パシンと乾いた音を立てて咲の投げたボールが優子の構えるキャッチャーミットに
納まった。
「咲、今の球いいよ!」
優子がボールを投げ返しながらかける言葉に咲はひとつ頷くと、また大きく腕を
回してボールを叩きこむ。
咲の腕から飛び出すボールが風を切る音さえ聞こえてくるように満には思えた。
教室のベランダからグラウンドを見ている満にその音が聞こえるはずはないのだが。

他の選手たちはバッティング練習の時間らしく、それぞれに篠原先生が投げる球を打ち込んでいる。
今投球練習をしているのは咲の他にもう一人、後輩の女の子だ。
たぶん来年はこの子が咲に代わってエースになるはずである。
だが次の試合――地区大会の決勝戦――にはもちろん咲が先発なので、
彼女はよほどのことがなければベンチで待機していることになるはずである。
咲の場合二年生の段階でエースの座を掴んでいたので、大事な試合にも必ず
先発していたが彼女はまだ実戦経験が少ない。
それでも腐らずに練習しているのはソフト部の雰囲気や篠原先生の指導によるところが
大きいのだと咲が以前言っていたことを満は思い出した。

「よっし、そろそろかな!」
また一球投げ込んだところで咲はちらりと時計を見ると、
「みんな、そろそろ練習終わり!」
と大声を上げた。篠原先生が最後の一球を放り込み、列に並んでいた最後の部員がそれを
打ってバッティング練習もお開きとなる。咲はホームベースのそばで部員たちが
集まるのを待った。小走りにみんなが駆けてきて咲の周りに円陣を組んでいる。

「みんな、決勝戦までもうすぐだからね! 気合入れて行こう!」
はい、と大きな声で部員たちが答えている。夕凪中のこれまでの成績で最高は
去年の準優勝。二年連続で決勝戦進出を果たした今年は、何としても
あと一度勝って優勝したいところだ。それは咲の悲願でもあるし、他の部員たちも
気持ちは一つだ。
「明日の朝練は守備練習だから、みんな遅刻しないで集まること。
 怪我や病気に気を付けて各自健康管理もすること! じゃ、今日はこれで解散!」
ありがとうございましたと部員たちが一斉に挨拶をして解散となる。満の見ている
前で、部員たちはばらばらと道具を片づけて部室へと戻っていく。

満がしばらく待っていると、
「や〜、今日もマジ練習きつかったね」
「でも咲、今日もすごくキレが良かったよ」
と仁美と優子が教室に戻ってくる。もう秋も深まっているというのに、
二人とも汗を拭きながら帰ってきた。
二人はベランダにいる満に気が付くと「あ、霧生さん」
「咲のこと待ってるの?」
と口々に声をかける。満がこっくりと頷くと
「咲ならマジ遅くなるかも」
と仁美が机に置いた鞄に手を伸ばしながら答える。
「どうして? 何かあるの?」
「さっき篠原先生に呼ばれてたから」
「……」
部活のことか、最近の生活態度のことかと満は思った。咲は最近とにかく
ソフトボールに打ち込んでいるのでその分授業などはおろそかになりがちだ。
勉強は満や薫がサポートしてはいるものの。

「……たぶん、怒られてるんじゃないと思うけど」
満が考えていることを察したかのように優子が笑ってフォローした。
「そんなには遅くならないんじゃないかな」
「そうなの」
遅くなるにしてもならないにしても咲のことは待つつもりだったが、
こう言って貰えると少し安心する。
仁美と優子は鞄の中に必要なものを詰め込むと「じゃあね」と満に手を振って
教室を出ていく。満はまた教室に一人になって、
――咲、まだかなあ……
と思いながら誰もいなくなったグラウンドを見ていた。

「ごめーん満! 待っててくれたんだ!」
しばらくすると、ばたばたとした騒々しい足音を立てて咲が教室の中に駆け込んできた。
一目散にベランダにいる満に向かって突進してくると満の隣で止まってはあはあと息をつく。

「本当にごめんね〜、こんなに遅くなると思わなかったんだけど」
「先生に呼ばれたんでしょ? 大丈夫なの?」
「うん、大丈夫大丈夫」
咲と満は連れだってベランダから教室に戻るとそれぞれに鞄を持って教室の外へ出る。

「泉田先輩が来てくれるんだって」
枯葉舞う通学路をゆっくりと歩きながら、咲は口を開いた。
「来てくれるって、練習に?」
「ううん、それは流石にないみたいだけど。
 試合、見に来てくれるんだって。篠原先生に電話がかかってきたって言ってた」
「へえ……そうなの」
「うん!」
満面の笑みで咲は頷く。
「先輩、私に直接連絡してきてくれればいいのに先生のところに電話かけたんだって」
「……どうして?」
「私のペースを乱したらいけないから、篠原先生から様子を見て伝えてほしいって
 ことだったみたい」
泉田先輩から連絡があってペースが乱れることなんてないのにね、と
咲は困ったように言いながらそれでもひどく嬉しそうに見えた。
「先輩も見てるんだから、ちゃんとやらなきゃ」
今度は自分に言い聞かせていた。満から見ても、このところの咲はソフトの試合に
集中していて他のことをあまり考えていないのがよく分かる。
といっても周りの人たちへの気遣いを忘れるわけではないが、いつもよりは
ずっと、咲の頭をソフトボールのことが占めている。
満はそんな咲を見ているのが好きだった。

だから、
「……そういえば、最近全然パンのこと教える時間がないね。
 ごめんね、満」
「いいのよ、咲。今はソフトに集中して」
咲に謝られても満はこう答える。
以前はよく咲にパンの焼き方を教えてもらったものだが、最近はその時間が取れない。
部活をこなして勉強をして――とやっていくだけで咲の一日は
ほぼ終わっている。
満にパンの作り方を教える約束をしていたのにと咲は気にしていたが、
満はこの大会が終わってからまた教えてもらえればいいと思っていた。
咲のお父さんに教えてもらうこともたまにあるのだが、お店があるので
どうしても時間が難しい。

