学校からの帰り道、薫はいつもと違うものが空に浮かんでいるのに気がついた。
――魚……?
青い空にぽっかりと綿のような雲がいくつも浮いている絵に描いたように平和な
光景の中、大きな黒い魚と中くらいの赤い魚、小さめの青い魚が
空を泳いでいる。特に邪悪な気配は感じられないが。

「満、あれ」
隣を歩いている満を軽く肘で小突き、注意を魚へと向けさせる。
満はへえ、と声を出した。

「何か知っているの?」
「あれのこと、聞いたことはあるわよ。見るのは初めてだけど」
「何なのよ、あれは」
「鯉のぼりって言うんだそうよ」
「鯉のぼり?」
改めて薫は空の魚を見る。確かに鯉の形を模しているのかもしれない。

「で、その鯉のぼりっていうのは一体何なのよ」
「さあ?」
満は首をわずかに傾けた。

「5月5日のお祭りに出すらしいけど。それ以上のことは知らないわ」
「ふうん……」
「近くまで行って見る?」
「そうね」
「話としては聞いてたけど、あんなに大きいとは思わなかったわ」
満は実物を見て興味を惹かれたらしかった。

鯉のぼりは町のどこから見ても良く見える。鯉のぼりが立っている場所に
近づくように近づくように道を選ぶのはそんなに難しいことでもなかった。
そんなに長い間歩くこともなく、二人は鯉のぼりを上げた家にたどり着いた。
よく来る場所とはいえないが、初めてでもない場所である。
星野健太の家だった。

「おーっす! 何か用か?」
たまたま家の外に出ていたらしい健太が目ざとく二人を見つけて声をかけてくる。

満と薫は顔を見合わせると、

「別に用事ってわけじゃ」
「そう、これを見に来ただけだから」
鯉のぼりを指差すと健太は、そういうことかと言って胸を張った。

「霧生たちはうちの鯉のぼり見るの初めてだもんな。
 この辺じゃちょっと有名なんだぜ」
「ふうん」「そうなの」
あまり感銘を受けていないような二人の声にも健太は構わず話し続ける。

「俺んちは海や魚に関係してるからさ、鯉のぼりもでっかいんじゃないと駄目だーって
 ことらしいんだ。
 毎年ちゃんと上げないと爺ちゃんとかに申し訳が立たないらしい」
「ふうん……」
薫はまた鯉のぼりを見上げた。


「ああ二人とも、健太ん家の鯉のぼり見たの? すっごく大きいよね、あれ」
翌日、満がその話をすると咲と舞はすぐに楽しそうに話に乗ってくる。
「咲たちの家にもああいうのはあるの?」
満が聞くと咲はううん、と首を振る。

「鯉のぼりって男の子のお節句で飾るものだから、うちにはないよ」
「じゃあ舞の家にはあるの?」
薫の問いに舞はうーんと考えてから、

「あるにはあるけど、すごく小さいの。よく引越しをしてたから、
 あんまり大きいのにするわけにもいかなかったみたい」
「ふうん」
「そうだ、こどもの日と言えば」
咲が突然話を変える。

「今年もケーキの予約、結構入ってるみたいなんだ。それでね、その、もし良かったら……」
舞は咲の言おうとしていることを察して、

「5日だったら私は大丈夫よ。いつもみたいにお手伝いできるわ」
「ありがとう〜ねえねえ、満と薫は?」
「え、まあ」
「大丈夫よ、もちろん」
薫と満が口々に答えると、咲は大げさにありがとう!と言って胸の前で手を合わせた。

「常連のお客さんたちにも舞と満と薫、すごく評判がいいんだよ」
舞と満と薫の三人は咲の言葉に照れ笑いを浮かべる。
いつのまにかこの三人がPANPAKAパンを手伝うことまでが当たり前のことになっていた。

「それでね、お手伝いしてもらったあと、うちでパーティーしたいんだ」
「パーティー?」
満がきょとんとした顔をする。

「子どもの日にもパーティーってするものなの? 大体、男の子のお祭りだって
 言ってたじゃない」
う、と咲は言葉に詰まるが、お礼みたいなものと思って、と返した。

「お手伝いするお礼なら、いつもメロンパン貰ってるし……」
「いいじゃない、満さん。子どもの日にパーティーしても」
舞は軽く咲と視線を交わした。薫はその様子に気づき、

