「満! 今日は庭の方で食べようよ!」
夏休みのある日のこと。咲と満は市民プールでひと泳ぎしてきてからPANPAKAパンに戻ってきていた。
舞と薫は美術部の課題の絵を仕上げるため家で作業をすると言っていたので、
この日は咲と満の二人だけだ。

PANPAKAパンにはテラスでパンを食べることのできるスペースが準備されているが、
お客さんがいる時はもちろんお客さん優先なので実は咲が庭でパンを食べることのできる機会は少ない。

「……いいの?」
と店内でパンを選んでいた満が聞き返す。
「お母さん、今日誰もお客さんいないしいいよね?」
咲がテラスから大声で店内の母に確認を取ると、
「お客さんがいらしたらすぐに部屋に行くのよ」
と母の返事が返ってきた。
「ありがとう!」
咲は顔に満面の笑みを浮かべると、小さいテーブルの一つを自分と満の席ということにして2つの椅子を
両側に並べる。
パラソルのおかげで陰ができている。
じっとしていても汗がにじみ出てくるくらいの暑さだったが、パラソルの下に入るとだいぶ楽だ。

どこかの樹について先ほどから大音量で鳴いている蝉は、ずっと力を休めることなく鳴き続けていた。
道路の方から聞こえてくる蝉も、まるで対抗心を燃やしているかのように声を止めることがない。
蝉たちの声はその場のバックコーラスのように大気を揺らしていた。

「こっちこっち、満!」
店から出てきた満を咲が手招きする。満はトレイの上にパンを載せてゆっくりとテーブルの方へと
歩いていく。
じっ、と声を上げて蝉が突然鳴くのを止めた。止まっていた木から蝉がぱっと飛び立つ。
蝉の常として、飛ぶときに体から水分を放出していくものだ。それがどこにかかるのかなどとは
気にも留めずに。――この場合、それは満の持っていたトレイの上のパンに掛かった。

「あっ!?」「あーっ!?」
満と咲が同時に叫ぶ。
満は思わずトレイをテーブルの上に投げるように置くと蝉を追おうとしたが、
もう飛び去った後だった。
思わず満は空へと跳びあがりかけるが、
「ストップー! 満!」
咲に後ろからタックルするように抱きついて満を止める。
振り返った満は怒りに満ちた目つきをしていた。それは咲に向けられたものではなく、
蝉に向けられていた。

「ま、まあまあ満」
落ち着いて、というように咲は満の身体を抱いたまま宥めた。
「蝉はしょうがないよ。新しいパン、お母さんに言ってもらって来よう」
はあ、と満は咲の腕の中で大きなため息をつく。

「並んでいる中から一番おいしそうなのを選んだのに」
と満はまた蝉の飛んで行った方角を睨む。
「う、……うん。満がそういう風にこだわり持ってるのは知ってるけど、で、でも、相手は蝉だし。
 どこ行ったか分からなくなっちゃったし」
咲はそう満を宥めて、
「お母さん、満のパン食べられなくなっちゃったから新しいの貰ってもいい?」
と満と二人して店の中に戻っていった。


そんなこともあった夏休みが終わり、新学期を迎える。
まだ夏の暑さが空気の中に残っているような気がするが、空の色は深くなっている。
落ち葉がだいぶ多くなってきていたので、部活のないこの日曜日に咲はPANPAKAパンの
庭の掃除をしていた。

「咲〜」
満と薫と舞は三人で連れだってやってきた。取り立てて約束をしていたわけではないのだが、
休みの日には大抵PANPAKAパンで合流することになっていた。
「お手伝い?」
庭の中に入ってきた舞が咲の姿を見てにっこりと笑う。

「うん、結構落ち葉溜まっちゃったからね」
本当は夏休みの終わりにでも一度やっておけば良かったんだけど、と咲は少し
恥ずかしそうに笑う。

「咲」
咲と溜まった落ち葉を見比べていた満が、しゃがみ込んで落ち葉の山の中から
何かを拾い上げる。
「これ」
満が手に持っているものは蝉の死骸だった。あの時の蝉かどうかは分からなかったが。

「ああ……死んじゃったんだね」
咲は満からその死骸を受け取ると、近くに生えている樹の根元にそれを置いた。
落ち葉と一緒にゴミにしてしまうのは少し躊躇われた。
「もう夏も終わりだものね」
舞がそう言って空を見上げる。
夏の間あれほど鳴き交わしていた蝉の声も、今となってはほとんど聞こえてこない。
薫はひまわりパークのひまわりが花の季節を終えてすっかりうなだれていたことを
思い出した。
見た目には可哀想になってくるのだが、しばらくそのままにしておいて種がしっかりと実るのを
待つそうである。


