「薫ー」
今から思えば、この時から薫はすでにどこかおかしかったのである。だが、満はまだ
それに気づくことはできなかった。

「なに」
ベッドにもぐりこんだ満を見て、仏頂面で薫は答える。ゴーヤーンを倒したのち、
満と薫が二人で暮らすようになった家では咲とみのりに倣って同じ部屋に二つベッドを入れ、一つを満、一つを薫が使っている。
満が入っていたベッドは、薫が使っているもの。たまに満はこうして薫のベッドで寝ることがある。
狭いと文句を言いながらも、薫はそういう時は満と同じベッドで寝ていた。

この日も、満は薫のベッドで寝たい気分になって薫のベッドにさっさと潜り込んでいた。
それから、寝る支度を終えた薫を布団の中から手招きしたのだが。

「なにって。これから眠るんでしょ」
「……そうだけど?」
そう答えて、薫はちらりと満のベッドに目をやる。だったらこっちに、という満の
手招きを無視して、

「今日はこっちで寝るわ」と薫は満のベッドの布団をめくった。
「なんで?」
満はきょとんとした視線を薫に向ける。今まで薫がこんな反応を見せたことはなかった。
満に自分のベッドを使うように言うことはあっても、最終的にはいつもあきらめたように
満と同じベッドで寝ていたのに。

「満が私のベッドで寝るなら、私は満のベッドで寝るわ。公平でしょ」
「それじゃベッドを交換しただけじゃない!」
「そうね、そうなるわね」
満が不満でたっぷりの目を自分に向けているのに気づきながら、薫は満に背を向ける。
それから一息ついて、薫は満のほうへと振り返った。

「だったら、満がこっちで寝る?」
「薫はどうするの?」
「そうしたら、そっちのベッドで寝るわ」
「……それ、いつも通りでしょ」
「そうね」
満はもうこれ以上何も答えずに、音もなく薫の布団を頭からかぶる。
そんな満に薫は「おやすみ」と声をかけて部屋の電気を消すと、満のベッドにもぐりこむ。
やがて真っ暗な部屋には二人の寝息だけが聞こえるようになった。


「……ん……」
一度はすっかり眠っていた満だったが、ふっと目を覚ました。枕もとの時計を見やると、
12時に少し前。一瞬、寝すぎて昼間になってしまったのかと思ったが、違う、と考え直す。
――この暗さよ。まだ夜だわ。

それからまた眠ろうと思って、満は違和感を覚えた。あまりにも静かすぎる。
薫の寝息が聞こえないからだということに気づいて、満は慌ててベッドを抜け出すと隣のベッドを見る。
案の定、布団の中はもぬけの殻だった。月の光が窓から差し込んでいて部屋の中はやや明るい。
きょろきょろと部屋の中を見回してみても、薫らしい人影はどこにもなかった。満はそっとドアを開けて、部屋の外へと滑り出る。
家の中のどこにも明かりがついている様子がない。満は電気をつけては薫の姿を
探したが、やはり薫の姿はどこにもなかった。

――ちょっと待って。
落ち着いて、と満は自分で自分に言い聞かせる。まず考えなければいけないのは
薫が誰かに連れ去られた可能性だが、

――その可能性は低いわね。
と満は結論を出した。今日、薫が満と一緒のベッドで眠ろうとしなかったのは、おそらく
夜中にベッドを抜け出すことになると分かっていたからだ。だとすれば外出したのは薫の意思だ。

――何のために?
そう思考を巡らせてそこではたと満は途方に暮れた。何のために。全く思いつかない。
満に隠れてまで――しかも思い付きではなく、計画的に深夜に家を出なければならない理由。
たとえば、満にサプライズプレゼントでも考えているという可能性はどうか。
――薫はそんな気の利いたことを考えるタイプじゃないし……
満は自分で考えた可能性を一瞬で否定する。そして次の行動をすぐ決めた。

