その一帯は悲しみに満ちていた。今日もいくつもの悲しみが大地を覆っていた。
大空の樹――まだそういった名前で呼ばれたことはないが、いずれその名前を
持つようになる樹はまだ細く、枯れた枝をじっと幹にぶら下げて耐えていた。
涙はこの地にいくらも流れたけれど、木々を潤すことはできない。

 * * *

「ただいまー、お母さん」
自宅に戻ってきた舞は食卓に積んである本の山を見て目を丸くした。
タイトルを見れば考古学の本で、どこかの研究施設の所蔵であることを
示すシールがどの本にも貼ってある。
肝心の母の姿は部屋にはない。

――ということは。

舞が母の部屋を覗いてみると、母は本に集中しているところだった。
「ただいま、お母さん」
大きな声でもう一度そう言うと母は驚いて顔を上げる。
「あらお帰り、舞。もうそんな時間なのね」
壁に掛けた時計を見やり改めて時間を確認すると、
「おやつにする?」
と母は本を置いて立ち上がった。
「机の上、本で一杯だったけど」
「そうそう、本を借りてきて自分の部屋に運ぼうと思ったんだけど、
 最初に運んだ何冊かをちょっと読んでみようと思ったら夢中になっちゃって」
「もう、お母さんってばあ」
舞が母のこういうところに呆れるのはいつものことだ。
とにかく母を手伝って本を全部母の部屋に運び込み――そこから後の片づけは
母の問題である――、一息つくようにして舞は買ってあったカステラを
母と一緒に食べる。

「今日は何の本なの?」
「今日はねえ、この前学会で知り合った人の研究所からたくさん埴輪の
 本を借りることができたの」
母はいかにもうれしそうだ。埴輪? と舞が聞き返すと、
「ええ、埴輪」
と踊るような声で答える。
「それってあの、お母さんが大事にしている埴輪に関係したことを調べてるの?」
以前チョッピが壊してしまった埴輪のことだ。母が大事にしていることを
舞はよく知っている。

「そうそう、あの埴輪やっぱり不思議なのよね」
「あの、形が?」
慎重に舞は尋ねた。精霊と姿が似ているのは舞も気になるところだ。
「形も珍しいんだけど、あの埴輪あそこで一つだけぽつんと出てきたのよね」
母はカステラを口に運ぶのも忘れて熱心に舞に話し始める。自然と
舞は相槌を打つだけになる。
「埴輪って、古墳時代の副葬品だってことは舞も知っているでしょう?」
「うん」
「古墳っていうのは土地の豪族などの有力者を弔っている場合が多いの。
 副葬品の埴輪もたくさん並んでいるほど、有力であったことが分かるわ」
「うん」
「一つしか埴輪が出てこないというのはどういうことかしら。
 そもそも、この埴輪が埋められていた古墳がどこだったかも分からないのよね。
 トネリコの森全体が古墳なのかと考えて少し調べてみたこともあったけど、
 そういうわけでもないようだし」
「そうなの」
「とすると、どこか別の場所から持ってきたものがたまたまあそこに埋まっていた
 可能性もあるわね。――そうだとしても、元の場所はどこなのかしら。
 あの埴輪に似た形の埴輪がどこかで出土しているといろいろ手がかりに
 なるんだけど、本を読んでてもなかなか出てこないのよね」
「ふーん……」
やっぱりあの形は大空の樹や精霊と何か関係があるのかなと舞は思ったが、
口には出さなかった。

 * * *

今日は集落で一番の有力者が死んだ。強引な一面もあったが、それでも
村の者たちからは慕われていた。
平時ならば立派に葬式を執り行うべきところ、乾ききった大地に
埋葬しミミンガを模した埴輪を添えるだけで精いっぱいだった。
干ばつに続いて疫病の流行ったこの村にもはや力は残っていない。
涙すらもうほとんど流れない。

草も木も大地から水を吸い上げようと力を注ぐが、失敗に終わっていた。
命の嘆きがその地を満たした。


 * * *

「……」
世界樹はすべての命の源である。フィーリア王女にも生き物たちの嘆きの声は
良く聞こえた。悲しげに眉を寄せ、彼女はひとつため息をつく。

(ひどいものですな)

彼女の心に声が聞こえた。滅びの国にいるゴーヤーン。
彼がこの世界をいずれはかつてのような無の世界にしようと考えていることを
フィーリアはよく知っていた。

(あなたの大好きな命が、ずいぶん簡単になくなっていくものだ)

フィーリアが黙っているとゴーヤーンの声はさらに続く。

(あなたは彼らのために何をしてやるというのです)

何もできません、フィーリアがそう答えるとゴーヤーンは笑った。

(そうでしょうな。あなたは非力だ)
「その通りです」
(こんなことになるくらいなら、最初から何もなかった方が良かったとは
 思いませんか? かつての暗黒の世界の方が。悲しみも何もない)
「いいえ」
フィーリアははっきりと否定した。
(おや)
「そんな風に考えることは、これまで必死で生きていた彼らへの冒涜です」
(しかし彼らはもういない。その一生にも、もう意味はない)
ゴーヤーンもまた言葉を返す。
(冒涜だと、そこまで言うなら彼らを救っておやりなさい。
 あなたにはできないんでしょう?)
「私も世界樹も、彼らを忘れません」
フィーリアは強く言い切った。
(それが何になるのです)
「彼らが懸命に生きていたことを忘れません。彼らの生に意味がなかったなどと
 言わせません」
(強情な方だ)

それを最後にゴーヤーンの言葉は途絶えた。邪魔が入った、フィーリアはそう思いながら
死に行く生き物たちの声に耳を傾け続ける。絶対に忘れないために。

生き物たちの声は大空の樹にも降り積もった。
やがて待ちに待った雨が降る。幸運にも、大空の樹はすべての枝を枯らしてしまう前に
雨を浴びることができた。枝は再び甦った。

ほとんどの生き物が死に絶えたこの地に、やがて再び生き物が移り住む。
彼らの発する喜びや悲しみが大空の樹に集まる。
樹は黙ってそれを受け止める。

やがて、周囲の樹よりも一回り大きくなったこの樹には「大空の樹」という
名前がつけられた。人がこの樹の周りに集まることも増えてきた。


あの干ばつからずっと時間が経ったある日、ある少女がほんの些細な
悩みを抱いて大空の樹にやって来た。淡い初恋が失恋に終わったとか、
ただそれだけのことである。
それでも少女にとっては人生の一大事で、涙を涸らさんばかりに
彼女は泣き続けた。大空の樹は葉で日陰をつくり、彼女の悲しみを
じっと聞いていた。

喜びも、怒りも、哀しみも、楽しみも。
すべての生き物たちの思いをその幹の中に受け止め、大空の樹は
今日もただそこに在る。

-完-

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