暑い。とにかく暑い。毎日暑い。

「暑いときに『暑い』って言うとますます暑くなるから、暑いときは暑いって
 言わない方がいいんだって。小学校の時の先生が言ってたんだ」
と昼間咲が言っていたものだが、そんなことは言っていられないくらいに暑い。
暑いという言葉以外に言葉を思いつかないくらいに暑い。

霧生満は暗い部屋の中、ベッドの上にむくりと起き上がった。暑くて眠れない。
自分の首に触ってみると、汗でじっとりとしている。
このところ毎日こうだ。夜眠れないので、昼間に居眠りすることが多い。
決して、良い生活とは言えない。夏休みとは言え。

布団はすでに跳ね飛ばして床の上に落ちているのだけれど、
それくらいではどうしようもないくらいに暑い。
身体に伝わる汗の鬱陶しさも相まって満ははあとため息をつくと
また枕に頭を置いた――枕も自分の熱ですっかりあたたまってしまっている。
少しでも涼しい場所を探して満はベッドの上をごろごろと寝返りで移動してみたが
限界がある。

多少の差はあるものの、ベッドのどの部分に移動しようともぬるいことには変わりがない。
一周して同じ場所に戻ってきたところで満はまたベッドの上に上体を起こした。
すぐ寝るのは無理だ。今夜も。
しばらくは寝るのをあきらめることにして満はベッドを這い出すと、すぐ隣にあるベッドの横に立つ。
その上では薫が静かな寝息を立ててぐっすりと眠っていた。

満と薫の部屋は咲とみのりの部屋を参考にして家具の配置を決めているので、
満と薫のベッドはそれぞれ壁にくっつけるようにして部屋の両脇に置かれている。

自分のベッドを後にした満は薫のベッドの横に立ち、今夜も平和そうな寝息を立てている
薫の白い寝顔をしばらく見つめていた。

見ていると、だんだん腹立たしくなっている。

――なんで、薫はこんなにぐっすり寝てるのよ! 私が眠れないって言うのに!
理不尽な怒りである。八つ当たりと言うのが当たっている。

叩き起こそうかとも満は思ったが、さすがに薫に激怒されるだろうと思ってそれは控えた。
眠れない夜は退屈なので薫が相手をしてくれるならそれでも良かったが、
満と言えども多少は遠慮をする。

そうはいっても、眠れないでいるところにすやすやと眠っている様子を見せつけられると
腹立ちを覚えることには変わりない。

「……」
いいことを思いついた。というように満はくすりと笑うと、自分のベッドからタオルケットと
掛布団を降ろしてきて眠っている薫の掛布団の上に更にかぶせる。

――さあ、この状態で存分に眠るといいわ薫。
と、内心勝ち誇って薫を見下ろしてから寝室を出る。

向かった先は台所。コップに水を入れると、一気に飲み干す。
「はあ……」
今度のため息は言葉と一緒に出た。喉が渇いていたらしかったので水を飲んだのは
気持ちが良かったが、完全に目が覚めてしまったような気がする。
今夜も、当分眠れないだろう。

――明日、咲とプールだっけ。
満が寝不足だと知ったら、咲はプールには行かないと言い出すかもしれない。
――まあ、黙っておけばいいことだけど。
自分が溺れる心配はあまりしていない満はそんな風に考える。ちらりと時計に目をやり、
――明日じゃなくて、もう今日の話ね。
と満は思った。時刻はすでに0時をまわっている。

窓をそっと開けて外の様子を窺ってみると、月が明るく輝いていた。
満はとんと床を蹴ると、窓から外へと飛び出した。

滑るように空を静かに飛んでいく。飛んでいく分、自分の周りに風が起きるので
それだけ涼しい。まだ満月に少し足りない月はちょうど頭の真上辺りに
明るく輝き、飛んでも飛んでも、月が大きくなることはなかった。
雲がいくつか、ぽっかりと浮かんでいる。雨を降らすこともなさそうな白い雲は
月光に照らされ、黒い影を作り出していた。

満は適当なところで上昇するのをやめると、空を寝床にするかのように上空に
寝転がった。月光は静かに満の顔や髪を照らしていた。
月光は熱くはない。太陽の光とは違う。
昼間だったらこんな風に空で休むのは難しいが、今ならできる。

