遠出がしたくなった。

最近暖かくなって蛙や蛇のように陽気に誘われたと言うわけでもないだろうが、
ふと、遠くに出かけたくなった。

とはいえ――、
開いた窓から身を乗り出すようにして空を見上げ、
満はふうっとため息をつく。

――薫は、今日は一日みのりちゃんと遊ぶと言ってったっけ……。

確か、みのりが薫お姉さんとキャッチボールをしたいとせがんでいた筈だ。
雨でずっと実現しなかったのだが、今朝いそいそと薫は出かけていった。
たぶん今頃は咲のグローブを借りて近くの公園ででも球を投げ合っているだろう。

満も一緒に行けばよかったのだが、何だか眠くて布団に潜って「いってらっしゃい」と
言ってしまった。はっきり目の覚めた今、何だかどこかに行きたい気持ちに
駆られても、一緒に行くのに一番手ごろな薫はもういない。

とにかく、と満は思った。寝皺のついてしまった服を脱ぎ、
春らしい明るい色の服に着替える。

――ちょっと出かけてみよう。

いつもの道を通ってPANPAKAパンに向うのは何だか癪なので、学校からもPANPAKAパンからも
遠くなる方の道をわざわざ選んだ。
そういえば、もう緑の郷に来て大分長くなるのにこちら側に来るのは初めてだ。

左手に海と砂浜が見える。海の上を渡ってくる風も、今日はあまり冷たくはない。
砂浜には何人か子ども達が出ているようで……一人、やけに大きい子どもがいると
思ったら星野健太だった。またつまらないギャグでも披露しているのだろう。
宮迫学の姿は見えない。見つかって、一時的に相方指名されても面倒なので
満はそそくさと急ぎ足でその場を通過した。

道がゆったりと曲がり健太達の姿も見えなくなる。ふうと安心すると
満はまた元の速度に戻って歩き続けた。

――そういえば……
一人でこんな風にしているのは久しぶりだ。
隣にいつも誰かがいるのが満にとっては当たり前だった。
寂しい? いや、どこかすがすがしいような気持ちもある。
頭上から照らす太陽の光も、左手から漂ってくる潮の香りもすべて
独り占めできるような、そんな気持ちである。

道が急に細くなってきた。目を凝らしてみると、この道はもうすぐ山にぶつかって
そこで行き止まりになってしまうようだ。トンネルはなく、
細い山道がその後に続いている。

――ふーん、町の外に繋がっている道じゃないのね。

だからこの辺りまで来ると車もあまり通らないのかと満は納得した。
山道はハイキングコースになってはいるようだが、
あまり来る人もいないらしくどこか寂れている。

車も、いつの間にか歩く人もいなくなって満一人の足音だけが静かに
鳴っている。しばらくその静けさに満は身を浸していたが、足元をすり抜ける何かの気配に
ぱっと目を見開いた。

「コロネ!?」
思わず声が出てしまう。
良く見慣れた、いつも日向家でごろごろしているあの猫が満を追い越して
飛ぶようにかけて行くとそのまま山を登っていってしまった。
普段の姿からは想像もつかない俊敏さだ。

――なんでコロネがこんなところまで……。

そう考えたものの、満は思わず苦笑した。「こんなところ」と言うのなら、
自分だって「なんでこんなところまで」と思われても仕方がない。
取り立てて用事はないのだし。

コロネが気になるので、満も山に登ってみることにした。
フィーリア王女を守っていた猫のことだし心配はいらないだろうが、
――迷子になったりしたら大変だわ。
とも考える。

山道に入ると急に涼しくなった。道の両脇に立っている木々が影をつくり、
光を遮っている。少し汗ばみ始めた満には心地のよい涼しさだった。
木々の間を吹いてくる風も、少し前までの風とは違い土の匂いを運んできている。

小さな生き物の気配を感じる。
今満が登っている道にこそ見えないが、両脇の森の中には多くの生き物が
息づいているに違いない。ムープとフープも紛れていたりして、と考え、
満はふふっと一人笑った。

ムープとフープが近くにいたらこんな風に静かにしているはずもない。
すぐに満目掛けて飛んでくるに決まっている。
少し息を切らせながら一応舗装された道を登り終えると、
道がなくなってしまっていた。少しきょろきょろしたものの
はっきりとした道らしきものはない。

人が良く歩く場所なら自然と草が少なくなって道らしくなっているものだが、
三方のいずれも同じくらいに草が生い茂っている。
さて、と満は考えた。どの方角に行くにも決め手がない。
少し目を凝らして遠くを見たが、コロネの姿もない。
えい、と満は適当に方角を決めて歩き始めた。歩くたびに
草が揺れる音がする。少し歩いてから後ろを振り返ると、
もう満の歩いたことが分からないくらいに草が元通りに立ち直っていて――、
迷うかもしれない、と満は一瞬不安を覚えた。

――まあ、いいわ。いざとなったら空を飛べばいいんだし。

そんなことを考え上を見る。木々の葉に区切られた空はいつもよりずっと
狭く見えた。
誰に言われたわけでもないのに、意地みたいになって満は
足を進め続ける。かさこそとした音が大きくなる。と、急に目の前の視界が開けた。
木々がぽっかりとなくなって広場みたいになっていて、――そこには柔らかく
日差しが降り注いでいる――その中央には当たり前みたいに舞が座っていた。
いつものようにスケッチブックを広げ、絵を描いている。
舞の背中に寄り添うようにしてコロネがいるのにも満は気づいた。
PANPAKAパンでしているみたいに腹ばいになって目を閉じている。

