起きた時から満が落ち込んでいることに薫は気が付いていた。
PANPAKAパンで昨日買ってきたパンを朝食にするという満の大好きな
パターンだというのに食事が進まない。
薫は自分の分のパンを一つ残した状態でマグカップの牛乳を飲みながら満の
様子を窺った。
満は薫に見られているのに気づかないまま――そのこと自体が珍しい――、
小さくパンをちぎっては口に押し込んでいく。ちぎり方がいつもよりも
ずっと小さいので満のパンは中々減らない。
満の皿の上に残ったパンを薫が取り上げると満は「あ」と抗議の声を上げた。
代わりに薫は自分のパンを満の皿の上に置く。

「ちょっと、返してよ」
満が薫に向けて手を伸ばすと、
「このパン食べるの?」
と薫は尋ねた。
「食べるわよ。食べるに決まってるじゃない」
「そうなの? ずいぶん遅いから、食べる気ないのかと思ったけど」
「考え事くらいしてたっていいでしょ」
満はそう言うと薫の手から食べかけのパンを取り返した。
薫が自分の皿の上に置いたパンも同時に手で押さえ、結局二つの
パンを手中に納める。薫はそれを見て呆れたような顔をしながらも
何も言わずに満が食べるに任せる。

満は薫に指摘されたのが気になったようでいつもと同じくらいの
ペースでパンを食べ、自分の食べかけのパンをぺろりと食べ終えると
薫の方をちぎって食べ始める。
「それで?」
と頃合いを見計らって薫は尋ねた。
「それでって、何が?」
「考え事って何を考えてたの?」
ぱくぱくと食べていたパンのかけらを飲み込むと、「ん」と満は呟く。
「昨日のこと」
「昨日?」
「昨日のパンのことよ」
ため息とともに満は一気にその言葉を吐き出した。ああ、と薫が答える。
「まだ気にしてるの?」
「そりゃ、気にするわよ」
「咲のお父さん、気にしなくていいって言ってくれたんじゃないの」
「それはそうだけど」
満はどこか不安げに牛乳を飲んだ。


昨日、満は咲にパンの作り方を教えてもらっていた。
ゴーヤーンを倒してからというもの、満は咲に何度かパンの
作り方を教えてもらっている。
PANPAKAパンの厨房を少し使わせてもらっているので、
できる時間は限られるがそれでもタイミングを見計らって
何度か練習させてもらっていた。
自分の家でも作ってみたいと満は思っていたが今はまだ挑戦していない。

昨日も、満はそんな風に咲と一緒にパン窯を借りてパンを作っていた。
準備を全部終えてパンを窯の中に入れ、焼きあがるのを待つ時間は
いつもわくわくする。早く焼きあがらないかなと思いながら満は厨房の中で
落ち着きなく時間が来るのを待っていた。
教えている咲も、焼きあがるのが楽しみなのは同じで――焼きあがればすぐに
食べられるということももちろん大きい――二人は、香ばしい匂いがしてきた
パン窯の方を見つめながらじっと時間が経つのを待っていた。
その内に、セットしてあったタイマーが鳴る。
二人は同時に椅子から飛び上るようにして立ち上がると窯の方に突進した。
甘いパンの香りに気持ちが急き立てられる。
二人は同時にパン窯を開けるとすぐにでもパンを取り出そうとして――、

けたたましい音とともに窯の中から出した天板を取り落した。
上に載っていたパンが床にこぼれる。
あっと二人とも声を上げた。
「咲、満ちゃん! 大丈夫か!?」
けたたましい音に驚いて咲のお父さんが店から飛んでくる。
「大丈夫だよ、お父さん!」
天板を近くの台に置き、散らばってしまったパンを拾い上げながら
咲が答える。
咲のお父さんは一目見て事態を把握すると
「二人ともやけどや何かしていないな?」
と確認し、二人が頷いたのを見て
「気を付けるんだぞ」
と――主に咲に――念を押すと、また店に戻っていく。咲と満は二人で
パンを拾い直す。焼きたてのパンがつぶれてしまっているのを見て、
満はひどくがっかりした。

しょげ返った満が咲と一緒に改めて咲のお父さんに謝りに行き、気にしなくていいと
言ってもらい、そんなことをしている時に舞と薫が学校からPANPAKAパンに
戻ってきて事情を知ったということになる。
薫は満が落ち込んでいるのは知っていたが、翌日まで引きずるとは思っていなかったので
今の満の姿は薫には意外だった。


