「あの、美翔先輩!」
下駄箱で呼ばれ舞はくるりと振り返った。
後輩の女の子が三人舞の後ろに立っている。顔は見たことがあるが名前は思い出せない。

舞は少し困った顔をしながら、「どうしたの?」と尋ねる。
「あの、お願いがあるんです!」
「お願い?」
三人並んだ女の子たちはお互いに「お願い」を言う役目を押し付けあうように
もじもじしていたが、
やがて真ん中の子が、「あの!」と物凄い勢いで箱を出す。
舞は押されるように後ろに下がってしまった。

「これ、霧生薫先輩に渡して欲しいんです!」
真ん中の女の子は顔が真っ赤だ。両端の子たちも緊張のせいか顔が赤くなっている。
「……薫さんの忘れ物?」
舞が尋ねると、ぶんぶんと女の子たちは首を振った。

「これ、薫先輩に着けて欲しいんです!」
「つける?」
舞はますますきょとんとした表情を浮かべる。

「あの、これ、ハチマキなんです!」
「学校で配られるのより、大分長いんです! 薫先輩がこれつけてリレーに出たら
 きっと格好いいと思って!」
左の子と右の子が顔を真っ赤にしながら説明した。
静かな下駄箱に彼女たちの声だけが響いている。

「あ……あの……薫さん多分そういうことしないから……」
「そこを、なんとか!」「美翔先輩のお力で!」「お願いします!」
3人揃って舞の前でバッと頭を下げる。
「あ……あのね、そう言われても……」

「私がどうかしたのかしら?」
突然低い声がした。その場にいた4人がゆっくりと声のした方に目をやると、
そこには体操着を着た無表情な薫が立っている。
舞の目には、無表情どころか少し怒っているようにも見えた。

「あ……」
女の子たちは固まっていたかと思うと、舞の手から箱をひったくるようにして
「すみません薫先輩!」といって走って逃げ出した。
後には薫と舞だけが残される。

「何? 今の」
薫は相変わらず無表情だ。
「薫さんにハチマキ着けてほしかったらしいわ」
「ハチマキ?」
「学校で配ってるのより少し長いのにして欲しかったみたい。……ほら、リレーの時に」
清海高校の運動会は1週間後に迫っている。大会の一つの目玉はクラス対抗リレーだ。
薫は今年B組のアンカーを務めることになっている。

薫は無言でため息をついた。
「……いつも舞にそんなこと言ってるの?」
「あの子たちは初めて」
「他の子は?」
「……」
舞は黙ってしまった。これまでにも何度か似たような話をされたことはある。
大体いつも、「薫さんはそういうの好きじゃないから」と言ってきた。

「これまでにもああいうこと、あったのね」
「うん、そうだけど……」
薫の口調は氷のように冷たい。舞に対してというよりも
そういうことを言ってきた後輩たちに対して。

「もう、舞がそんな話聞くことないわ。
 もしまたそんなことがあったら、私に直接話すように言って」
「あ……あのね薫さん」
切り捨てるような物言いの薫を舞は何とか取りなそうとする。

「あの子たちだって、他の子だって、悪気があるわけじゃないの。
 ただ、薫さんに直接言いにくいから……薫さんに憧れてるから、
 直接は伝えにくいんだと思うわ」
「だからって、舞にそんなこと」
「薫さん」
舞は薫の手を取った。

「そんなに怒らないであげて」
「舞……」
「これから、練習でしょ? 咲や満さんと一緒に」
「ええ」
「頑張ってね、薫さん」
薫は黙って頷くとグラウンドの方に駆け出して行った。

このところ、薫も咲も満も放課後は運動会の練習をしている。薫と咲はリレーの、
満はハードル走の練習だ。
今年は舞と薫、咲と満がそれぞれ一緒のクラスになっている。
だから薫と咲、満は運動会では別のチームになる。咲と満はそれなりに運動会に
熱意を燃やしているが薫はあまり熱心ではないらしい。

