PANPAKAパンは、夕凪町の外に住む人にもそれなりに名前を知られた店である。
わざわざ夕凪町までPANPAKAパンのパンを求めてやって来る人も、
月に何人かはいる。

その日満と咲が出会ったのも、そんな二人組だった。

「で? ここからどうやって行くの?」
「ちょっと待って。私もここ来るの久しぶりなんだから」
年のころは、二十歳前後といったところの女の子の二人連れ。
道を尋ねている方の一人はふわりとした柔らかそうなワンピースを着て、長い髪をポニーテールに
まとめている。

もう一人、道を聞かれている方はショートカットで短めのジーンズを履き、
Tシャツから見える腕はいかにもなにかのスポーツをしているかのように
筋肉で引き締まっている。彼女の方が背も高い。

部活が終わって帰る咲は満と一緒にぶらぶらと散歩をしながら海岸の方へと
向かっているところだったが、この二人を見てふと足を止める。
駅前で地図を見ている二人の姿はいかにもこの町には不案内といった様子で、
声をかけたくなる何かがあった。


「あの、何か探してるんですか?」
地図に熱中していた女子大生二人組が咲の声に「ん?」と振り返る。
にこにこと笑っている咲の顔、それにいかにも地元の中学生ですといった格好を見て
二人ともほっとしたような表情を浮かべる。ポニーテールの方の女性が、
「この近くに住んでる子?」
と咲に尋ねた。

「はい、そうなんです」
「じゃあ、このパン屋さんってどこにあるか分かる?」
と口を開いたのはもう一人の方の女性。スポーツウオッチをはめた左腕を伸ばして、
地図を咲に見せる。
咲の一歩後ろで聞いていた満は、「パン屋さん」というフレーズでもう地図を見なくても
PANPAKAパンのことを尋ねられているのだと確信していた。
夕凪町のパン屋さんはPANPAKAパン以外にもいくつかあるが、
余所の町からわざわざ訪ねてくるのはPANPAKAパンくらいしかない。

「あ、ここ、うちのお店なんです」
案の定、咲がそう答えるのを聞いて満は咲の背後でくすりと笑う。
「あ、そうなんだ! じゃあちょっと、道教えてもらってもいい?」
ここぞとばかりの女子大生のお願いを咲は大きく頷いて、
「ええ、一緒に行きます!」
と答える。

PANPAKAパンへの道すがら、咲と満は女子大生二人からおおよその話を聞いた。
「美里が絶対おいしいケーキ買いたいっていうもんだから。
 それも、普段食べてるようなお店のじゃないのがいいって面倒なことを」
ショートカットの方の大学生が連れを軽く指しながら言う。
「そう、そうしたら藍がここのお店のこと教えてくれて」
美里と呼ばれた方は藍の軽い嫌味を全く気にしていない様子で会話を続ける。
「うちのお店のこと、どうして知ってたんですか?」
リサーチ、というわけでもないが咲が藍に尋ねると、

「ああ、私小学生の頃この近くに住んでたから。たまに親と一緒に買いに来たんだよね」
「そうだったんですか」
「ねえ、藍ちゃん、それって一人でくるのは初めてってこと? 一人で、って言うか、
 道を知ってる人と一緒に来ないのは」
「そうだよ」
咲との会話を聞いていた美里が割り込み、藍の返事を聞いて「え?」と再度聞き直した。
「それであんなに自信満々に案内するって言ってたの?」
「駅まで来れれば何とかなるって、この辺りだと有名な店だもん。
 現に何とかなってるでしょ?」
「これ偶然じゃないかな。……」
美里が半分呆れたような口調でそう言っているのを聞いて満は、
「偶然じゃないですよ」
と口を挟んだ。
「君もそう思う?」
四人は咲を先頭にして藍と美里の二人、満が最後尾を歩くという形になっていたので、
藍は身体を捻って満の方を向く。

「ええ。大抵の人は教えてくれますから」
「ほら〜」
藍は勝ち誇った表情で美里を見る。
「だからどうにかなるんだって」
「藍ちゃんっていい加減よね、結構」

そんな会話をしながら歩いていると、PANPAKAパンが見えてくる。
「あっ、そうそう! このお店!」
店構えを見て藍が昔のことを思い出したらしい。早足になると――美里は慌てて
追いかける――店の中に入っていく。

「お〜!」
美里は店内に入ると、ケーキのケースへと直行した。パンを見てもらえなかったので満は
少しがっかりしたが、気を取り直して店の隅の方から二人の様子を窺ってみる。
咲もなんとなく満のそばでうろうろとしていた。連れて来たお客さんが店のことをどう思うか、
少し気にかかるのだ。

