満と薫が緑の郷にやって来たのは花が咲き誇る春の季節だった。枯れ果てた空の泉から
初めて来た二人にとって、この世界はうるさいくらいの様々な色彩に満ちていた。

緑の郷に来て数日経ったころ。
ひょうたん岩の上、明るい日の光の中で薫を見ていた満は不思議な感じがして思わず
薫をしげしげと見た。

「……何?」
満の視線に気づいた薫が問い返す。
「薫ってそんな髪の色だった?」
薫は視線を落とし自分の紺色の髪を見た。
「さあ。敢えて色を変えてはいないわ」
「そうね」
薫がそんなどうでもいいことをするはずもない。ダークフォールにいた頃と比べて
薫の髪の色が随分明るく見えるのは、この世界に溢れている光のせいだ。
満は身体を捻ると薫と背中合わせになるように座りなおした。

このひょうたん岩は、緑の郷にいる時の満と薫のお決まりの場所になりつつある。
海の中に立つこの岩の上にいればまず敵から襲われる心配はない。二人で背中合わせに
座るのにも都合の良い形なので周囲の警戒も怠らないでいられる。

もっとも、と満は思った。

――プリキュアがここに来るとも思えないけれど。

伝説の戦士プリキュア。ダークフォールがすべての泉を手に入れるまで
あとわずかに一歩と思われていたが、彼女たちの出現により
木の泉、火の泉を奪い返される事態になった。
ダークフォールでその話を聞いた満と薫は、プリキュアとはどれだけ
強い戦士なのかとある種の期待を抱いてこちらにやってきた。

だが、実際の彼女たちは単なるお人よしにしか見えない。
少なくとも日向咲、美翔舞として行動している時の彼女たちを見るときは。

――プリキュアが私たちのことに気がつくとは思えないし。

プリキュアは満と薫がダークフォールから来たと気づいていない。
ただの人間だと思っている。おそらくこれからも気づかれることはないだろう
と満は確信めいたものを抱いていた。
可能性が一つあるとすれば薫がダークフォールや泉の郷のことを何か
言ってしまうことだが、自分がそばにいればそれはいくらでも誤魔化せる。
自信を持ってそう言えるくらい、プリキュアは間抜けだ。

ただ、どういうわけかプリキュアは強い。カレハーンとモエルンバを
倒したのは確かだし、ドロドロンが出すウザイナーとの戦いでも
最初は追い詰められても最後には勝っている。
あの訳の分からない強さがどこから出てくるのか満にはまだよく分からない。
ドロドロンが戦っている間、まだしばらく時間はあるだろう。
その間に強さの秘密を突き止めればいい。それさえできればプリキュアに
負けることはしない。紺色の海を見ながら満はそう思った。
背中の向こうで薫がわずかに身を動かす。
満は考え事からそちらの方に気を惹かれた。

「どうかした、薫」
背後の薫にちらりと目をやる。薫は背をわずかにそらすようにして
空を見上げていた。
「雲が白いのね、ここでは」
「ああ」
満も空に目を転じる。良く晴れた空にいくつか綿雲が浮かんでいた。
枯れ果てた空の泉を覆っていた分厚い灰色の雲とはだいぶ様子が違う。
あの雲は空を包んだまま動くことはなかったが、ここでは風が吹いて
しばらくすると雲はその場所や形を変えていく。つい先ほどまで
見えていた雲が、気づくと消えていることもしばしばだ。

ここでは色々なものがよく動く。そして、よく変わる。
「あっちの雲、もうすぐちょうどあの山の頂上にかかりそうね」
しばらく見ていた満はそんな風に予想した。言ってしまってから、
きっと薫に「どうでもいい」と言われるのだろうなと思った。
実際、どうでもいいことだ。そんなことは。

