満はベッドの中でふと目を覚ました。ベッドから見える光景がいつもと違う。
枕元に置いてある時計を見るとまだ午前四時、あと二時間はたっぷり寝られる。

どうしていつもと風景が違うのだろうと真面目に考え、ああそうだ昨日は薫の
ベッドで寝かせてもらうことにしたんだった、寝る前にミルクティーを飲もうと思ったら
自分の布団の上に零してしまって布団自体はとりあえず洗い場に運んで明日洗うことにしたものの
そのままでは眠れないので薫のベッドに入れてもらえることになったんだ、
それにしてもどうしてこんな時間に目が覚めたんだろう、何か夢の中で悲鳴が聞こえたような、
夢なんだから気にする必要はないけど、ところで薫はどこかしら……

ぼんやりした頭でそこまで思考を進め満はベッドの上でごろごろと寝返りを打ってみた。
何にもぶつからない。薫はここにはいない。

「薫……? どこ?」
かすれた声が口から出てくる。
「み、満……」
どこかからか薫の声がした。薫の声も小さい。

「う〜ん」
満は目をこすりつつ上体を起こす。ぱちぱちと目を瞬かせ、闇に少しでも目を慣らす。

「どこよ、薫」
「ここよ、ここ」
まだるっこしい。満はベッドから降りて電気をつけようとした。
床に足を下ろすと柔らかいものが足に当たる。
「ん?」
慣れない感触に二、三度ふにふにと踏んでみてそれからやっとある可能性に気づき
足をベッドの上に持ち上げる。

「ひょっとして、薫?」
「気づくのが遅いわね」
明らかに不機嫌な口調で薫が答える。
早く言ってよ、とぶつぶつ言いながら満は薫を踏まないようにベッドの上を伝って
部屋のドア近くに行き明かりをつけた。


部屋が白い光に満たされると、部屋の中央で寝転がっている薫の姿が目に入る。
布団も何も被らずに寝転んでいる様子がどこか滑稽で満はぷっと吹き出した。

「……何よ」
むっとした声。さっさと起きなさいよ、と満は言った。
「ベッドから落ちたんなら上がってくればいいじゃない」
「できない」
「なんで」
「……立てないのよ」
何を珍しくふざけているんだかと思い満は薫のすぐ横に立つと腰をかがめ、

「ほら早く」と薫の手を取ると立ち上がらせようとした。
薫は恐る恐るといった表情でゆるゆると身を起こしてきたが右足に体重がかかった
途端に顔を歪めて身体が崩れ落ちる。

「薫っ!?」
満は咄嗟に薫の腕をつかみ半ばその身体を投げるようにしてベッドの上へと座らせる。
尻餅をつくように座った薫は、ふうと息をついた。

「どうしたの?」
眉を微かに顰め、満は薫の顔を覗き込む。先程までのゆとりがなくなり真剣な
表情になっている。

「分からない……足首が痛くて」
薫は右の脚を指した。満は屈みこむと薫のはいている寝巻きのズボンの裾を
そっと上げて足首の様子を見る。右足首が赤く腫れ上がっていた。
左と比べるとその違いが良く分かる。

「どうしてこんなに……このせいで、ベッドから落ちたの?」
違う、と薫は首を振る。
「ベッドから落ちたのが先。戻ろうと思ったけど痛くて戻れなかったの」
――もしかして私が薫をベッドから落としちゃったのかしら……

満の心の中に微かに罪悪感が生まれる。
薫の話からするとベッドから落ちた結果足を痛めたようだし、
ベッドから落ちるなんてことは今まではなかった。今日初めて満が薫のベッドに
潜り込んだのだからそれが原因である可能性が高い――と満はするすると思考を進める。

――どうしよう。

責任感に駆られつつ薫の右足首に軽く触れると、「痛っ」と薫が声を上げる。
「触るだけで?」
「ええ……じっとしていれば大丈夫だけど」
満はちらりと時計を見た。午前四時過ぎ、誰かの家を訪ねるにはまだ早い。
でも、と満は考える。

