降り続く雨は柔らかい音を立てていた。満はPANPAKAパンのガラス戸から外を
見て一つため息をついた。

「今日はもうお客さん来ないかも知れないわね」
店の奥にいる咲の母がそんな満の様子に気づく。店の中のパンの棚には
まだ沢山のパンが残っていた。
「……最近はあんまりお客さん来ませんね」
「雨が続いているものね。配達は増えたけど」
PANPAKAパンは夕凪一の商店街からは少し離れた場所に立地している。だからこそ、
静かなオープンカフェでパンや飲み物を楽しむこともできるのだが、
PANPAKAパンでパンを買おうとするとどうしても一手間かかってしまうと
いうことでもある。
二、三日雨が続くとどうしても客足が鈍るのは仕方なかった。
その分、配達の依頼は増えているのだが。

満は店の中を見回し複雑な表情を浮かべる。いつも売れ残ったパンは
貰っているので、パンが一つも残らないのは悲しい……が、ここまで
残っていると悲しくなってくる。

「満ちゃん、もう終わりにしても大丈夫よ? あまりお客さん来そうにないし」
咲の母の言葉に満はいいえと首を振りかけ、「あ」と声をあげた。
「どうかした?」
「誰か来るみたいです」
降りしきる雨が白いカーテンのようになっている向こうに誰かの影が見える。
店の前に到着するまでにあと10歩……5歩……3歩……1歩。

「いらっしゃいませ!」
タイミングよく満が扉を開けると、向こうの人物は「わっ」と満の良く知る声を
あげて飛びのいた。
「なんだ……」
「なんだ、はないだろ」
扉の向こうにいたのは星野健太。傘の水滴を払って畳んでいる。
「何しに来たのかしら」
「パン買いに来たに決まってるだろ」
「えっ?」
まさか、という表情を満が浮かべると「何だよ」と健太は不満そうだ。
「父ちゃんが突然パン食いたいって言い出したからな」
傘立てに傘を置くと満の開けている扉をくぐって健太は店の中に入る。
「あら健太君!」
と咲の母も意外そうな声だ。

「珍しいわね」
「あ〜、父ちゃんが急にパン食べたいって言い出して……」
少し面倒そうに健太は答えると、店の中に戻ってきた満に「咲は?」と尋ねる。

「咲ならソフト部のミーティングよ」
「へえ……霧生、良く手伝ってんのか?」
「ええ、そうね。咲と一緒に手伝うこともあるけど」
「ふーん……」
――霧生と咲、立場逆みたいだな……
言葉に出さずに健太は思った。満が咲の家をしばしば手伝っているという話は
聞いていたが、これではまるで満がこの家の子どもみたいだ。

「……何よ」
黙った健太に満がやや不機嫌そうに尋ねる。なんでもないと健太は答え、
「何かおすすめないのか? 父ちゃん、適当に買って来いとしか
 言ってなかったんだ」
「そうね、こっちの」
満は健太が立っているのとは反対側の棚に彼を招き寄せる。
「メロンパンなんかは人気があるわね」
「ふ〜ん」
トングを動かし、健太は乱暴にひょいひょいと5つほど残っていたメロンパンを
トレイの上に乗せていった。

「あ」
メロンパンの棚が空になって思わず満が声を出してしまう。
「何だよ?」
「別に、なんでもないわ」
そっぽを向いた満の姿を見て健太は頭の中に疑問符を浮かべながらも
咲の母が待つレジにメロンパンを持っていった。


「ただいま〜、おっ、星野君久しぶり!」
がらりと扉を開けて入ってきたのは咲の父。配達がちょうど終ったところらしい。
「こんにちは、おじさん」
「この前お父さんから蛸頂いたんだけど、お礼言っておいてもらえるかな。
 すごくおいしくってね。咲もみのりも喜んで……」
「あ〜、父ちゃんそんなことしたんですか」
「うん、町内会の話し合いのときにね」
――母ちゃんには相談しないで、勢いだけで配ったんだろうなあ……
健太は内心呆れていたが、苦笑いでごまかした。

そうだ、と咲の父がいいことを思いついたように手を叩いた。
「雨もひどくなってきたから、星野君も満ちゃんも家まで車で送っていくよ」
「え、いいですよそんな」
健太は断るが咲の父は既に乗り気になっているようで、
「いいからいいから。蛸のお礼も兼ねてね。満ちゃんも今日はもういいから、
 送っていくよ」
「え、でも……」
「満ちゃん、いつも手伝ってくれるんだからたまにはそのくらいさせてね」
戸惑った満に咲の母がにっこりと笑いかけ、
「パン、好きなの持っていっていいわよ」と籠の乗った棚に目をやる。
「それじゃあ……」
その言葉に甘えることにして満はいくつかパンを選び、紙袋に入れてもらった。

