「舞、ちょっと来ないか」
和也が舞の部屋の扉をいきなり開けた。
机に向かってぼんやりしていた舞は
「お、お兄ちゃん!?」
と驚いて兄を見る。和也はそんな舞を見て、ああ、また何かに集中していたのかと
思いながら
「ちょっと来ないか」
と繰り返した。

「どこへ?」
「展望台」
顔に疑問符をつけながら舞は立ち上がる。
よし、と和也は思いながら、
「今日はいいものが見えるんだ」
と言って舞の先に立って小走りに階段を上る。舞も少し遅れてついてきた。


展望台のドームは空に向けて開かれていた。
日は落ちたとはいえ、まだ暖かい夏の風が吹き込んでくる。
「今日の夕立、すごかっただろう? 雨が塵を洗い流してくれたから、
 星が綺麗に見えるんだ」
和也は一度自分で望遠鏡を覗いてから、

「ほら、見てごらん」
と舞を呼ぶ。舞も望遠鏡のレンズに目を合わせると、綺麗な赤い星が
視界の真ん中に見えた。
舞はその輝きに一瞬息を飲んでから、
「きれいね」
とだけ言う。それから望遠鏡から目を離して空を見上げ、今度は肉眼で今の星を
探そうとした。

「ほら、あれだよ」
和也が指さす先にある明るい星。肉眼では小さいものの、他の星と比べても強いその輝きははっきりと見て取ることができた。

「あれは何の星なの」
「あれは火星だよ」
火星、と舞は呟いた。それから展望台の上に広がる空を見上げ、
「今日は月はどこにあるの?」
と尋ねる。

「月? この時間はまだ無理だよ、今日は」
「そう」
和也の答えを聞いて、舞はあからさまにがっかりとした表情になった。

――あれ、失敗だったかな……
妹の表情を見て、和也は内心で戸惑っていた。

最近、舞に元気がないことは美翔家の皆が気が付いている。
4月にこの夕凪町に越してきてもう三か月。
舞はこれまでの転校と比較すると驚くほどスムーズに友達もできて、
学校にもなじんでいるように見える。

つい最近は学校の友達を呼んで天体観測会なんてことまでしたのだ。
これまでの舞から考えると、なかなかなかったことだ。

そんな様子だったのに……。
最近は元気のないことが増えた。一時期、夏休みに入ったころひどく落ち込んで
いたのとは違って今はだいぶ回復してきているように見えるが、それでもたまに
ぼんやりと考え事をしているように見える。

「舞、またうちに友達呼んだら?」
「え?」
舞はきょとんとした表情を浮かべた。
「咲なら一昨日うちに来たじゃない。ちょっとだったけど」
「いや、咲ちゃんだけじゃなくてさ。他の学校の友達とか。
 今火星を見せたけど、このまえ天体観測した時とは惑星の出方も違ってるし……」
舞の顔が曇ったのを見て和也は口をつぐんだ。

――友達関係なのかな。咲ちゃんとはうまくいってるみたいだけど……

「舞」
和也は気まずさをかくすように望遠鏡を覗くと、一度空を見て火星から
さそり座の方へと望遠鏡の向きを変える。

「友達と、何かあった?」
和也にしてはぎりぎりの質問だった。もう中学生の妹がこういうデリケートな質問に
素直に答えるかどうかはよく分からないままに質問していたが、

――答えたくないならこの話はこれでやめよう。
と和也は思っていた。無理に答えさせることはない。

「何か……って、別に、そういうわけじゃないけど」
舞は小さな声で曖昧に答える。

「そっか」

「……ねえ、お兄ちゃん?」
舞は望遠鏡を覗いている兄の背中に向かって聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で
言葉を投げた。
「ん?」
「友達と会えなくなっちゃったことってある?」
和也はその言葉を聞いて意外そうに振り向いた。

「そりゃ、あるよ」
それから目を伏せた舞の顔を見て、ははん、と何があったか検討をつける。

――友達が転校でもしたのかな?

引っ越しの多い美翔家に住む一員として、舞も和也も何度も転校の経験はある。
そのたびにその学校の友達とは離れてきたわけだが、
――もしかすると、友達に転校されちゃう経験って初めてだったのかもな。
と和也は推測した。

「連絡先は分からないの?」
「うん――」
――もじもじしてたら、連絡先教えてもらう前にいなくなってたみたいな感じかな。

和也はそう思って、さそり座に合わせた望遠鏡から目を離して舞を見た。
「いつかきっと、また会えるとは思うの。きっと」
舞は自分に言い聞かせるようにそう言った。

「でも、今すぐは会えないってこと?」
「ええ」
「それなら」
話は簡単だ――と和也は言う。

「簡単?」
「簡単だよ。忘れなければいいんだ」
舞は不思議そうな顔をしたまま何も言わなかったので、和也はさらに続けた。

「高校生になったり、大学生になったりすれば行ける場所も広がるんだ。
 そうすれば舞からその友達のいる場所に会いに行けるよ。
 その友達のことを、忘れなければ」
「う、うん――そうね」
兄が自分を励ましてくれていることは分かる。分かるから、舞は頷いた。

「その子は咲ちゃんとも仲がいいの?」
「うん。咲も、すごく仲がいいの。その子たちも、私たちのこと助けてくれたり」
声が震えそうになったのを、舞は用心深く抑えた。和也はそのことには気が付かなかったらしく、

「ならもっと簡単だ」
と笑ってみせた。
「咲ちゃんと一緒に、会いに行けばいいんだよ。遠いところでも、二人でいけば
 そんなに不安じゃないだろう?」
「そうね」
と舞は頷いた。その表情には微かな笑みが浮かんでいた。
和也の想像していることとは全く別の話になるが、舞は確かに咲と一緒に
会えなくなった友達に会いに行くことを考えていた。
まるで、今考えていることが正しいというお墨付きを兄にもらったような気がする。

和也は舞の表情を見てやれやれと思った。自分から始めた話で妹がつらそうな顔を
したままだと自分もつらい。

「ほら舞、見る? さそり座のアンタレス」
舞が望遠鏡を覗くと、そこには先ほど見た火星によく似た赤い星が捉えらえていた。

「ねえお兄ちゃん、どこかに青い星はないの?」
「青い星――?」
和也は少し考えると、今度はこと座に望遠鏡を向けた。
「ほら、ベガは青色だ」
そう言って舞に望遠鏡を覗かせる。本当に、と舞は答えた。望遠鏡の中の
星は青白く輝いている。

舞はそれから、和也に何度も望遠鏡を動かしてもらって
赤い星と青い星を何度も何度も見比べていた。

-完-

 ←押していただけると嬉しいです。



SS置き場へ戻る
indexへ戻る