二学期が始まって少し経つと、ずいぶん涼しくなってきた。夏の内はあの暑さが
ずっと続くかとも思えたのに、今日の秋風は肌寒いくらいである。
制服の半袖から覗く腕が少し寒々しい。

――冬服にしちゃおうかな、でもちょっと早いか……。

そんなことを考えながら満はゆっくりと学校の前の坂を下っていく。
薫と舞はスケッチに部員で出かけるとかで美術室に行ってしまっている。
咲も確か部活があるとかで、満は一人で下校する。


「あれ?」
思わず声が出てしまった。部活のはずの咲が満とは逆に坂を登ってくる。
「あっ、満!」
「どうしたの? 部活は?」
咲は夕凪中の制服のまま自転車を押して坂を進んできた。

「できると思ったんだけど、」
咲はがっかりしたような顔で自転車を止めて満が近づいてくるのを待った。

「昨日の夜、すごい雨が降ってたでしょ? グラウンドが水浸しになっちゃってて……、
 整備すれば何とかなると思ったけど、あんまりぬかるんでてどうしようもなかったから
 今日は中止になったんだ」
「ふーん。……だったら、咲と一緒に帰れば良かったわ」
そういえば、と言うように咲は口調を変えた。

「教室覗いたけど、誰もいなかったから満ももう帰ったと思ってたんだけど。
 まだ学校にいたんだ」
あ、そうかと満は思い出した。そういえば美術部に行くという薫をしばらくからかってから
屋上で少し時間をつぶしたのだった。咲はちょうどそのときに教室を覗いたのかもしれない。
「で? 先に帰ったけど私がまだ学校にいるみたいだからパンを持って
 迎えに来てくれたの?」
満の視線は咲の自転車の籠に入っているPANPAKAパンの袋に注がれている。
ふんわりと膨らんだ袋の中に入っているのはパンに違いない。
きっと袋を開ければ焼きたてパンの香ばしい匂いが漂ってくるのだ。

「えっと、これは配達」
咲は満の視線に気づきながらもさらりと流し、帰ったら一緒に食べようと付け加える。
ふうんと満は聞いているのかいないのかよく分からない声で返事をすると、

「配達ってどこに?」
と身体の向きを変えた。自転車をはさんでちょうど咲と並ぶ形だ。早く行きましょう、
と言わんばかりに自転車を軽く押し始める。

「うん、ここなんだけど」
咲もゆっくり歩き始めながらメモを手渡した。咲のお母さんの字で住所と電話番号が
書いてある。

「どこ?」
番地だけを見せられてもいまいちぴんと来ない。満が再度尋ねると、

「そっか、満でも分からないんだ」
と咲は笑った。
「……どういうこと?」
話が見えない。満の言葉に咲は困ったように、

「私にもお母さんにも分からないんだ。その場所」
「え? だって、住所あるじゃない」
咲の家には配達用に大きめの地図がある。この辺り一体の番地を表示してあるもので、
初めての場所に配達に行くときには大抵それを調べている。
咲や咲のお父さんがその地図を見ている姿を満は何度か目にしていた。

「それがさあ」
咲は相変わらず困った顔だ。眉毛が八の字になっている。
「この番地、調べてみたんだけど地図に載ってないんだよね」
「え?」
満はもう一度咲からメモを受け取った。夕凪町の番地に見えるが、

「この番地、ないの?」
「うん。2-4-9ってなってるでしょ? うちの地図に載ってたのは2-4-5までだったんだよね」
「……この電話番号は?」
満は一応聞いてみた。多分これも無駄なんだろうなと思いながら。

「うん、それも『現在使われておりません』ってなっちゃうから……」
話しているうちに坂を上りきり、学校の前に着いた。咲はゆっくり自転車の
向きを変えると学校の前を通り過ぎる。

「いたずら?」
満の問いに咲はうーんと唸る。

「私も、そうかなって思ったんだけど、でもお母さんが電話に出たときは
 すごく真面目そうな声でいたずらっぽくなかったって」
「そうなの」
余計に分からない。間違いだろうか。住所と電話番号の2箇所を間違えるだろうか。

――もしそうだとしたら、よっぽど運の悪い人よね。
焼きたてパンの袋を見ながら満は考える。時間が経てば経つほど、パンは冷めていってしまう。
もちろん冷めたパンもそれはそれで美味しいのだけれど、折角焼き立てなら
焼きたてのうちに食べた方が美味しいのに。……

「それでね、満。聞いてる?」
咲の声で満は我に返った。「ええと、何だっけ」
「うちにある地図古いから、図書館で最新のを調べようと思って。
 新しい家ができたのかもしれないし」
「……」
最近新しい家なんて建ったかしら、と満は思う。
だがここは咲の判断に従うことにして、一緒に図書館についていった。

図書館に行って最新の住宅地図を閲覧し、分かったことは
このメモの番地はないと言うことだった。
この住所に一番近いのはトネリコの森付近の家である。

「……トネリコの森、かなあ……」
机に置いた大判の住宅地図を見ながら咲はため息を一つつく。
最後の手がかりと思っていたのに、あっさりと途切れてしまった。

「どうするの?」
満が机の上に上半身を寝かせるようにして咲の顔を下から覗き込む。

「お母さんに、電話してくる。お客さんから連絡あったかもしれないから」
ちょっと待っててと言い残し、咲は図書館前の公衆電話に向かっていった。
満は住宅地図をもう一度良く点検し、番地のないことを確かめる。

