満と薫は、学校に行く前にPANPAKAパンに寄っていくことが多い。
昼食用のパンを買っていくこともあるし、咲と一緒に登校することもある。
この日も、二人は開店したばかりのPANPAKAパンを訪ねていた。

「おはようございます」
「あら、満ちゃん薫ちゃんおはよう」
咲のお母さんはちょうど大体の商品を並べ終えたところだ。満と薫を見て
にっこりと笑ってから、その表情は苦笑になる。
「今日ね、咲寝坊してるの。ちょっと遅れるかもしれないけど」
「あ、そうなんですか? じゃあ」
少し様子を見てきます――と満が言いかけたところに、
「薫お姉さーん!」
と着替えも終わりランドセルも背負って登校する準備万端のみのりが飛び込んできた。

「おはよう、みのりちゃん」
「うん、おはよう薫お姉さん。見てみて、この前買ってもらったお洋服
 今日初めて来たんだよっ!」
茶色いチェックのワンピースを着たみのりが薫の目の前でくるりと一回転して見せる。
スカートがふわりと翻った。
「似合う?」
「ええ、とっても」
みのりの嬉しそうな様子に薫の顔がほころぶ。実際、みのりは
とても可愛らしく見えた。
「今日これ着て学校行ったらみんな新しいのだって気が付いてくれるかなあ?」
みのりは満と薫を見上げた。
「きっとみんな気が付いてくれるわよ。すごく可愛くて綺麗だもの」
薫よりも先に、にっこりと笑って満が答える。薫は言うべき言葉をとられたような気が
して口をわずかに動かしただけで何も言わなかった。

「ちょっと咲のこと見てきますね」
満は咲のお母さんにそう断って家の方に入っていく。
みのりは「えへへ」と笑うと、ちょこちょこと走ってPANPAKAパンのガラス戸に自分の
姿を映した。薫がその後ろに並んで立つ。
「着ていくのはいいけど、あんまり汚さないように気をつけるのよ」
咲のお母さんがそんなみのりを少し窘めた。

「大丈夫だよ、今日は休み時間も教室の中で遊ぶもん」
みのりはそう答えると薫の方に手を伸ばした。鏡になったガラス戸の中に
手をつないだ二人が映る。
みのりはとても満足げだった。
「う〜、おはよ薫。あれ、みのりもう学校行くの?」
家の方から咲の声がして二人は振り返って手を放す。咲はまだどこか寝ぼけ眼で、
満に押されるようにして出てくる。
「もう、お姉ちゃん遅いんだから〜」
「しょうがないじゃない寝坊しちゃったんだから。でも、みのり学校に行くの
 まだ早くない?」
「んー、早く学校行ってみんなに見せたいんだ」
「はいはい」
呆れ顔で咲が答えると、みのりは「じゃあ行ってきまーす!」と
その場にいるみんなに元気よく行って駆け出していく。
「気をつけていくのよ!」
「分かってるー!」
お母さんに答える声はもう扉の向こう。駆け出していったみのりの背中は
次第に小さくなっていく。

「みのりちゃん、本当にあの服お気に入りなのね」
薫が咲に目を向けると、うん、と咲は大きく頷いた。
「みのりが普段着てる服って私のお下がりが多いから、新しい服買ってもらえてうれしいみたい」
「へえ、だからあんなに」
満は納得したように呟いた。そしてちらっと薫を見上げる。
「……何よ」
「最初にあの服見せてもらって良かったわね、『薫お姉さん』」
にやっと笑ってそういうと、薫はふんと目をそらした。

 * * *

この日、夕凪中は職員会議の都合で午後からは授業がなかった。昼食と掃除を
終えると、もう放課後だ。
「咲ー、帰らないの?」
鞄を持った満と薫が咲と舞の席のところにやってくる。
「うん、今日はソフト部の自主練があって」
「そうなの」
咲と一緒にPANPAKAパンに行こうと思ったのに、と満は少しがっかりしたような表情を浮かべた。
咲はその様子を見て少し慌てると、
「薫と舞は?」
「私たちはこれからスケッチに行こうと思ってるの。この時間スケッチできるのって
 珍しいから」
「そっかあ」
舞の答えを聞いて咲はごめん、と満を振り返る。
「自主練終わったらダッシュで帰るから、先行ってて」
「しょうがないわね……、遅かったら咲の分のおやつも私が食べるわよ?」
「えっ、それは残しておいてよ」
「まあ、考えておくわ」
満は目を悪戯っぽく輝かせると、「じゃ、先に行ってるから」と手を振って
教室を出る。舞と薫も目を合わせて頷き合うと教室から出て、大空の樹を目指した。
今日は風が涼しい。青空の下でスケッチブックを開くのは気持ちがよかった。