「試合終わったら、いっぱいパン作りしようね」
「ええ。楽しみにしてるわ」
満は咲と一緒にPANPAKAパンに着くと先に行っていた薫や舞と合流する。
夕方までの時間をそこで過ごして、薫と二人で家に戻った。

 * * *

「……ねえ、薫?」
夕食を終えて満と薫の二人は自分たちの部屋に入る。さっさと宿題を片づけてしまおうと
机に向かって教科書を開いた薫とは逆に、満はベッドの上でころころと寝返りを打っていた。

「――何?」
英語を日本語に訳しながら薫は顔をあげずに満に答える。
「咲に……」
言いかけて満は薫に目をやると、「ちゃんと聞いてよ」と不満そうに声を漏らした。
「満が勝手に話し始めたんじゃない」
そう薫はあしらったものの、一段落分和訳がすんだので満の方へと目を向けた。
「咲がどうしたの」
「……咲、もうすぐ試合じゃない?」
「ええ、そうね」
「何かこう……『頑張って』って伝えたいんだけど、……どうしたらいいと思う?」
「そのまま言えばいいじゃない」
何を悩んでいるのかと言いたそうに薫は答える。
「それなら何度も言ってるわ」
「だったらそれでいいじゃない。伝わってるんじゃないの?」
「でもそれだけじゃなくて、ほかに何か……」
薫はまた視線を教科書の方に落としている。
「もう」
と満は立ち上がると薫の机のそばにより教科書をぱたんと閉じた。
「ちょっと」
と薫がむっとして振り返ると、
「真面目に聞いてよ。そんなの、後でやったってすぐ終わるでしょ」
「それはそうだけど……」
「咲にとっては大事な試合なんでしょ。地区大会って」
満が畳み掛けてきたので薫は宿題のことはしばらく諦めることにした。
「そうらしいわね」
満と薫は去年の地区大会の時にはまだこの世界に戻ってきていないので
実際には見たことがないのだが、とにかく大きな試合らしいということは
咲と舞の話からよく分かっていた。

「だから何か、ただ『頑張って』って言うだけじゃなくて、こう特別なことを
 何かできないかって思うんだけど」
「……みのりちゃんは絵を描くって言ってたわ」
「絵?」
「ええ。咲のこと応援するための絵を描くんですって」
「ふうん……薫はどうするの?」
「一緒に描こうって言われてるから……」
薫が椅子に座ったまま視線を満に上げる。なんだ、と満は思った。
「薫はもうそういうの決めてるのね」
「何か作ってみるのもいいんじゃない?」
「何か、ねえ」
満は薫の机から離れるとまたベッドの上に丸まった。やれやれといった表情で
薫は教科書を開きなおす。

――何か、作るもの……咲を応援できるようなもので……
ベッドの端から端までごろごろと寝返りを打ってみて、まだ思いつかないので
もう一度元の端まで転がってみる。ふと、クッションが目に入った。
そういえば、と満は思い出す。

――舞が去年、咲の誕生日の時に咲の顔のクッション作ったって言ってたっけ。
咲が大切にベッドの上に置いているので、満も何度か実物を見たことがあった。
――何か、咲の顔で……でもクッションじゃ舞のプレゼントと同じになっちゃうし……。
ベッドの真ん中でじっと丸くなって満は考える。パンを作ってみたらどうだろうという
アイディアはすぐに浮かんできた。
ベッドの下に置いた鞄の中からノートを出して広げると、ベッドに寝転がったままで
パンの大体のイメージを描いてみる。

――基本的には丸顔で、髪があって目があって口が大きくて……、
最初はあまり咲には見えない絵だったが、何度か描いているとだんだん咲らしく
なってくる。

――後は、できるかどうか咲のお父さんに相談してみて……

満はこれまでいくつか習ったパンを焼くことなら一人でもできるが、
初めて作るパンとなればまた別だ。まして今回はパンつくりの本をどれだけ
探しても載っていない咲パンなのだから。

咲に内緒で、咲のお父さんに相談してみよう。できないと言われたらまた
別のことを考えよう。
満はそう思いながら、ノートに描いた咲パンのイメージ図を何度も消しては
描きなおしていた。英語の宿題をしながらそんな満を横目に見て、薫は静かに微笑んだ。


「咲のパンを作りたいんです」
翌日、PANPAKAパンを訪ねた満は咲のお父さんの手が空いた時を見計らってこう
切り出してみた。どういうことか分からないでいる咲のお父さんにさらに、
大会決勝戦の咲を応援するために咲の顔の形のパンを作りたいと説明をすると、

「嬉しいねえ」
咲のお父さんは相好を崩す。
「咲のためにそんなこと考えてくれてるなんて嬉しいよ。
 でも満ちゃん、咲のために本当にそんなことまでしてくれるのかい?」
「はい!」
まったく迷いなく満は答える。
「よし、それじゃあ」
咲のお父さんは厨房に置いてある椅子に座り、満をもう一つの椅子に座らせた。
「どういうパンにするか考えようか。どんなパンがいい?」
「咲の顔のパンにしたいんです」
そう言いながら満は昨日のノートを見せる。咲のお父さんは少し驚きながらも、
「なるほどね。じゃあ、どういう作り方でいこうか……」
と具体的なことを検討し始めた。

満はまだ気が付いていなかったが、これまで満が作ってきたパンはまず
自分が食べるためのもの。
満が誰かのためにパンを作るのは、これが最初になった。

-完-

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