「……何をしているの、満?」
満と薫が二人で過ごしている家はそれほど広くはない。片方が何をしているかは
もう片方にも大体筒抜けになっている。
今日の満は棚にしまってあった箱を出してきて何か作業をしているようだったので、
薫は気になって尋ねてみた。


「明日から六月一日じゃない」
「……だから?」
当たり前のように言う満に薫が質問を返すと、
「だから、衣替え」
と満が箱の中から取り出したのは夕凪中の夏用の制服だった。
これまで着ていたオレンジのセーラー服とは異なり、白さが目にまぶしい。

「ああ……そういえば」
「忘れてたの? 去年ひどい目にあったじゃない」
「そうだったかしら」
「そうよ。薫は気にしてなかったのかもしれないけど」

去年――中学二年生の衣替えの時期。満と薫はダークフォールから
この夕凪町に乗り込み、咲と舞の様子を観察しながらやがて来るであろう
プリキュアとの戦いのときに備えていた。

その途中に衣替えの時期を迎えたのだが、まだこちらでの習慣に疎かった二人は
六月初日にも冬服で登校しかけてしまい、通学路にいる生徒の様子を見て
慌てて戻って夏服に姿を変えて登校したという経緯がある。

満にとってはかなり印象深い出来事であったのだが、薫にとっては記憶に
値しないようなことであったらしい。
そういえば去年、私が慌てている横で薫は平然としていたっけ、と満は
今更ながらに思い出した。

「そうね。気にしてなかったわ」
「そうでしょうね」
予想通りのことを言われたので満ははあとわざとらしくため息をついて
言葉を返す。
「そういうのに気付かない人、結構いるんじゃないかしら」
「……そうは思えないけど。去年、あれだけ一斉に変わってたんだから」
「そうかしらね」
去年一斉に変わっていた記憶も不確かなようで、薫は首をひねった。

「そうよ。明日行けば分かるわよ、たぶん」
「ふうん」
興味のなさそうな声を出しながら、満が出した夏服をハンガーにかけて吊るすのを薫は手伝い始めた。

 * * *

「だから言ったでしょう?」
「……そうね」
翌朝。昨夜準備した夏服をしっかり着て登校する満と薫の目に入ってきたのは
すっかり夏モードになった夕凪中の生徒たちの姿だった。
冬服のままでいる生徒の姿はほとんど見当たらず――少し風邪っぽい様子の生徒は
いまだに冬服だったが――、久しぶりに見える青空の下でおろしたばかりの
白いセーラー服を輝かせていた。

「忘れないものなのね」
「そうよ。言った通りでしょ?」
満はやや勝ち誇っているかのような口調になる。確かに満の言うとおりなので薫は口をつぐんだ。

「おはよう、満さん薫さん!」
「おはよう、満、薫!」
二人のことを見た咲と舞が後ろからかけてくる。
「おはよう、咲、舞」
「おはよう」
口々にそう言って満と薫が振り返ると、咲と舞も、やはり夏服を身に纏っていた。

「うーん、やっぱり夏服になると身体が軽くなったような感じがするよね!」
咲が半袖の腕を空に突き上げて思いきり伸びをする。
ふふ、とその様子を見て舞が笑った。

「咲がそういう格好してると夏本番っていう気がするわ」
「そう? えへへ」
咲はそう言って笑うと、
「まだこれから梅雨だけどね……」
と付け加えて空を見上げた。

「今日は晴れそうだから、部活ちゃんとできるかなあ」
まだ梅雨入り宣言はないものの、最近はとみに雨が増えてきた。
グラウンドを使える曜日は各部活で決まっているので、使用予定日に雨が降ると
その日の練習は自動的になくなりミーティングやら筋トレやらのメニューに代わる。
体育館は体育館でバスケ部やバレー部が使用しているので、
そちらを使わせてもらうわけにもいかない。

ソフト部エースにしてキャプテンの咲にとっては、重大な問題なのである。

「大丈夫じゃない? 今日は気持ちいいくらい晴れてるもの」
満がそういうと、咲はうんと大きくうなずく。
「だよね、きっと」
それにしても……と咲は満と薫を改めて見た。

「二人の夏服見るの久しぶりだね」
そう言って、にっこりと笑う。去年の夏、梅雨が明けたころに満と薫は
ダークフォールに姿を消した。この町に二人が帰ってきたのは
十二月になってからのことなので、その時あたりはすっかり冬だったのだ。
「……そうね」
静かに舞も同意した。舞にも、去年のことが思い出されてきた。

「夏服のことすっかり忘れてたのよ、薫ってば」
そんな咲と舞の気持に気付いているのかいないのか、満は薫を茶化すように言う。
「満」
薫はむっとした表情を浮かべた。
「え? どういうこと?」
咲が聞き返すと、
「昨日の夜私が支度してたのに、衣替えのこと全然思い出さないんだから」
「……」
薫は不機嫌そうに黙りこんだ。

「それは仕方ないわよ。ついうっかり忘れちゃうことはあるもの。ねえ、薫さん」
「……ええ」
薫は小さく頷く。
「そうそう、数学の宿題忘れちゃうみたいにね」
咲がおどけてそう言った。現実に昨日、宿題を忘れていて数学の時間ピンチになったのを
他の三人はよく知っている。

「……それと同じなのかしら」
薫は、満に言われたどの言葉よりもショックを受けたように見えた。
「もう、薫ってばそんなにショック受けなくてもいいじゃない」
咲が少し不満そうに呟いていた。