そっと舞の後ろに回りこみ、スケッチブックを見る。舞の描いているものを見て、
満はなぜ舞がこんな場所で絵を描いているのか納得した。
ここからは木々を通して海が見える。いつも見る海とは少し違う表情を見せている。
だから舞はわざわざこんなところで絵を描いているのだろう。

「コロネ、ちょっとごめんね」
舞に今話しかけても気づくことはないだろうから、満はコロネに声をかけ、舞の後ろに少し
スペースを作ってもらうとそこに座った。舞が一息つくまでしばらく待つことにする。


「ふう」
舞が終わったのはそれからしばらく経ってのことだった。
集中力が途切れてすぐの間は少し疲れているようなので
舞が落ち着くまで待ち、「終わったの?」と声をかける。
「満さん!? いたの!?」
満の声に舞は大慌てで振り返り「コロネまで」と更に驚いた声を上げた。
「いたわ。少し前から。コロネは私よりだいぶ前からいたんじゃないかしら」
「そ……そうだったの」
「でも、舞はさすがね。こんな場所知ってるなんて」
「え?」
「ここの場所知ってたから、スケッチに来たんでしょう?」
満の言葉に、舞は違うわと首を振った。

「今日は、少しいつもと違った場所でスケッチをしようと思って、
 歩いてたらここを見つけたの」
「……歩いてたら、ここまで来たの?」
ええ、そうと舞は頷く。そんな風にしてこんな場所まで来るなんてと思うが、
自分も似たようなものだと思い直す。

「満さんは? どうしてここまで?」
「私は……ぶらぶら歩いてたら、コロネが山に登っていくのが見えたから……」
舞の手が寝ているコロネの頭を撫でた。

「コロネも、こんなところに来ることがあったのね。知らなかったわ」
「そうね……PANPAKAパンで寝てばかりだと思っていたけど」
ぐるぐるとコロネが喉を鳴らした。

「ところで舞?」
「なに?」
「ここから帰る道、分かってる?」
「え……と」
帰り道らしい方角を見て舞の顔が曇った。
草はもう、誰も通っていないかのように元通りに立ち並んでしまっている。

「分からないの?」
「……ごめんなさい」
舞は大胆なのか大人しいのか良く分からないところがある。
そういえば咲に初めて会ったときも光る玉を追いかけて家族を心配させたと言うし……、
と思っていると、

「み、満さんは帰る道分かる?」
と舞の心配そうな顔が近づいてくる。
「そうね……、分からないわ」
えっ、と舞が驚いた声を上げた。
「私だって、適当に歩いてきただけだもの」
突き放すようにいうと、舞が明らかに慌てているのが目に見える。
普段落ち着いている舞が自分の言葉で慌てているのが何だかおかしかった。

「私は、帰りは空を飛んで帰ればいいと思ってたわ」
助け舟を出すと、舞はほっとした表情を浮かべる。
「そ、そうね、満さんは飛べるものね……」
「じゃあ、ちょっと上から方角を確認してくるわ」
満が飛び上がろうとした時、コロネが起き上がってにゃあと鳴いた。

「コロネ?」
コロネは確信を持っているかのように歩き始める。満と舞がついてこないのに
気づくと、一度立ち止まって振り返ってからまた歩き始める。
「どこに行く気かしら?」
満は首をかしげた。
「もしかすると、コロネ、帰り道が分かっているのかも」
コロネの様子を見ていた舞が言う。満は少し疑問に思ったが、
舞と二人でコロネについていってみることにした。

しばらく歩く。と、見慣れた舗装道に出た。
山道を登ったあの道だ。
コロネはここで一声鳴くと、ぱっと走り去って先に行ってしまった。
「コロネ、やっぱり分かってたみたいね」
舞が呟く。そうね、と満も頷いた。

「元々こっちに来たのも、舞が心配だったのかもしれないわ」
「えっ?」
「私が見かけたとき、コロネはぶらぶら来てるって様子じゃなくて、
 何か理由があってこっちに来てる感じだったもの」
「そ、そうなのかな……」
「フィーリア王女を守ってたんだもの、そのくらい気を回すかもしれないわ」
「そうね……」
舞は恥ずかしそうに俯いている。満は吹きだしそうになるのを堪えた。

「でも、今日は楽しかったわ。舞のおかげで」
「え?」
「私はコロネがあの山に入っていくのが見えたから登ったのよ。
 元々、舞がいたからコロネは山に登ったんだろうし……、
 あそこであんな風に海が見えるなんて知らなかったわ」
「そうね、私も知らなかったわ。夕凪町にあんな場所があったなんて」
「咲に教えてもらったこともないの?」
「うん、咲もこっちの方まで来たことはないと思う」
ふふっと顔を見合わせて舞と満は笑った。
自分たちだけが知っている場所というのはなんだか魅力的だ。

「今度咲と薫さんもここに誘ってみる?」
「そうね……、でもちょっと待って。あそこから迷わずに帰れる方法も
 見つけておかないと。誘っておいて、帰り道が分からないなんて言ったら
 薫が何て言うか分かったものじゃないわ」
「……何か印をつけておくとか……」
「一度試してみないとね」
舞と満はまた笑い合った。しばらくあの場所には二人だけで行くことになりそうだ。

-完-

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