ぶん、ぶんと咲のバットが空を斬る。PANPAKAパンの裏庭では部活から帰ってきて
汚れたままのユニフォームを着た咲が素振りの練習をしていた。
舞はそばに座り、そんな咲をスケッチしている。

「ねえ舞、どうかなあ」
額に落ちてきた汗を腕で拭いながら舞を見るが、舞はまだ絵が終わらないらしく
集中しているので咲はまたバットを構え、一、二と心のうちで数えながら振り始めた。

「描けたわ」舞の声に咲が振り向く。

「ど、どうだった?」
やや緊張した面持ちで尋ねるも、
「うーん……いつもとそんなに変わらないような気がするけど……」
舞の答えに少し拍子抜けしたような表情を浮かべる。

「そっかあ」
「いつもどおり、思い切って振ればいいんじゃないかしら?」
舞のアドバイスを聞いても咲はうーんと納得していないような声で手袋を嵌めた
右手を見つめる。

「なんか、いつもみたいにいかないんだよね……」
夕凪中学ソフト部は2週間後にS学園との試合を控えている。普段なら咲が先発と決まって
いるが、この試合は後輩の子が先発の予定だ。凪中ソフト部の将来を考えれば、咲以外にもピッチャーを育てておく必要があるのである。
咲としては後輩のためにも、バッティングで盛り上げたいところである。ということで
いつもより熱心にバットを振っているのだが――どうも、しっくりこない。

スランプ、という4文字が頭に浮かぶが咲はその言葉を振り払う。
「とにかく、練習しなきゃね!」
わざとらしく元気良く言うと、また素振りを始める。
西日をさえぎるような大きな影がゆらり、と咲に近づいてきた。咲はまだ
その存在に気づいていない――舞があっと息を呑んだ。

「何をしている、日向咲」
がっしりとした腕が回転するバットの先を掴んで止める。咲は逆に静止したバットに振り回される
格好になり二、三歩よろけた。
「キントレスキー? あんたこそ何しに来たのよ」
邪魔しないでといわんばかりの咲の口調だがキントレスキーは全く意に介さない様子で、
「チョココロネを買いに来たに決まっている」と、右手に持ったPANPAKAパンの紙袋を軽く振った。

「そう、じゃあ帰って食べたら?」
「トレーニングしている者を放っておくことなどできん」
「いや、いいから」
何とかしてキントレスキーを追い返そうとするも、キントレスキーには全くその気が
ないようだ。

「大体、ここではボールを使った練習ができんな」
「そりゃ、うちの庭だもん。……て、ちょっと、えええええ!?」
咲と舞の見る前でキントレスキーはランニング用のジャージを脱ぎ捨てたかとおもうと
全身に気合を入れる。
一瞬の後、咲と舞はだだ広い野原のような場所に出ていた。

「ちょっともう、ここどこよ〜」
「ここなら存分にボールが打てるだろう」
不満そうな咲と対照的にキントレスキーはご満悦だ。舞はスケッチブックを抱えたまま
一緒に連れて来られていたが、

――なんか、キントレスキーは咲と運動するのが楽しいみたい……。
咲の運動神経がいいのはキントレスキーにも良く分かっているだろう。
それだけの相手と一緒に運動するのは一人だけでトレーニングをするより楽しいのかもしれない――、
くすっと笑って舞は二人の姿を写し取ろうとスケッチブックを持ち直す。
だが、
「美翔舞。受け取れ」
キントレスキーがぽんとソフトボールを投げてよこした。
「え?」突然のことに舞は慌てて、スケッチブックを落としそうになり抱えなおすと
ボールが軽く舞の頭の上で跳ねて飛び越えて行く。

「あ、ちょっと……」
舞は大急ぎで追いかけ数メートル先で止まったボールを拾い上げた。

「あの、これってどういう……」
振り返るとキントレスキーは腕組みしたままじっとこちらを見ている。
「美翔舞、まずお前が投げてみろ」
「え?」
「日向咲に、まずお前が投げてみろ。打てるかどうかがみものだな」
「そんな……」
舞は困った表情を浮かべる。咲に打てないはずがない。
「ちょっと、キントレスキー! 舞に変なこと言わないでよ!」
キントレスキーの更に後方から咲の声がした。バットをぶんぶん振り回している。
「変なこととはどういう意味だ」
「舞、ソフトボール投げたことないんだから」
舞が咲の言葉にこくこくと頷いているのを見て、キントレスキーはふっと乾いた
笑いを漏らす。

「何も分かっていないようだな」
「どういう意味よ!」
「バットをいくら振っても、ボールに当たらなければ意味はあるまい! 実際に
 ボールに当たるかどうか、肝心なのは当たるかどうかだ。だから美翔舞に投げてもらえ。
 美翔舞、お前は先ほど日向咲の素振りを見てフォームがどうこうといっていたが、
 実際にボールを打つときのフォームが崩れていたら何にもなるまい」
キントレスキーならではというべきか、妙に説得力のある発言である。

「だからって舞に……」
「美翔舞ならそう速い球を投げることはない。安心して打てるだろう。
 私がキャッチャーになってやる」
キントレスキーは勝手にどっかりと咲のうしろでしゃがむ。
「さあ、いつでも投げていいぞ!」
引きつった咲のことは無視してぱんぱんと手を叩いてみせる。
「……咲、私投げてみるね」
舞は咲の正面に立った。

「え、舞……」
――なんか、舞のこと巻き込んじゃったみたいだなあ……
咲は少し気が引けたが、
「じゃあ、いくね!」
舞が楽しそうに見えたので、まあいいか、とバットを持ち直して構える。

「そうだ、ここだ!」
キントレスキーが丁度ストライクゾーンど真ん中に投げるように舞に合図し、舞はえいっと
上投げでぽんとソフトボールを放り投げる。

ゆったりとしたカーブを描きボールは咲の元へと向ってきた。速度は遅い。
おそらく咲がこれまでに対戦した誰のボールよりも。

――打てる!