「いらっしゃいませ」
レジの後ろにいた咲のお母さんがにこにこしながら二人を迎える。
女の子の二人連れがケーキのケースに夢中なのは、良く見る光景だ。

「あの、このお店ってたしか店内で食べることもできましたよね?」
藍がケーキから顔を上げて尋ねると、
「ええ。あちらで」
と咲のお母さんが指し示したテラスにはテーブルとイスが並んでいる。
自分の記憶がかなり正確だったことに藍は内心小躍りしながら、
「幾つか食べてみて、それで考えようよ」
と美里に提案する。
「そうね、その方が安心できるし」
と美里もいい、二人は合わせて6つのケーキを買って飲み物と一緒に
テーブルの方へと運んで行った。

ケーキは、どうも二人のおめがねにかなったらしい。
ぱくぱくと6つのケーキを平らげて戻ってきた二人は、咲のお母さんに今日の本題を切り出した。

「ホールケーキの予約ってできますか?」
美里がいかにも上機嫌な表情で尋ねる。美味しいものを食べてお腹いっぱいになれば
大抵の人は幸せになるものだが、今の彼女の場合、どこか安心した表情にも見えた。
「ええもちろん。お誕生日か何かですか?」
「いえ、えーと、その」
たどたどしく美里が説明するのをまとめると、こういうことである。
二人がアルバイトしている会社の部署で、大きな仕事を一つ無事に終わらせたので
ケーキぐらい買ってお祝いをしたいのだそうだ。
部署のメンバーの時間を合わせるのが難しいので、お昼休みぐらいに
ケーキを皆で食べるのがちょうど良いらしい。

「バイトの私たち位しかいないんです、こんな馬鹿なこと考えるの。
 みんな忙しいから」
美里は自嘲気味に笑ってから、
「でもせっかくだから、何かしたいなって」
咲のお母さんはうんうんとその話を聞いていた。お祝いで食べるケーキなら、
そのお祝いの理由を聞いておいた方が、状況にあったケーキを薦められる。

「そういうことなら、すこし甘さ控えめのこちらのケーキがいいかもしれないですよ」
と咲のお母さんはケースの中のガトーショコラを指した。
「会社には男性の方が多いんですか?」
「そうなんです、」
美里はさらに、40代以上の人が多くて、20代の人は今回仕事を成功させた田中さんしかいない、
なんて話をした。
「それでしたら、猶更こちらがいいと思いますよ。大人の方に好評なんです。
 子供にはあまり人気がないんですけどね」
「これにしようか?」
どう思う? と美里は藍に満面の笑みで振り返る。
「やろうって言ったのは美里なんだから美里が決めなよ。私は、ここのお店のなら
 どれでも美味しいと思うし」
「じゃあ、」
と美里は改めてケーキを見つめ、
「このガトーショコラにしてください。えーっと、大きさは……」
大体何人くらいで食べると思います。それならこの大きさがいいですよ。と、
いろんなことが次々に決まっていく。

「プレートもつけられますよ」
「お誕生日おめでとうって書くような、あれですか?」
「そうですね、文面は『おめでとうございます』もしくは英語で『Congratulations』などが
 いいと思いますが」
「じゃあ、Congratulationsで。名前は……入れない方がいいですよね」
「入れることもできますが」
「藍ちゃんどう思う?」
「田中さんの名前入れるってこと? 確かに田中さんが中心だったけど、
 みんなでやった仕事だから一人だけはやめておいたほうがいいんじゃない」
「やっぱりそうだよね」
と話は決まり、予約した日の何時ごろ大体取りに来るか告げて
二人の女子大生は店を出て帰っていった。
咲と満は店の片隅でそんな会話を聞いていたが、二人が満足して帰っていったようなので安心した。

 * * *

数日後、予約したとおりの時間に美里と藍が二人でケーキを取りに来て
すべては無事に終わった。はずだったのだが。

更に数日後、異変が起きた。

「すみません……」
もうそろそろ店じまいを考えようかという時間になって来た頃、美里が一人
店の中に入ってきた。
「いらっしゃいませ……?」
咲のお母さんの口調がどこか不審そうなものになったのは、美里の様子が
明らかにおかしいからだった。ポニーテールもいつもと同じだったし、
ワンピースもいつものような軽やかなものだったが、目は泣いてきたばかりかのように
充血している。
「あの、まだお店開いてますか!?」
切羽詰まった口調でそう尋ねる。
「ええ、まだ一時間くらいは開いていますよ」
「そ、そしたらここに残ってるケーキ全部ください!」
残っているケーキは10個程度。
「……お持ち帰りですよね?」
咲のお母さんが確かめるように尋ねると、
「ここで食べていきます!」
泣きそうな顔で美里は即答した。


がっつく、という言葉が表現としては最も適切だろうか。
テラスのテーブルで涙をぼろぼろ流しながらケーキをほおばっている美里の姿は、
傍から見ていて明らかに異様だった。
誰も他にお客さんがいないからいいようなものの、いたとしたら
ちらちらと見られて、目が合いそうになって慌てて視線を逸らされてしまったかもしれない――
いや、彼女を見ている人が二人いた。

