「そうだお父さん、お手紙来てたよ」
「お、ありがとう」
ある日のこと。風呂上りのビールを飲んでいる大介にみのりが封筒を手渡した。

「今日来てたのか?」
「うん。新聞に挟まっちゃってたみたい」
「そうか。ありがとう」
大介は封筒をひっくり返して差出人の名前を見る。DMやチラシは良く来るが、
こうした手紙を誰かから貰うのは久しぶりだ。

「え……あいつ、帰ってきたのか?」
飲み干した缶ビールを流しに置いて、大介は封筒を持ったまま自分の寝室に入った。
布団の上にはもうコロネが寝転がって待っていて、大介が部屋に入ると
むっくりと起き上がる。
大介が布団の上にあぐらをかいて座ると、コロネはその膝の上にどっしりと乗ってきた。
大介はそれを意に介さずに封筒の上の方を破り、中に入っている手紙を出した。
懐かしい字が便箋の上に並んでいる。
ゆっくりとその文面を読んでみる。

「あなた、どうしたの?」
沙織がアイロンをかけた衣類を持って部屋に入ってきた。
「橋本が帰ってきた」
「え? 橋本さんが?」
箪笥に衣類をしまうと、沙織が大介の隣に座る。コロネがごろごろと喉を鳴らしたので
大介は片一方の手でコロネを撫でながら沙織に手紙を渡した。

「へえ……」
沙織は柔らかい笑顔を浮かべながらその手紙を読む。
「良かったじゃない。苦労したものね、橋本さん」
「一度開店祝いに行ったほうがいいよなあ」
「そうよねえ。そんなに遠くないし」
「……二人で行ったほうがいいよな?」
「そうね」
「だったら定休日だな」
「そうね……あ、でも今週はもう別の約束を入れちゃったから、来週以降ね」
「電話してみるか」
大介はまた沙織から手紙を受け取り、全文を流し読みする。
「あれ、電話番号かいてないなあいつ……不便だな」
「橋本さんらしいわね」
くすくすと沙織が笑う。
「仕方ないな、手紙出すか。……何か葉書あったっけ?」
「はいはい。日本っぽいものがいいかしらね」
沙織についていこうと大介も立ち上がる。コロネは膝から下ろされたのでそのまま大介の
後を追いかけた。


橋本さん――というのは、大介の修行時代の友人である。ある大きなパンとケーキの店で
技術を仕込まれていた時に、一緒に働いていた。
年が近いこともあって色々相談したり、ライバルみたいにして争うことが多かった。
大介が沙織と結婚してからは三人で飲むこともあり、それで沙織にとっても
友人であり気軽に愚痴をこぼせる相手でもあった。

大介が修行時代の店を辞めてPANPAKAパンを構えた頃、彼も同じように独立して店を構える、
筈だったのだが。
目星をつけていた土地の購入などの点で色々と失敗し、
こうなれば海外進出だ――と半ばやけくそで留学を決めフランスに渡ってから
もう十年以上の時間が過ぎている。

その彼が帰ってきたとなれば会いに行かない理由はない。
大介も沙織も、久しぶりに友人に会うというのは胸が沸き立つような思いだった。

* *

数日後。PANPAKAパンには学校帰りの満がメロンパンを探しに来ていた。
棚の上に残るメロンパン数個の中からこれはと思うものを選び出して
トレイに乗せると
「これ下さい」
「はい、○○円ね。今日はどっちで食べるの?」
「今日のパンは家に持って帰って食べます」
「じゃあ紙袋ね」
いつものように沙織に会計をしてもらって満はPANPAKAパンの袋を受け取る。
「あ、そうそう満ちゃん」
「なんですか?」
「良く定休日も来て次の日の分のお手伝いしてくれるけど、来週はいいわ。
 ちょっと出かけるから」
「え、そうなんですか?」
満は意外に思って聞き返した。大介と沙織が二人揃って家を空けるのは珍しい。
「ええ」
「じゃあ月曜日も――」
月曜日に販売するパンの支度は日曜日の夜に始まる。月曜日もパンを買えないのかと
満は思ったが、
「ううん、月曜日はいつもどおりに営業するわ。お客さんが待ってるものね。
 満ちゃんとか」
そう言われて満は恥ずかしそうに笑ってうつむいた。そんな様子に沙織も微笑を浮かべながら、
「日曜日はおじさんとおばさんの古い友達に会いに行くのよ」
と嬉しそうに話す。
「今度日本に帰ってきて、新しくパン屋さんを始めるんですって」
「そのお店に行くんですか?」
「ええ。まだ開店はしていないけど自宅兼お店にするつもりみたい。うちみたいな
 感じかしらね」
「……」
満はそれを聞いて何か言いたそうな表情を浮かべた。
言いたいことがあるのだが迷っているような。沙織はすぐにそれに気づく。
「どうしたの、満ちゃん」
「……あの。そのお店……」
「ん?」
普段とは違って少し小さな満の声を励ますように沙織はにっこりと笑って次を促す。
「私も、見てみたいです」
「え? そんな面白いものじゃないと思うけど……うちぐらいの小さなお店みたいだし」
「それでも……駄目ですか?」
「駄目ってことはないと思うけど……本当に、決して面白いものじゃないと思うわよ」
「いいんです」
と満は食い下がった。
「他のパン屋さんの厨房も見てみたくて……」
「へえ。満ちゃんすっかりパンづくりに夢中になっちゃったのね」
じゃあ、向こうに聞いてみるわね。企業秘密だから見せられないって言うかもしれないし。
あの人のことだから多分大丈夫だと思うけど――と言ってもらって満は
「ありがとうございます!」
と思わず大声を出してしまっていた。


