舞のお母さんはたまに美術展のチケットを持って帰ってくることがある。大学の先生には
美術展の監修に協力している人も多いのでそうしたつてで手に入るのだ。
美翔先生のところのお子さんは絵が好きらしいということが知られるようになってからは
頼みに行かなくても向こうから持ってきてくれるような場合さえあった。

チケットは大抵二枚。舞がまだ小さかったころは両親のどちらかが連れていったり、
和也についていって貰ったりしたものだが最近はその必要がなくなった。

「舞、はいこれ。今度デパートであるんですって」
お母さんが舞に差し出したチケットは、東欧の有名な画家の絵がひと月ほど夕凪町から
少し離れたデパートの展示場で公開されるというものだった。
「二枚とも使っていいの?」
「ええ。誰と行くの?」
「薫さんを誘ってみるわ」
舞はそう答えて、「この人の絵、薫さん好きそうな気がするの」と続けた。
「そう。一緒に行けるといいわね」
「うん!」
舞はチケットを大事に持って部屋にしまいに行く。
そんな娘の後姿を見ながらお母さんは、
――いい友達ができて良かったわね。
と思う。

夕凪町に引っ越してくる前の舞は一人で本を読んだり絵を描いているのが好きだった。
今でもそういったことは好きなのだろうと思うが、この町に来てからすぐに
舞は咲の家に入り浸るようになっていった。
家族にする話にも咲の名前がいつも出るようになった。
やがて二人の転校生が来てからはその二人の名前も少しずつ増えていった。

今は、満と薫の名前も毎日のように会話の中に出てくる。
特に薫の方は美術部に入ってからというもの、良く名前を聞くようになった。

この町に帰ってきて良かった、と舞のお母さんはつくづく思う。
子供たちには何回も転校させてしまっているし、その度に友達と
別れさせてしまっている。
――でも、咲ちゃんたちなら……
ずっと舞の友達でいてくれそうだ。そう思うと、少し安心した。

 * * *

「この人ね、すごく可愛い絵を描く人なのよ」
次の日曜日、舞は薫と一緒に電車に乗っていた。目的地は夕凪町から
電車で30分ほどの街だ。デパートをはじめとする店が沢山あって、
この辺りの人たちが何かちょっとした買い物をするときにはその街を
訪れるのが常である。今回のように展覧会が行われる場合もあるので、
この辺りの文化の中心的な街だともいえた。

「可愛い絵?」
吊革に掴まって薫が尋ねる。うん、と舞は頷いて持ってきたチケットを見せる。
「ほら、こういう感じの。農村の風景画が多いんだけど、暗い感じがなくて
 絵本みたいなのよね」
「確かに……そうね」
薫はチケットに小さく載っている絵をしげしげと見た。
そんな様子を見て舞はふふっと笑う。
「多分その絵、今日の展覧会で大きく展示されているわよ」
薫はそれを聞いて若干顔を赤らめる。
「そうね」
チケットを舞に返そうとして「もう薫さんが持っていた方がいいかも」
と言われて薫は自分の持っている鞄の中にそれをしまうと、
進行方向に見えてきたデパートの建物を窓越しに見つめた。
言葉には出さなかったものの薫の目が期待に満ちてきらきらとしているのに
気が付いて舞は嬉しくなっていた。


デパートに着いたのは昼時には少し早いころ。二人は空いているうちに食事を
済ませてしまってからじっくりと展覧会を見ようという計画だった。
開店したばかりのデパートのレストランにはまだ人が少ない。
席に案内してもらってから料理を選んで注文すると、「ちょっとトイレに行ってくるわ」
と薫は立ち上がった。
「うん」
一人きりになった舞はチケットを取り出して先ほどの薫と同じように
よく見てみた。今回の画家の一番有名な絵の一部だ。以前読んだ画集を
思い出せば、この外に広がる世界を思い浮かべることができる。
そんな風にしていると、レストランで周りの人が会話をしたり食事をしたりしている
音が消える。自分だけの世界に入る。

「美翔さん……美翔さん!?」
自分の名前を呼ばれているのに気づいて舞がはっと目を上げると、目の前には
自分と同い年くらいのひょろりと背の高い男の子が立っていた。
「ああ、やっぱり美翔さんだ」
はにかんだように笑うその笑顔を見て、誰、と舞は動揺する。
確かにどこかで見たような記憶はあるのだが思い出せない――。
「あ、僕のこと忘れちゃった? 高田だけど」
「……あ。高田君!?」
舞は思わず驚いて声を上げた。

彼は夕凪中に引っ越してくる二つ前の町で通っていた小学校の同級生である。
舞が転入したとき、まず彼と隣の席になった。初めのうちは教科書を
持っていなかったのでよく見せてもらっていたものである。小学校の頃の
彼はやせ形ではあったが決して背の高い方ではなかった。
「背、伸びたんだね。声変わりもしてて……びっくりしちゃった」
「もう中二だからね。声変わりしてても普通でしょ」
「……それは、そうね」
「美翔さんは、どうしたの? あ、展覧会見に来たのか」
と彼は机の上に置いた舞のチケットに目を止めた。
「うん」
「変わらないね。相変わらず絵が好きなんだ」

 * * *

「美翔さん、一緒にかえろー!」
転校してすぐの頃は、大抵クラスに何人かいる面倒見のいい女の子たちが
誘ってくれるので一緒に帰る場合が多い。初めての町ということで、
お勧めのスポットを舞に案内してくれることもあった。
「うん、ありがとう。えーっと……」
舞が言葉に詰まっていると、クラスメイトはそれぞれに自分たちの
名前を言ってくれたので舞は口の中で何度かその名前を繰り返して
覚えようと頑張る。