「あの人……、美里さんだっけ。……」
彼女の様子から目が離せないでいるのは、満と咲。
一緒にPANPAKAパンに帰ってきたら庭先で泣きながらケーキを食べている人がいたものだから、
思わず木の陰に隠れて彼女の様子を見てしまった。
「何かあったんだろうね……」
咲がつぶやく。彼女の様子は誰が見ても「何かあった」と思わせるものだった。
何か、が何までは分からないにしても。
「でも、あんな食べ方したらケーキがもったいないわ」
満はそんなところが気にかかっていた。彼女がケーキを食べている姿は
先日と違って、ちっともおいしくなさそうだったのだ。
「ちょっと……」
何か言ってくる。と満は木陰から出ようとしたが、後ろに気配を感じて振り返った。
「あなたは」
入って来たのは藍。ケーキを食べている美里の姿を見てぎょっとした表情を浮かべた後、
すっと咲と満の隠れている木陰に入ってくる。

「ごめん、美里いつからああしてる?」
「いつからかは私たちも分からないんですけど……さっき帰ってきたときはもう
 あんな感じでした」
咲が答えると、「そっか」と藍はため息をついた。
「美里さん何かあったんですか?」
「うん、まあ、ちょっとね。……悪いんだけど、あの子あのまま食べさせておいて
 くれる? あんなんじゃ営業妨害になっちゃうかもしれないけど」
咲と満は顔を見合わせた。
「あのままでいいんですか?」
満が尋ねる。
「うん。……私が今出て行かない方がいいと思うし。暴れたりすることはないと思うから、
 お願いしたいんだけど」
「かまいません」
咲は答えてから、でも、ともう一度付け足した。
「本当にいいんですか? 会わなくて」
「うん。私のこと見ない方がいいと思うんだよね。友達だから」
藍の言葉に満は内心首を捻る。じゃあ、私が来てたことは言わないで、と言い残して
藍はまた店を出て行った。

美里もしばらくしてケーキを食べ終えてからまた帰っていったが、
満には藍の言葉がずっと引っかかっていた。
「ねえ、咲」
咲の部屋に上がらせてもらって、最初は宿題を教えていたが改めてその話題を切り出す。
「さっきあの人が言ってた、『友達だから』ってどういう意味?」
「え?」
方程式で頭がいっぱいになっていた咲はきょとんとした表情で聞き返す。
「見ない方がいいと思う、友達だからって言ってたわよね。友達なのに、じゃないの?」
「ああ……」
咲は先ほどの状況を思い出してから、
「なんでだろう」
と少し間の抜けた声で言った。
「咲や舞なら、きっとすぐに駆け寄ると思うの」
「うーん」
咲は少し考える。
「美里さんがどうしてああなったのかもよく分からないし、何か事情があるんじゃないかな。
 それで、藍さんは会わない方がいいって思ったんじゃない?」
「そういうもの?」
「うん、分かんないけどね」
満はまた、首を捻った。

 * * *

それからまた、数日後。今度は藍が一人でPANPAKAパンにやってきた。
藍は美里のように取り乱した様子もなく、普通の様子で。
咲のお母さんは特に何を言うこともなかったが、藍の姿を見て少し安心していた。

「えーっと」
ケーキのケースの前に立ち、藍はジーンズのポケットの中から
メモ帳を取り出す。
「これとこれとこれ」
と藍は3つほどケーキを指さし、
「もらえますか? 今日は持ち帰りなんです」
「はい、分かりました」
咲のお母さんは言われたとおりのケーキを箱に詰めて藍に渡し、
会計を済ませる。
それから声を潜めて、

「お友達は大丈夫ですか?」
と尋ねた。
「ああ、美里は……」
藍は苦笑した。
「もうだいぶ落ち着きました。今日も、美里に頼まれてお使いなんです。
 あんな顔見られたんじゃ恥ずかしくって行けないからって」
「あら、そうだったの」
咲のお母さんは微笑む。そんな風に言えるくらいなら、確かにだいぶ落ち着いたのだろう。

本気で好きになる前に相手が妻子持ちかどうかくらい確認しておけっての、
と呟いて藍は店を出て行った。



翌日、咲は海岸を歩きながら昨日お母さんから聞いた話を満にしていた。
海から吹いてくる風が心地いい。
「それでね、昨日藍さんお母さんに、
 『あんな顔見られたんじゃ恥ずかしくって行けないからって』って言ってたんだって」
「ふうん……」
「何かさあ、分かんないけど。藍さんに泣き顔見られたら、美里さん藍さんにも
 恥ずかしくて会えなくなっちゃうんじゃないかなあ」
「そういうもの?」
「そういうことも、あると思うよ。だから藍さん、美里さんに会わずに帰ったんじゃないかなって」
「友達だから?」
うん、と咲は頷く。ふうん、と満は呟いた。
「咲が泣いてたら放っておいた方がいいの?」
「そ、それは状況によるよ! 声かけた方が良さそうだったら声かけてよ!」
「判断難しいし」
「そこはなんとか考えてよ!」
慌てている咲を見て、満は悪戯っぽくくすくすと笑った。


-完-

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