学校が休みの日だからといっていつまでも朝寝していていいというものではないと
薫は思っている。

だからこの日も、いつも起きる時間の一時間くらい後に目覚ましを合わせていた。
ジリリとけたたましい音を立て始めた数秒後には止め、ベッドの上に上体を
起こしわずかな時間ぼんやりと時を過ごす。
そんな風にしていると眠っていた頭が次第に活動を始める。
右手を額に当て軽く頭を振ってから、薫はベッドから滑り降りた。
隣のベッドには満が寝ている。目覚ましの音にも薫が起きた気配にも気づく様子はなく、
布団に顔の半ばまで潜って寝息を立てていた。

一瞬、薫の顔がほころぶ。だがそれも一瞬のこと。次の瞬間には彼女のいつもの表情――、
無表情としか見えない表情に戻る。
自分のベッドから目覚ましを取り数分後に鳴るように設定すると満のベッドに放り込み、
後は野となれとばかりにそのまま部屋を出た。

別室で簡単に朝食を作っていると、寝室から鳴る目覚ましの音が聞こえてきた。
中々止まらない。満が出てくるのを待って薫はテーブルにつく。
一分も経っただろうか、やっと目覚ましが止まり満が少し怒ったような顔で
現れた。

「おはよう」
「おはよう……目覚まし私の枕元に置いたの、薫でしょ」
挨拶もそこそこに口を尖らせるように言う。薫はそうよ、と冷静に答えた。

「起きられたでしょ」
「目覚ましで起きるの嫌いなのよ」
「だったら自分で起きたら?」
「誰かに起こされるのが好き」
ぶつぶつ言いながら自分の席に座り、薫が作ったサラダを頬張る。
満の朝食は前日にPANPAKAパンで買ってきたパンをメインにすると決まっている。
そんな様子を見ながら、薫は「起こしても起きないくせに」とぼそっと呟く。

「そんなことないわよ。ちゃんと起きるじゃない」
「学校がある日はそうね。でも今日みたいな休みの日は……」
「ん、何か言いたいの?」
先週のこと覚えてるでしょ、と薫は突き放すように言った。
薫が何度起こしても布団に潜り、薫が布団を引き剥がそうとすると
顔面にパンチを食らわせた。そこで薫が諦めたので満は寝たいだけ寝ていたのだが……、

「先週は眠かったんだから仕方ないのよ」
満は悪びれる様子もなく答える。
「……目覚ましはその辺の事情を分かってくれないから嫌い」
「眠かった眠かったって、満最近夜更かししすぎよ。昨日も遅かったの?」
「別に」
薫はまだ食べ終えていないのに、早々に食べ終わった満は
空になった皿を持って立ち上がる。

「薫は今日も家でしょ? 私、着替えたら出かけるわ」
「そう。どこに?」
「その辺」
「……そう」
薫の顔が曇ったのに満は気づかない様子で台所で皿洗いを始める。
薫が自分の食べ終えた皿を持っていくと、どこか上機嫌な様子で
一緒に洗ってくれた。


満が服を着替えて出て行くと家の中が急に広々としたような気になる。
正直、満がいない方が今の薫の作業がはかどるのも事実であった。
美術部の課題で絵を描いているのだが、家で暇を持て余している時の満が
一緒にいると中々絵が進まない。
気がつくと後ろから覗き込んでいることがあるのが薫には一番困る。

と言うと必ず満は
「だって、舞なら絵を描いているときに覗いたりしても別に何も言わないじゃない」
と反論してくる。
実際舞ほど絵に没頭してしまえば満が多少何をしても気にはならないのだろうが、
薫はそこまでにはなれない。
だから、満が一日家をあけてくれるのであれば正直ありがたい。

はずなのではあるが……、

――最近満、家を空けてばっかりね。

作業に取り掛かり始めながらもそんなことが気になる。
ここのところ満は少しでも時間ができると出かけるようになっていた。
薫の方は少しでも時間があれば絵を描いていたかったから好都合だと
初めのうちは思っていた。