「……何も連絡はないって。見つからなければ仕方ないから戻ってきなさいって
 お母さん言ってた」
しばらくして咲が戻ってきた。その表情は浮かない。

「そう。……どうする?」
満はPANPAKAパンの紙袋を持ち咲に問う。
「ちょっと行ってみるよ、トネリコの森。もしかしたら誰かいるかもしれないから……」
「そう」
軽く答えると満はパンの袋を咲に渡し、住宅地図を元のカウンターに戻すと咲に小走りに
駆け寄り、

「じゃ、行きましょ」
と咲を促す。
「あ、満も来てくれるの?」
「二人で探した方がいいでしょ?」
「うん、ありがと」
にっこり笑ってお礼を言い、咲は満と連れ立って外に出た。秋は日の落ちるのが
早いが、太陽はもう西に傾き始めている。

トネリコの森に着いた頃には太陽光が大分弱くなっていた。
「うーん、やっぱり誰もいないかあ……」
時折風に森の木の葉がざわめき、どこか不安さえも感じさせる。
「こんな時間だしね。……咲、でも少し探してみる?」
「うん、そうだね。折角来たんだし」
探してみると言っても、当てがあるわけではない。二人は森の中を覗きつつ、
大空の樹を目指してゆっくりと歩く。

「でも、本当に変な話だなあ……誰が注文したんだろう」
「咲の家のパンのファンじゃないのかしら」
「ファン?」
「ええ、ファンになったからついつい電話しちゃったけど、家が遠くにあるから
 駄目だって気づいて適当な住所を言っちゃった、とか……」
「う〜ん、そうなのかなあ。それだったら正直に言ってくれればいいのに……」
困った表情の咲を前にしながら満はおかしくなってくすりと笑う。

「満? どうかした?」
「ううん、……美味しいパン屋さんは大変ねって思っただけ」
「そう……かな?」
咲が戸惑ったように答えると満はうん、と頷いて、

「美味しいからこんな電話なんかしちゃったのよ、きっと」
私もいつかそのぐらいのパンを焼けたら……と満が思っているうちに、二人の足は大空の樹のすぐそばにまでやって来た。

「あ」と二人が同時に声を上げる。

「そういえば、ここ、建物はあったんだ」
咲が大空の樹のそばにある神社のような建物に駆け寄った。満もすぐに追いかける。

「……誰も住んでないけど……」
後ろから聞こえる満の言葉に咲はうん、と頷き、

「家ではないよね。でも、これが家だったとしたらあの住所になるんじゃないかなあ」
「そうかしら……」
咲は階段をとんとんと駆け上がると神社の引き戸に手を掛けた。

「開けていいの?」
躊躇したように満が尋ねる。満も、咲でさえ、ここが開いているのは見たことがない。

「うーん……あの、失礼します!」
咲はちょっと悩んだが結局中に向って声をかけて、引き戸をそっと開いた。
少し軋んだ音を立てて戸が開く。
中は薄暗かった。もう何年も風の通っていない場所だけ有って、
埃の匂いがつんと鼻をつくぐらいになっている。
「お邪魔しま〜す」
恐る恐る、といった様子で咲が入っていく。満も静かにその後に続いた。

「咲、やっぱり誰もいないわよ」
「うん、そうみたいだね。ここも間違いかあ」
「もう出ましょ……わっ!?」
「満!?」
「な、なんでもないわ、ちょっとびっくりしただけ」
咲は満が見ている方向に視線を動かし彼女が何に驚いたのか理解してああ、と笑った。

「昔のお侍さんが着てた鎧だね」
「ええ、分かってるわテレビで見たことあるもの……驚いただけよ」
そこには鎧兜が一そろい、武者人形を飾るかのように飾ってある。
落ち着いている咲に対して満は驚いてしまったのが恥ずかしいかのように冷静さを装う。

――アクダイカーン様かと思った……
咲には気づかれないように呼吸を整えつつ、満は改めて鎧兜を見る。
暗がりの中とはいえ、よくよく見れば見間違える筈もないのに。

「ねえ、満?」
「なに?」
「このパン、ここにお供えしていこう」
満の返事を待たずに咲はパンの袋を取って鎧武者のそばにある台の上に置いた。

「え……それでいいの?」
「うん、結局誰もいないみたいだし、このまま持って帰るなら……
 ここもずいぶん長い間誰も入っていないみたいだから」
お参りするように手を合わせると、咲は満の手を取って「出よう」と言い外に出ると
静かに戸を閉める。

「なんか結局良く分からなかったねー……」
「そうね」
もう大分暗くなった道を二人はゆっくりと町へと下っていく。

――今度……

口には出さないまま満は思った。

――私の焼いたパン、あそこに置いてこようかな……。

その時は、薫も連れてきてもいいかもしれない。……いや、薫は「下らない」と
言うだろうか。

ふと、夜空を見上げるともう月が明るく見え始めている。


-完-

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