「おい、あれはやばいんじゃないか」
健太が咲にひそひそと話しかける。咲も教室の隅を見ながら、うんと頷いた。

「あれはまずそうだよね」
「こじれないうちに何とかしてやれよ」
「そう思ってるんだけど、なんでああなってるのか良く分からないし……」
「そこもちゃんと聞きだして何とかしろよ。このままじゃ怖くてしょうがないぜ」
「う、うん……そうだね」
咲と健太が見つめる先には満と薫の席がある。
いつもそんなにはしゃいだりすることはなく、無口と言える二人だったが、
今日の二人の席はいつもに比べてもなお一層静かだった。
凍り付いていると言っても良かった。

満と薫、二人の間ではそれなりの会話が交わされるものだが今日は
全くそれがない。
満が薫の机に肘をついて椅子を傾けつつ話しかける姿もまだ一回もなかった。


「き、霧生さん、プリント提出してほしいんだけど……な」
宮迫がおそるおそる二人の席に近づく。満は無言でプリントを宮迫に
手渡した。

「え、と、薫さんも」
薫はため息をついて鞄を開くとプリントを渡す。
「あ、ありがとう……」
宮迫はそそくさとその場所から立ち去った。

「ねえ舞、何があったのか知ってる?」
咲はこそこそと後ろの舞に話しかける。咲は今日朝練があったので3人と一緒に
登校できなかったのである。咲が教室に帰ってきたとき、2人は既にあの状態だった。

舞は「良く分からないの」と眉を顰める。
「今日は本当に朝からあんな感じで……満さんに話しかければ答えてくれるし、
 薫さんに話しかけても答えてくれるけど、二人で話すことは絶対にないの……」
「なんなんだろう。喧嘩でもしたのかな……」
「普段はあんなに仲いいのに」

何でもいいから事情を聞いてみよう、と咲は立ち上がり二人のそばに近づく。

「ハーイ、咲。今日の練習はどうだったの?」
咲が来るのに気づくと、満はいつもと変わらない――むしろいつもより愛想のいい声で
咲に話しかけた。

「どうって、うん、順調だったけど」
「へえ、絶好調?」
「うん、絶好調なり〜」
「良かったわね。もうすぐ試合も近いんでしょ?」
「う、うん」
このままだと肝心のことが話せなくなってしまう。そう感じて咲はとにかく話題を変えた。

「満と薫は? 今日の調子はどんな?」
「私なら別に、普通よ」
「薫は?」
「私に聞いたって仕方ないでしょ」
もっともな意見ではあるが、言い方にどこか棘があるような気がする。

薫を見ると俯いたまま本を読んでいた。しかしページがずっと動かない。
読んでいるというよりも本を開いて紙を眺めている、眺めているというよりも
本を開いた姿勢のまま固まっているように咲には見えた。

「ねえ、薫今日の調子は?」
「……どうでもいいわ……」
久しぶりに聞いたと咲は思った。しかし昔連発していた頃と比べて
言葉に力がない。

「ね、ねえ薫……」
薫に事情を聞こうとした途端、チャイムが鳴ってしまった。


「咲、何か分かった?」
席に戻ると舞がひそひそと尋ねてくる。咲は首を振った。
「全然分かんないよ。満と比べて薫の方が元気ないみたいだけど……」
「やっぱり。……朝もそうだったの」
「薫、何かあったのかなあ……」
「満さんが薫さんの様子を全然気にしていないのも変だし」
「そうだよね、事情を聞けるといいんだけど」
先生が入ってきたので咲はとりあえず前を向く。

授業の間の休み時間にはなかなか二人に話しかける機会がなかった。
話しかけられるのがいや――というように、休み時間になると二人ともどこかへ行ってしまう。
結局お弁当の時間まで持ち越しになった。


「満! 屋上で一緒にお弁当食べよ!」
咲は強引に満を抑える。
「薫さんも、ね?」
舞も教室から出て行きそうになっていた薫を捕まえて話しかけたが、
薫は静かに首を振ってそのまま教室を出た。

「か、薫……?」
咲はその様子を見て不安になったが、舞が「私今日は薫さんと一緒に食べるから!」
と言って薫の後を追う。
咲は改めて満の顔を見た。クールにしているが、どこか浮かない顔をしているようにも見える。
「満……、」
「一緒に食べるんでしょ。行きましょ、屋上」
満がそんな表情を見せたのはほんの一瞬のことですぐに冷静な満に戻った。


薫は黙々と箸を口に運んでいる。
舞と薫は校舎の外に出て校庭の近くにある花壇の側に並んで座っていた。
花壇の花は可愛らしく咲いているが、薫はそんなことを気に留める余裕もないようだ。

