「舞……」
自室で英語の宿題をしている舞に、窓枠に立って外を見ていたチョッピからの
小さな声が聞こえてきた。
「どうしたの、チョッピ?」
教科書に載っている文章を一つ一つ疑問文にしていく作業にだんだん疲れ始めてきていた
舞はすぐにそれに気づく。
チョッピは舞が気づいてくれたのが嬉しくて
「チョピ」
と窓枠の上でぽんと跳ねると、チョッピはとてとてと走ってきて
舞の机の上に飛び乗った。

舞が絵を描いている時は、呼びかけても気づかないことが多い。
宿題をしている時も、いつの間にか終わっていてノートの端に絵を描く
作業に没頭していることもある。そんなわけでチョッピは、まず小さい声で
舞を呼んでみて舞が気が付いたら改めて話を始めるのが習慣になっていた。

チョッピは舞の英語の教科書の隣に立つと机の上から舞を見上げる。
「どうしたの、チョッピ?」
「……」
チョッピは舞にそう聞かれて困ったような顔になると目を伏せてしまった。
「どうしたの?」
と舞は優しく尋ねる。
つい最近、チョッピがホームシックになっていたことに気が付かなかったこともあって
舞は深く反省していた。

フラッピやチョッピは普段は元気そうにしているけれど、故郷を取り戻すために
頑張っているのだ。
チョッピ達と一緒に泉を取り戻すと決意した咲と舞としても、二人の気持ちには
できる限りよりそってあげたい。
そのためには、チョッピの様子にちゃんと気を付けていないといけない。
この前の件で舞はそう痛感していたので、今もチョッピに何とか気持ちを
伝えてもらいたいと思っていた。
「チョッピ」
黙ったままのチョッピを舞はぎゅうっと抱きしめた。チョッピは
「チョピ……」
と安心したように目を閉じてから再び舞のことを見上げる。
「どうしたの、チョッピ?」
舞が再度尋ねると、チョッピはおずおずと口を開いた。
「あの絵、また見たくなっちゃったチョピ……」
遠慮がちにチョッピはそう舞に話す。
「あの絵って、この前の泉の郷の絵のこと?」
「そうチョピ、また見たくなっちゃったチョピ」
あの絵はコンクールへの出品作品と言うことで、他の美術部員の作品と
合わせて今は学校に置いてある。先生が管理しているはずである。
「そうね……、」
舞は少し考えた。チョッピはやっぱり無理だったかと申し訳なさそうに
目を伏せる。あの絵がコンクールに出品するもので、だから今は学校においてある
という事情はチョッピもよく知っていた。

「舞、やっぱりいいチョ……」
「明日、学校で見てみよう」
お願いを引っ込めかけたチョッピの言葉を舞の声が遮る。
「チョピ? でも、大丈夫チョピ?」
「うん、多分大丈夫。先生に話せば見せてもらえると思うの」
だから、ね。そう約束するとチョッピは「チョピ」と嬉しそうに微笑むと、
舞の胸にきゅうっと体を押し付けてきた。


翌日。舞は朝早くに登校すると、鞄を持ったまま真っ先に美術室を訪れた。
この部屋の奥には美術準備室があり、美術部の顧問の先生は
大抵朝一番早く来てこの部屋にこもっている。
職員室ではなくこちらに来ている理由は「美術教育についての考えを深めるため」
ということになっているが、実際は絵を描いたり彫刻を作ったり、先生の
好きなことをしているというのは美術部員なら誰でもが知っていることである。

「失礼します」
美術室を突っ切ると、準備室の扉をノックする。返事がないのはいつものことなので、
もう一度失礼しますと言ってから舞は扉を開けた。
「あれ……」
コミューンの形態で鞄にくっついていたチョッピはぽんと本来の姿に戻ると
「誰もいないチョピ」
と部屋の中を見回した。
準備室の中はいろいろなものが乱雑に散らばっているが、人ひとりが隠れられるような
スペースはない。
「先生、今日はまだなのかしら……」
普段ならいつもこの時間には来ているのに、と舞は思う。
チョッピと一緒にあちらこちらと見て回ってみるが、コンクール用の絵はどこか別の場所に
保管したらしく――普段そうした絵を一時的に保管している倉庫だろうと舞には
予想がついた――絵はどこにもない。
場所の予想がついているならそちらに行けばいいようなものなのだが、
保管庫の鍵は先生が持っている。
机の上や棚の上など、見られる範囲で探してみたが鍵の場所は分からない。
チョッピも、本の山を崩さないように気を付けながらあちこち覗いていたが
やはり鍵らしいものは見当たらなかった。
「一度教室に戻って、先生が来るの待とうか」
これ以上探すと資料や作品の山を壊すことになりそうなので
舞はそう言ってチョッピを呼び寄せる。チョッピはまたコミューンの形態になると、
舞の鞄に戻った。

「あれ、おはよう美翔さん。珍しいね」
「おお、おはようっ!」
準備室を出たところでいきなり声をかけられ、舞は慌てて甲高い声であいさつを返す。
「何か用事だったの?」
そこにいたのは竹内彩乃だ。舞と同じ二年生の美術部員である。
「う、うん。先生探してたんだけど」
「先生なら今日出張だけど」
「えっ? そうなの!?」
「うん。なんか大阪の方で研修があるんだって」
「そうなんだ……」
「急用なの?」
「う、ううん。そうじゃないけど」
言葉に詰まった舞を見て彩乃はきょとんとした表情を浮かべる。
「その……」
明日には先生は帰ってくる。このまま「じゃあ明日先生に話すね」と言うか、
鍵を探していることを彩乃に告げるか舞は悩んだ。
彩乃に聞いてみても鍵の場所を知っているかどうかは分からない。
しかし、このままにしていたら確実に一日待たなければならない。