「こっちこっち」
未だに戸惑っている健太を咲の父が手招きして呼び寄せる。満がさっさと近づいて
いくのを見て健太もそれについていった。
店の外に出、忘れないように傘を手に持つ。PANPAKAパンの車の後部座席に
乗り込むと、香ばしいパンの匂いがまだ微かに残っている。
健太が右側、満が左側に並んで座りそれぞれ肩の近くからシートベルトを引き出す。

――あれ、どこだ?
シートベルトの受け口を探していると「ここよ」と満の声がしてシートの奥に埋もれていた
受け口を引っ張り出した。
「サンキュ」
満はもう自分のシートベルトを嵌め終えて窓の外をぼんやりと眺めていた。
雨は健太が来た時よりも勢いを増して降り続いていた。送ってもらえて助かったと
言うべきだろう。

「できたかい? じゃあ、出すよ」
咲の父がエンジンをかけアクセルを踏む。ゆっくりと車は動き始めた。
「お願いします」
健太が言う横で満は相変わらず雨を見ている。
「……霧生、何度か送ってもらったことあるのか?」
「え?」
「この車のこと良く知ってるみたいだし」
「そうね、何度かあるわ。今日みたいな雨の日には。……咲と一緒のことが多いけど」
「ふうん……」
――本当によく手伝ってるんだな、咲の家のこと……。咲と一緒に、か。
健太は少し考えた。今の後部座席には満と健太、二人きりである。
満は薫と比較すれば社交的だが、口が軽いわけではないから今何を言ってもそんなに
広まることはないだろう。

「あ、あのさ霧生」
「何?」
興味なさそうに満が視線を健太に向ける。あまり感情の篭っていない声が健太には
却ってありがたかった。普段なら舞にも聞けないことだが今の満になら聞けるかもしれない。
「美翔の兄ちゃん……」
「和也さんがどうかしたの?」
――うわ、霧生にまで「和也さん」なんて呼ばれてるのかよ。
自分が満にはこれまでほとんど名前で呼ばれていないことを考えてみると腹立たしい。
だが健太はその感想を言うのは控えた。

「その、咲って、美翔の兄ちゃんのことどう思ってんのかな、なんて」
「和也さんのこと? 好きなんじゃない?」
うっと健太は息が詰まるような気がした。ここまであっさりとストレートに言われるとは。
「そ、そっか……」
「舞のお兄さんだし」
「え? ……」
何か、言っていることが変だ。健太はシートに向けていた目を満の顔に向けた。
満の表情は相変わらず淡々としている。
――ひょっとして……。
藁にもすがるような気持ちでもう一つ聞いてみる。

「舞のことと同じくらい好きなのか」
「そうなんじゃない? ……舞のほうが好きな気もするけど」
ああ、やれやれ。健太は息をついた。
満の言っている「好き」は健太が考えていた「好き」とは違う意味のようだ。
憧れているとかそんな意味で「好き」という言葉を使っているのだろう。

――考えてみれば、こいつ結構世間知らずなとこあるもんな。薫の方よりはましだけど。
そう思い直し、ふうと一安心する。

「どうしてそんなこと聞くのかしら?」
「あ、いや……なんとなく……」
「ふうん?」
健太が適当にごまかすと満はまた窓の方に向いた。
「私も好きよ」
「え?」
「舞や舞のお兄さんのこと」
「そっか」
そんなことを呟く満の横顔は小さな子どものようにも見える。
普段の満からは少しイメージがずれるように健太は感じたが、
――でも、こいつ意外と子どもっぽいとこあるのかもな……
と思い直した。咲とは別の意味で子どもなのかもしれない。

「ありがとうございました」
しばらくして車は満と薫の家の前に着き、満がぺこりとお辞儀をして
車から降りた。
車の中には健太と咲の父が残る。

「な、なあ星野君」
「なんですか?」
「咲は誰か好きな人がいるのかい?」
バックミラーに映る咲の父の笑顔は引きつっている。

「さ、さあ……」
「そ、そうだよな。咲にまだそんなのは早いよな」
あはははと乾いた笑いが車内に響く。
――おじさんの居るところであの話はまずかったか……
何だか悪い事をしたような気になって健太は後部座席で小さくなっていた。

-完-

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