わざとしているかのような大きなため息をついて、朝食を終えた満は空になった
食器を持って立ち上がる。
薫が自分の分の食器と一緒に洗おうと手を伸ばすと、
「いいわ。私が洗う」
と逆に満は薫の分の食器を受け取り洗い始めた。背中にはまだ、重い空気を漂わせた
ままだ。


今日も学校がある。咲は放課後ソフト部の練習があったので満はそれを待つことにしていた。
「ごめんね〜満。舞や薫と一緒に先に帰ってて大丈夫だよ」
「いいわ、待ってるから。あの二人はスケッチに行きたいみたいだし」
「うん、じゃあ練習終わったらすぐ戻って来るね!」
ソフト部の道具を持って駆けていく咲を教室から送り出し、スケッチに行く
場所について話し合っている舞と薫を見送り、しばらくすると満は教室に
一人になる。咲の席に座ってぼんやりと窓の外を眺めてもみたが、
やがてソフト部の練習の声が窓の向こうから聞こえてくるのに気づいた。
窓を開けると、まだ肌寒い風が吹き込んでくる。一瞬首をすくめ、
グラウンドが見えないかときょろきょろと視線を動かしたが声ばかりが聞こえ
姿は見えない。

ふう、と満は息を吐いた。考えてしまうのはやはり昨日のことだ。
――なんでうまくいかなかったんだろう……
と、ついつい思ってしまう。うまくいかなかったというのは咲とタイミングを
合わせられなかったことだ。

満と咲はパンが焼きあがるのがとても楽しみだった。二人の気持ちはその点では
完全に一致していた。だから焼きあがった途端に二人とも天板に飛びついた。
それでうまくタイミングが合わず、宙に浮いた天板が落ちた。

もし、薫とだったら。たぶん天板が落ちることはなかっただろう。薫がどういう風に
腕に力を入れて動かすかぐらい満にはよく分かっている。

咲が舞と一緒にあの場にいたとしても、天板が落ちることはなかっただろう。
あの二人がプリキュアとしてやってきたのは伊達ではない。
二人で息を合わせてうまく天板を出すなんてことは容易だろう。

――咲と私は……、
そう満は思った。咲と自分の二人になってみると、そんなに簡単に
息は合わない。そう思うとなんだか寂しくなる。つぶれてしまったパンを
思い出すと、余計に満は悲しくなった。

気分を変えよう、そう思って満は教室を出ると屋上に行ってみた。
大空の樹がいつもと同じように青空の下に見える。

屋上から視線を下に向けるとソフト部が練習しているグラウンドが見える。
今は守備の練習をしているらしい。そういえばこんど隣の中学との練習試合があると
咲が言っていたっけ、と満は思い出した。

今は守備の練習だ。咲はピッチャーのポジション。他の部員たちもそれぞれの位置について、
篠原先生が打つボールを受けている。
今はただボールを取るだけではなく、そのあと素早く塁に投げて走者をアウトにするところまで
含めての練習のようだ。

「いくぞ!」
篠原先生が打った次の球はピッチャーゴロ。咲がぱっとボールに飛びつくと
すぐに一塁に送球する。待ち構えていた一塁手のグラブにボールはぱしんと納まった。
「いいぞ、次!」
今度は三塁線にボールが飛び、部員がまた飛びついた。

連携プレーの練習をしばらくの間見ていると、何度か失敗することもある。
そのたびに篠原先生の檄が飛び、もう一度やり直し。
咲が一生懸命にやっているのは屋上から見ているだけでも分かる。
どうしてそんなことに一生懸命になるのだろう、とは満はもう思わない。
ただ、今の部活が咲にとって大切なものであることはよく分かる。

「あ、霧生さん」
階下から屋上につながる扉が開いた。満が後ろを振り返ると加代と宮迫の二人が
階下から上がってきたところだった。
二人は満の姿を見て顔を見合わせると、
「ちょっとここで練習したいんだけどいい?」
と加代が尋ねる。何の練習かよく分からないままに満が頷くと、
「ちょっとうるさいかもしれないけど」
と宮迫が断ってから二人は手に人形をはめると、お話し会の練習を始めた。
図書館の本から選んだらしい台本を手にセリフのやり取りをしている。
最初は満に遠慮していたのか声が小さかったが、だんだん声が大きくなる。
手すりにもたれてソフト部の練習を見ながら、満は背中ごしにその声を聞いていた。