すぐにパジャマから普段着に着替えてコートを羽織ると、満は家から出てふわりと空に飛び立つ。
満月が明るく輝き満の顔を照らす。とにかく薫の居場所を知らないと今夜は安眠できそうにない。
見つけたらどうしてこんなことをしたのかとっちめよう、と決意を固めながら満は
薫の行きそうな場所を次々に当たっていった。

まずは、ひょうたん岩。二人のお気に入りスポットだが、波が打ち付ける音が聞こえるだけで薫はいない。
岩の周りをくるりと一周回って薫の不在を確認してから、満は海岸線に沿って低く飛んでみる。
深夜だから誰にも見られる心配がないようなものだが、誰かが見たら大騒ぎになってしまうだろう。
ともかく、薫は海岸のどこにもいなかった。

念のために夕凪中にも行ってみる。校門には鍵がかかっているが、
空からなら侵入が可能だ――なんだか悪いことをしているような妙な気分になりながら、
満は校庭と屋上、窓の外から各教室を覗いて回った。
さすがにどこかの窓を壊して校舎内に入るのはやめておく。
一応夕凪中にはいないということにして、満は次のチェックポイント・大空の樹を目指した。
大空の樹は夜でもすぐにわかる。トネリコの森の頂点で、ひときわ大きくその影を落としている。
満は大空の樹の真上からゆっくりと降りると、大空の樹の各枝を確認しながら――薫がどこかに
乗っているのも十分あり得ることだ――すとんと地面に降り立った。

「薫?」
声に出して薫を読んでみるが、答えるのは風にざわめく木々の音だけだ。
大空の樹のすぐそばにある社の中ものぞいてみたが、薫はいなかった。

「……」
主要な候補だと思っていた場所のどこにも薫はいなかった。満もここで少し
考え直さざるを得ない。
あと探す場所と言えば、咲の家と舞の家だが……。

――咲の家に行ったらみのりちゃんを起こしちゃうかもしれないわよね。薫だってそれは避けるはず……

満はそう考え、一路舞の家へと向かった。

満と薫はこれまでにも何度か、夜に急な用事ができたとき舞の家を訪ねたことがある。
玄関から訪ねるにはもう遅い時間になっているときは、二階にある舞の部屋の窓を外から叩いて入れてもらうこともしばしばあった。舞の部屋にいるのは大体舞一人なので、こういう時にはとても助かる。
満はいつものように、雨戸を少し強めにたたいてみる。そしてしばらく待つと、
ゆっくりと窓と雨戸が開いて中から眠そうな舞が顔をのぞかせた。

「満さん……? 薫さんは……?」
薫が満の後にいると思ったのか舞は首を傾けて満の後ろを見ようとしたが、
もちろんそこに薫の姿は見えない。不思議そうな表情の舞に、
「ごめん、入るわ」
と告げてふわりと舞の部屋に入るとベッドの隅にちょこんと腰かけた。

「薫がいなくなったの。知らない?」
舞は目を大きく見開くと、跳ねるように振り返って机の上の時計を見る。
「こんな時間に薫さんどこ行ったの!?」
「それが分からないから聞いてるのよ」
舞は完全に眠気が取れたという表情で、
「ダークフォールの……」
と言いかける。満は舞が言おうとしたことを察して、
「それはないわ。気配がないもの」
と否定する。
「だったら」
「ひょうたん岩にも、学校にもいなかったわ。大空の樹のあたりにも。
 ……舞、他に心当たりない?」
「咲の家?」
満は首を振った。
「こんな時間に行って、みのりちゃんを起こすような真似をするかしら」
「そうね……そうしたら後は、この前二人でスケッチに行ったところがあるんだけど」
「どこ!?」
「一緒に行きましょう。すぐ着替えるから、待ってて」
と舞はパジャマから普段着に着替える。満はすぐに舞を抱きかかえると、窓から
空へと飛び出した。