――薫をこのままにしておくわけにはいかないわ。何とかしないと……

困った時には咲と舞に相談する。というのがこの緑の郷に住み始めた
満と薫の基本方針である。
あまり咲たちに迷惑をかけたくはないのだが、どうしても頼ることが多くなるのは
仕方がなかった。

満が見ていても薫のはれ上がった足首は痛そうだ。
赤みが引いていくような様子もない。これは駄目だ、と満は判断した。

――咲は……みのりちゃんと一緒の部屋で寝てるから止めておいた方がいいわね。
  舞に相談しよう。

これからどうするか頭の中で整理すると、満はその場に立ち上がり
座って俯いている薫の肩に手を掛けるとそのまま膝の後ろにも手を回し抱き上げた。

「み、満!?」
「舞のところ、いくわよ」
「ちょっと待ってこの時間じゃ迷惑……」
「迷惑でもなんでも、仕方ないでしょ!」
片手を少し動かし、窓を開ける。
そのまま夜空に向って満は薫を抱えて飛び出した。

満に抱かれたまま夜風を浴びた薫は、足が動かせなくてもおそらく飛ぶことはできる――
と気づき満にそう話したが、「だめよ」と妙に厳しい口調で言われる。

「何が起きているか分からないんだから。
 途中で飛べなくなったりしたらどうするの?」
「多分、大丈夫よ」
「多分じゃ駄目。絶対って言えないと。……着いたわよ」
薫が首を巡らせると目の前に舞の部屋のガラス窓が見えている。
満は躊躇なくその掌を窓に向けた。満達の持つ力を持ってすれば
部屋の中に侵入することなど造作もない。――もちろん普段からこんなことを
しているわけではない。相手が舞だから、今が緊急時だと考えるからできるのである。

部屋に入ると、当然だが舞は寝ていた。満は薫をとりあえず床に座らせると
舞に近づく。

「舞、ごめん。起きてもらえる?」
寝顔に口を近づけて囁く。舞はううん、と声を出して向こうを向いてしまった。

「……ごめん、舞。起きて」
今度は布団の上から手をかけて揺さぶる。
「うん……もう朝?」
「朝じゃないけど、相談したいことがあるの」
「うーん?」
舞は薄く目を開いた。自分の枕元に人影が立っているのをぼんやりと認識して
まだ半分眠っている頭で誰? と考え――急に目が覚めがばっと起き上がると布団を
抱き寄せるようにして人影から離れる。

「良かった、舞。起きてくれたのね」
「満さん」
はーっと舞はため息をつく。
――良かった、満さんで……

「どうしたの、こんな時間に?」
「ちょっと薫が大変なことになってて……」
舞はベッドから起き出すと部屋の電気をつけた。窓の近くに座っている薫が目に入る。

「薫さんが? どうかしたの?」
「足が痛くて動かせないらしいの」
満の説明を聞きながら舞は薫に近づき、座り込んでいる薫に「どこ?」と尋ねる。

「右足首。……ごめん、舞」
「ううん、いいの。右足首ね」
舞も薫の前に座り込むと腫れ上がった薫の足首を見て、「いつから?」と聞く。
「分からないわ。気づいたのはベッドから落ちて目が覚めてから」
「痛いかもしれないけど、ちょっと触るわね」
足首に触れると熱を持っている。少し曲げると薫は顔をしかめて目を逸らした。

「痛い?」
「少しだけ」
「舞、これはどういう状態なの?」
満がいつの間にか舞の後ろに立っていた。心配そうな表情で舞の手の先を覗き込んでいる。

「多分捻挫だと思うわ」
「捻挫?」
「足首を変な方向に捻っちゃったんじゃないかしら。落ちた時に」
救急箱持ってくるからちょっと待ってて、と言い残して舞は部屋から足音を
立てないように出て行き、すぐに戻ってきた。