――でも……
と、満は思う。満は少しだけ不満だった。
――太陽の熱を吸い取ってくれたらもっといいのに。
無茶なことを思ってみる。月がその冷たい光で昼間の間にたまった
太陽の熱を冷まして行ってくれたら、多少は楽だろう。

今日――もう昨日だが――ひまわりパークで見たひまわりも
だいぶぐったりとしていた。水が足りないのではないかということで
咲たちと一緒に水を沢山あげたのだが。
ここのところ雨もほとんど降っていないので、それがまた暑さに拍車をかけているのだ。

水、と思い出していて満は自分の身体を急降下させると川へと向かった。
海もあるがそちらには昼間やってくる海水浴客の熱気が残っているような気がして
満は川の方を選んだ。

川は今も静かに流れ、海へと水を運んでいる。
満は川べりにある石の上にちょこんと腰かけると足を水の中に浸してみた。
水は冷たい。冬の凍えるような冷たさではなく、ほどほどの冷たさ。
やっと冷たいものを見つけたような気がして満はほっと安心すると、
ちゃぷちゃぷと水の中で足を動かしてみた。

それほど激しい動きではなかったが、わずかに水しぶきが立つ。
水は月光に照らされてきらきらと輝いていた。

「あ」
少し乱れた水面を通して水の中を見てみて満はあるものを見つけた。
メダカのような小さな魚が睡眠を破られたようで、慌てて泳ぎ回っている。
「ごめんね」
小さい生き物の安眠を妨害したことに謝ってから満はぺたんと
地面に手をついた。
土からもひんやりとした冷気が伝わってくる。
満はやっと、自分の体温が下がってくるような気がした。


とん、と背後に何かが降りてきた音がする。満は振り返る必要性を感じなかった。
後ろに誰が来たのかは見なくても分かっている。
足音はずかずかと早足に満の方へと向かってきた。

「ハアイ、薫。眠れないの?」
真横に並んで立った薫にそう声をかけると、薫はあからさまにむっとした表情で
満のことを見返してきた。

「あら、薫。不機嫌そうね。寝不足だから?」
「ええ、そうね」
答える薫の顔は仏頂面だ。
「暑いと思って目が覚めたら満の分のタオルケットと掛布団まで私にかかっていたんだけど」
詰問するような口調。満は内心でぺろりと舌を出すと、
「あら、不思議ね」
としれっと答えた。薫が苛立ったのが視線の動きで分かる。

「満がかけたのよね」
決めつけるようにそう言ってくるので、
「知らないわ。布団が勝手に動いて行ったんじゃない?」
と満はさらっと嘘を並べ立て、川に手を入れると水を薫にばしゃんとかけた。

「満!?」
薫は反射的に避けたが水の一部は顔にかかっていた。満はその様子を見て
くすくすと笑う。
「暑いんでしょう、いいじゃない。水、冷たいわよ」
からかうようにそう言うと、薫の目は本気で怒っている色に染まった。
ぶん、と薫の足が振り回されたかと思うと満はぎりぎりのところでよけきれず川に落ちる。
川は浅いので満はすぐに立ち上がるとざばりと水をしたたらせながら
川から上がった。

「乱暴ね、薫」
「冷たいんだからいいでしょう、満」
むっとした口調で薫が答えるのに、
「あ〜あ」
と満はわざとらしくため息をついて川の中を見た。
「何よ」
「さっき、小っちゃい魚たちが眠っているみたいだったのに。今ので起きちゃったわね、きっと」
「……」
それは、悪いことをした。満の言葉を聞いて、薫はそんな顔で川の方を見た。
満はそんな薫の表情を見てくすりと笑みを浮かべると、
自分の前髪から滴り落ちてくる水滴を払う。

「シャワー浴びて寝ようかな。薫もそうしたら?
 汗、かいてるんでしょう」
薫に声をかけると、
「そうね。布団が余計にかかっていたから」
また仏頂面に戻ってそう答える。
「少し落ち着けばまた眠れるわよ。邪魔されても」
他人事のように涼しい顔をしてそう言って、
「帰ろ」とばかりに満は薫に手を差し出した。
薫は少し悩んだが、結局は満の手を取って二人は並んで自分たちの家に戻っていった。


-完-

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