「なんだか、抜け殻とはずいぶん形が違うのね」
咲が置いた死骸を見て満がいまさらのように呟く。満はこの夏の初めに蝉の抜け殻を
見つけて、咲にその正体を教えてもらっていたのである。
抜け殻を見た時は随分奇妙な生き物だと思えたものだが、成虫の蝉の姿は飛んでいるのを
何度か見かけたので今見ている死骸はそれほど奇妙とは感じない。

「ね。空も飛べるようになるし……」
そう答えて箒を持ち直すと、まだ幾枚か散らばっている落ち葉を咲は集め始める。
落ち葉をちりとりに集めて袋に入れてしまえばおしまいだ。


「全てのものは必ず滅ぶ」
ぼそり、と薫が呟く。「え?」と舞は真面目な顔をして薫に目を向けた。
「薫さん、今なんて?」
「少し思い出しただけ」
薫は舞の言葉を打ち消すかのようにそう答える。

全てのものは必ず滅ぶ。ダークフォールの者たちは、皆そう信じていた。
実際それは、真実であるかもしれない。全てのものは、いずれは必ず滅びる。
ただ、ダークフォールがしようとしたように今直ちにすべてのものを滅ぼす必要はない――、

それにしても。と薫は思った。
何だか不思議だ。
「全てのものは必ず滅ぶ」というのはダークフォールにいた頃からずっと知っていたことなのに、
今こうして緑の郷に暮らしてからその言葉の意味が以前よりもはっきりと分かってきたような気がする。

全てのものは必ず滅ぶ。しかし、滅ぶものについて碌に興味がなければ「必ず滅ぶ」ということに
特に意味を見出すこともない。
ゴーヤーンは無の世界を知っていた。すべてのものが産まれる前の世界を知って、
その世界を取り戻すことを望んでいた。
しかし、他のダークフォールの面々は違う。
何もなかった世界を知っているわけではない――彼ら自身、緑の郷の何かと滅びの力を
合わせて生み出された存在なのだから。

満と薫を含め、ダークフォールの幹部たちは無の世界に執着するでもなく、
今あるものが滅ぶということを深く感じることもなく、ただ全てのものを滅ぼそうとしていた。
どこか、おかしな話だと今の薫は思っている。


「ねえ、薫さん」
薫の様子が少しいつもと違うことに感づいたらしく、舞がそっと薫の肩に
手を置いて話しかける。
「蝉はどうしてあんなに鳴くか知ってる?」
「いえ?」
薫は舞の目を見返した。
「仲間を呼ぶためなの。それで、子供を作るの。この辺りの樹のの中には蝉の卵が一杯あるはずよ」
「樹の中?」
薫が不思議そうな顔をした。
「う、うん。多分、蝉は樹の中に卵を産むってお兄ちゃんが言ってたと思うの」
舞は少し自信のなさそうな表情だったが気を取り直して、

「だから、滅んでしまったわけではないわ。また次の命が産まれてくるから」
と続ける。
「ひまわりが種をつけているみたいに?」
「ええ、そう」
舞は薫に向かって微笑んでみせる。

咲は黙って二人の話を聞いていたが、
「そうだ!」
と突然大声を上げた。
一同が驚いて一斉に咲の方に目を向ける。
「折角こんなに落ち葉あるんだから、焼き芋焼こう、焼き芋!」
「焼き芋?」
思わぬ方向に話が進んだので満が目をぱちくりさせる。
「ほら、焼き芋って秋の味覚だし! きっと夏の間さつまいもが頑張って
 栄養を貯めた子供みたいなものだよ!」
と咲は強引に話を関連づけると、
「ほら、だからお芋買いに行こう!」
と三人を押し出すようにしてスーパーの方へと向かおうとする。
「もう、咲ったら」
と舞が困ったように笑っていたが、それで咲が止まることはない。
少し物寂しくなった雰囲気を変えたいと咲は思っていた。
それには美味しいものを食べるのが一番だ。秋は、食欲の秋でもあるのだし。

「ちょっと待って、咲」
PANPAKAパンの敷地を出たところで薫がいきなり立ち止まる。
「どうしたの? 薫」
「みのりちゃんは今日はいないの? せっかくだから、みのりちゃんとも
 一緒に食べたいわ」
「あ、うん。部屋にいたから呼んでくるね」
咲はそう言い残して一度家に戻るとみのりを連れてくる。

みのりは
「もっと早く呼んでくれたら良かったのに」
と咲に文句を言いながら家から出てきたが、薫の顔を見て、
「薫お姉さん! 早くお芋買いに行こう!」
とその手を掴む。
仕方ないわね、という顔で満はふっと笑った。
スーパーに向かって歩いていく一行を、草むらの中からコオロギが眺めている。
夜には仲間を求めて大いに鳴く予定だった。


-完-

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