「それでね、あの……」
「うん、つまりそういうことだね、だから」
「お月様だ!」「お月様だ!」
お月様だ、というセリフがやけに大きな声なので満は驚いて振り返った。
それに気づいた加代と宮迫が恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべる。

「あ、霧生さんちょっといい?」
見てしまって悪かったのかと思いまたグラウンドの方に視線を移した満を
加代が呼び止める。
「何?」
「今私たちが言った『お月様だ』っていう言葉、同時に聞こえた?」
何でそんなことを聞くのだろうと思いながら満は首を振った。
「少しずれて聞こえたわ」
やっぱり、と加代と宮迫は目を合わせた。
「それがどうしたの?」
「ここ、ちゃんと声を合わせて言わないと、後ろの方で見ている子にはセリフが良く聞こえないから」
「最近ずっと練習してるんだけど、ぴったり合うことがなかなかなくて」
宮迫と加代は口々に言うと、もう一度同じ部分のセリフを繰り返した。
満は今度は加代と宮迫の方を向いて聞いていた。
やはり、ごくわずかにだがセリフがずれる。少しだけずれているセリフは
却って聞き取りづらい。

何度か同じことを繰り返し、宮迫は
「やっぱりなんか合図を決めようよ」
と加代に言う。
「そうね、それが現実的かも」
「じゃあ、僕がひとつ前の『だから』のところで軽く足踏みするよ、
 その音に合わせて言うようにしてみたらどうかな」
宮迫がそんなアイディアをだし、二人はそれで何度かやってみた。
先ほどよりはぴったりとセリフが重なることが多くなる。

何度目かの練習を終えて、二人は先ほどからじっと自分たちのことを見ている満に
視線を向ける。

「霧生さん、どう聞こえる?」
宮迫の声はいい答えを期待しているように満には聞こえた。実際、最初の練習の頃よりは
かなり良くなっていたので
「同時に聞こえることが多くなったわ」
と素直に答える。二人はそれを聞いて安心したような表情を浮かべた。
「でも、どうしてそんなに練習するの?」
「え?」
満の質問にわずかに加代が首を傾げる。
「あなた達、結構前からそういう風に人形劇をやっていたんでしょう? それなのに」
くすりと加代は微笑みを浮かべた。
「結構前からやっていてもなかなかうまくいかないわよね、宮迫君」
「あ……、うん、そうだね」
宮迫は少し不本意なようでもあったが、認めざるを得ない様子だ。
「そういうもの?」
「うん。あ、」
加代は思い出したように付け加えた。
「満さんと薫さんだったら最初から息が合いそうだけど」
そうかもしれない、と満は思った。自分と薫だったら、どんなことでも
簡単に息を合わせられるかもしれない。初めてすることでも。
――でも、薫以外の人とだったら……
満はそんな風に考えをめぐらした。

 * * *

「あ、満!」
加代と宮迫が練習を切り上げて帰っていったあと、部活が終わった咲が
制服に着替えて屋上にやってきた。はあはあと息を切らしている。
「ここにいたんだ〜。教室にいなかったから探しちゃった」
「もう、咲。遅いじゃない」
「ごめんごめん、片づけに意外と手間取っちゃってさ」
ぱしんと大げさに手を合わせると、
「一緒帰ろう」
と咲は満に手を伸ばす。
「……そうね」
と満は咲と手を繋ぐと、
「今日も練習頑張ってたみたいね」
とつぶやく。
「あ、見ててくれたの? もう篠原先生が厳しくってくたくたになっちゃった」
咲は屈託なく笑うとそのままぐいぐいと満を引っ張っていき階段を下りる。

「そういえば、次にパンを焼けるのっていつごろになりそう?」
「うん、お父さんが明後日なら多分大丈夫だって」
「そう」
満は咲と目を合わせた。
「今度は天板落とさないようにしないと」
「うん! 次は絶対大丈夫だよ!」
何らの躊躇なく咲が答える。
「大丈夫かしら」
へ? と咲は一瞬きょとんとした顔で満を見たが、
「うん、絶対大丈夫! 一回失敗したんだから次は気を付ければちゃんとできるよ」
咲の確信に満ちた顔を見ていてそういうものかと満は思った。
最初は駄目でも、次やその次には息を合わせていけるものかと。

「だから、明後日はパンつくりでしょ、で、そうそう、明日は舞と薫と一緒に
 ケーキ屋さんに行こうよ! 仁美に聞いたんだけど、今週セール期間なんだって!」
「そうね」
勢いのよい咲の言葉につられて答えているうちに、満はいつのまにか笑っていた。

-完-

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