、お金持ってるの?」
「あっ……」
「じゃあみのり、一度お家に戻って取ってくるね!」
「う、うんみのり。ありがとう、そうしてくれる? 私、先に行って
 受け付け済ませてるよ」
「咲」
薫は腕の中のコロネを咲に抱かせた。咲の両腕にずっしりと重みがかかってくる。

「私はみのりちゃんと一緒に行くわ。一人だけだと心配だから」
「あ、良かった。みのりのこと頼むね」
みのりは、一人でも大丈夫だよ、と言いつつも薫が一緒に来てくれるのが嬉しいらしく、
きゅっと薫の手を繋いで家への道を戻る。
薫は右手をみのりと繋ぎ、台車を左手で押して道を戻っていった。
「夕凪中の元の場所に戻しておくから」と言ってその場を離れる。

「ふうう……」
ため息を一つつき、満と舞と一緒に咲は獣医さんへの道を歩いた。
途中、この坂で何があったのか舞に聞かれたので正直に話すと
「咲。危ないことはしないで」と厳しい表情で言われ落ち込み、満には
「後先考えないんだから」と言われ更に落ち込む。
「ごめん……」
咲は謝り、腕の中のコロネを撫でる。コロネはもう諦めきった様子で目を閉じていた。


薫とみのりがお金や診察券を持って病院に着いたとき、満と舞だけが待合室にいた。
他の患者はいないようだ。
「咲たちは?」
「あっち」
薫に聞かれた満が診察室を指し示す。中から何かが暴れている音が聞こえてくる。

「何? この音は」
「コロネが暴れてるみたい」
舞の言った言葉にみのりはあ〜あ、と声を漏らした。
「コロネ、注射されるの大嫌いなの。毎年大変なんだよ」
「……だから、あんなに逃げてたのね」
「うん」
薫に頷き、心配そうにみのりが診察室の扉を見る。と、がちゃりとノブが回り、
咲がコロネを抱いて「ありがとうございました」と出てきた。

「あ、それからコロネ君ね、ちょっとダイエットした方がいいよ。
 太ってると糖尿病にもなりやすいし」
「はーい、分かりました。あ、みのりお金持ってきた?」
「うん!」
みのりに渡された財布を持って咲は診療費を支払う。


「ダイエットした方がいいってさ、コロネ」
病院を出た咲は腕の中からコロネを地面に下ろす。歩いた方がいいんじゃない?
と言うと
舞はくすりと笑った。

「今日はもう十分運動したと思うけど……」
「そうよね、咲とあれだけ追いかけっこしたんだし」
舞と満の言葉を聞いたコロネが「当然だ」と言うように咲の足をつつく。

「しょうがないなあ、もう」
咲はコロネを再び腕の中に抱きかかえた。そのまま五人でゆっくりと歩きながら家に帰る。
-完-

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