あの時のマフラーは暖かかったのだろうか。薫はよく覚えていない。
きっと暖かったはずなのだと思う。しかしあの時は、そんなことを感じている場合ではなかった。

ゴーヤーンを倒し、ダークフォールが崩壊してから数か月。
満と薫は夕凪町の小さな家で二人暮らしをしている。
夕凪中の書類上に書いてあった番地に建つ家だ。きっとフィーリア王女が
二人の為に準備してくれた家ラピ、とはフラッピの意見だが
本当のところは分からない。

二人はこの家で大抵は静かに暮らしていた。
大抵は、である。

「……ねえ、薫。これは我慢大会か何かなの? それとも私への嫌がらせ?」
TVの前にぺたんと座った満はうんざりした表情で薫を見る。
薫はと言うと、テーブルの足を背もたれにしてフローリングの床に体育座りをしていて、
棒針で編み物をしている。今は薄い水色の毛糸でひたすら真っ直ぐ編んでいるようだ。

窓の外からは蝉の声が聞こえてくる。夏休み、夕凪町も暑い。
どちらかというと山に近い場所に建つこの家にまで海水浴場に来た人達の
歓声が聞こえてくるほどだ。
まだ休みは始まったばかりなので海もそれほどは混んでいないが、
あと一、二週間もすれば海水浴場も一番の稼ぎ時を迎える。
まだ何も言われていないが、きっと海の家でかき氷や焼きそばを売る手伝いをすることに
なるのだろう。
同じクラスの太田優子は夏休みに入ってから部活のない日には
ほしのやの手伝いをしているという話である。

TVの前に座る満の手には氷入りの麦茶が入ったコップ。
小さな音を出しているTVは先ほどからこの夏話題のプールについて特集している。
ここまで周りの環境がすべて夏夏夏といった様子なのに、
「……なんで毛糸の編み物なのよ。暑苦しい」
薫は自分のすぐ横に置いた初心者向けの編み物の本にちらりと目を落として
それから自分の編んでいるものを確認し、じっと自分を見ている満の視線に気が付いてようやく
「練習よ」
と一言だけ言った。
「練習? 何の?」
まさか夏休みの宿題ではないわよね、そんな宿題出ていなかったと思うし、と満は内心で
思っていた。
夏休みの宿題は一応出てはいるのだが、
――満なら最後の一週間くらい頑張れば終わるよ! 私と一緒にやろうよ!
と咲に言われたので満はまだどんな宿題が出ているのかろくに見てすらいない。

黙々と薫は手を動かしている。時折本を見て確認しては。
ほどくこともたまにあるので、間違えている時もあるらしい。

「何の練習よ。その暑苦しいの」
「マフラーを編む練習」
やっと薫からまともな答えが返ってきた。

「なんでそんな練習をしているの?」
編み物に集中しようとしているからなのか、こうやって少しずつ聞かないと
薫から中々答えが返ってこない。やれやれと思いながら満は質問を重ねる。
舞のように集中してしまうと周りが何を言おうと全く聞こえていないよりは
まだましなのかもしれないが。

「冬用のマフラーを編もうと思って」
「自分の?」
「違うわ」
「じゃあ、誰の」
薫は無言で満の眼を見た。
「わたし?」
「咲と舞よ」
薫はあっさりとそう答えて満から目を逸らす。なんだ、と満は呟いた。

「二人分編むの? なんで? プレゼントか何か?」
満はごろんとフローリングの床に寝転がると、右手でちょいちょいと
薫のそばに転がる毛玉をつつく。
水色の毛玉はまだまだしっかりと量があって、薫がこれまで編んだ量は
それほど多くないと主張していた。

「そうね。プレゼントみたいなもの」
「今から練習って、随分頑張るものね」
「初めてだから練習くらいしないと」
「ふうん?」
満は薫が開いている本を見た。
薫が開いているページはマフラーの項目の最初のページのようで――要するに、
どんな初心者でもこのマフラーなら簡単に編める、というものらしい。
完成した写真を見ても、ごくシンプルな編み方である。
このマフラーが完成すれば一通りの編み方はできるようになるという
コメントもついていて、デザインの可愛さと言うよりは教育性を追求した
マフラーのようだ。

