海原市、駅前。夕凪町近くにあるこの乗り換え駅近くの繁華街で、
咲は喫茶店で時間を潰しながら満の到着を待っていた。
土曜日の夕方、咲の仕事はない日だが満はまだ仕事が終わってないらしく
中々やってこない。

咲たちが中学を卒業して八年になる。
大学を出た咲たちはそれぞれの仕事に就いて働き始め夏を迎えたばかりなので、
今はいろいろと忙しい時期である。

アイスレモンティーをストローで少しだけ吸い上げて飲んでから、
はあ、と咲は知らず知らずにため息をついた。
咲の横の席に置いてある大きなスポーツバッグには今の勤務先のロゴが大きくついている。

「珍しいわね、ため息なんて」
くすくすとした笑い声と共に声が上から降ってきた。
「満!」
待ち人来る。満は咲の向かいの席に座ると、店員さんに飲み物をさっさと注文して
咲の顔を見た。

大学を卒業する前後で一番生活が変わらなかったのは満かもしれない。
在学時からずっとPANPAKAパンの手伝いをしていたが――その分大学での単位取得は
最低限、出席もおそらく最小限という形になった――卒業と共に正式にPANPAKAパンに就職している。

現在はPANPAKAパンでの勤務と共に、週に一度、この駅近くにある商業スペースで
PANPAKAパンの出張店舗に出ている。
もちろん、そのスペースでパンを焼くわけではなく店で焼いたものを持って行って売るのだ。
だから、その場で満がしているのは主に営業努力である。

商業スペースのオーナーの意向で毎日一つずつ店を変える形で七種類の店舗が回っているのだが、
売り上げの良くない店はさっさと契約を切られて次の店に代えられてしまうという話なので
どの店の担当者も必死で取り組んでいる。

土曜日以外はPANPAKAパンでパンを焼き、販売をしている。最近はケーキ作りにも手を
伸ばしているものの、まだ商品とするには早い――という咲の父の判断で
売り物にはなっていない。

「ね、満」
咲は満を見てぐっと身を乗り出すと、
「満が売ってるパン、結構売れてるんじゃない? さっきからこの店の前通るお客さん
 見てるけど、PANPAKAパンの袋持ってる人何人かいるよ」
「それはそうよ」
自信ありげに満は笑った。
「PANPAKAパンのパンだもの」
「満がなんか、すごい接客とかしてるんじゃないの?」
冗談めかしてそう言うと、
「何よそれ」
と満が答える。
「ほら、美人店長目当てでお客さん殺到! とかさ」
「そんなわけないでしょ。駅の近くの店って、駆け足で買っていく人が多いから
 私の顔なんて大抵ほとんど見てないし」
「え?」
咲は意外そうな顔をした。
「そういうもの?」
「そうよ。商品の種類も少ないし、じっくり選ぶっていう感じでもないしね。
 本当はPANPAKAパンの本店の方に来てほしいけど……」
なかなか、そううまくはね。と満は苦笑した。
満の意見で、出張店舗でパンを入れる紙袋には夕凪町の店の地図を印刷しているのだが、
それを見て本店の方を訪れる人はまだまだ稀らしい。

「コーヒーです」
注文したものが届いたので満は一口飲むと、
「それで、咲。明日のことだけど」
とバックの中からメモを取り出した。
「うん!」
咲もスポーツバッグの中から小さなノートを取り出す。
ノートを開くと、中から葉書が一枚はらりと落ちた。
「あ、それ咲の所にも届いたのね」
「満たちのところにも行った?」
「ええ。きれいな川の絵」
「へえ、私に来たのは花の絵だよ」
咲が葉書の裏面を満に見せる。そこに描いてあるのは舞が描いた睡蓮の絵だ。

「色々なところを見て回っています。もう少ししたら帰るね」
と舞の字でコメントが添えられている。

「舞、いろんなスケッチしてるんだろうなあ」
葉書を見ながら咲の顔が自然とほころぶ。
舞は現在、私立高校の美術の教師として勤務しながら絵を描いている。

今は夏休み期間を利用して一週間の旅行に出ているのだが、
これは半分は仕事のようなものだ。といっても、高校関係の仕事ではない。
大学時代に美術サークルのメンバーと一緒にスペースを借りて絵を展示したことが
あったのだが、それが縁になって地方の小さな新聞でこの秋から始まる連載小説に
挿絵をつける仕事を頼まれている。
小説を書く作家が舞の絵を見て気に入ったから、というのがその理由らしい。
サークル主催者だった竹内彩乃を通じて連絡が入って来たので、――彼女も「美翔さん、
絶対受けた方がいいよ」とひどく乗り気だった――その依頼を引き受けた。