確信と共に振り回した咲のバットは、空を切っただけだった。

――えっ……
一瞬頭の中が真っ白になった咲の後ろでスパンと音がする。ソフトボールがキントレスキーの
手に収まったのだ。

「うそ……なんで?」
「振るのが早すぎた。あの程度のスピードならもう少し待たねばならん」
がっくりと咲は地面に膝をつく。
「絶不調なり……」
「さ、咲、大丈夫?」
舞が慌てて駆け寄る。咲は当然打ち返してくるだろうと舞は思っていたので、
予想外のことに何と声をかけていいか分からないでいた。

「ふむ。日向咲、落ち込んでいる場合ではあるまい。練習をすればいいのだ」
「そ、そりゃそうだけど……」
咲はぱんぱんと膝についた土を払って立ち上がった。

「でも、こんなスランプ初めてだよ……」
――咲がこんな気弱な顔するなんて……。

自分が咲にこんな表情をさせてしまったような気がして舞は何だか
悲しくなってきた。

だが、キントレスキーはそんな舞にはかまわず咲にだけ話し続ける。

「ふっ、私に任せておけ。ソフトボール打撃向上のための特別メニューは用意してある」
「……それ、本当に役に立つの?」
咲がじとっとした目でキントレスキーを見る。
「なんだと、疑うというのか!」
「だって……」
「あの、」
舞が咲の手をとりキントレスキーに向かい合う。
「その方法、教えてください」
「え、舞?」
「ほう、美翔舞。やはりお前は話が分かる」
「あの〜……私は……」
「咲、……スランプ脱出できるなら、何でもやってみたほうがいいような気がするの」
舞はぎゅっと両手で咲の右手を包み込むように握った。
真剣なまなざしに咲も「う……うん」と頷く。

「良かろう。では、早速教えてやろう!」
上機嫌なキントレスキーが先ほどまで舞がたっていたマウンドに立つ。咲が
バットを持って元の位置に戻り、舞がキャッチャーの位置にいこうとすると
キントレスキーはいいやと首を振って舞をそこから離れさせた。

「え……誰もボール取らなくて、いいんですか?」
舞が念を押すように尋ねるとキントレスキーはああと頷く。
「打てるはずだからな。それに、そこに座っていたら危ない」
――危ない?
咲の頭に疑問符が浮かぶ。キントレスキーはどこかからかサッカーボールサイズの
ボールを取り出した。

「いくぞ、日向咲!」
「ちょ、ちょっと待ってよ! タイムタイム!」
咲は二、三歩飛びのくと
「なんでそんなボール使うのよ!」
キントレスキーに食って掛かる。

「決まっているだろう! 大きいボールが打てるようにならねば小さいボールを打てる
 はずがない!」
「ええええ!?」
「よく聞け、日向咲。スランプというのは多少無茶な練習をせねば克服できん。
 これを芯で捕らえられるようになればソフトボールを打つのも同じことだ!」
――そ、そうなのかしら……。
聞いている舞は内心で疑問を覚えつつも、咲がまた打つ位置に戻ったのを見て

――やってみるのね、咲。
なんだか少し安心した。


「よし、いくぞ!」
キントレスキーの第一球。ゆったりした球にバットがあたり、横に飛んでいった。
舞が走ってボールを拾う。
「ファールだな。まずヒットを打てるようになることだ」
舞からボールを受け取ると、キントレスキーはすぐに構える。咲もまた、
バットを持ち直す。

――咲の顔、なんだかいつもみたいになってきたわ……。
舞は咲の変化を感じ取っていた。スランプだということを気にして
どこか表情の硬かった咲が、今は打ち返すことだけに集中して
スランプのことを忘れているように見える。
五球目、打球はヒット性の当たりになった。

「ふふ、よし、最後だ!」
キントレスキーはボールを地面に置くと、

「いくぞ!」
低く蹴り上げたボールは咲から見て外角下、ストライクゾーンぎりぎりの場所へと
突き進んでいく。

「……!」
もう何も考えずに咲はバットを振った。ぼこりという鈍い音と共にはじき返されたボールは
ホームランかと思われるほど遠くへと飛んでいった。

「……よしっ!」
今日はじめてのガッツポーズが自然に出る。
ふんとキントレスキーは笑った。
「どうだ。私の特製メニューは効くだろう」
「う〜ん……うん、ありがと」
キントレスキーは得意げである。いつもの咲ならここでなんだかんだと
突っかかるところであるが、今日はさすがに止めておいた。

「それじゃあPANPAKAパンに戻るとするか」
キントレスキーの声がしたかと思うと、咲と舞は前の通りにPANPAKAパンの庭に
戻っていた。

翌朝。目を覚ました咲はすぐに違和感に気づいた。
「あ、あれ……腕が……」
両腕がしびれている。重いものをずっと持ち続けた後のように。

――なんでこんなことに?……
あっと咲は思い当たった。昨日はいつものソフトボールと比べてずっと重い
サッカーボールを打ち返したりしたので腕に負担がかかったのかもしれない。

――今日はあんまり練習できないなあ……。試合までに元に戻るかな……

咲の心配は試合当日まで続くのだ。

-完-

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