――でもいくらなんでも、ちょっと出かけすぎじゃないかしら。

手を動かそうとしているのに満のことを考えてしまう。
いけない、と薫は絵のほうに意識を集中しようとした。

――満のことなら心配はいらないわ。それよりも自分のするべきことをしないと……

今日は完成した下絵に色塗りをしたいと考えている。
机の上に絵を広げ、道具を広げる。――だが薫の手はそこで止まった。
広げた道具をまた元のようにしまいなおし、絵を小脇に抱えるとそのまま家を出る。
家を出て、どこに行くか。薫の行く場所は決まっていた。
満もそこに行っていると言うことは多分ないだろう。

今日も一日、いい天気が続きそうだ。薫は青い空を見上げ、それから歩き始めた。


「ちょっと、相談したいことがあって……」
口ごもりながら美翔家の玄関前で言うと「いいわよ」と舞はすぐに薫を家の中に
招き入れてくれる。

「お母さん、私、薫さんと部屋で話してるね」
リビングに座っている可南子に声をかけると舞はそのまま薫を自分の部屋へと
連れて行った。通りがかりに薫が覗いてみると埴輪か何かの修復に熱中していて
舞の言葉も上の空で聞いていたようだ。
舞に少し似ている。薫はそう思い、胸のうちで密かに微笑んだ。

「それで、相談って?」
舞の部屋で舞は椅子に、薫はベッドに腰掛ける。
「その……、この絵のことなんだけど」
腕に持っていた絵を舞に見えるようにする。
絵を見た舞の顔はぱっと明るくなった。立ち上がってきて絵に近づき、良く眺める。

「ここまできたから色をつけ始めようかと思うんだけど、どうかしら」
「うん……すごくいい絵だと思うわ。見てると薫さんがこの絵を描いた時の
 気持ちが伝わってくるみたい」
舞はお世辞を言うタイプではない。今の言葉も素直に感じたままを言っただけだろう。
そう思い、薫は安心したように息をつく。

「でも、薫さん。こんなに素敵な絵を描いてるんだから、もっと自信を持っても
 いいと思うの。そんなに不安そうな顔しないで」
「不安そう?」
「うん、私に絵を見せる時いつもちょっと不安そう」
「絵を描くのは難しいから。舞みたいにはなかなかなれないわ」
薫はやや視線を落とす。舞は何も言わずに薫の肩を軽く叩いた。
そっとベッドの上に絵を置き、薫は改めて舞を見る。

「どうかしたの?」
舞は椅子に座りなおしきょとんとした表情で薫のことを見つめ返した。
絵の相談は済ませたと言うのに、薫はどこかもじもじとしたまま、
何かを言いたそうな表情をしている。

「……」
黙ったままの薫を見て、舞は薫の隣に座りなおした。正面からではなく横から
顔を覗き込むようにする。

「どうしたの?」
「もう一つ、相談したいことが……」
「どんなこと?」
「……その」
薫は躊躇った。舞は薫の言葉を待ちながら薫の手に自分の手を重ねる。

「実は、満のことなんだけど……」
「満さん?」
薫は無言で頷く。

「満が最近あまり家にいなくて……良く出かけてる。
 それだけなら別にいいんだけど、夜遅くなっても中々帰ってこなくて、
 大分夜更かしをしているみたいなの。ほとんど毎日」
「そ、そうだったの」
舞は少しの間最近の満の様子を思い出す。学校などで満と接しているとあまりそんなことは
感じないが、薫が言っているのだから本当に満は毎日のように
夜更かししているのだろう。

「それで、なんでそんなことをするようになったのか良く分からなくて……」
「夜、何をしてるのか満さんに聞いてみたことはあるの?」
「月を見ていたいんだって言ってた」
「どこの場所で見てるってことは、言ってた?」
「それは言ってなかった。でも……」
場所は大体見当がつく。心当たりはある、と薫が舞に言うと舞は「行ってみたら?」と
提案した。

