朝まだ早く、商店街にはシャッターの下りている店も目立つ時間帯。
薫は列に並びながらあくびをかみ殺していた。
前後に並んでいる人もどこか眠そうだ。妙にハイテンションに
なっている人たちもいるが、ほんの一握りである。

――なんで私が……

こんなところで並んでいるのか、胸のうちでついぼやいてしまう。
こんなことになっているのは昨日の夜、満が持ちかけてきた話が発端だ。

          *           *

「薫ー」
満が写真の入った雑誌を持って薫に近づいてくる。
ベッドの上でぼんやりとしていた薫は目を上げた。

「これ見て」
ぐいぐいと満が雑誌を押し付けてくる。ちらりと視線を落とし、
「ふーん」とだけ薫は答えた。
「読んだ?」
「見たわ。でも、読んでない」
「読んでよ」
しつこく言うので、改めて薫は自分の脚の上に乗っている雑誌に目を落とす。

「大人気! 町のパン屋さん」という特集らしい。PANPAKAパンが載っているという
話かと思い少し真面目にページを繰るが、PANPAKAパンの文字はどこにもなかった――
この特集自体、夕凪町ではなく隣町をメインにしたものらしい。

「読んだわ。それで?」
「ここ」
特集の2ページ目を満は指差した。「一日限定100個のみ!」という黄色い字の下の
解説を読むと、あるパン店で販売している限定パンが大人気だという話だ。
日本では珍しいパンだということもあり、すぐに売切れてしまうらしい。

「それで?」
再度、薫は質問を繰り返した。満が何を言わんとしているのか、
その意図がまだ見えてこない。

「明日、買ってきて」
「……は?」
「明日買ってきて。お願い」
妙に優しい口調で満が言う。ちょっと待ってと薫は答えた。

「満が、このパンを食べたいのね?」
確認するとこくこくと満が頷く。
「だったら自分で買ってくれば?」
「その記事読んでないの?」
非難がましい薫の声を満は涼しい顔で受け流す。

「朝早く行かないと売り切れちゃうわ」
「だから?」
「だから、決まってるじゃない。薫の方が早起きは得意だから」

「……」
無言で薫は雑誌を閉じると満にそれを突き返す。
「薫?」
「自分で早起きして行きなさい」
怒っているでもなく淡々と告げる薫に満は不満そうな顔になると、
ベッドの上に乱暴に腰掛けた。

「……満が食べたいんだから、満が行くのが筋でしょう」
諭すような口調で言うが、満はどこか不機嫌だ。
「……薫は食べたくないの? 買ってきたら一緒に食べられると思ったのに」
「それは……」
まあ、あれば食べてはみたい。しかしわざわざ朝早く出かけて買いに行くほどの
情熱は感じない。そう薫が答えると、

「じゃあ薫も食べたいのね」
満はにっこりと笑った。
「でも、買いに行くのは満が」
「私が早起き苦手なのは知ってるでしょ? 明日の朝起きれなくてぐずぐずするよりは、
 最初から薫が行くって決めておいた方が効率がいいわ」
「確かに、効率はいいかもしれない。でも、元々満が言いだしたことなんだから満が」
「でも、薫も今は食べたくなったでしょ? だから薫が行って」
不本意ながら薫は何となく押し切られてしまった。
夜が明けて、現在に至るわけである。

          *           *

――それにしても……、

薫は列の先を遠くに見て一つため息をつく。この店で売っているパンが
大人気というのは本当だ。自分の前にはかなり多くの人が並んでいる。

やはり首根っこを掴んででも満も連れてくれば良かったと薫は思った。
出かける時満はまだ自分のベッドの中で、「行ってらっしゃい」と寝ぼけた声を
出しただけだった。今頃はさすがに起きているだろうが……、

―― 一度帰って満を連れてこようかしら。

薫はそう考えはしたものの実行に移そうとはしなかった。一度戻れば
絶対にパンは売切れてしまうだろう。

「皆様お待たせしました、それでは○○パン店の限定パン販売を開始します」
列の前の方でお店の人が大きく声を上げた。列に並んでいた人々が
どよめいたような声を上げる。これでやっと列が動き始める。
薫はほっと安心すると静かに自分の番を待った。


小一時間ほどたち、薫の前にはあと数人を残すばかりになった。
もうすぐだと薫は身を引き締める。
――順番が来たら二つ注文してお金を払って……そしたらすぐに帰ろう。

しかし薫の思惑は外れた。薫の三人前の人が買い物を終えたところで、

「すみません、本日売切れになってしまいました」
店の人が列に並んでいる客に頭を下げて回る。薫は呆気に取られた。
並んでいた人たちはある程度想定していたことだったのか、あ〜あと残念そうに
しながらも三々五々に散っていく。

薫はぽつんと残された。限定パン専用の販売台を片付けている店の人が薫に気づき、
「ごめんなさいね。折角来てくれたのに。もし普通のパンで良かったら、
 是非買っていって」と声をかけてくれた。薫は無言で小さく頷いただけで
一応パン店には入ってみたもののすぐにまた外に出てきた。
店の中で売っていたパンはPANPAKAパンと似たような品揃えだ。
ここで買うならPANPAKAパンで買うほうがいい。