「そうね。行かせて貰うわ」
話を一応収める。
「私も行くわ。でも私、いっつものメロンパンでお礼としては十分なんだからね」
「うんうん、満のそういうところは良く分かってるよ。でも、今回は絶対パーティーしたいんだ」
チャイムが鳴った。
四人はすっかり空になっているお弁当を慌てて片付けてそれぞれの席に戻る。



「人間って不思議ね」
薫と二人きりで帰る道中、満が呟く。
「ん? どういう意味?」
「何かというと記念日とかお祭りとか。そんなに色々な事を記念したいのかしら」
「さあ……」
薫は曖昧な返事を満に投げる。でもパーティー楽しみなんでしょ、と満に言うと、
「……そうね。クリスマスの時も楽しかったから……」
「みのりちゃんは来るのかしらね」
「さあ? 言っておけば、みのりちゃんに。薫も行くから行ってって」
「……そんなこと」
急に声を小さくした薫を見て満は微かに笑いながら、

――まあ、きっと来るわね。薫お姉さんが来るって話、咲からも聞いてるだろうし……
と考える。


当日、仕事はそんなには忙しくなかった。
クリスマスのときと比べるとやはり客が少ない。常識的に考えるなら3人もお手伝いは
いらない状況なのだろう。

代わる代わる、3人は店に出つつたまに咲とみのりの部屋で一休みしつつお手伝いをした。
といってもあまり休むことはなく、3人全員が店に出ていることの方が多かった。
予約されているケーキが全部引き取られ、
予約なしで買いに来たお客さんたちもだんだんまばらになってくる。

「この辺で、今日は終わりにしましょうか」
こういう特別な日の閉店時間を決めるのは咲の母と決まっている。
はい、とお手伝い組みは返事をすると表の看板を架け替えたり、飾りをはずしたりという
作業に掛かる。

「じゃあ、私パーティーの準備始めるね!」
咲はこういうと台所の方へと歩いていく。あ、と思い満はその後を追いかけた。
「私も手伝うわ」
「え〜、満は手伝わなくっていいよ。休んでてよ」
「別に休む必要なんてないもの」
咲はまだ何か言いたそうだったが何も言わなかったので、
満はさっさと台所に入り込みそこに並べられているパーティー用の料理と
思しいものを運び出す。

「むう〜」
咲はまだ何か不満そうだったが、満の様子を見て諦めたように、
「じゃあこっちの部屋に運んでもらえる?」
指示を出し始めた。

薫と舞の店の方の片づけが終わるのと、咲と満のパーティーの支度が終わるのは
ほぼ同時だった。
パーティーといっても今日はクリスマスの時のようにみんなを呼ぶわけではなく、
舞と満と薫、それに咲たち家族の少数で行うつもりらしい。

「えーっと、それじゃあ……」
オレンジジュースを入れたコップを手に持つと、咲は
息を整えるようにこほんと咳払いをした。

「これから、満と薫が夕凪町に来て一年になるので記念のパーティーを始めます!
 乾杯っ!」
「え!?」
驚いたのは満と薫である。てっきり子どもの日のパーティー兼お手伝いのお礼だと
思っていたのに、とうろたえていると

「ほらほら、満と薫も飲んでのんで」
咲に促され、とりあえず手に持っているジュースを飲み干した。

「……どういうこと?」
コップをテーブルにおいて満は咲に尋ねる。薫はというと、もうみのりに捕まっている。

「そういうことだよ。二人が来たの、大体一年前だもん」
「咲と話して、決めたの」
舞も二人が話しているそばに寄ってきた。
「満さんと薫さんメインのパーティーってしたことなかったから、だから」
「……」
黙ったまま、満は笑った。

「満?」
「なんでもないわ」
答えると満は料理の方に目を移す。

「じゃあこれ、好きなだけ食べていいのよね?」
「うんうん、もう好きなだけ!」
「満さんと薫さんの好きなものを咲のお母さん達にお願いしたの」
「じゃ、頂くわ」
満はとりあえずパンに手を出した。


-完-

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