「あ」
冬休み最後の部活を終え家に帰る途中の咲は思わず足を止めた。
秋には金色に輝いていた一面のススキ野原も今は枯野原になってしまっていて
どこか物寂しい光景である。

咲が足を止めたのは、そこに美翔和也が立っていたからだった。
自転車を支える格好でぼんやりと野原の方を眺めている。

一度ふうっと深呼吸をしてから息を殺し、咲は和也の後ろからそっと近づいていく。
普通に声をかければよさそうなものなのに中々そうできず、不自然なほど近づいて
しまってから、
「あ、あの、和也さん……」
わっと慌てた声を上げて和也は振り返った。

「ああ、咲ちゃん」
「ご、ごめんなさい、その……驚かせちゃって」
「ううん、気にしなくていいよ」
「あの、何してたんですか?」
咲は和也の隣に回りこんだ。枯野原はただ広がっているばかりだ。

「ちょっと星を見てたんだよ」
「星?」
咲は空に目を向けた。空は茜色に染まったまま、まだ夜空になるには時間がある。

「木でちょうど見えないかな」
和也は咲の頭にそっと手を添えると咲の顔を少し動かした。
「ほら、あそこ。一番星が見える」
「……? あっ、本当だ!」
今まで全然分からなかったものが急に見えるようになった。咲から見て
黒々とした木の枝に隠れていた宵の明星が今は見落としようもないほどに
輝いている。

思わず大きな声を出したことに赤面しながら和也のほうを窺うと、
和也は咲の頭から手を離してにっこりと微笑んでいた。
ほっと安心して咲はまた星に目を移す。

「今、学校の帰り?」
「は、はい、部活の練習の帰りで……」
「咲ちゃんは来年のキャプテンに決まったんだってね」
「そうなんです……」
普段とは違って咲の声は消え入りそうになる。
和也と二人きりで話すのは初めてではないが、いつになっても慣れない。

「舞がすごく喜んで話してたよ。咲ちゃん、キャプテンになったお祝いで
 クリームパン5個食べたんだってね」
「は、はい……」
――もう、舞ってば……
耳まで赤くなって行くのが分かる。その火照りを冷ますかのように冷たい風が
すうっと吹き抜けて行く。

マフラーを巻いてくればよかったと思って、咲はクリスマスの時に
和也に貰ったマフラーのことを思い出した。

「あ、あの、和也さん」
「うん?」
「この前貰ったマフラーすごく暖かいです!」
「あ、本当? 喜んでもらえて良かった」
今日もあのマフラーを巻いてくればよかったなと咲は思う。
大事にしたいので普段は巻いていないのだが。

「咲ちゃんのクリスマスケーキも美味しかったよ、あの時。本当に」
「本当ですか? 良かった」
うんうんと和也が微笑んで頷いているのを見ると、咲の心の中が
落ち着いた空気に満たされていく。

「私、友達や家族以外の人にケーキ食べてもらうの初めてだったから
 すごく緊張してたんです」
素直に言葉が出てきた。咲にとっては当たり前ともいえる言葉だ。
だが和也は、その言葉を聞いて一瞬えっと驚いた顔をした。

「あ……そうか」
「……和也さん?」
和也の声にいきなり力がなくなったのに気づき咲は慌てて、どうかしたんですかと
尋ねる。

「ううん、なんでもないよ咲ちゃん。じゃあね」
大きく手を振ると自転車を押し始め、和也は美翔家の方角へと
帰っていった。

――和也さん……?
どう見てもそそくさと帰っていったとしか思えない。咲は首を捻った。
――私、何か変なこと言ったっけ……?
夕凪中のスポーツバッグを肩にかけとぼとぼと足を日向家に向ける。
特に何もおかしなことを言った覚えはない。しかし和也の様子が突然
おかしくなったのもまた事実である。

「ただいま……」
いつもよりも小さな声で家の戸を開けると、玄関に舞の靴が置いてあるのが
目に入った。そういえば今日はみのりが舞と遊んでもらう約束をしていたはずだ。