「あの、薫さん……?」
薫が野菜炒めを飲み込むのを見て舞は話しかける。
「何かしら」
「満さんと何かあったの?」
「……別に大したことじゃないわ」
そう答えまた弁当箱をつつき始める。顔は無表情のまま、しかし目はどこかうつろで――
どこか遠くを見ているように舞には思えた。

「ねえ薫さん……」
舞はまだ食べかけの弁当箱の上に箸を置き、薫の顔を覗き込むようにする。

「何かしら」
「大したことじゃなくっても、良かったら話してくれない?
 満さんも薫さんも、今日すごく元気なさそうなんだもの」

「……私が悪いのよ」
薫は自分の弁当箱を覗いたままぽつりと言う。
「え?」
「昨日」
「うん」
薫の話をそのままに受け止めようと舞は相槌を打つ。

「満を怒らせてしまった」
「薫さんが何かしたの?」
「ええ、そう……だから、満はずっと怒っているんだと思うの……」
「ねえ薫さん、どんなことがあったか分からないけど、
 自分が悪いって思ってるんだったら謝った方が」
「分かっているわ」
薫は舞のほうを見ない。じっと俯いている。

「でも……満が目を合わせてくれない……」
いつも大きく見える薫の姿が、今はやけに小さく見えた。
背中を丸めるようにして哀しそうな顔をしている姿は普段の薫の姿からは
想像もつかないほど弱々しい。

舞は二度三度、薫の背中を優しく叩いた。
「薫さん、勇気出して……満さんは絶対分かってくれるから」


「クリームパンって不思議よね、パンにクリームを上から塗るより中に入っているほうが
 おいしいんだもの」
「……あのさ満」
屋上では咲が弁当を食べ、満はいつものようにパンをいくつか食べている。

「なに?」
「さっきからなんでずっとパンの話?」
「当然じゃない。咲の家のパンはすごくおいしいんだから」
「満がそう思ってくれてるのは嬉しいけど……、ねえ、薫と何かあったの?」
「……強引に話を変えるわね」
「何かあったの?」
満はクリームパンをちぎると、
「はい、あ〜ん」と咲の目の前に出す。

「ごまかさないでちゃんと答えてよ、満」
咲が乗らなかったので満はクリームパンのかけらを自分の口に入れた。

「ちょっとね、昨日。薫に怒ったの」
「そうだったんだ……、薫が何かしたの? 薫のことだから、悪気があったわけじゃないと思うんだけど」
「そんなこと分かってるわ」
満はため息をつく。

「でも、私はあの時ものすごく腹が立ったの」
「……薫、何したの?」
満は気が進まないようだったが、咲が繰り返し尋ねると昨晩何があったのか
ぽつぽつと話し始めた。咲はふんふんと聞いていたが聞き終えて、

「怒る気持ちも分かるけど、今日まで持ち越すことでもないんじゃ……」
「そうね。そうかもしれない」
「それで今朝からずっと薫とは話してないの?」
「ええ、ずっと。……正直、ここまで続けることもなかったかもしれないと
 思ってるわ」
「だったら許してあげたら?」
「許してるわよ! とっくに許してるわよ! でも……」
言いよどんだ満の顔を咲は覗き込んだ。

「どうしたの?」
「今更薫と話できない……」
「え?」
咲の顔にいくつも疑問符が浮かぶ。

「なんで? どういうこと?」
「だって今更薫とどんな顔して話していいか分からないじゃない」
「普通の顔でいいと思うけど……」
そういう意味じゃなくて、と満は呟き、

「なんだかこう、気まずくて。薫が私に申し訳なさそうにしてるから余計に。
 けろっとしててくれたら楽なんだけど」
「分かるよ、そういうの。でも……」
咲は弁当箱の最後に残っているさくらんぼを食べ始める。

「ちょっと話したら、すぐいつもみたいになれるよ。満と薫だもん。
 少しだけ勇気を出したら元に戻れると思うよ」
「そうかしら」
「うん、絶対そうだよ! はい、これ」
満の手の上にさくらんぼを乗せた。

「これあげる。頑張って、満」
「ん……」
満はすぐにそれを口に含んだ。少し酸っぱかった。


――とは言っても……

今日はソフトボール部も美術部も、部活がある日である。
授業が終われば満はPANPAKAパンへ、咲、舞と薫はそれぞれの部室へと別れることになる。

結局学校にいる間は薫に話しかけることができなかった。
足取り重く、満は咲の家に向う。道のりはいつもよりも長く感じられた。

「○○円です、ありがとうございました〜」
ここでの手伝いにはもうすっかり慣れている。今日は何があるというわけでもないのに
お客さんが多かったが、その忙しさが却ってありがたかった。

