トネリコの森にやって来た満はすぐに咲の姿を見つけた。
大空の木にもたれかかって気持ち良さそうに寝ている。
声をかけるのを一瞬躊躇うが、
「さ〜き」と声をかけてみる。最初は優しく。予想通り咲は起きない。

「咲、起きて。おやつがあるから」
軽く身体を揺さぶってみる。「ん〜」と咲は声を出したものの
向こうを向いてまだ寝ている。

「起きてってば。全部食べちゃうわよ?」
「ん〜……舞……?」
寝ぼけて答えた咲の声に満は少しむっとした。
柔らかいほっぺたを摘まんで力任せに引っ張る。

「いた、痛い痛い!」
咲がようやく目を覚ました。「おやつがあるって」少し低い声で言うと
咲に背を向けてさっさと歩き始める。

「うん? 満?」
起きた咲はまだ頭のどこかが半分眠っていたが、満の背が自分から遠ざかっていくのを見て
慌てて立ち上がった。

「待ってよ、満」
小走りになって前を走る満に追いつく。満は咲の姿を見たものの
特に何も言うことはなくすたすたと歩みを続ける。

「これからおやつなの?」
「そうよ――咲のお父さんが初めて作ってみたケーキですって。
 咲が帰って来たら食べるってことになってたのに中々帰ってこないから」
「えへへ、ごめんごめん。大空の木にぺッタンコしてたら何か気持ちよくなっちゃって
 そのまま寝ちゃった」
「ふうん……」
冷たく答えているつもりだったが、満の顔はいつの間にか笑っていた。
自分でもそれに気づいて満ははっと表情を引き締める。

「ん、どうしたの満?」
その変化に気づいた咲はまだ屈託のない笑顔を浮かべたまま、満の目を覗き込む。
釣られて満はまた笑顔に戻ってしまった。
「何でもないわ」
「ならいいけど。満、早くおやつ食べに行こう!」

――いつの間に私、こんな風になったんだろう?

咲に手を引かれながら満は考える。咲の笑顔を見ているだけで自然に自分も笑顔に
なってしまうのはどこか嬉しいと同時に恥ずかしくも感じられた。


「ふ〜、おいしかった」
おやつを食べ終えた咲と満は部屋に戻る。ベッドの上に座ってお腹をぽんぽん
叩いている咲を見て満は苦笑した。
「咲、フラッピみたい」
「えへへ、お腹パンパンラピ〜……って、止めてよもう」
「そう? 可愛いじゃない、フラッピ」
「私だって舞とか満みたいに美少女っぽくなってみたいの、本当は!」

――舞みたいに、か……
満はどこかもやもやとした気持ちを抱いた。

「ねえ、咲?」
「うん?」
「大空の木に行ったって、何かあったの?」
「どうして?」
「何か気になることがある時あそこに行くことが多いような気がして」
「ああ、ちょっとね……」
咲は枕元に置いてあるクッションを抱えた。クッションに表されている
咲の顔が少し潰れる。

「どうかしたの?」
重ねて問うと、咲は「そんなに大したことでもないんだけどね」と笑う。

「ちょっと一年生が難しいなあ、と思ってて」
「?」
怪訝な顔をする満に咲は、「この前部活で中々言うこと聞いてくれなかったから
ちょっとガツンって怒ったらかなり怖がられちゃって。加減が難しいんだよね」

「へえ」
へえ、と言いながら満には良く分かっていない。自分では力になれそうもないと
いうことだけは分かる。
「そ、そんな心配そうな顔しないでも大丈夫だよ、満。
 大空の木のところに行ったら落ち着いたしまた部活の時に何とかするよ」
「そ……そうね」
逆に自分が慰められているようになってしまった。

「舞も一年生は部活の時騒いで大変だって言ってたな〜、そういえば」
何気ない様子で咲が呟く。
満もその話は聞いたことがあった。薫が睨みつけたら黙ったらしいが。

ふっと満は咲の腕の中の咲クッションに目をやる。舞のプレゼントだというのは
以前聞いて知っている。

「咲、クッションの咲の顔が潰れてるけど」
「あ、ついつい潰しちゃうんだよね。これ抱っこしてると落ち着くから」
「そう……なの」
「そうそう、大空の木にペッタンコしてるみたいな気持ちになれるんだよ」
――それは、そのクッションが舞からのプレゼントだから……?
視線を巡らせると、舞の描いた咲とみのりの絵が目に入る。

――この部屋には舞がたくさん居る。
そう思うと満の口数は自然に少なくなった。


「霧生さん? まだ残ってたの?」
美術室でカンバスに向っている薫に竹内彩乃が声をかける。薫はちらっと部屋の隅にある
時計を見て
「もうこんな時間なのね」
と呟いた。

「美術室、鍵締めるように言われたんだけど締めていいかな」
「ああ、そう……片付けるわ」
立ち上がって絵をしまおうとした薫に彩乃は後ろから近づき絵を覗き見る。

「……何?」
「霧生さん、短期間で凄く上手くなってるなあって思って」
「そ、そう?」
「そうそう、この全体の色使いとか」
微かに顔を赤らめつつ薫は何も答えないで片づけを始める。

「今日は、美翔さんは一緒じゃないの?」
「ええ。いつも舞に教えてもらってばかりだから……たまには一人で描いた方が
 いいかと思って」
彩乃は美術室の窓を閉めてカーテンを引きつつ、

「美翔さんって人に教えるのも上手かったのね」
「ええ。とても優しく、教えてくれるわ。励ましてもくれるし」
「美翔さん、自分で描いた絵も凄いわよね」
「そうね……、あんな絵を描けるようになりたいけど」

