いつもと違う朝が来た。

朝ごはんを食べた舞が自室に戻ってみると、部屋の中はまるで舞のほかに誰も
いないかのように静まり返っていた。
実際、今この部屋には舞のほかに誰もいないのだ。
舞が違和感を覚えて部屋の中を見回したのは、昨日までこの部屋にいた友達が
今朝はいないからに他ならない。

鳥の精チョッピ――、この世界をダークフォールの手から守るために
舞と咲に助けを求めてきたこの精霊は、舞たちと一緒に無事にその使命を果たし、
昨日故郷の泉の郷へと帰って行った。
舞とはほぼ一年間一緒に暮らしていたことになる。

「チョッピ?」
呼べば答えが返ってきそうな気がして小さな声で呼んでみたが、
やはり返事はなかった。
舞は自分の朝食を終えた後まずチョッピの食事のお世話をするのが
習慣になっていたから――朝食の後、お母さんが突然長い話を始めた時などは
チョッピがお腹を空かせているんじゃないかと冷や冷やしたものだ――、
何だかひどく間の抜けた時間が生まれた様な気がした。

「宿題、しなくちゃね」
自分に言い聞かせるようにそう言って舞は鞄から数学の教科書とノートを取り出すと、
机に向かって勉強を始める。


舞が勉強をしている時や本を読んでいる時、チョッピはいつも大人しく
部屋の中で一人遊んでいた。
舞が持っている画集をぱらぱらとめくってみていたり、
窓枠に乗って外を見ていたり。天気のいい日は窓を開けて
風を楽しんでいることも多かった。

この前の授業で習ったばかりの公式の使い方を問う例題を解きながら、
舞は自分の視線がちらちらと窓の方に向いているのに気が付いた。

舞の身近にいた四人の精霊の中で、チョッピは一番大人しい精霊である。
それでも一緒の部屋にいればその息遣いや気配は伝わってきた。
チョッピがいなくなるとその不在はいやでも感じられる。
形だけは宿題をしていても、チョッピが部屋のどこかにいないとなると
落ち着かなかった。

はあ、と舞は息を一つつくとぱたんと教科書を閉じた。
これ以上進めようとしても頭に公式が入ってきそうにない。
それよりは、気分転換でもした方がよさそうだ。

部屋を出てとんとんと階段を下りるとリビングに行く。
珍しく家でのんびりとした時間を過ごしている和也とお母さんが
何か話をしているのが聞こえてきた。

「それで、お昼ごはんは何がいい?」
「えーっと、そうだな」
お母さんに聞かれた和也は少し考えて、
「たまにはカレーがいいかな」
と答える。冷蔵庫からお茶を出そうとしていた舞はその言葉にぴたりと足を止めた。

「カレー……、材料ないのよね」
「だったら材料があるものでいいよ」
和也とお母さんの会話は続いている。舞はというと、ついついチョッピの姿を
思い出してしまっていた。

フラッピとチョッピにはたまにはカレーがいい、と何度か言っていた。
そのたびに咲と舞は二人にカレーを出して、そうするとフラッピとチョッピが
ぱくぱくと美味しそうに食べ始めるのだ。
カレーを頬張っているチョッピの満足そうな顔が脳裏に浮かんで、
舞はたまらなく寂しくなった。

――こんなんじゃ、駄目……
舞は冷蔵庫のそばで一人俯いて頭を振る。
何をしていても、何を聞いてもチョッピを思い出して寂しくなってしまう。

「舞? どうした?」
いつの間にか和也が舞の方を見ていた。舞の様子がいつもと違うのに
気付いたようだ。

「う、ううん。何でもないの」
舞は慌ててそう答えると、
「ちょっとスケッチに行ってこようと思って」
と言った。このまま家にいても、家族に心配されるだけになりそうだ。
舞はお母さんや和也の返事を待たずに自分の部屋に戻ると、
スケッチブックと絵を描くための道具を持って家を飛び出した。

昨日降っていた雪はほとんど積もらずになくなってしまっていたが、
空気はまだ冷たい。
雪が空の塵を洗い落としてくれたので、空は澄んだ青色を見せている。
家を出た舞は迷わず道を選び、トネリコの森までたどり着いた。
ここからは夕凪町と海が良く見える。
舞はぺたりと樹の根の上に腰を下ろすと、まず鉛筆を取り出してスケッチを始めた。

すぐに舞は、絵を描くことに没頭し始めた。

 * * *

「あれ? 舞も?」
トネリコの森までやって来た咲は舞が絵を描いているのを見て思わずつぶやいた。
特に約束をしたわけでもないのにここでこうして出会うのは不思議なようで
当たり前のような気がした。

咲はそっと舞の後ろに回り込んで彼女の描いている絵を見る。
いつもと同じ、綺麗な絵だった。
だがほんの少しだけいつもと違うような気がして、咲は何が違うんだろうと思った。

「ん……と」
スケッチが一段落したようで舞が鉛筆を置いて息を吐く。

「できたの、舞?」
咲が後ろから尋ねると、
「さ、咲!?」
全く気が付いていなかった舞は驚いて後ろを振り返った。

「ごめん、驚かせちゃった」
「咲もここに来てたの?」
「う……うん。なんかさ、」
咲は照れ笑いを浮かべて、

「フラッピがいなくなったから、いつもと違っていろいろ調子狂っちゃって。
 ここに来たくなっちゃったんだ」
「咲も?」
「舞も?」
咲と舞は、安心したように笑いあった。

「私も、なんだか落ち着かなくて。それでここに来たの」
「ねえ、舞。その絵、」
と咲は舞のスケッチブックに視線を落とす。
「何だかいつもの舞の絵と違うような気がするんだけど――何か違うの?」
舞は手元の絵を見て少し考える。

「空を広くとってみたの」
「へえ……」
舞の絵は、確かにアンバランスにも思えるほど空の領域が広かった。
その分、町や海は小さくなっている。だからいつもと違って見えるのかな、
と咲は思った。

「チョッピのこと考えてたら、鳥が飛ぶ空を広く描きたくなったの。
 それで、こんな風に」
「ああ、そうなんだ……」
舞の描いた空には、鳥が四羽飛んでいる。これがチョッピ達が
守りたかった光景だ。

「フラッピたち、どうしてるかなあ」
咲は舞の隣にぺたりと腰を下ろした。

「泉の郷で、いつもみたいに楽しくしているんじゃないかしら」
「フラッピ、チョッピに気持ち伝えられたと思う?」
咲が悪戯っぽく笑ってそう言うと、舞もふふっと笑みをこぼした。

「まだちょっと、難しいかも」
「ねー! いろいろ頑張ってるけど中々言えないんだからさあ」
咲と舞は顔を見合わせて笑いあった。

「ねえ、舞。大空の樹に行こう」
「ええ」
二人は立ち上がると、大空の樹へとその足を向けた。
大空の樹は今日も変わらず、天に向けてその枝を伸ばしている。
二人が大空の樹を見上げると、木漏れ日が二人の顔をちらちらと照らした。
この樹の向こうの異世界が精霊たちの住む泉の郷だ。

咲と舞は顔を見合わせると、息を合わせたように大空の樹に抱きつく。
大空の樹の少し湿った暖かさは、この樹の向こうでフラッピやチョッピやムープやフープが
元気に過ごしていることを教えてくれているように思えた。

-完-

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