 * * *

ここのところ雨が多かったので昼ごはんも教室で食べることが多かったが、
今日は屋上も乾いていたので咲たち四人は屋上でお昼を食べることにした。
日陰になっている場所にはまだ湿っぽいところもあるが、
日当たりのよい場所はすっかり乾燥しているので腰を下ろすにも抵抗がない。

空を見上げれば、最近よく見た灰色の雲ではなく真っ白な雲がかかっている。
眼下に見える木々も、春の若芽からすっかり深緑の葉へとその装いを変えている。
見える景色は、まるでもう夏真っ盛りの時期であるかのように思われた。

「それでね、この前またあの場所に行ってみたの。ほら、去年みのりちゃんと
 一緒にスケッチに行った」
「あじさいがたくさん咲いているところ?」
話は舞のスケッチの話になる。咲も満も薫も、うんうんと舞の話を聞いていた。

「ええ、そう。何週間か前に薫さんとも一度行ったけど――」
「あの時はまだ全然花が咲いていなかったわね。緑色のつぼみばかりで」
「そうそう、そうだったんだけど」
そこが一番言いたかったと言うかのように舞は勢い込んだ。
「この前行ったらね、色づいている花も少しあったの」
「もう?」
薫が意外そうに声をあげる。
「ええ。まだ緑のままのつぼみも多かったけれど。
 雨が降るとちょっとずつ色づいていくのよね」
舞はあじさいの花に彩りが加わっていくところを思い浮かべてうっとりとしているような
表情を浮かべた。
「今度また、スケッチに行かない?」
「ええ」
薫がうなずく。去年はすっかり満開になった時のあじさいを見に行ったものだが、
少しずつ変化する様子にも興味はあった。

「そういえば――、」
舞の話を聞いて咲が思い出したように、
「ひまわりパーク、もう種蒔いてる人いるみたいだよ。
 この前行ったら芽を出しているのがいくつかあって」
「本当?」
満の言葉に、うん、と咲は答える。
「今年も育てようよ、ひまわり。今度晴れてる日に登録に行って場所作ってもらって」
「そうね」
去年育てかけたひまわりのことを思い出して満はわずかに口角をあげた。
その時のひまわりが咲いた姿を満と薫はろくに見ることはなかったのだけれど。


そんな満を見ながら、薫は全然別のことを考えていた。

時期が来ればひまわりは芽を出すし、あじさいは花を咲かせる。
それは当然のことである。まったく、当り前のことである。

しかし、今の薫にはそれがどこか不思議なことのように思えた。
一年たってからまた忘れもせずに咲くあじさいのことが。

 * * *

放課後、舞と薫は二人で絵の具を買いに商店街へと足を向けることにした。
必要な絵の具を購入してから何となくぶらぶらとしていると、
書店から和也が出てきたのにばったり出くわす。

「おにいちゃん?」
「あ、舞と……霧生さん」
薫は和也の顔を見て軽く目礼した。
「舞、これから帰るならパン買っておいてくれないか。明日の朝用に。
 今朝母さんに頼まれてたんだ」
「いいけど。お兄ちゃんはどうするの?」
「いい本手に入ったからちょっと友達の所に行こうと思って」
そう答えて、和也は手に持った本の袋を舞に見せる。

「ふうん」
何の本? とは、舞は聞かないでおいた。この兄のこと、またよくわからない本を
買ったのに決まっている――と思ったのだが和也のほうからまるで自慢するかのように、

「素数ゼミの本なんだ」
と言ってきた。
「素数ゼミ?」
聞きなれない言葉に薫が首をかしげる。
「素数ゼミってね、アメリカで十七年に一度成虫になって大量発生する蝉なんだよ」
和也は薫が興味を持ったのが嬉しいらしく、説明を始める。
「十三年に一度発生する種類もあるけどね。今年は当たり年だって言うから、
 ちょっと調べてみようと思って」
「十七年に一度……」
薫は繰り返した。
「そうそう」
「残りの十六年間はどうしてるんですか?」
「土の中で幼虫として過ごしてるんだよ」
「……成虫になるの、忘れないものですか?」
和也は薫の言葉を聞いて笑った。
「忘れないみたいだよ。土の中でずっと眠ってるわけじゃなくて、
 ちょっとずつ成長してるからだろうね」
「ちょっとずつ、ですか」
「そうそう。日本のアブラゼミだって何年も土の中にいるし、
 種なんかもそういう言い方ができるかな。土の中でじっとしているように見えて、
 ちゃんと準備を整えてその時を待ってるんだ」
薫が少し納得したような表情を浮かべたのを見て、
「じゃあ、舞。パン頼むな」
と言って店の前に止めた自転車に乗るとそれを走らせていく。

「ごめんね薫さん、お兄ちゃん好きなことについて話し出すとどんどん喋るから」
「あ……ううん、聞いてて面白かったから」
和也の後姿を見送っていた薫は舞にそう言われて我にかえって返事をする。

「そう?」
「宇宙のこと以外もいろいろ知ってるのね」
「結構興味は偏っているんだけど」
商店街に立ち並ぶ建物に切り取られた空を薫は見た。
もしも空から誰か見ているとしたら、今日は一斉に人の姿が変わったように見えたのだろうか。
そしてそれを、今までじっと準備していたからだと考えるのだろうか、と
薫はそんなことを思った。


-完-

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