薫は気落ちして店を出ると、人目のないことを確認して空に飛び上がった。


満と二人で暮らす家に帰る前にPANPAKAパンに寄る。
機嫌を取ろうというわけではないが、買えなかったパンの代わりに
満の好きなメロンパンでも買って帰ろうと薫は考えていた。

――満がそれでも文句言ったら、今度こそ自分で行けと言うしかないわ。

そんな決意を固め、PANPAKAパンに入る。――おや、と薫は思った。店に誰も
出ていない。
「あら薫ちゃん、いらっしゃい」
不審に思っていたら咲のお母さんが物音に気づいたらしく奥から出てきた。

「こんにちは」
「満ちゃんも来てるわよ」
「え、満が?」
「ええ、奥に居るわ」
失礼しますと言って薫は店の奥、厨房に向った。満がこちらに来ているなら
あっさりと買えなかったと言ってしまったほうが良さそうだ。

奥から咲と満の声がする。
自分には買い物に行かせて満自身は咲と遊んでいたのか、と思うと
今更ながらに薫は少しむっとした。

「ほら、満……そうそう、上手いよ」
薫はひょっこりと厨房を覗き込んだ。
満がケーキを載せた皿を持って満足げにしている。

「満……何してるの」
「か、薫っ!?」
ケーキを取り落としそうになる満だったが慌てて持ち直しテーブルの上に置く。

「は、早かったわね……買えた?」
「私の少し前で売り切れたわ、次は満、買いたかったらあなたが行きなさい」
早口にそう言い、
「で、満は何をしてるわけ?」
と尋ねる。薫の言葉には若干だが棘があった。

「ケーキ。咲に教えてもらって」
満もその棘に気づいたらしく弁解するような口調で答える。

「ケーキ?」
ぴくんと眉を顰める薫を、咲がまあまあととりなす。
「満、薫にケーキ食べてもらいたくて私に教えて欲しいって」
「普段はパンを食べてもらうことはあるけど、たまに変わったことを
 してみたくて……だから、珍しいパンを買ってきてもらって
 それに私が作ったケーキを一緒に食べようと思って……」
「……ふうん」
素っ気無く薫は答える。

「でも、パンは買えなかったわ」
「う、うん……」
「薫、それだったら薫がパンを焼いてみたら?」
咲が横から口を挟む。

「私が?」
「うん。いつも満が作ってるからたまには薫が作ってみるのもいいんじゃないかな……。
 私が教えるから、作り方。薫ならすぐできるよ。
 満はケーキ冷蔵庫に入れて、……お客さんの声がしてきたから
 ちょっと店に出ててくれた方がいいかも」
咲がてきぱきとその場を仕切り始める。満は素直に咲の言うとおりにして店のほうへ出て行った。

「あのさ、薫」
満が出て行ったのを確認して咲が薫のそばに寄ってくる。
「満はね、普段と違うことしてみたかったんだって」
「普段と違うこと?」
「うん、なんか最近同じことばかり繰り返すような生活になってるから
 薫にもちょっとびっくりしてほしくて、それで考えたんだって」
「……そう、だったの」
うんうんと咲は頷いた。

「薫にパン頼んだのは、珍しいパンだからってことと、ここで
 ケーキを焼く間薫にどこかに行っててもらって家で驚かせたいっていうのが
 あったみたい。ここで会うとは思ってなかったみたいだけど」
あ、と薫は思った。帰りは飛んできてしまったから、満の読みよりも
大分早くこちらに着いたのかもしれない。

「……で、私は何から始めればいいの?」
「え?」
「パンの焼き方よ。初めてなんだから」
咲に言われるまま、薫はパンを作り始める。


パンが焼きあがってから満と薫はそれぞれケーキとパンを持って
帰っていった。まだどこか気まずそうで咲としては心配にもなったが、
――でも、二人きりにしたほうが多分いいはず……

そう思い、追いかけていきたい気持ちをぐっと堪える。


PANPAKAパンを出てから家に着くまで、満と薫は無言だった。家に入ってから
ぽつりと満が、
「……ごめんなさい」
と呟く。
「薫に買いに行かせて、結局無駄足踏ませちゃって」
「……気にしなくていいわ」
薫は答え、満と同じように「ごめん」と謝った。

「薫?」満がきょとんとした表情を浮かべる。

「満の気持ち、全然分かってなかったわ」
「……いいの。私が薫に内緒で事を進めようと思ったんだから」
「うん……」
部屋に入り、テーブルの中央にケーキとパンを置いてそれぞれの包装を解く。
薫の作ったパンを見て、満はちょっと笑った。

「……何よ」
「うーん、私も最初に作ったときこんなだったなって思って」
薫のパンは、確かにあまり見栄えが良くはない。

「仕方ないでしょ。初めてなんだから」
「うん、でもきっと味はいいと思うわ。……私のパンの次くらいに」
軽口が戻ってきた満に薫は、
「そうね、咲が教えてくれた通りに作ったから」
と真面目に答える。

「じゃ、早く食べましょ。パンは焼きたての方が美味しいから」
「ええ。……満?」
「何?」
「これからも、たまに……たまに、だけど、驚かせてくれると楽しいわ」
へえと満は笑った。

「分かったわ。薫が忘れたころにまた驚かせてあげる。覚悟してね」
薫はわずかに微笑んでそれを受け流すと、食事の支度を始めた。

-完-

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