「美翔さんって、いろんなところに住んだことがあるんでしょ?
 これまでどんなところ行ってきたの?」
みんなと一緒に教室を出ながら舞がこれまでに引っ越してきた土地の名前を上げると
「すごーい!」と歓声があがる。

校舎を出て、ふと舞は上を見上げた。校門の近くからは校舎の屋上までが見えるのだが、
そこに誰か立っている。
「ああ、あれ。高田君」
女の子のうちの誰かが舞の視線に気づく。
「何してるの?」
「UFO呼んでるんだって」
別の女の子が少し馬鹿にしたような口調で言った。
「UFO?」
「そうそう、あそこでああやってるとUFO呼べるんだって」
「そ、そうなの……?」
「美翔さんあれだよ、隣の席だからって高田君の影響受けちゃだめだからね!」
一人の女の子がびしっと人差し指を突き出す。ほかの少女たちがどっと笑った。
「UFOなんて呼んだってくるわけないんだから」


幼いものではあったけれど、「好き」という感情ではあったのかもしれない。
転校して少し経ってから分かったのだが、高田君はクラス内では少し浮いていた。
UFOを探していることだけが原因ではない。宇宙や虫の話が好きで理科の本を
たくさん読んでいる彼は、話すことの切り口や話題の出し方が
他の生徒たちとは少し違っていた。そのためか、みんなで話している時に
彼の発言だけがこれまでの流れとどこか関係ないものになってしまうことも多い。

いろいろなことを良く知っている事に関しては尊敬されながらも、クラスメイトからは
どこか遠巻きに見られているのが彼だった。

そして、舞は多くの場合に彼の言いたいことが何となく分かってしまうのだった。
彼の読んでいる本が、兄の昔読んでいた本と重なっていることが多かったからかもしれない。
「高田のことは美翔に任せておけ」
という雰囲気がクラスに生まれるのは自然のことだった。
舞自身も絵を描いていることが多くクラスの友達との会話が多い方では
無かったので、会話が弾むかどうかをあまり気にしていない
高田君と一緒にいるのは楽だった。
席替えをした後でも、「男女一組で組んで〜」という指示が先生から
出た場合には舞は高田君を探すのが常だった。

 * * *

「高田君はどうしてここに?」
「8階の本屋で今はサイエンスに関する本の特集をしてるみたいなんだ。
 滅多に書店には出てこない本もあるみたいだから」
なんだ、高田君も変わらないと舞は思う。今でもきっとお兄ちゃんのような
よく分からない本を読んでいるのに違いない。
見た目は随分変わったけれど。
「今でもUFO呼んでるの?」
懐かしくなってそう聞くと、
「もちろん」
と当然のように高田君は答える。
「そ、そうなんだ……」
「中学入ってから、UFO研究会を作ったんだ」
「え、研究会!?」
「うん、僕含めて部員は三人でね。今日もそのメンバーで来たんだ」
高田君がちらっと振り向いた方を見ると、中学生の男の子が二人
別のテーブル席に座って何か熱心に話し込んでいる。
椅子は3つあって空いている席に大きなリュックが置いてあるが、
あれがきっと高田君の席だろう。
「じゃあ、3人でUFO呼んでるの?」
「まあね。でも屋上で呼ぶんじゃ正直限界も感じるから
 別の方法を考えようってことになってるんだ」
「ふ、ふうん……」
この人はどこまで本気なのだろうと舞は思う。きっと全部、本気だろう。
「3人でその方法考えてるの?」
「そうだよ。あいつらの方が僕より詳しいからね」
「高田君より!?」

「うん」
そう答える高田君の表情は嬉しそうだった。ああ、と舞は思った。
きっと高田君はやっと信頼できる友達に会えたのだ。
小学校の頃の舞のように、何となく一緒にいるだけではなくて。

「……舞」
トイレから戻ってきた薫が遠慮がちに声をかける。
「あ、薫さん」
舞は振り返って薫が「誰?」と聞きたそうな表情をしているのを見ると、
「小学校の同級生だったの。高田君」
「あ、じゃあ僕はこれで」
彼はそろそろ頃合いだとでも思ったのか舞のテーブルを離れて
友達の方に戻って行った。

「……いいの?」
薫が彼の方をちらりと見やりながら舞に尋ねた。
「いいって?」
「話があったんじゃないの?」
「うん、大丈夫」
舞はこっくりと頷くと、
「数年ぶりに会ったんだけど、やっぱり変わってるみたい」
と呟いた。
「……?」
薫は無言のまま舞の言葉の意味が図りかねるように首を傾げる。

「さっきの、高田君と会ったの数年ぶりなの。全然変わってないように
 最初は思ったんだけど、やっぱり変わってるんだなあって思って。」
「ふうん」
薫は曖昧に相槌を打った。実のところ、薫にはまだ年齢による人間の変化
ということがよく分かっていない。理屈の上では理解していても、
具体例を目の当たりにしたわけではないので今一つぴんと来ていなかった。
「小学生と中学生だものね」
独り言のような舞の呟きに薫が
「それはみのりちゃんも大きくなるといろいろ変わるということ?」
と尋ねる。舞はふふっと笑った。
「たぶん、ね。きっといい変化だと思うけど」
薫は少し複雑な表情だ。
――私は、どうかな。あの頃と比べて変わったかな。
と舞は考えてみる。
成長したみのりちゃんを思い浮かべようと頑張っているらしい薫を見て、

――私も、少しだけ変わったかも。
そう、舞は思った。

-完-

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