厨房を見せてもらえるという約束を取り付けて、当日。車に乗って橋本の家に向かったのは
大介、沙織、満の三人である。珍しい組み合わせだ。
夕凪町から目的地まで、来るまで大体30分くらいだった。
「橋本ベーカリー」という看板がまだビニールをかけられたままになっている
その店は、いかにも新装開店を待ってうずうずしているように見えた。

店の裏手に住居部分の玄関があったのでそこに周り、チャイムを押す。
……出ない。また押してしばらく待ってみる。……出ない。

「留守かな。適当な奴だからな、あいつ」
「かもしれないわね……らしいといえば、らしいけど」
「どうするかな」
大介は時計を見た。決めておいた時間にぴったりだ。
――あいつのことだ。どうせ何か歓迎のための買い物とかで遅れてるんだろう……
大介はちらりと満を見た。
「満ちゃん、ちょっと街でも見て回ろうか」
「え」
「あいつが帰ってこないと店にも入れないし、車で待ってるのも退屈だろう?
 近くに商店街みたいなのもあったし……」
「そうね、ちょっと行ってみましょ」
「は……はい」
というわけで、三人は車を置いて商店街の方に歩いていってみた。

この街は夕凪町よりもだいぶ賑やかだが、どこか古い町並みを残している。
商店街にある店も、いかにも最近建ったばかりの店からもう何十年もやっていそうな
店まで幅広かった。

「そういえば、橋本さんなんでこの街を選んだの?」
「中学の時に一年ぐらい住んでて気に入ったんだってさ」
大介と沙織がそんな風に話している少し前を、満はきょろきょろしながら歩いていた。
ソフトクリーム店――書店――雑貨店――そんな風に並んでいる店の前で、
ふと満は足を止めた。雑貨店の、ちょうど外からのぞきこめる場所に
小さなガラスの置物がある。西洋風の家の形をした置き物が色違いで
いくつか並んでいて可愛らしい。

「満ちゃん、あれ気に入ったの?」
沙織が満の様子に気づいて隣から覗き込んだ。
「えっ……ええ」
「だったらおじさん買ってあげようか? 薫ちゃんの分とセットで」
「え……でも」
満は躊躇して大介の顔とガラスの置物を見比べた。
「満ちゃんにはよく手伝ってもらってるし、
 薫ちゃんにはみのりの世話をよく見てもらってるしね。
 一度何かお礼はしたかったんだよ」
な、と大介が沙織を見ると、ええと沙織も頷いてぽんと満の背中を叩く。
「遠慮しなくていいのよ、満ちゃん。いつも手伝ってくれてるんだから、……ね?」
「あの……本当にいいんですか?」
「もちろん」
大介は満の言葉を聞いて安心したように笑った。
「何色がいい? 薫ちゃんのは?」
「私は赤で……薫は青で」
「じゃあ、ちょっと待ってて」
店の前に満と沙織を待たせると大介はすぐに店の中に飛び込み、しばらくして
プレゼント用に包装した紙袋をはいと満に渡した。

「ありがとうございます!」
「どういたしまして」
にっこり笑うと大介はまた腕時計を見た。
「あいつさすがに戻ってるだろうな、そろそろ……行こうか」

店に戻ってみると、橋本もちょうど帰ってきていたところだった。
大介と同い年なのだがひょろっとした体型で少し若く見える。
「よー日向!」
「遅いぞ、お前」
「いや、折角きてくれるんだからと思ってケーキぐらい買って来ようかと思ってさ。
 沙織さんも久しぶり。……で、こちらが?」
橋本は満に目を向ける。
「そうそう、こちらが咲の友達でうちを良く手伝ってくれる満ちゃん」
「初めまして」
ぺこりと頭を下げると、
「初めまして! よし、早速店を見せよう!」
と橋本は走るように家に駆け込んでいく。
「……?」
なんなのあのはしゃぎぶりは。と沙織が大介に目を向けると、
「見せたいんだろ。やっと手に入れた自分の店だもんな」
と大介は答え、満の背中を軽く押して一緒に店の中に入る。


「へえ……」
思わず満は声を漏らした。この店の厨房はPANPAKAパンのそれよりも一回り小さい。
だがオーブンが大小二台も設置してある。
「オーブン二台も!? 良く買えたな」
「どっちも中古だよ。ちょうど閉店する店のオーナーから安く譲ってもらえたんだ」
「とはいっても結構するだろ?」
「まあね。だから売り場の方の棚は俺の手作りだったりするけどな」
大介と橋本の会話を耳に挟みながら、満は厨房を歩き回っていた。
まだ粉の匂いはしない。ここもすぐに柔らかいパンの匂いで一杯になるのだろう。

「あ」
シンクのそばに、先ほど満が買ってもらった家の形の置物が置いてあった。
これは緑色のものだ。大介もそれに気づいた。
「なんだ、お前あんな可愛い物置く趣味あったか?」
「ああ、そうそうそれ。この近くの雑貨屋さんで売ってるんだけど、
 何でも夢がかなうとかそんな縁起物でずいぶん古くから売ってるものらしいから」
――夢がかなう……
その言葉を聞きながら、満は自分が持っている紙袋を抱きしめた。
橋本の解説はそれからもしばらく続いていた。

-完-

 ←押していただけると嬉しいです。




短編SS置き場へ戻る
indexへ戻る