美翔和也がゆっくりと目を開いたとき、自分を覗き込んでいたのは妹の友達だった。
「あ、あれ?」
慌てて自分の目をこすって上体を起こす。原っぱに座って手紙を読んでいたつもりが
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
日は今にも落ちそうで、辺りには橙色の光が満ちている。

「あの、大丈夫……ですか?」
目の前の少女はきょとんとした顔で和也を見ている。目が覚める前に
誰かに名前を呼ばれたような気がするから、きっと彼女がこんなところで
眠り込んでいる和也を心配して声をかけてくれたのだろう。

「大丈夫大丈夫、ごめんね。ありがとう」
あわただしくそう言って和也は立ち上がる。草むらに落としてしまった手紙や封筒を集めて
拾い上げていると、
「あの、これも」
と少女が写真を一枚手渡してきた。
「ありがとう、霧生さん」
彼女の目の色に少しだけ似た赤い星が大きく写った写真。
「友達が撮ったからって送ってきたんだ」
と和也は不思議そうな顔をした満に少し説明をした。

「お友達が?」
「そう、前の学校のね」
倒れている自転車を起こして前かごに学校の鞄を乗せると、自転車を押しながら
和也はゆっくりと歩き始める。帰る方角も一緒なので満と並んで歩く形になった。

「霧生さんも転校生なんだっけ」
ええ、と満が頷く。
「引っ越して転校すると、連絡取れなくなっちゃう友達が多いけどね。
 たまにこうやって、手紙を送ってきてくれる奴もいるんだ」
満はあいまいに頷いた。転校生という形になってはいるが、
満には「前の学校の友達」などという存在はいない。
当たり前だ、満は実際にはダークフォールから夕凪町にやってきたのであって
もともとこの世界に過ごしていたのではないのだから。

満の中途半端な反応を和也は「前の学校の友達とは今は連絡がとれていない」ということだろうと
勝手に解釈すると、
「でも、この手紙遅れてきたんだ。いまどき珍しいよね」
と満の話には特に触れなかった。
「遅れて?」
「うん、そう。大体手紙って二、三日で着くものだけどこれは二週間も
 かかっちゃってね。向こうから電話があって手紙を送ってくれたことが分かったんだけど、
 その時はまだ届いてなくて。電話で大体手紙の内容も聞いたし返事も
 言っちゃったから、返事に書くことがほとんどないんだよね」
和也はそう言って苦笑いする。
「あ、でも、あの写真は」
電話で聞いていても、見たのは初めてだから返事が書けるんじゃないですかと
言う満に、
「ああ、そっか。そうだよな。あれ、自慢したいらしいんだ。新しい望遠鏡買って
 撮った写真だからって」
「そうなんですか」
満にはそれがどのくらい自慢になることなのかよくわからなかったが、
拾い上げたときの赤い星の輝きはとても綺麗に映っていた。
「この星、ベテルギウスっていうんだよ。見たことあるんじゃないかな。
 オリオン座の左上にある赤い星」
「あ。あります」
満は小さくうなずいた。以前咲が、
「私でもオリオン座なら分かるんだよ!」
と言って教えてくれたことがある。
「この星には面白いことがあってね……、」
和也は話を続けた。


 * * *

「ただいま」
和也が家に帰ると、家ではちょうど母の可南子が食事の支度をしているところで、
舞がせっせと食卓を片付けている。

「お帰りなさい、お兄ちゃん」
「ただいま」
そう言って牛乳を飲むために冷蔵庫の前にすうっと行こうとした和也を見て、
「もう、お兄ちゃん手伝ってよ」
と舞が不服そうに言う。

「先に着替えてくるよ」
そう言って和也は牛乳を一気に飲み干すと、鞄を持って着替えに自分の部屋に戻った。


美翔家の夕食は舞と和也の二人でとることも多い。
両親は二人とも研究生活で忙しいので、夕食の時間帯にはいないことも多い。
だから、こんな風に三人で食事をとるのは珍しい。
母は一昨日学会から帰ってきたばかりなのでまだその余韻が冷めないらしく、
大学時代の知り合いに会った話を楽しそうに話している。
話が一段落したところで、そういえば、と和也は隣に座っている舞を見た。

「さっき霧生さんに会ったよ。満さんだっけ? 髪が赤い方の子」
「え? 満さんに? どうして?」
「草むらで寝てたら起こしてもらった」
「お兄ちゃん何やってるのよ!?」
もう、恥ずかしいんだから、と舞は怒ったように和也を見た。和也は
そんなことは全く気にしていない様子で、