「その場所へ?」
「満さんと一緒に月を見てみたらどうかしら。満さんがどうして最近
 ずっと家を開けるのか、理由が分かるかもしれないわ」
「そうね……そうしてみる。ありがとう、舞」
薫は自分の手に重なった舞の手を一度握るとそのまま放し、もう一度ありがとうと言って
絵を持つと舞の家を出た。

暗くなるのを待ち家を出る。
今夜は満月だと、だから日が落ちればすぐに月が昇ってくると舞が教えてくれていた。

――昼間はきっと咲の家に行っていたはず。でも、今は……

薫の足は自然と心当たりのある場所に向いていた。
暗くなったとはいえまだ人通りも多く、すれ違う人々が家路を急いでいる。
月の姿はまだ見えない。

家が立ち並ぶ道から海沿いを走る道路に出ると、視界が大きく広がる。
そのほぼ中央にあるひょうたん岩は日の落ちた今黒々として、
何かの生き物が眠っている姿にも見える。
軽く薫は地面を蹴った。何の抵抗もなく身体がふわりと浮き上がる。

ひょうたん岩の頂上に以前のように座っている満の姿を認めると、
とんと薫は着地する。

「薫?」
「ここにいたのね。やっぱり」
「どうしたの……絵、描かなくちゃいけないんでしょう?」
「下描きまでできた」
薫は満の目を見ながら話す。今、満と薫はひょうたん岩の先端部を挟むような
形で向かい合っていた。落ちないように薫はひょうたん岩の頂上に捕まっている。

「だから、一段落ついたの」
「ふうん」
どこか興味なさそうに満は呟く。

「それで、何しにここへ?」
「満がいつも何をしているのか知りたくなった」
「月を見てるのよ。ほら、もうすぐ……」
満が東の空を指す。山の陰に隠れて月の姿はまだ見えないが、
わずかずつ光が漏れ始めている。

「満。最近、どうしてほとんど毎晩こんな風にしているの?」
「あら……私が月を見ているのはそんなに不自然?」
「そんなことはないけど」
薫は一瞬口を噤んでから、

「家にいないことが多いと気になって」
「ふうん」
気の抜けた声を満が返す。

「それに前はこんなことはしていなかったから、何かあったのかと思って」
「何かあったのは、薫よ」
「え……?」
予想外の答えに薫は戸惑った。

「薫、私がいると絵が描きにくいみたいじゃない? だから薫を一人にしてあげた
 方がいいかと思ったの」
「そう……だったの」
「そうよ。絵、はかどったでしょ?」
「それは確かにそうだけど」
でも、と言う薫の言葉に満は、なんだかはっきりしないのねとからかう。

「はっきりしないのは分かってる。でも、最近満がいない方が却って
 気になるのよ」
「ふうん」
「満、一緒に帰ろう。さっきも話したけど、絵もだいぶ進んだから
 もう出かけなくていいわ」
満は微笑を浮かべると薫に向かって右手を差し出した。

「いいわよ。薫が連れて帰ってくれるなら」
山の上に満月が顔を出す。光を浴びたひょうたん岩の上で薫は満の手を取った。


「ところでね、薫?」
家に帰ると早速とばかりに満が切り出す。

「何?」
「下描きまで終わったんでしょ? 絵を見せて」
「ああ……」
仕方ないと言うように呟くと薫は絵を満に見せた。

「へえ。こんな風になったんだ」
絵の中には満がいる。誰かに手を差し伸べるようにして笑っている。

「……あとは色をつける」
「ねえ薫、この手の先には誰がいるの?」
満が絵の中の満を指差して尋ねた。さあ、と薫は答える。

「薫がいるんじゃないの?」
「そうかもしれないけど、特に決めてはいないわ」
満は薫の言葉を無視するように、「今度は薫を描いてね」と楽しそうに告げる。

「私を? 自画像ということ?」
「そうよ。私のそばに薫を描いてね」
自分を描くのは苦手、と言っている薫をそのままにして
「じゃ、久しぶりに一番風呂に入らせてもらうわ」と満は勝手に決めて部屋を出て行った。

-完-

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