「お帰りなさい、咲!」
子ども部屋の戸を開けると、舞の涼しげな声が咲を出迎えた。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
黙ったままの咲を見てみのりが不思議そうな顔をした。舞も表情をやや曇らせる。

「うーん、と。あの……ちょっと舞に相談があるんだけど」
「私に?」
「うん。みのりはちょっとあっち行ってて」
「えー!? 今日はみのりが舞お姉ちゃんと約束してたのにー!」
明らかに不満そうなみのりを見てごめんと咲は謝りながら、
「でも、ちょっとお願い。どうしても、大事なことだから」
「みのりちゃん、またいつでも遊んであげるから、ね?」
咲と舞に口々に言われてみのりはまだ不満そうなものの、

「じゃあお姉ちゃん、ちょっとだけだからね?」
と念を押してスケッチブックを抱え部屋を出て行く。

みのりが出て行った扉を閉めると、咲は床に座っている舞の目の前にとんと
腰を下ろした。

「どうしたの? 相談って」
舞はきょとんとした表情だ。この兄妹は良く似ている、と咲は思う。
ど真ん中ストライクの美形と言えるところもそうだし、どこか
感情の分かりにくいところもそうだ。気づかないうちに舞を
怒らせてしまったカラオケ大会の時のことを思い出すと、
今回も知らない間に和也を怒らせてしまったのかもしれないと思える。

「咲?」
いつまでも相談を始めない咲を見て舞は困惑した表情になった。
「うん、あのさ」と咲は話し始める……が、中々状況が整理できない。
とにかく、
「和也さん……怒らせちゃったかも」
とだけ伝えると、
「お兄ちゃん?」
舞の顔に大きな疑問符が浮かぶ。「お兄ちゃんとどこかで会ったの?」
「う、うんその……帰り道にススキ野原で会って、それで
 話してたら、突然帰っちゃって……」
「……? どんな話?」
「えっと、一番星のことと、クリームパンのことと、マフラーのこととケーキのこと」
「?」
舞はきょとんとした表情のまま、
「あんまり怒らせそうな会話じゃないけど」
と咲に呟く。
「う、うん……そうなんだけど、でも和也さん突然帰っちゃったから……」
「お兄ちゃんはちょっと変わったところがあるから……」
気にしなくてもいいんじゃない? という舞に、ううん、と咲は
首を振る。

「絶対なんかありそうな気がするんだ……だから、私の何がいけなかったのか
 知りたいんだけど……」
「お兄ちゃんに聞いてみる?」
「聞いてもらえる?」
「うん、それは簡単だから……でも、『怒ったりしてない』って言いそうだけど」
「おねがい、舞。聞いてみて」
舞はこくんと頷いた。


その後、みのりとひとしきりお絵かきをしてから舞は帰って行った。
帰り際咲が「よろしくね」と念を押すと「うん」とにっこり頷く。
「そんなに心配しなくてもいいと思うけど……」
「し、心配しなくてもいいかどうか知りたいから!」
舞は苦笑した。


「あ〜」
子ども部屋のベッドに戻ると咲は落ち着きなくごろごろと寝返りを打ち始める。
どうにもこうにも、気持ちが休まらない。
今すぐにでも舞の家に電話して舞に様子を聞きたいくらいだ。

「お姉ちゃん? 何してるの?」
みのりに不審気に聞かれ咲はベッドに突っ伏したまま
「何でもないよ……」と力なく答える。



「ただいま……」
舞は咲の家を出て数分後には家に戻っていた。
今日は両親が外出しているので家にいるのは和也だけだ。
二階の部屋にいるらしく出てこない。これはいつものことなので
特に気にせず、舞は一度台所に入ると冷蔵庫からお茶を取り出そうとして――
異変に気づいた。

――牛乳が残ってる……

美翔家の冷蔵庫には独自のルールがある。和也が飲む予定の牛乳には
手をつけてはならないというルールである。したがって和也の飲む牛乳は
他の家族が飲む牛乳と離して置いてある。
和也の牛乳は一本ずつ減っていき、足りなくなってくるとまとめ買いをして
また入れておくのである。