――そうだ……。
校門から出ようとした舞はくるりとUターンすると校舎の脇を通ってグラウンドに出た。
リレーのバトン練習、ハードルの練習、向こうでは綱引きをしている一団がいる。

誰かの邪魔にならないように気をつけながら舞はグラウンドの周りを大きく回る。
校舎正面、リレーでちょうどゴールになるところを見ながら。

――どこにいたら、リレーの時に咲や薫さんが良く見えるかしら……。

咲は第一走者、薫はアンカーだ。二人とも校舎の前を通るはずである。舞としては
本番ではなるべく良く見える位置に行きたい。

――この辺、かな?
大体の目星をつけて舞は再びグラウンドを出た。

「ねえ薫、舞何か用事あったんじゃないのかな」
咲と薫は丁度その時練習が中断していた。
「さあ?」と薫は首を捻る。

「見に来ただけかもしれないわ」
「あ、そうかもね」
「……ねえ、咲」
「ん? どうかした、薫?」
薫は先ほどの後輩の話を簡単に咲に説明した。

「へえ、そんなことがあったんだ……」
「舞にそんなこと、させたくないんだけど」
「うん、気持ちは分かるけど……でも舞は、薫があまり怖がられるのも嫌なんじゃないかなあ」
「どう思われたって構わないわ」
「薫はそうだろうけど、」
咲は苦笑した。
「友達が変な風に思われるのって嫌だよ、やっぱり」
「……」
薫はまだ納得しきれていない顔だ。

「さっきの子たち、騒いでいるだけで結局私のことは見ようともしていない気がするわ」
「ん、まあ……そういうこともあるかもしれないけど」
練習しよ、という風に咲は薫を促した。


「はー、汗びっしょり」
練習を終え、満と咲、薫は着替えを終えると帰路につく。
「満、咲と一緒に先に帰っててくれる?」
学校を出たところで薫は思い出したように満に言った。

「いいけど? 何か用事?」
「ええ、ちょっと……」
返事もそこそこに薫は道を折れる。
「……どうしたんだろう」
心配そうにする咲に満は「舞にでも会いに行ったんじゃないの」と軽く答える。


実際、薫は舞に会いに行っていた。と言って、舞の居場所が確実に分かっていた訳ではない。
何箇所か舞のお気に入りの場所に行った後に、

「……ここにいたの」
「薫さん」
舞はトネリコの森の、海の見える場所に座っていた。
「どうかしたの?」
「どう……、ってこともないけど」
薫も舞の横に座る。

「さっきグラウンドに来てたけど……」
「あ」
見つかってたんだ、と舞はちょっと顔を赤らめた。

「いい場所探してたの」
「いい場所?」
「ええ。薫さんたちがリレーで走るとき、良く見える場所。
 後で絵を描きたくなると思うから」
「ああ……」
薫は納得して、後ろの樹にもたれかかった。

「ねえ、舞」
目を閉じてゆっくりと薫は舞に話しかける。

「リレーで優勝すると、そのチームの選手には賞品として鉛筆が出るんだったかしら?」
「ええ、そうよ」
答えながら舞はくすりと笑った。高校なのに、小学生みたいな賞品だ。

「優勝したら、その鉛筆舞にあげるわ」
「え?」
舞はきょとんとした表情を浮かべる。
「その鉛筆で、リレーの絵を描いてくれる?」
私の絵、とは薫にはいえなかった。リレーの絵としか言えなかったが、舞にはその
意図は通じた。

「ええ、もちろん。……薫さんが一番でゴールする絵、必ずその鉛筆で描くわ」
楽しみにしてるわと言われ、薫はやや顔を赤くして立ち上がる。

「そろそろ帰らない? 暗くなってきたから」
「ええ、そうね……薫」
いつもと呼び方が違うように聞こえたのは、舞がそうしたのか風に語尾が紛れたのか
その時の薫にはよく分からなかった。
二人は言葉少なく帰路についた。

-完-

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