満は咲が好きである。それは確かなことだ。
ただ、いくら好きな相手では会ってもうんざりすることはあるものだ。

「満、お願いっ!」
8月31日の朝。咲に呼び出された満は、3日前と全く同じ格好で
両手を合わせて頼み込んでくる咲の姿に少しあきれていた。

「だからこの前言ったじゃない。ちゃんと確認しておきなさいって」
「うん、確認したつもりになってたんだけど……」
同情を感じさせない満の声に顔を上げた咲の顔は泣きそうだった。
その顔を見ると、仕方ないわねと満も思う。

「この前みたいに教えればいいの?」
「うん、ありがとう満!」
咲の顔が明るさを取り戻す。
「そうと決めたら、早くやるわよ」
「うん!」
二人は日向家に入ると、すぐに咲の部屋へと向かった。


事態はこうである。
3日前に咲と満は勉強会――という名の、咲のやり残した数学の宿題を
満が教えるという会を開いていた。
夏休みの間、咲はソフトボール部キャプテンとして部活に明け暮れていたので
8月末のぎりぎりになるまで宿題が残ってしまうことは
誰にでも予想のできたことで、だから7月に入ったところで咲は満に
「夏休みの終わりになったら宿題教えて」
と頼んでいたのだ。

満ももちろん引き受けていたし、3日前の咲と一緒の勉強はそれなりに楽しかった。
咲が自分で解いてみたけれどわからなかった部分、まだ全然手を付けられていない部分を
一緒に解いた。

ただし。3日前、満は何度か咲に聞いていたのである。
「本当に、これでわからないところは全部? 数学の宿題かなり多かったけど、
 まだやり残しがあるんじゃない?」
「大丈夫だってば!」
咲は本当に自信たっぷりという様子で満に答えていた。
「これで全部だよ、確認したもん」


そして、今朝になって。昨日見ていたら数学のやり残した宿題があったので
教えてほしい――と、言われたわけである。
やっぱりと満が脱力するのも無理はなかった。

「で、これなんだけど!」
咲の部屋に置いた小さなテーブルで二人は向かい合う。
咲が出してきたのは数学の先生が
「今年は数学の授業あんまり進まなかったからこれもな」
と出してきたプリントの束だった。

「え。……これ全部?」
満は咲が出してきたプリントの量を見て思わず固まった。
「う、うん」
咲はまた泣きそうな顔に戻る。

――そういえば、先生が……
満は1学期の終わりのことを思い出す。
”数学の苦手な人には、苦手分野の追加プリントも出すからな”
と先生が言っていたような気がする。
教育熱心な先生であるのは間違いないのだ。生徒の負担がその分増えるだけで。

「咲はこれだけのプリントが出されてるのね。えーっと……」
満はぱらぱらとプリントの束をめくる。
大体は1学期に習ったことの復習で、たまに2年生の時に習った内容も入っている。

「この前一緒に解いたドリルの内容とも重なっているから、大体は解けるんじゃないかしら」
「え、そうなの!?」
咲の驚いたような顔に満も驚いた。
「内容、見てないの?」
「う、うん。プリント見つけただけでもう落ち込んじゃって」
咲が照れ笑いを浮かべる。満はテーブルの周りを回るとプリントを持って
咲の隣に座りこんだ。プリントを5つの束に分けてテーブルの上に置く。
「咲に出されたプリントは大体、5つの内容に分かれてるの。で、これ」
と満は一番高い山になっている束を指さした。

「ここが、咲が一番苦手なところを扱っているからまずこれから始めるわよ」
う、という表情を咲は浮かべる。初めから苦手だと分かっている分野だと
取り掛かりにくいらしい。

「ねえ満、もうちょっとこう、得意そうなところから始めない?」
「だめよ。苦手なところからいかないと。得意なところだったら咲一人でも解けるじゃない」
「う……まあね……」
咲はしぶしぶとプリントの束に手を伸ばした。一問目の問題文に目を通す。……

「だめだ〜、全然分かんない」
「早いわね……」
机に突っ伏した咲を見ながら満もプリントの問題文を見る。

「ねえこれ、この前解いた問題にも似たようなのはあったわよ」
「え、なかったよ?」
「落ち着いて問題を読みなさいよ。複雑そうに書いてあるけど、この問題文が言いたいことって
 要するに……」
満は鉛筆を手に、問題文に書いてあることを簡単に図解して見せた。
咲は横から必死の表情でのぞき込む。

「ね、こうやって考えたら似たような問題あったでしょ」
「……そっか!」
咲の顔がぱっと明るくなった。

「え、えーと、じゃあ解いてみるから待ってて満」
「ええ」
ここまでくると3日前と同じだ。
咲は問題を解く。満はそれを待っていて、咲が途中でつまずいたり分からなくなったりしたら
助け舟を出して、咲ができたと言ったら答え合わせをする。
その繰り返しだ。

「あ、満、私の本読んでていいよ!」
咲は3日前と同じにこう言った。
そうね、と言いながら満は立ち上がると窓の前に立った。
この部屋にある咲の本は3日前になんとなく読んでしまっているので、
今はあまり読書の気分ではない。

窓から見る空はもう深い青色をしていた。
まだまだ暑いけれど、季節は秋に向かっているのだ。
今日スケッチに出かけた舞と薫は、少しずつ色づき始めた葉でも見つけているのかもしれない。

――本当は、パン作りを教えてもらう約束だったのに……
満はついついこんなことを考えてしまう。今日はもともと、咲にパンの焼き方を
教えてもらう予定だったのだ。

――私も咲にいろいろ教えてもらいたかったんだけど。
その本音は、今は言えない。満はわずかに首を回して真後ろにいる咲を盗み見る。
咲は一心不乱に問題を解いていて満のそんな行動にはまったく気が付いていなかった。

――ま、いいか……。
満はそう思った。今度パン作りを教えてもらうときは、咲にたっぷり時間を取ってもらって
いろんなパンの作り方を教えてもらおう。
ちょっと難しいと言われてまだ教えてもらってないパンの作り方も、頼んでみよう。
満は一人でそう決めると、解き方につまって悩み始めたらしい咲の様子をうかがいながら
そろそろ助け舟を出した方がいいかしらと考え始めた。

-完-

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