ぼんやりしている時間がない方が今は楽だ。薫のことをあれこれ思い悩まずにいられる。


「満ちゃん、少し上がって休んできたら?」
咲のお母さんは何度かこう言ってくれたが、その度満は断った。
今はお手伝いをしている方がずっと気が休まる。
だが気まぐれな人波は突然ぱたりと途絶えるもので、夕方になると
店内の賑わいも薄れお客さんはまばらになった。

「満おねえさん、一緒におやつ食べよう!」
店内に客がいなくなったのを見計らってみのりがやってくる。
「え……と」
咲のお母さんを見ると、
「満ちゃん、みのりのことお願いしていい?」
と笑顔で言われる。こう言われるとそのまま頷くしかなく、満は喜ぶみのりに手を
引かれてついて行った。

「今日は薫お姉さんは来ないの?」
「部活だから」
今日のおやつはプリンだった。みのりがスプーンを添えてテーブルの上に置いてくれる。

冷蔵庫から牛乳を出してくるとみのりはマグカップになみなみと注いで満の前に出した。

「牛乳たくさん飲むとね、舞お姉ちゃんのお兄さんみたいに背が高くなって
 頭も良くなるんだって」
「誰が言ってたの? そんなこと」
「お姉ちゃん」
やっぱり、と満は思いつつ牛乳をこくこくと飲むみのりを見る。
飲み終えた後ぷはっと息を吐く様子は咲に似ていた。

「みのりちゃんは舞のお兄さんみたいになりたいの?」
「ううん、みのりはね、その……」
みのりは急にもじもじとし始める。答えが何となく予想できたが満はみのりの言葉を待った。

「薫お姉さんみたいになりたいな。背が高くて、すっごく綺麗なんだもん」
「……好きね。薫のこと」
「うん! 薫お姉さん優しいし格好いいから!」
――優しいっていえば優しいわね……
ちょっと考え事をした満を見て、みのりは「満お姉さんも薫お姉さんのこと好きでしょ?」
と当然のように尋ねる。

「……まあ、そうね」
歯切れ悪く答える――と、みのりは急にひどく不安そうな表情をした。

「薫お姉さんのこと、好きじゃないの?」
「そ、そんなことはないわ」
「そうだよね、そんなことないよね」
――そんなことはない、けど……
「あのね、みのりお姉ちゃんと一緒にお風呂入ったとき、上がってからいっつも一緒に
 牛乳飲むんだよ! 早く飲むのではお姉ちゃんにかなわないけど、満お姉さんも薫お姉さんと
 一緒にそういうことするの?」
「しない……けど……」
咲とみのりが冷蔵庫の前に並んで牛乳を飲んでいる姿は容易に想像できた。

満はいつもより少し早めにPANPAKAパンを出て薫と二人で暮らす家に戻った。
ただいまと呟いて玄関から入ると、ことことと物音がする。

「薫!? 帰ってたの?」
満が帰ってくる音を聞きつけて出てきた薫と鉢合わせする形になった。
ばったりと出会っておきながら互いに思わず目をそらせてしまう。

「ええ……」
「今日は部活で遅くなるんじゃなかったの」
目を合わせないまま会話だけが滑っていく。これじゃだめだ、と満は思う。
いつものように相手を見て話をしなければ。

家の奥に入っていくと、ふうといい匂いがしてきた。

「今日の食事、私が作る番じゃなかったっけ」
「私が作った……満、昨日は本当にごめんなさい!」
薫がいきなり大声を出したので満は驚いて思わず薫を見た。
泣きそうな顔で自分を見ている。


「もう満のお気に入りの服の洗濯の仕方間違えて縮めたりしないから……」
「いいわよ、もう。薫、これ」
満はぱっと薫に牛乳瓶を投げた。
薫は受け取ったが、怪訝な表情をしている。

「みのりちゃんは、格好いい薫お姉さんみたいになりたくて牛乳飲んでるんだって。
 そんな顔してて幻滅されても知らないから」
「満……? その、昨日のこと……」
「だからもういいって! 私も怒りすぎたわよ、ごめんなさいっ!」
満は自分の分の牛乳瓶を食卓の上に置いた。

「もう支度できてるんでしょ? 早く食べましょ、薫の料理温かいうちに食べたいわ」
「……分かったわ、ちょっと待ってて」
薫が配膳を始めるのを満も手伝う。

今日の夕食は鰈の煮付けにお浸しにご飯に牛乳だ。

-完-

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