「薫さん? 部活が終わってから、ちょっと寄るところがあるからってすぐ
 学校を出てたけど……」
満の質問に舞はきょとんとした顔をした。
「そう、すぐに。どこに行ったんだろう……?」
「私、薫さんはてっきりこっちに来てるんだと思ってた」
PANPAKAパンのパラソルの下、舞はテーブルの上に学校指定の鞄を置く。
もう半分以上使ったスケッチブックもその上に重ねた。


このところ、満は毎日のようにPANPAKAパンに通っている。
おいしいパンの作り方を習いたいから、というのが表向きの理由。
作った後のパンを試食したり売れ残ったパンを食べたりできるからという理由もあった。

薫は舞に誘われる形で美術部に入ったので、部活のある日は満と薫は別々に放課後を過ごしている。

咲はまだ帰ってこない。運動部はどうしても遅くなるので仕方がなかった。

「こっちに来るんだったらどこかに寄るなんて言い方しないわよ。
 ほとんど毎日、ここに来てるんだから」
「そういえばそうね。じゃあ……」
「どこか、薫が行かないといけない場所なんてあったかしら?」



風が木の葉をざわめかせる。
薫は大空の樹に一人抱きついていた。目を閉じると、風が吹き抜けて行く音が
良く聞こえる。
木漏れ日がちらちらと薫の顔を照らした。
外から見ると薫はまるで樹と一体になってしまったかのように動かず、
ただじっとそこにいた。

目を閉じたまま、薫は深く息を吸う。大空の樹から放たれたばかりの空気が薫の
身体を満たした。

そうしたまま動かないでいると自分がこの大空の樹に溶け込んでいくような
錯覚に襲われる。それは不快な感覚ではなかった。

後ろでかさりと音がした。薫はすぐに気づき後ろを振り返る。
すまなそうな顔で満が立っていた。

「ごめん。邪魔するつもりはなかったんだけど――」
「別にいいわ、」
薫は言い、大空の樹から身体を離して満の方に向いた。

「でも、PANPAKAパンの方はどうしたの?」
「舞が時間あるって言ってたから、代わりにお手伝いしてもらってるの。
 薫がどこ行ったか分からなくて、気になったから――」
「そう。……別に、隠すつもりはなかったんだけど」
ばつの悪そうな表情を浮かべ、薫は改めて大空の樹の梢を見上げる。

「ちょっと、来てみたくなっただけ」
「――寂しい?」
満の言葉に薫は何も答えない。そんなことはない、と言いたいところだったが、
この状況でそんなことを言っても何も説得力はないだろう。

「ムープとフープが泉の郷に帰ってから、1週間も経つものね」
「まだ1週間よ」
薫はつぶやく。寂しいなんて言ってられないわ――そんな思いを込めて。

「なんだか、不思議ね。私たち、ムープたちとは昔空の泉で一緒にいたといっても
 あの時はほとんど交流がなかったし、一緒にすごしたのなんてほんのわずかな期間しかないのに」
「ああ……そうね」
満の言葉に薫は頷いた。

「でも、たとえばパンを作った時、このパン食べたらムープが何て言うだろうって
 つい考えることがあるわ」
「わたしもよ。この絵を見たらフープが何て言うだろうって。
 このワイドショーを見たら二人がどんな風に真似するだろうって言うのも、あるわ」
「……ワイドショーの真似は碌なことにならない気がする……」
「ええ、そうでしょうね」



満と薫は先日、空の泉を見てきた。二人が知る空の泉は光が射すことも風の吹くこともない、
全くの滅びの世界だった。
しかしこの前行ってみた空の泉は違った。
「緑の郷と同じくらいきれい」という評判に違わず、光あふれ風がそよぎ、
緑が豊かに茂っていた。
泉の水はどこまでも青く輝き、周りにいる雫のような形の精霊たちが楽しげに
飛び回っていた。

満と薫を案内したのはムープ達である。咲達と、フラッピ達も一緒に来た。
ムープとフープは、どこか誇らしげに空の泉に一同を連れて行った。

「ここがムープたちのいつもいた泉ムプ!」
「本当にきれいププ!」
咲たちは前に一度この風景を見たことがある。
満と薫にとっては本当に初めてだったから、感動もひとしお――と咲たちは思ったのだが、
二人は戸惑っていた。自分達の知っている空の泉とはあまりにも
違う姿になっていたものだから、知らない場所に来たような気持ちになってしまっていた。

「満、薫、こっちムプ!」
そんな二人の気持ちを知ってか知らずかムープとフープが
二人を泉から少し離れた場所へと手招きする。

「ここは……?」
「この樹ムプ!」「これが、満と薫がいっつも腰掛けていた樹ププ!」
えっ、と満と薫は思った。ムープたちの言っている樹は枝を茂らせ葉をつけて、
天に向かって高く伸びている。

「これが?」「本当に?」
「本当ムプ!」「あの時は倒れていたププ!」
薫は樹皮にそっと触れた。
自分達が腰掛けていた当時、枯れてしまっていて触ってもごつごつとした印象しか
なかったものだが、今はどこか柔らかく薫の手に応えている。

二人の周りに精霊達が集まってきた。高い小さな声で何か言っている。
分からない、と言う顔をしている二人にムープとフープが通訳する。

「ありがとうって言ってるムプ」
「空の泉が元に戻って嬉しいって言ってるププ!」
「そ、そんなこと……」「お礼を言われるようなことはしてないわ」
「二人がこんなこと言ってるけど、気にすることないムプ」
ムープとフープは今度は精霊達に向かって説明をする。
「二人は照れ屋さんだからしょうがないププ〜」
満と薫は顔を少し赤らめた。


そんなことをしていたのは一週間と少し前のことである。
その数日後、フラッピたちは泉の郷に帰ることに決め、ムープたちもついて行くことにした。

もちろん、今は以前とは状況が違う。キャラフェがなくても、緑の郷と泉の郷との間は
自由に行き来することができる。
とはいえ、緑の郷にべったりいたときとは違い、ふっと声をかけたくなった時に
相手がいないというのはどこか喪失感を覚えるものではあった。


「またすぐに来るわよ、あの子たち。泉の郷で飛び跳ねていたらうっかりこっちに
 転がり出てくるかもしれないし。ぽよんぽよん、なんて音を立てて」
「そうね」
満が冗談めかして言った言葉に薫は微笑んだ。
その表情に満は少し安心する。

「でも、フラッピやチョッピみたいに足が生えてたらどうしよう?」
「……それはそれで可愛いんだと思うわよ、きっと……」
真面目に心配しているらしい薫に、呆れたように呟く。

フィーリア王女に繋がっているはずの大空の樹に一礼して、二人は
その場を立ち去った。
山を降りたPANPAKAパンでは、咲と舞がきっと二人の事を待っている。


-完-

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