「……そうね」
薫がぽつりとそう思う。えっと思わず満は聞き返した。
その満の反応の方に今度は怪訝そうに眉をひそめる。
「満が言ったんじゃない。もうすぐあの山の頂上に行くと思うわ。ほら」
薫が空を指さす。ゆっくりゆっくりと動いていた雲は今ようやく山の上に
さしかかった。

ただ、それだけのことだ。
風に流された雲が、ひょうたん岩から見てちょうど山の頂上まで来たという
だけのこと。
ただそれだけのことなのに、満も薫も息を殺すようにしてその光景を見ていた。
「美しい」という言葉で彼女たちの今の気持ちの一端を表現できることに
満と薫はまだ気づいてはいなかった。

 * * *

しんしんと雪が降る。
フラッピたち精霊が泉の郷に帰って行った翌朝、緑の郷には雪が降り積もっていた。
ちょうどこの日は休日で満と薫は二人の家――ゴーヤーンとの戦いが終わってから
住むようになった――でいつもよりゆっくりと寝ることにしていた。
ベッドの中で薫が目を覚ましたのは普段学校に行くときの起床時刻から一時間くらい後。

――ん……。
薫は暗くした部屋の中で二、三度瞬きをするともう一度寝るようにするかこのまま
起きるか少し悩んだ。部屋の反対側の壁につけた満のベッドからは規則正しい
寝息が聞こえてくる。
気をつけて身体を動かそうとして、薫は昨日まで一緒に寝ていたフープが
今日からはいないことを思い出した。フープたちは昨日、泉の郷に帰って行ったのだ。
目を閉じて少し待ってみたが眠れそうになかったので、薫はそっとベッドから抜け出した。

階下に降りてみると、妙に家の中が明るく感じられる。訝しく思いながら薫は
部屋の窓を開け、その光景に思わず息を飲んだ。

夜の間に降り積もった雪は世界を真白に包み、今なお雪は降り続いている。
普段家から見える茶色の大地は今はもう白に覆われていた。
すっかり葉を落としてむき出しになった枝を空に伸ばす木々にも白いものが
降り積もりじっと堪えているように見える。
世界から音も消えていた。この時間、普段だったらぴいぴいと鳴いている
小鳥の声が今日は聞こえない。
それと、もう二つ。きっとこの雪を見て騒いでいるだろうムープとフープの声も、
今日はない。
静寂と白に覆われた世界を窓の向こうに見て、薫は思わず立ち尽くしていた。

「……薫? 何見てるの?」
満が目をこすりこすり部屋の中に入ってくる。
「雪よ」
「雪?」
満はすっと薫の隣に立つと外を見た。薫が見ていたのと同じ
真っ白な世界が満の目にも飛び込んでくる。
今までずっとその白さを見ていた薫は、隣に立った満の
髪の色の鮮やかさに驚きを覚えた。

「へえ……こんなになるのね……」
満は薫が自分の方を見ていることには気づかずに雪景色を眺めていた。
二人が一面の雪という光景を見るのは初めてではない。
クリスマスの時も雪が降った。ミズ・シタターレの力で雪山にも飛ばされた。
あの時には溶けて消えていく雪を見ながら自分たちの運命にも
思いを馳せたものだが、今はそれを心配しなくてもいいのだと満は思った。

「音も静かね」
「ええ」
満の言葉に薫が頷く。
「ムープやフープがいたら、今頃きっと大騒ぎだったのにね」
「そうね……あと一日、待てばよかったのに」
大空の樹から泉の郷へと帰って行った精霊たちのことを思い出して、
薫はまた涙ぐみそうになった。

「そうやってあと一日、あと一日ってやってたからずっと延び延びになって、
 それで思い切って昨日帰ることにしたんじゃない」
「それはそうだけど」
満に笑いながら軽く言われて薫はむっとしたように答える。
「それに泉の郷と緑の郷は、もう好きな時に行き来できるんだし」
「それはそうだけど」
薫は同じ言葉を繰り返す。精霊たちにとって泉の郷は故郷だし、
満や薫と一緒に過ごすのと同じくらい泉の郷での暮らしも彼らにとって
魅力的なのは薫もよく知っていた。
だから、ムープとフープが帰って行ったのもそれはそれで仕方がない。
そう頭では納得しているものの、気持ちの方は中々割り切れそうになかった。