小説は瀬戸内海近くの小さな町を舞台にヒロインが成長していく話らしいのだが、
具体的な土地の様子を描かなくても作品の雰囲気にあった絵を描いてくれればいいという
話だった。
だが、小説家が書いた最初の何話かを読んでいるうちに舞の思い描く
挿絵のイメージは町の様子を抜きにしてはいけないような気がしてきた。
ということで、舞は夏休みの時期を利用して一週間ほど小説の舞台になった町に
旅行しているのである。
旅先ではとにかくスケッチに専念しているはずだ。

「舞、のびのび絵を描いているみたいね」
「ね。すごく楽しそうに描いた絵なんだろうなあって気がするよね」
咲は満とそんなことを言いながら、
「そう言えばさ、薫も舞と一緒に行ければ良かったのにね」
と呟いた。
「そうね――、本人も舞も一緒に行きたかったみたいだけど。
 保育園って夏休みも子供預かってるから。薫、まだ入って一年目だし、
 あまり長い休みも取れないみたいだし」
「そっか。保育園は夏休みないもんね。ねえ、薫どんな感じなの? 保育園で」
薫は大学卒業後保育園に勤めているのである。

「それがね、意外と今は馴染んでるみたい。
 周りとうまくやれないんじゃないかって思ってたんだけど」
「あ、良かったね!」
満面の笑みを浮かべる咲を見て満は「う〜ん?」と答えた。
「良かったんだけど、なんか不思議な気がして」
「不思議って?」
咲がきょとんとした表情を浮かべると、
「ん〜」
と満は視線を巡らせた。
「私たちって、小さい頃がないじゃない? 薫が保育園で見ているような子供たちが
 何を考えているか、どんなことを思っているかとかそんな経験がないわけだし。
 それでも薫が保育園でやっていけてるみたいなのがなんだか不思議で」
「なあんだ」
そんなこと――とでも言うように咲は笑った。
「薫ならそれは大丈夫だと思うよ。自分の経験がなくても、子供のことは良く見てるだろうし。
 子供とは別の位置から、子供に寄り添えるんじゃないかなあ。たぶん」
「そうかしらね」
「うんうん、薫ならきっと」
咲はそう請け合ってから、
「それでさ、明日のことだけど――」
と話を戻した。

明日には舞が帰ってくるので、その時にPANPAKAパン二階に集まってちょっとした
パーティーでもやろうということになり、その打ち合わせのために咲と満は待ち合わせを
したのである。
咲は勤めるようになってから会社の近くで一人暮らしをしているので、
夕凪町の実家に帰るのは実は久しぶりだ。


ケーキは何を作る。料理は何を準備する。そのための材料の購入は。
そんなことを話し合い、大体決まると
「ところで、咲?」
と満が突然話を変えた。
「ん、何?」
「さっきため息ついてたけど、何かあったの?」
見逃さないわよと言うように満は悪戯っぽく笑う。

「あ。……あれね。いやちょっと、仕事のことでね」
咲は卒業後、中堅のスポーツ用品ショップに勤めている。各メーカーから発売されている
用具の小売りが主な事業だが、修理部門もあり咲としてはその部門での勤務を希望していた。
だが配属されたのは営業部門であり、最近は体当たりで外回りをしていた。

「何か大変なの?」
えへへ、と咲は笑った。
「やっぱりね、いきなり飛び込みでいっても中々」
「ふうん。……」
満はコーヒーを一口飲んで頷いた。小売業と言う意味では、咲と満は大別すれば同じような仕事を
しているのかもしれないが、お客さんが来るのを待っている満とお客さんのところに
売りに行っている咲ではやはりだいぶ違うだろう。

「聞いてもいい? 営業ってどういうところに行くの?」
「今はいろんな学校を巡ってるんだ。ほら、部活とか体育の授業で使う最低限の道具って
 学校に準備してあるでしょ? ぜひうちの商品の購入を検討してくださいって言ってるんだけど」
「ああ、なるほどね。そういうところが大口の顧客なんだ」
「そうそう、でも、そんなすぐに新商品に切り替えられるものじゃないし、
 使ってる道具を見せてもらうと私自身『手入れしていけばまだまだ使えるよね』とか
 思っちゃうんだよね」
「ああ……」
それはそうか、と満は思う。

満のように食べ物を売っている場合には、購入したものも食べてしまえばなくなるので
新商品もおすすめしやすい。しかし買ったものが長い期間使える場合、それを捨てて新しいものに、
とは咲の性格では中々言いにくいだろう。

