朝食が終わってからというものずっと何かを考え込んでいる薫を
放っておこうか、それともそろそろ声をかけた方がいいのかと
満は考え始めていた。
食事を終え皿も片付いた――満が片付けた――食卓の前で
深く椅子に腰掛け、腕組みをしたままじっと動かないでいる。
薫がそんな風に考え事をしていることは珍しくない、とはいえ今日のは
ちょっと長すぎる。
朝食後に淹れて薫の前に置いておいた紅茶も、口をつけてもいないのに
冷めてしまっている。
もったいないわね、そう思ったとき満の考えは決まった。

「薫。……薫!」
2回続けて名前を呼ぶと、薫はふっと満に目を向けた。
「何?」
「紅茶飲むの? 飲まないの?」
「あ……ああ」
薫は初めて気がついたようにティーカップを掴むと一口飲んだ。

「冷たい……」
「仕方ないわよ、ご飯済んでからすぐ淹れたのに薫が飲まなかったんだもの」
「……そういえば、そうだったわね」
ぼんやりとだが、満が「紅茶淹れたから薫にもあげるわ」と言っていた記憶がある。

「それで、薫。何をそんなに悩んでるの?」
ストレートに聞いてみると、薫は俯いてまた冷たい紅茶を一口飲んだ。

「悩んでないとは言わせないわ。何を朝からずっと考え込んでるのかしら」
畳み掛ける様に満が言うと、薫はうん、と頷いた。

「そうね……悩んでるわ」
「その悩みは、何?」
言うまで許さないというように満の目が薫の目を捉えた。
「うん、その……」
薫はやや躊躇った後、「美術部の課題のことよ」と続ける。

満はちょっと拍子抜けした。薫がずっと悩んでいるから、相当深刻な――、
もしかすると自分やこの緑の郷に関わってくることかもしれないと懸念も
していたのだが、美術部の課題で悩んでいるなら悩みとしては平和なものだ。

「今度は何の絵を描くことが課題なの?」
「『守りたい人』よ。モデルは一人」
「ふ〜ん。そんな課題なのね。で、誰にするか悩んでいるの?」
「そう。具体的には、舞にするかみのりちゃんのするかで悩んでいるわ」
薫は残っていた紅茶をぐいと飲み干した。ティーカップを置き再び
姿勢を直して腕を組もうとして、満が不満そうな目で自分を見ているのに気づく。


「……何よ」
「薫、何でその二人に限定するの?」
「というと?」
とぼけているのでもなんでもなく、素直に分からないと言う顔で言う薫に満は
少し腹立たしさを覚えた。

「私はどうなるのよ!」
「満?」
ぎょっとした表情で薫が問い返す。
「私は『守りたい人』に入らないの?」
やや怒気を含んだ声で詰め寄っても薫は動じない。

「満は違う」
「何が」
「満が私のことを守ってくれることの方が多いわ。だから、違う」
はあ、と満は大げさにため息をついてみせた。薫はそれも気にしていない様子で、

「とにかく……」
と呟いて天井を見上げる。
「あのね、薫」
満が薫の顔を覗き込んだ。

「何かしら?」
「私のことはそうだとしても、咲のことは?」
「咲は……頑丈だから」
「そんなこともないと思うけど?」
「それに咲も、私や満を守ってくれることの方が多いわ」
それは満も頷かざるを得ない。
とは言っても……

「舞だって、私たちを守ってくれることの方が多いと思うけど」満は呟いた。
「確かに」
初めて気づいたかのように薫が同意する。
ま、いいけどと満は薫から離れた。
「私、部屋にいるから」
薫は無言で頷きまた考え事を始めた。


――確かに、満の言ったとおり……

咲が「自分や満のことを守ってくれる」というなら、舞だって自分達のことを
守ってくれる。それは本当だ。
しかし、自分は「守りたい人」という課題で舞のことを思い浮かべた。
なぜだろうと薫は思索にふける。