「ところで、薫。私まだ朝ご飯食べてないんだけど」
「私だって食べていないわ」
「支度くらいしてくれたっていいんじゃない?」
「なんで私が」
「せめて温かいお茶くらい入れてくれるとか」
まるで当たり前のようにそんなことを言ってくる満に薫はわざとらしく
ため息をついて見せると薫は台所に言ってお湯を沸かし始めた。

「ありがと、薫」
「食事の方は満が支度して」
突き放すように薫は言う。はいはいと満は上機嫌に朝食のパンに添える
サラダを作り始めた。
パンは昨日PANPAKAパンで買ってきたものだ。

十分もすれば朝食の時間になる。二人は向かい合って座ると、ぱくぱくと
朝食を食べ始めた。
やがて朝食をほとんど食べ終えてしまった薫がふうとため息を吐く。

今度は先ほどのわざとらしいため息とは違ったので、
「どうしたの?」
と満は聞いてみた。
「また二人になったと思って」
「どういう意味?」
「今まではムープとフープが一緒にいたけど、また二人になったと思って」
「そうね……」
薫が淹れた紅茶を一口飲むと、「でも」と満は言い直す。
「外に出ればすぐ会えるわ。咲にも舞にも、ムープにもフープにも」
「そうね」
そうね、とは言っているもののどこか気の乗らない様子の薫を見て、
「また泣いてみる?」
と満がからかうように言うと、怒ったようにふんと薫は視線を逸らした。

「薫、今日はトネリコの森のところに行ってみない?」
食事を終えて食器を片づけてしまうと満がそんな風に提案する。
「きっと、ここより雪が積もってるんじゃないかしら」
「そうね……」
薫は相変わらず気のない返事をしていたが、満は無理やりにでも連れ出すことにした。

トネリコの森は満の思った通りに深い雪に埋もれていた。
雪道だからと長靴を履いてきた二人だったが、雪を踏みしめると踝のあたりまで
雪に埋もれてしまう。雪の感覚は歩いていて面白かった。

トネリコの森も、やはり静かだ。動物たちもすっかりと息をひそめて閉じこもって
いるようで、こんな日に外に出てくるのは物好きな子供くらいしかいないのかも
しれない。

「あ」
と、薫が何かに気が付いて近くの樹の枝をつかむと、そこにかかった雪を払った。
何があるのかと満が見ていると、雪の下から固くとじたつぼみが
その姿を現す。じっと春を待っているように満と薫には見えた。

「やっぱりここは緑の郷なのね」
当たり前のことを、今気づいたとでもいうように薫がつぶやく。
「そうね……そのうちこの花も咲くのね」
「……」
無言で薫が枝から手を放すと、たわんだ枝は大きくはねてまた元の場所に戻る。

と、薫は突然後ろを向いて背後から迫り来ていた雪玉を手で打ち落とした。
「あ〜あ。やっぱ気づかれちゃった」
二人の後ろ、少し離れた場所にいた咲は薫のそんな反応を見て軽く頭をかく。
隣にいる舞は困ったような表情で咲と満、薫を見ている。
「もう、咲何やってるのよ!」
満はすぐに足元の雪で雪玉を作ると咲に向かって投げつけた。
「二人の家に行ったらいないから、こっちかと思って。満、雪合戦やろ!」
咲はすぐに雪玉を丸めると「こっちこっち!」と
逃げるようにして、樹が少ないところにみんなを誘う。

「待ちなさいよ、咲!」
雪玉を二つ両手に持つと満はすぐに咲を追いかけた。舞も、そんな二人についていく。
薫は少しの間立ち止まっていたが、くすりと笑うと雪玉を作って、
咲と舞、満の声がする方に歩き出した。

-完-

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