「これを二つ作って渡すの?」
「そうね……」
薫は少し躊躇した。

「うまくできそうだったら、別の柄に挑戦してみようと思うのだけれど。
 どう思う?」
「たとえば?」
床に寝転がったまま満は薫の顔を見上げる。
薫はやっと編み棒を床に置いて本を持ち上げるとぱらぱらとページをめくった。
「たとえば、こういうのとか」
後ろの方のページを開いて満に見せる。その写真はさきほどまで薫が見ていた
マフラーよりは明らかに凝った編み方をしていて、可愛らしいデザインに見える。
「いいじゃない。これ、色違いで咲と舞に編んだら?」
「そう思う?」
「うん」
満が頷いたのに薫は微笑むと、
「良かった」
と答えた。

「ねえ、薫?」
ごそごそと満は起き上がると、薫の隣にぺたんと座る。
「どうして咲と舞にマフラーなの?」
「……何となく」
薫はまた編み棒を取り上げる。
「なんでそんな風に思ったの?」
満が重ねて尋ねると薫は一つため息をついた。

「満は覚えてる? 私たちが舞にマフラーを貸してもらった時のこと」
満は無言で首を捻った。
「……天体観測の時よ。去年の」
「……ああ……、」
思い出した、というように満はわずかにうなずいた。

昨年の夏、舞の家で天体観測が行われた日。
当時は普通のクラスメイトのふりをして夕凪中に潜入していた満と薫も、
当然のように咲と舞に誘われて舞の家を訪ねた。
他のクラスメイトもいたので家の中でプリキュアと戦う訳にはいかなかったが、
舞の家にあった隕石をウザイナー化してプリキュアと戦ったのだ。

今思えば、あの日は普段忙しい舞の両親もそろって家にいた。
舞がクラスメイトを家に招待するということで家族みんなで協力していたのかもしれない。
当然、その「クラスメイト」の中には満と薫も入っていたのだ。
二人がどんな動機で観測会に参加したのか気づきもしないで。

「あの時、マフラーを借りたでしょう?」
「ええ」
夕凪中の夏服の制服のままでいった二人だったが、夜となれば夏でも寒くなる。
舞が気をきかせてマフラーを貸してくれたのだ。

「あの時のマフラーが暖かかったのか覚えてる?」
「――」
満は目を閉じて、あの時のことを思い出そうとした。
星空を見るために集まったあの日のことを。

「覚えてないわ」
しばらくしてから、諦めたように満は答えた。
「あの時は、そういうことを考えないようにしてたから」
「ええ、そうね」
薫は頷いた。

舞から貸してもらったマフラーが暖かいなんてことは
あの時の二人は気づいてはいけなかった。
マフラーのことだけではない。

メロンパンが美味しいとか。
みのりちゃんと一緒にいると楽しいとか。

月が綺麗だとか。
風も悪くないだとか。

とっくに気づいていたそんなことにさえも気づかない振りをしなければ、
自分たちの決意がゆらいでしまう。
ましてあの日、マフラーが暖かいとか天体観測に誘われて嬉しいだとか、
そんなことに気づくわけにはいかなかったのだ。

だから二人は、マフラーの暖かさには意識を向けないようにしていた。

「……きっと、暖かかったんだと思うわ」
薫がぼそりと呟く。
「ええ、そうね。きっと」
満がそう答えると、
「だから、咲と舞にマフラー編んで渡そうと思ったの。
 お返しってことじゃないけど……」
「ふうん……」
薫はまた手を動かし始める。満はわざとらしくばたばたと手で自分の顔を煽いでから、

「ねえ、だったら私も作っていい? 二人で一つずつ作って、それで
 咲と舞に渡せばいいじゃない」
薫は横目で満を見る。
「満が?」
「あら、私結構器用なのよ?」
「知ってるわ」
さっきまで暑苦しいと散々言っていたわよね、と薫がぶつぶつ言うと、

「事情が分かれば話は別よ」
と満はまた毛玉に触れた。触ってみるともこもことして、やはり少し暑くなってくる
気はするのだが。

「ふうん」
薫は半分納得したような声で編み棒をまた下ろした。
「だったら編み棒を買ってこないと、満の分も。毛糸も――これだけじゃとても
 足りそうにないし」
「どこのお店で買ったの?」
満はゆっくりと立ち上がる。今日はこのまま買い物という流れになりそうだ。

「駅近くの手芸やさんよ」
「よくそんな店見つけたわね」
「画材屋さんで尋ねてみたら、そこで売ってるって」
薫は画材屋さんで編み棒を売っているかどうか尋ねたのだろうか。
画材屋さんの店員さんも困っただろうなと満は思った。

窓の外からは相変わらず蝉の声が聞こえてくる。
満は外出用の服に着替えてくると、薫と一緒に出掛けることにした。

-完-

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