けど、まだまだ。薫の言いかけた言葉の続きを彩乃は察した。

「誰でも美翔さんみたいな絵が描けるわけじゃないからね」
「そうね。でも、私は……」
舞みたいな絵を描けるようになりたい。薫はまた言葉を飲み込んだ。


学校を出ると、美翔家に向う。本当は今日も舞は一緒に美術室に残ってくれると言って
いたのだが、「今日は一人で描いてみたいから」と薫が断ったのである。

実際今まで、舞が隣に居てくれると薫は少し困った時に何でも舞に尋ねることが
できた。
しかし絵を描いていくにつれ、少し自分で考えながら描いた方がいいような気がしてきたのだ。
舞が近くに居ると、ついつい頼ってしまう。そう舞に話してみると、

「そうね、少しそうしてみた方がいいかもしれないわ。
 薫さんの絵は、薫さんが描きたいように描くのが一番いいと思うの」
と舞も賛成してくれた。

「悩んでばかりで進まないかもしれないけど……」
「悩むのもいいと思うわ。悩んで悩んで、それで描いていった方がいい絵になることも
 あると思うの」
絵に関する限り、舞の意見はいつもポジティブだ――と薫は思う。
息切れすることもなくずっと前向きで居られるのは、長い間絵を描き続けていたことで
ある種の自信が産まれているのかもしれない。

――私も、舞みたいになりたい。舞みたいな絵を描きたい……、

そう思いながら薫は美翔家への道を辿る。この風景を舞はどんな風に絵にしているのだろうかと
考えるのだけでも楽しかった。


「そんな、私だっていつでも前向きって訳じゃないわ」
舞の部屋に入り、今日どんな風に絵を描いてみたか話していると舞の口から
そんな言葉が出てきた。薫は驚いた表情で舞を見つめる。

「一人で好きな絵を描いている時はあんまり落ち込んだりすることもないけど、
 題が与えられててそれに合う絵を描かなければいけない時や、
 みんなで作るもののデザインを考えないといけない時はすごく悩むし
 中々思いつかないとずっと落ち込んでいるわ」
「そう……なの?」
正直意外なので薫はまだ納得できていないような顔をする。舞はスケッチブックを取り出すと
中の方のページを薫に見せた。

「前見せたような気がするけど……文化祭の時の『明日にジャンプ』のモニュメントのデザイン」
「ああ、これ」
「でもこれ、中々決まらなかったの。ずっと悩んでて……ほら、色々描いてみたんだけど」
舞がぱらぱらと前のページをめくると、色々なデザインが出てくる。
羽根を生やした咲のように見えるものもあった。

「それで悩んでいたら、咲が励ましてくれて……それでこのデザインを
 思いついて描いたの」
「咲が……ね」
それはそうだろうと薫は思う。舞が落ち込んでいたなら、咲が真っ先に励ますだろうし
咲が一番舞を元気づけられる、だろう。

それでも何故か舞の顔を見ていて薫の胸は少し痛んだ。

――仕方がないわ。舞が文化祭のことで悩んでいた時、私は居なかったんだし……。

そう思ってみるが、それがごまかしであることは薫自身が一番良く知っていた。
今舞が何かで悩んでしまったとしても、元気づけられるのは咲である。薫ではなく。


「どうかした?」
黙っている薫の事が気になったように舞の顔が薫の顔に近づく。
「……なんでもないわ。舞でも悩むことがあるっていうのが意外だっただけ」
「そう?」
まだどこか納得していないような舞を置いて、薫は早々に舞の家から退散した。


夕闇が迫る街の中を薫は歩き、トネリコの森へと足を向ける。
背後に誰かの気配を感じて振り返ると満がすぐ後ろについてきていた。
咲の家に行った帰りだというのにどこか浮かない顔をしている。

「どうしたの?」
「……別に。薫こそ、今からどこに行こうって言うのよ」
「大空の木に、ちょっと……」
「ふうん」
興味なさそうに言いながら、満は薫に並んでついてくる。

「満も来るの?」
「来ちゃいけない?」
「いけなくはないわ」
これだけのことを話すと、二人はそれから特に会話もなく歩き続ける。

大空の木についた頃には辺りは大分薄暗くなっていた。
薫は構わず、昔咲に教えてもらったように大空の木の幹にぺたりと身を寄せる。

「……何かあったの、薫?」
「別に、何も」
満の言葉に薫は目を閉じたままで答える。
「そう」と言いながら満もまた幹に抱きついた。

「……ねえ、薫?」
満の手が薫の手に重ねられる。互いを感じつつ、満と薫は目を閉じたまま
幹を抱いている。

「どうしたの?」
「分からないことがあるの」
「何?」
「誰かに近づけば近づくほど、寂しくなることがあるわ」
薫は幹から顔を離し目を開けて隣の満を見た。満はまだ目を瞑っている。

「薫はそんなこと、ある?」
「そうね、あるわ……」
「へえ」
意外そうに満も目を開け、薫を見る。

「どうしてこんな気持ちになるのか分かる?」
薫は首を振った。

「それは分からない。……でも、そんな気持ちになることはあるわ」
「難しいのね。この世界は」
「そうね……」
薫は大空の木を見上げた。

「ダークフォールとは違って、緑と命に満ち溢れていて……、その分色々な
 感情が生まれてくるわ」
「薫、早く帰ろ」
満が薫の手を握った。

「どこへ? ……ダークフォールはもうないわよ」
「そんな訳ないでしょ。この緑の郷での私たちの家に帰るのよ」
満と薫は少し俯きがちになりながら家へと道を戻り始めた。

-完-

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