初めて会ったとき……、あの時は、咲と舞は二人一緒にいた。
自分は二人のことをまだ「プリキュア」としてしか認識していなかったから、
どっちがどっちでも良かった。咲、舞と言う名さえ覚えていなかったかもしれない。

薫は首を捻った。薫にとって舞はかなり長い間「プリキュアの片割れ」だった。
「キュアイーグレット」から「美翔舞」として認識するようになっても、
手ごわい存在として意識していたはずである。甘く見れば自分も満も危険だと
思うくらいには。

――いつから、舞を「守りたい」と思うようになったのだろう……

記憶を辿っていく。初めて舞や咲を守ろうとしたのは、二人がドロドロンの
糸に縛られていた時、か。
次はゴーヤーンが緑の郷にやってきて咲や舞に話しかけた時。
その後でアクダイカーン様に……
思い出しかけて薫の表情が沈鬱になる。

記憶の中でも時間が飛び、ダークフォールの湖底で目覚めた時。
あの時ははっきりと二人に会いたい、二人を守りたいと思った。
それから……、ああそうか、と薫は思い出した。

――舞の変身が解けてしまった時……

ゴーヤーンの滅びの力に精霊の力が全て飲み込まれてしまった時だ。
戦闘の時は頼もしいまでに素早く攻撃を繰り出していたキュアウィンディが、
いつもの舞に戻った。

薫は臨戦態勢のままだったから余計に、舞の身体を支えた時その華奢な骨格に
気づかされた。
恐らくプリキュアに変身するということは攻撃力、防御力ともにかなり増大させると
いうことなのだろう。薫がイーグレットと戦った時もあまり華奢な感じはしなかった。
だから、舞の身体を支えた時の頼りないか細い感じが非常に強く
印象に残ってしまっているのかもしれない。

とは言え。

その更に先まで記憶を辿ると、やはり自分と満は舞と咲に守られ、助けられた
印象が強い。
満の言っていた「舞だって、私たちを守ってくれることの方が多いと思うけど」という
言葉は正確だ。

そうすると、やはり今回モデルにするべきはみのりちゃんか。
しかし――と薫は思う。

――確かにみのりちゃんは小さいしボールがぶつかったら危険なくらいに
  弱いわ。でも……、

舞のことを思い出している時みのりとのことも色々と思い出したが、
みのりも薫に守られているばかりではないのだ。
何かというと纏わりついてきて、薫は気づけばいつの間にかみのりのペースに
巻き込まれている。

そういえば満もいつか、「咲と話しているといつの間にか咲のペースになっている」
と言っていたっけと薫は思い出して苦笑した。
姉妹だからそういうところは似ているのかもしれない。

そう考えると、どうもみのりも「守りたい」だけの存在とは思えないのだ。
どこかで薫がみのりに守られている部分もあるような――はあ、と薫は
ため息をついて目の上に腕を乗せた。

――駄目ね。ちっとも考えがまとまらないわ。

こんな時、舞だったらきっと「描きたいものを描けばいいのよ」と言ってくれる。
みのりもきっと、「大好きなものを描けばいいんだよ、薫お姉さん!」と言ってくれる。

――でも、それだと課題の条件に合わない……

椅子をけり倒すような勢いで薫は立ち上がった。今、自分が思ったことで
逆に気持ちが固まった。
猛然と薫は自分の部屋に戻ると――満がベッドに寝転んで本を読んでいたがそれには
目もくれず――自分の机に向うと紙を広げる。

満が「なに〜」と言いながら起き上がって近づいてきた。
薫はそれを無視して鉛筆を動かし始める。


「誰描くか、決めたの?」
「ええ」
満の方を向かずに薫が答える。んー? と満は薫の頭の上に被さるようにして
紙を覗き込んだ。下書きの鉛筆の線が何本か走っている。しばらく息を殺すようにして
画面を見つめていると、線が次々に増えていく。あれ、と満は首をかしげた。