 * * *

「……?」
スケッチを始めてから小一時間、薫はふと手を止める。隣でスケッチをしている舞は
薫の動きには全く気付かないままに鉛筆を走らせていた。
――風の匂いが変わった……
風向きも先ほどまでとは違う。空気の流れが変わってきている。空に目を向ければ、
いつの間にか灰色の雲が広がってきていた。急速に、天気は変わりつつあった。
「舞」
集中している舞に気付かせるために、少し乱暴なくらいに舞の身体を揺さぶると、
しばらくして舞が
「……薫さん?」
と夢から覚めたような顔で薫を見る。
「今日はもうやめた方がいいわ。すぐに雨になる」
「えっ?」
舞は慌てて空を見る。空を覆う雲の量は刻一刻と増えてきていた。
「本当……いつの間に」
二人はスケッチブックと鉛筆をしまうと、大急ぎで町へと戻る。
舞の家に着いたころには大粒の雨がぽつぽつと天から落ちてきていた。
「あ、降ってきた」
薫が思わず手を出して雨を受けると、家に入りかけていた舞は
「薫さん、うちの傘持っていく?」
と玄関にあった傘をつかんで出したが、
「いいわ、走っていくから。また明日ね」
「ええ、また明日」
と薫は走って美翔家を離れる。道にいた人たちも薫と同じように
走って目的地に向かったり、雨宿りをする場所に駆け込んだりしていた。
今日は一日中晴れそうな天気だったから用意良く傘を持っている人も
あまりいないのだろう。

学校から出てきたばかりの小学生たちも、少し不安そうな顔で
雨宿りをしている。その姿を見て薫は一瞬足をとめかけた。
――そういえばみのりちゃん……

今朝のみのりの様子を思い出す。どう考えても、傘は持っていなかったような気がする。
薫は全速力で家に戻り荷物を玄関に置くと、傘を持って飛び出し小学校に向かった。
新しい服を着てあれだけ喜んでいたみのりを雨に濡れさせるわけにもいかない。

……だが、
「ゆきちゃんって本当に準備いいよね〜」
「置き傘はしておきなさいってお母さんに言われてるんだ、だから」
薫が小学校に行ってみると、みのりはちょうどクラスの友達に
傘を貸してもらって学校から出てきたところだった。薫はみのりに見つからないように
そっと隠れて家に帰った。

 * * *

「は〜、雨ひどいわよ今日。止むと思ったら全然止まないし……」
薫が家に帰って雨に濡れた洗濯物の片づけをしてしばらくしたころ、
満が帰ってくる。ソファに座って本を読んでいた薫は、ん、と目を上げた。
「まだ止んでないの」と窓の外を見ると、
相変わらず雨は降り続けている。

「うん。止むまで待とうと思ったんだけど、ずっと止まないから
 咲に傘貸してもらっちゃった。干して返さなくちゃ」
「へえ、そうだったの」
「うん。みのりちゃんも友達の傘に入れてもらって帰ってきてたし……」
満は何気なくそんなことを言った。

「ええ、知ってるわ」
と薫は答える。
「……え? なんで?」
「みのりちゃんに傘を届けに行こうと思ったんだけど、友達の傘に入れてもらってる
 ところが見えたからいいかと思って……」
「……え? 何それ」
満の声が急に冷えたのを感じて薫は思わずそちらに目を向ける。
「何それって……それだけのことよ」
「……つまり、薫はみのりちゃんに傘を持っていこうとは考えても
 私に傘を持ってきてはくれないの?」
「え?」
薫は聞き返した。満の表情はいかにも不機嫌そうだ。
「だって、みのりちゃんは今日新しい服を着てたから濡れるとまずい……」
「私の制服は濡れてもいいの?」
「……満は何とかするだろうと思って」
それは薫の正直な気持ちだった。より正確には、「何とかするだろう」とさえ
薫は考えていない。
薫が何も手助けをしなくても、満は大抵の事態には何とかする。
それは薫にとっては当然のことだった。

「そういう問題じゃなくて……」
と満は言いかけたが、「もういい」とそっぽを向く。
「ちょっと、満」
さすがに薫が慌てるが、満はだだっと自分たちの部屋に入ると
服を着替えて布団の中にもぐりこんだ。薫はどうしようかと少しの間
躊躇っていたが、満を追いかける。
「満? 入るわよ」
満の部屋――薫の部屋でもあるのだが――に入ると、満は頭まで布団を
かぶっていた。
「満……、ごめん」
ベッドの脇に立って謝るが、満は布団の中で身動き一つしない。
「満?」
聞いているのかと薫は布団を持ち上げようとしたが、布団の中の満の手が
布団をつかんで離さなかった。薫は一つため息をつくと、
「ごめんなさい」
ともう一度謝った。
「メロンパン……」
布団の中から声が聞こえる。
「え?」
「明日の朝のメロンパンを買ってくるの忘れたの。買ってきて」
「えっと……今から?」
「今から」
満は我儘を通したい気分だった。雨がまだ降り続いていることは知っている。
それでも、薫に無理を聞いてもらいたい気分だった。

「……分かったわ。行ってくる」
薫はそれだけ言うと、そのまま黙って部屋を出て行った。満が布団の中で
耳を澄ませていると、財布などを用意した薫が家を出ていく音が聞こえた。

「……」
満は無言でベッドの上に身を起こした。本当に行ったんだ、と思う。
――買い忘れてきたのは私なのに……、
いつもの薫だったら「自分で買ってきなさい」と突き放して終わりだ。
満は窓の外を見た。満が帰ってきたときよりもひとしきりまた雨は強くなったようだ。
「……」
もう一度着替えると、満は自分の傘を持って家の外に出た。
PANPAKAパンの方に少し小走りに歩いていくと、
前を歩く薫の姿が満の視界に入ってくる。

「薫!」
近づいて名前を呼ぶと、薫は「満?」と驚いて振り返った。
「気が変わったわ。一緒に行きましょ」
「え? ……うん」
薫は満の気持ちを計りかねている様子だったが、二人は並んで歩き始めた。

-完-

 ←押していただけると嬉しいです。




短編SS置き場へ戻る
indexへ戻る