牛乳の本数は朝と一緒だった。つまり、和也は帰ってきてから牛乳を
飲んでいないのだ。
おかしい。明らかに何か異変が起きている。
お茶を一口含むと、舞はとんとんと階段を駆け上がった。

「お兄ちゃん?」
和也の部屋をノックすると「うん?」と声が返ってくる。
「入ってもいい?」
「ああ、いいよ」
部屋に入ってみると、兄は机に向って勉強でもしていたようだ。

「あ、あの……」
「何?」
「牛乳、飲まないの?」
「ああ……忘れてた」
――お兄ちゃんが牛乳飲むの忘れるなんて!
やはり今日の和也はどこかおかしい。

「あの……今日、咲と会ったんでしょ?」
「うん、会ったよ」
「何かあったの? 咲が、お兄ちゃんの様子がおかしいって心配してて……」
「いや、何もないよ」
「そう?」
「うん。咲ちゃんは舞の大事な友達だもんな」
夕食にしよう、と和也は舞の背中を押した。兄妹は連れ立って
階段を降りて行く。

「もしもし美翔と申しますが咲さんを……あ、咲?」
夕食後にかかってきた舞の電話に咲は飛びつくようにして
「ど、どうだった?」と尋ねる。

「うーん、お兄ちゃん確かにちょっと変だけど、
 咲のことではないみたい」
「へ、変ってどんな感じに?」
「牛乳飲むの忘れてたし……秋から冬の風景っていう絵だったら何を描いたらいいと思う?
 って聞いたら、『枯葉と紅葉』って言ってたし……いつもだったら、
 『モズのハヤニエ』とか言いそうなのに」
「そ、そうなの……」
何が変で何が普通なのか良く分からなくなってきたが、とにかく咲としては、
「私のことは関係ないみたい?」
ともう一度尋ねる。
「うん、それは大丈夫みたいよ」
舞の返事を聞いてほっと安心すると、咲は舞にお礼を言って受話器を置いた。

――でも……、

舞の話からすると、和也がいつもと違うのは咲の気のせいではなく事実らしい。
――何かあったのかな……
咲は台所に入ってみた。


舞から、冬休みに入った和也は家で勉強していることが多いと聞いている。
翌日、咲は箱を抱えて美翔家を尋ねた。
「こんにちはー」
インターホンに答えて現れたのは和也である。後ろから舞もひょっこりと顔を覗かせた。

「あれ、咲ちゃん? どうしたの?」
「あの、これ……」
おずおずと言った表情で手に持っていた箱を差し出す。
「え?」
「あの、和也さんが何か元気なさそうだったからケーキ作ってきたんです。
 よかったら……」
「本当!? 何だか悪いなあ」
和也は満面の笑みを浮かべて箱を受け取った。咲はほっと安心しながら、
「あの、昨日、私何か悪いこと……? 和也さん、突然元気がなくなったみたいで……」
自分でも直接尋ねると、ああ、と和也は頭をかいて笑った。

「咲ちゃんが悪いんじゃないよ。ただ、ちょっとね」
「ちょっと?」
一瞬ケーキの箱に視線を落とすと和也は改めて咲の顔を見た。

「咲ちゃんは舞の大事な友達だけど、僕にとっても大事な友達だと
 思ってるからさ。咲ちゃんにも友達と思ってもらえてたら嬉しいなって思って」
「あっ……」
ようやく、咲は和也が引っ掛かっていたことに気づいた。「友達や家族以外の人」という言葉は
咲にとっては悪い意味ではなかったのだが、和也にとっては気になるものだったらしい。

「はい、私も和也さんのこと、友達って……ちょっと年上の友達って、
 思ってます!」
咲の言葉を聞いて楽しそうに和也は笑う。舞が後ろから
「折角だから、咲も上がって食べていったら?」
と声をかける。
「え……いいの、舞?」
「うん、紅茶入れるね。お兄ちゃんは牛乳でいいでしょ」
和也の手からケーキの箱を受け取ると、舞は咲たちに背を向けて
こっそりと微笑みながら一足先に家の中へと入っていった。

-完-

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