「冷やした方がいいから、湿布貼るわね」
救急箱の中から大判の湿布を取り出すと薫の足首に巻きつける。
ひんやりとした感触に薫はぴくっと足を引きかけたが、
「冷やした方が気持ちいいでしょう?」
舞に言われて素直に頷く。
舞の手は手際よく動き湿布の上から包帯を巻きつけた。足首をしっかり固定する。

「二、三日、あんまり動かさない方がいいわ。多分それで治ると思うけど……、
 もし全然良くならなかったら捻挫じゃなくてもっと大きな怪我の可能性もあるから
 ちゃんとお医者さんに診てもらったほうがいいわ」
薫と満の顔を交互に見ながら舞が話す言葉に、満はふんふんと聞き入った。
こういうとき、やっぱり頼りになる。

「分かったわ、舞。じゃあしばらくはあまり足を動かさないようにして
 様子を見ていたほうがいいのね?」
「ええ、それが一番」
舞は満に向って頷いてみせる。満はありがとうとお礼を言い、
「起こしてごめんね、舞」
再度謝る。
「いいわ、気にしてないから。こんなことになったら慌てるの当たり前だもの」
「ありがとう、舞」
薫も舞にお礼を言う。満は来た時と同じようにふわりと薫を抱き上げた。

「じゃあ、おやすみなさい舞」
「満さんも薫さんも、おやすみなさい。……今度は気をつけてね」
「ええ。絶対に薫をベッドから落とさないようにするわ」
――満?
腕の中の薫が怪訝な表情で自分を見ているのに気づかず、満はそのまま舞の部屋から飛び立つ。

自分達の家に帰ってくると満はそっと薫をベッドの上に横たえた。壁際の方に薫を押しやり、自身はベッドの逆側の端、落ちそうなぎりぎりのところに身を横たえる。

「満?」
「おやすみなさい、薫。寝ていいわよ。あなたが落ちないように、ここからちゃんと見てて
 あげるから」
「そんな端の方にいたら満が危ない」
「大丈夫よ、私は」
責任とって今夜はずっと寝ないであなたを見てるから、と思うがそのことは口に出さず
「薫みたいに落ちる時に足首捻ったりしないから」
と軽口を叩く。薫はむっとした表情を浮かべ左腕でぐっと満の身体をベッドのより中央部に寄せた。

「満だって危ないわ……お休み」
「お休み」
満の言葉を聞いてから薫は目を閉じた。


薫が目を覚ますとベッドの中に満はいなかった。時計を見ると
学校の始まる時間である。
――寝坊した!
大慌てで起きようとするも足の痛みに気を取られすぐには起きられない。

「満! 満! 起きてる!?」
とりあえずベッドの上に上体だけを起こし満を呼ぶ。
「あら薫、起きたの?」
ドアが開き満が妙にさわやかな笑顔を見せた。

「起きた。早く学校に行かないと……」
「大丈夫よ。今日は休みますって連絡したから」
「休む? どうして?」
「数日おとなしくしてるように昨日舞に言われたでしょ。だから」
「満も休むの?」
当然じゃない、と満は答える。
「だって、動けない薫を一人にしておくわけにいかないでしょ?」
「飛べば、ちゃんと動けるわ」
「体力を使わないほうがいいわよ、薫」
たしなめる様な口調で満が言う。

「でも満まで休ませるのは」
「気にしないで。朝ごはん、食べる?」
「ええ」
薫がベッドから降りて立とうとするよりも満のほうが速かった。ぱっと
薫の身体を抱き上げる。

「ねえ、満……」
「何?」
「痛みが引くまで、ずっとこうやって動くの?」
「当たり前じゃない。できるだけ動かない方がいいって、こういうことでしょ?」
――そうなんだろうか……、例えば咲の家でお父さんが捻挫したらどうするんだろう……?

「はい、薫。今朝はメロンパンとハムサラダよ」
――まあいいか。たまには。こうやって満に家事をしてもらうのも。

薫はハムサラダをフォークで刺すとぱくっと口に咥えた。

-完-

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