「まったく、薫ったら……」
舞に大体の場所を教えてもらい、満は空を飛びながらぼやく。
「でも、きっと薫さんのことだから何か理由があるのよ」
「私に言っていってくれたらいいじゃない。それならこんなに心配しないわ」
「それはそうね……」
満さんに言いたくない事情でもあったのかしら、と舞が思っていると
「あっ!」
と満が突然声を上げた。なに、と舞が聞く前に満は突然急降下を始める。
舞は落ちないように必死に満にしがみついた。

「薫!」
道を歩いていた薫の目の前に、満と舞が突然姿を現す。
「み……満!? どうしてここに? 舞も?」
薫はきょとんとした表情を浮かべる。その不思議そうな顔に満はいらだった。
「それはこっちのセリフよ! こんな時間にこんなところで何をやってるの!」
「家に帰ろうと思って……」
「なんで!? どこに行ってたのかって聞いてるの!」
まあまあ、と舞が満をなだめ、
「満さん、薫さんのこととても心配してたのよ。どうして、夜中に外に出たの?」
薫はちらりと後ろに目をやった。それからまた真剣な表情の満に目を戻す。

「咲には言わないで」
なんで? と満が聞く間もなく、薫は事情を説明し始めた。

「みのりちゃんに頼まれたの。最近小学生の間でいくつかおまじないが流行ってるって」
「どんな?」
「いくつかあるらしいけど、みのりちゃんが試したがってたのは満月の夜、12時に
 外で誰かとハグするとその人とずっと一緒にいられるって」
「……はあ?」
満は気の抜けた声を上げ、夜空を見上げた。確かに満月は輝いている。
「つまり、薫は咲の家に行って、みのりちゃんとハグして帰ってきたと。
 そういうこと?」
無言で薫はうなずく。

「満さんに言っていけばよかったのに」
舞がそう尋ねると、薫は
「みのりちゃんに、言わないでって言われたの。咲が知ったら、小学生が夜中にそんなこと
 したらいけませんって言われるからって」
「そりゃそうよ……薫も止めなさいよ! 大人として! 中学生として!」
「私が一緒なら安全かなと思って……」
「そういう問題じゃないわ」
舞はまた、まあまあと割って入った。

「薫さん、みのりちゃんはちゃんとお家に戻ったのよね?」
「ええ、もちろん」
「だったら、私たちも帰りましょう。薫さんも無事だったんだし、ね、満さん?」
舞にそう言われて「まあね……」と満は不満そうな声を漏らすと、「帰るわよ、薫」と
くるりと後ろを向いた。

二人で舞を部屋まで送ってから、満と薫は月明かりの中自分たちの家まで歩いていく。
満が前をさっさと歩き、薫が後ろからついてくるという格好だ。
「とにかく、今後はもう少しこの世界の常識を持って判断してよ。
 小中学生が夜中出歩くもんじゃないとか。特にみのりちゃん関係は」
「……努力するわ」
薫の心もとない返事を聞きながら満はすたすたと歩く。と、薫が突然後ろから満のことを
抱きしめてきた。満は思わず立ち止まる。
「な、なに、薫!?」
「こうするとずっと一緒に居られるっていうから」
「小学生のおまじない信じてるの?」
からかうようにそう言うと、薫はすっと腕を話す。
それから二人は横に並んで、連れ立って家に帰った。

 * * *
 
「ごめん、薫!」
翌朝。通学路で会った咲は真っ先に薫に手を合わせて謝ってきた。
「え?」
薫がきょとんとした表情を浮かべると、
「みのりが昨日薫に無茶言って夜中来てもらったんでしょ、本当にごめん!」
「みのりちゃん咲に話したの!?」
「うん、今朝すごく眠そうだったから聞いてみたらね。子供だけで夜中に外に出ちゃ
 いけませんってお母さんに怒られてた」
「そう……なの」
却って悪いことをしたと思ったらしく、薫の表情が暗くなる。

「ほら、薫。だから夜はダメだって言ったでしょ」
満が追い打ちをかけると、「ええ、そうね」と薫は素直に答える。
学校が終わったらPANPAKAパンに行ってみのりちゃんとみのりちゃんのお母さんに謝ろう。
薫はそう決意したのだった。

-完-
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