「モデルは一人に限定なんじゃなかったの?」
薫の下書きの線から推測すると、どうみても一人を描くような絵ではなさそうだ。
二人でもなく、もっと多くの人を描こうとしている絵に見える。

「そうよ。課題の条件は一人」
「だったら、」
沢山描いちゃいけないんじゃないの? と言いかけた満に薫は
「そんなことにこだわってられないわ」
とはっきりと口にした。

「へえ?」
「課題の条件は条件だけど、それにこだわってたらいつまで経っても描けないわ。
 守りたい人っていう条件も難しいけど、一人って条件も無理。
 絵が描けない位なら、描きたいだけの人を描いた方がいいと思ったの」
「ふ〜ん」
そういうものなのかなと満は思う。美術部の仕組みというのは良く分からないのだが。

「で、誰を描くことにしたの」
「舞とみのりちゃん、咲と満。それに、ムープやフープたちも描きたいわ」
「ずいぶん沢山描くのね」
「ええ。どうせ、一人って言う条件は守れないから」
言っている端から紙の上が線で一杯になっていく。

満はすっと薫から離れた。先ほどまでの悩みがどこかに吹き飛んでいってしまったように
軽快に手を動かしている薫を見ると安心する。
読みかけの文庫本にまた取り掛かろうとして、

「絵を描くのはいいけど、昼ごはんは薫が支度してよ」
薫は生返事をした。


翌日。薫は描きかけの絵を持って登校した。昨日の間に絵の大体の構図が見える形には
なっている。見せたい相手はもちろん舞だ。

「おはよう」
挨拶もそこそこに舞の席に近づく。舞は薫の方を向いてにっこりと笑った。
「舞、今度の課題の絵のことなんだけど……、『守りたい人』を一人、というのは
 できそうにないから……」
口の中でもごもごと言いつつ下書きを見せると、
「うん、すごくいいと思うわ」と舞は頷く。

「課題の条件には合ってないけど」
そう言う薫に、舞はううんと首を振る。咲と満もいつの間にか近くに来ていた。

「そんなに気にすることないと思う。私が描いた絵は……」
舞も自分の下書きを見せた。
大空の木が真ん中に描いてある。しかし、人物らしい姿は見えない。

「え? 人がいない」
驚いた薫にうん、と舞は説明する。
「私も『守りたい人』ってすごく悩んだの。だって一杯いるもの。
 でも、大空の木を描いたら、私がそこで出会った人たちがみんな
 入るような気がして……」
「なるほど……」
薫が感心したように声を出した。

「ねえ、咲」
そんな二人の後方で満がちょんちょんと咲のわき腹を突付いた。

「課題の条件って、そんなに気にしなくていいものなの?」
「うーん、良く分からないけど……舞も薫も割と自分の描きたいものを
 好きなように描くタイプみたいだから、
 あまり気にしすぎると良くないんじゃないかなあ」
「へえ」
「舞も薫も、美術部ではマイペースって評判みたいだけど……」
「……そうなんだ」
そうだろうなと満は思う。
薫はもとから自分のしたいようにする性質だ。緑の郷に来てからは満が
フォローしなければいけない面も多々あったし本人もそのことには
気づいているようだが、あまり直せるものでもないだろう。

――美術部でも舞と一緒に、薫のしたいようにできるならそれがいいのかもしれない……、

「みのりも小学校でもうすぐクラブに入れるようになるんだけど、」
咲が呟く。満は「え?」と聞き返した。

「美術部とソフト部で迷ってるらしいんだけど、
 美術部入ったら舞や薫に似てくるのかなあ?」
「さあ? ……みのりちゃんはあんまりマイペースにならない気がするけど……」
そう答えながらも満は
――でもひょっとして、絵を描くということは次第にマイペースに
  なっていくということなのかしら……

お互いの下書きを見ながら楽しそうに話している舞と薫を見て満はそんなことを思った。

-完-

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