「あの、倉庫の鍵ってどこにあるか知らない?」
思い切って舞は尋ねてみる。理由を聞かれたとしても、チョッピのことは
言わないで何とかなるだろう。
「倉庫の鍵? ああ、何だそれを探してたんだ」
彩乃は任せなさいというように笑うと、
「鍵ならね、先生いっつも」
と準備室に入って行って先生の机の一番上の引き出しを開けると
そこにいくつかある鍵の中から中くらいのサイズのものを彩乃は抜き出す。
「ここにしまってるよ。ほら、これ」
「ええっと」
思ったよりも簡単に鍵をはいと差し出され、舞は躊躇する。

「あの、この鍵先生に無断で使ってもいいの?」
「大丈夫大丈夫。先生が留守の時でも美術部員が使えるようにって、
 部員はみんなこの鍵の場所知ってるから」
そうか、美翔さんは入部したばかりだからこういうこと教えてなかったよね、
と彩乃は言いながら舞の手に鍵を握らせる。
「用事が終わったら部屋閉めて、またここの場所に戻しておいてくれればいいから」
彩乃はそういうと、先生の机の上にあるファイルを手に取って――それが彼女の本来の
用事であったらしい――部屋を出て行った。

倉庫は美術準備室から少し離れた場所にある。もともとは普通の教室だったらしいのだが、
夕凪中を増改築したときに余った教室を倉庫として使用することになった。
鍵をあけてから静かに戸を開くと、普段はあまり使わないドアがきしんだ音を立てる。
中は薄暗い。もともと日当たりのいい教室ではなかったそうだが倉庫にするにあたって
遮光性の高いカーテンをつけたのだそうだ。

電気をつけると部屋の中がぱっと明るくなる。どこにあるのだろうと舞はきょろきょろと
絵を探したが、今回のコンクールに出品する絵はまとめて入口の近くにおいてあったので
すぐに見つかった。

廊下に誰もいないのを確認してから舞は
「チョッピ」とコミューンのチョッピに声をかける。
チョッピはぽんと元の姿に戻ると舞の肩の上に乗って、「チョピ〜」と嬉しそうに
舞の描いた泉の郷の絵を見た。

「チョッピ、この絵そんなに気に入ってくれたの?」
「チョピ。もちろんチョピ!」
この光も、水も、とチョッピは絵のあちこちを指しながら興奮気味に話す。
「泉の郷によく似てるチョピ!」
「そうなの。良かった」
この絵はおそらく、本当の泉の郷の姿とは違っているはずだ。
それでも、チョッピがこの絵を喜んでくれていることが舞には嬉しかった。

「この樹は、」
とチョッピは絵の中央付近にある樹を指す。
「フラッピが大好きな樹に似てるチョピ!」
「え? そうなの?」
フラッピはこんな樹がお気に入りなの、と聞くとチョッピはチョピ、と頷く。
「かくれんぼだとみんなフラッピがその樹に隠れてることが多いって分かってるから
 フラッピはよく見つかるチョピ」
「そうなの?」
舞はその話に思わず笑ってしまった。
「そうチョピ、でもフラッピはどうしてみんなに見つかっちゃうのか
 まだよく分かってないチョピ」
「まだフラッピは気が付いてないのね、自分がその樹によく隠れてるってこと」
「そうチョピ」
そう話すチョッピは実に嬉しそうだ。泉の郷を思い切り味わおうとするかのように
チョッピは目を閉じて思い出にふけっていた。
舞はそんなチョッピをそっとしてあげようと思い、自分は絵の方に再び目を移す。

……と、絵の印象が今までと少し違って見えた。木々の間に精霊たちが見えるような
気がする。これまで自分の描いた絵の印象が、時間をおくと違う風に見えたことはなかったので
舞は少し驚いた。

「チョピ」
十分見て満足したのか、チョッピはまたコミューンに姿を戻す。
「もういいの、チョッピ?」
「チョピ。舞、ありがとうチョピ!」
時計を見れば、そろそろ朝のチャイムが鳴る時間だ。舞はゆっくりと自分の絵を
元のように片づけると、電気を消そうとしてコミューンを手に取った。
「チョピ?舞、どうしたチョピ?」
「チョッピ、今度また一緒に泉の郷の絵を描かない?」
「チョピ? 一緒にチョピ?」
今度また、という舞の言葉遣いにチョッピは不思議そうな顔をした。
今の絵だってチョッピが一緒に描いたものではない。絵筆をとったのは舞だ。

「さっきの絵、舞がチョッピのために描いてくれたチョピ」
だからそう言うと、舞はううんと首を振る。
「でも、チョッピが泉の郷の色々な話をしてくれたからあの絵が描けたのよ」
と舞は答え、
「また泉の郷の話をチョッピから聞いたら、また違う絵が描けるような気がするの」
だからまた一緒に、と続けた。
「チョピ」
コミューンの中のチョッピの声が一段高くなる。
「今度は世界樹の絵がいいチョピ」
「そうね、じゃあまた世界樹がどんな樹なのか教えて」
「そうするチョピ!」
元気よくチョッピは答えると、舞が電気を消したのに合わせて
コミューンの中で静かになった。
舞はチョッピを付けた鞄を持って、どんな絵になるかなと思いながら
鍵を戻すために美術準備室へと歩いて行った。


-完-

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