「手紙読んでたら寝ちゃったんだ。ほら、前の学校の時にいた鈴木から
 手紙が来てたんだけど」
「鈴木君から手紙が来てたの?」
と可南子が聞いたことのある名前に割り込んでくる。
「この前電話もかかってきてなかった?」
「うん。手紙出したんだけど着いてないか、っていう電話。
 ずいぶん遅れたみたいでさ、その手紙」
「へえ、最近珍しいわね」
「一緒に入ってたのがベテルギウスの写真だから、ある意味合っているけどね」
可南子も舞も和也の言葉の意味が分からずに、しばらくの沈黙。
やがて舞が思い切って尋ねた。
「……それどういう意味?」
あれ、通じなかったか、という表情を和也は一瞬浮かべて、

「ベテルギウスってもう存在しないかもしれないって聞いたことない?
 この星と地球までの距離は640光年あるから、今地球上で観測しているのは
 640年前のベテルギウスの姿なんだけど、もしかすると今は既に爆発して
 星自体が存在しなくなっているかもしれないって」
「そうなの?」
「そう。だから、遅れてきた手紙みたいに僕たちが今地球から見てるのは
 過去のベテルギウスの姿なんだよなあって思って」
和也からすると瞬間的に抱いた感慨なのだが、解説すると回りくどい。
分かりにくいなあという顔をしている舞だったが、母には和也の言わんとするところが
すぐに伝わったようで、

「昔の人が残した言葉みたいなものね」
とつぶやく。
「え? そういうこと?」
「ずっと過去から、時間を越えて届くメッセージってことでしょう?
 昔の人の手紙とか、単なる落書きとか、そういういろいろなものも今の私たちが
 見ているのよね」
「まあ、そうかな」
母さんはいつも昔の人の話だなと和也は内心で思っていた。

「舞だって昔、引越しするたびにその家の中にこっそり絵を残して行ったり
 庭にある樹の穴の中に絵を入れて行ったりしたでしょう?」
「え?」
舞はきょとんとした表情を浮かべる。
「私そんなことしてた?」
「してたしてた。ほら、いつだったかなんて賃貸の家だったのに柱に小さく
 絵を描いたりしてて」
和也がそんなことを言い出すので舞は、え、と硬直する。可南子はそうそう、と思い出して笑った。
「あの家は前に住んでた人たちもだいぶ汚してたから舞の絵も大して目立たなかったけどね」
「もう、やめてよ」
小さい頃――特に、自分が覚えていないほど小さいころ――の話をされると
ひどく恥ずかしい。舞は顔を真っ赤にした。

「夕凪町から引っ越すときもどこかに絵を残していったんじゃない?」
「そうね、町のどこかを探したら出てきたりして」
「やめてってばー!」
「でもね、舞」
恥ずかしがる舞を見て可南子は不意に真面目な顔になった。

「そういう絵をもし今後舞が見つけたら、捨てたりしちゃだめよ。
 その時の絵を描いた舞の気持ちは大事にしないと」
「え……そう?」
「そうよ」
と可南子は大きくうなずいた。

 * * *

「満、何してるの?」
夕食後の霧生家。薫は窓の外を見ている満を見てそう声をかけた。
「星を見てるのよ」
「ああ……」
薫も満の隣に立って窓の外を覗き込んだ。低い空にオリオン座が見える。

「あの左上の赤い星ね、ベテルギウスって言うんだけど。
 今日舞のお兄さんに面白いことを聞いたのよ」
「面白いこと?」
「そう。あの星、もう消えているかもしれないんだって」
「……どうして?」
満は和也に聞いた通りのことを説明した。
遠くにある星だから、今の自分たちに見えているあの星の姿は過去のもので
現在は全く違う状態になっているのかもしれないと。

「ふうん……」
「もし、すごく遠くの星から地球を見たら……」
満は頭の中で何かを思い描くように呟いた。

「私と薫はまだダークフォールで眠っているのかしら」
「咲と舞に会ってすらいないかもしれないわね」
薫が淡々と答える。それからふと、

――そんな昔の満を見たら、私はどう思うかしら。
と思った。
きっと、今の薫が何を言っても当時の満は碌に言うことを聞きはしないだろう。
「何か考えてるの、薫?」
薫はそう答えると、また空を見上げた。
もう存在しないかもしれないベテルギウスは、赤く静かに輝いていた。

-完-

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