「ん、でもね満。舞のパーティーでリフレッシュしたらまた来週から頑張れそうな気がするんだ!」
咲はわざとらしいほど大きな声でそう言った。

 * * *

夕方、舞は夕凪町に戻ってきた。パーティーの企画を聞いたときには遠慮していた舞だったが、
薫とみのりが迎えに行くとすぐに出てきた。

「お帰りなさい、舞お姉ちゃん」
そう言うみのりを見て、舞はくすりと笑う。
「みのりちゃんもお帰りなさいでしょ? 部活の合宿から」
えへへ、と笑うみのりはよく日焼けして、ソフトボールに打ち込んでいることを
思わせた。

「咲と満さんは?」
「二人はケーキと料理の担当よ」
靴を履いて外に出てきた舞と三人並んで歩きながら、薫がそう答える。
「私と薫お姉さんも料理とかケーキのアイディアは出したんだよね!」
みのりがそう主張するのを聞いて薫は「そうね」と言いながら、

「最終的には作る二人が決めたからどういう料理やケーキになっているかまだ分からないんだけど」
と答えた。

 * * *

「かんぱーい!」
料理やケーキはほとんど、みのりや薫が言ったことを生かす形になっていた。
「舞、これも食べてよ!」
「ええ、ありがとう!」
企画主である咲がゲストの舞に料理を勧める形になるが、それもごく当然のように
満や薫、みのりの目には映っていた。

「それでさ、今度のスケッチ旅行ってどうだったの?」
「ええ、すごくいい町だったわ。夕凪町とはまた違うんだけど、静かで歴史があって。
 小説の主人公の女の子がそこにいそうな気もしたの」
「へえ、そうなんだ」
咲は舞の話を聞くのが楽しくて仕方がないといった様子で聞いていた。

「ねえ舞」
薫が口を開いた。
「その連載小説って、私たちは読めるの? 新聞はここでは取れないのよね?」
ええ、と舞は頷く。
「あくまでも地方紙だから――こちらでは購読できないみたい」
「だったら単行本になるまで待てばいいの?」
満がそう尋ねると、
「ひと月分くらいをまとめて新聞を私の所に送ってくれるみたい。だから、その時
 みんなにも回すね」
と舞が答える。

「楽しみだなあ。舞の挿絵」
咲がうきうきとした表情でそういうと、
「もう、咲ったら」
と舞は照れたように頬を染め、
「咲の仕事はうまくいってるの?」
と質問を返す。

「あ、ええと……ね」
咲が言葉を濁したので舞はすぐにぴんときたようで、
「どうしたの?」
と心配そうな声を出す。
「あ、うん、そのね。学校回ってうちの売ってるスポーツ用品置いてもらえませんかって
 言ってるんだけど中々うまくいかなくて」
でも大丈夫大丈夫――と咲は続けたが、舞は眉をわずかにひそめていた。

「咲、せっかくだから舞に相談したら? 舞は学校の先生でもあるんだし」
薫がそう呟くと、
「そうね。舞、備品の購入ってどうやって決めるの?」
と満も同調した。

「い、いや、舞そんな帰って来たばっかりなのに私のこと考えなくても――」
咲は遠慮したが舞はそんな言葉を聞かずに「そうね……」と考え始める。

「私はまだどの備品を購入するか決定権がある立場ではないけれど。
 音楽の先生なんかは、いい音がするもので長くもつ楽器を購入するって言ってたわ」
「長くもつものか……」
そりゃそうだよね、と咲は思う。買う側としては当然の選択だ。
その分新商品を購入してもらえる機会は減ってしまうが。

「あと、ちょっと調子が悪い時にすぐ相談できるような業者さんの方が安心できるって
 言ってたような気がするけど」
「それは修理とか、そういうこと?」
満が尋ねると、ええ、と舞は答えた。
「予算も潤沢にあるわけじゃないし。修理できるものは修理してくれる業者さんの方が
 安心できるみたい」
「そっか……」
それもそうだよね、と咲は思う。またしても新商品の購入は減るが。

「あ」
と咲は思った。気が付いたことがあった。
――だったら、修理部門の人と一緒に営業に回ったらもうちょっと話聞いてもらえるんじゃないかな……

まだ新人の咲が、そんなことを言って上司に聞いてもらえるかどうかは分からない。
だが、話してみる価値はあると思った。

「咲、舞の話聞いたら何かいいこと思いついたんでしょ」
満が咲の表情の変化に気づいてからかう。
「ちょっとね」
咲がそう答えて笑うと、
「本当? 良かった」
と舞もほっとした表情を浮かべた。
「そろそろケーキを切ってもいいんじゃない?」
薫が咲に促すと、
「うん、じゃあ私切るね!」
と咲はケーキ用ナイフを持って「おかえり 舞」と書いてあるプレートの乗った
ケーキにナイフを入れた。


-完-

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