ガラス窓のすぐそばで水を飲む薫を舞はじっと見つめてしまった。
射し込む光を反射して輝いていた水がごく、ごくという薫の喉の動きにあわせるように
吸い込まれていく。
飲み終えて口の周りについてしまった水を手の甲で軽く拭き取りながら
薫は舞の視線に気づいた。

「……何?」
「う、ううん、何でも」
「そう?」
どこか納得していないような表情だったが、舞は「気にしないで」と言い
薫の飲み終えたコップを受け取ると台所の流しにつけておく。

「……始める?」
「ええ、お願い、薫さん」
「今日はどんなポーズを取ればいいかしら」
「え〜っと……」
舞はしばらく考えると、

「ごめんなさい、今日はポーズはいいわ」
「え」
「その、今日は薫さんにポーズを取ってもらうんじゃなくて……、その」
自分でも変なことを言い始めているような気がしてきたが、
とにかく言ってみる。

「薫さんが、自然にしているところを見ていたいの」
「自然に?」
「うん、最近いつも家に来てもらってモデルになってもらってるけど……今日は、
 自然に動いている薫さんを見たいの。ごめんなさい、変なお願いで」
「変とは思わないわ」
薫はそう言い、ソファに座ってみる。舞の視線が薫を追いかける。
棚においてある埴輪を眺める。舞の視線が迫る。
ちらっと薫は舞のほうに目をやった。視線同士がぶつかり合う。

「薫さん、私のことは気にしなくていいから。普通にしててね」
「え、ええ……」
――舞の家ではどういう風にしているのが『普通』だったかしら?

自然に振舞おうとすればするほど、舞の視線が痛いほど刺さってくるような気がする。
埴輪の横においてある隕石のかけらに触れてみる。舞は何も言わない。
薫は数歩進むと、その部屋を出た。
「か、薫さん!?」
薫の姿を舞が慌てて追いかけてくる。

「舞……、」
廊下で薫は困ったような表情を浮かべ舞を見る。
「ごめんなさい、どういう風にしていたら自然かよく分からないの」
「えっと……?」
舞も眉をやや下げて首を傾げる。

「舞の家に来たときは、舞と話しているのが普通だから。
 舞がいない状態でどうすれば自然になるか分からなくて」
薫が説明を加えると、舞はすぐに納得して「ごめんなさい無茶言って」と謝る。

「謝ることはないわ」
「でも……」
舞と薫は再び先ほどの部屋に戻った。薫はソファに座り、
舞もスケッチを一時中断して向かい合って座る。

「舞、今日はどうしていつもみたいにポーズを取るんじゃなくて
 自然に動いてって言ったの?」
「……」
舞はすぐには答えずにスケッチブックを捲った。ここ数日のページには薫ばかりが出てくる。



「今日も薫は舞のところかあ」
咲と満は学校からPANPAKAパンへの道を一緒に下っていた。
急な坂道をのんびりと歩いている。

「薫に何か用事でもあった?」
多分そういうことではないんだろうなと思いつつも満は一応聞いてみる。

「用事って言うわけじゃないけど」
咲はどこか不満そうな顔をしている。
「最近舞と薫がずっと一緒だなって思って」
「舞に構ってもらえなくてつまらないんでしょ」
「そういうんじゃないよ、舞が絵を描いたりしてる時集中して周りが見えなくなるのは
 いつものことだし。でも……、」
でも、と言ったところで咲は言葉を区切った。何と言えばいいのかよく分からない。
隣を歩く満を見ると、いつもと同じ平然とした表情で黙って歩いている。

「でも……?」
咲がいつまでも黙っているのを不審に思ったように満が言葉を返して
「続きは?」と言わんばかりに咲を見る。
「何かよく分からなくなっちゃった」
「何よそれ」
「舞がのめり込むのはいつものことなんだけどさあ……」
「そうね」
うーん、と咲は考え込む。隣にいる満の冷静さがなんだか少し癪に障るが、
どうやってこの気持ちを説明しようかと頭を捻ってみる。

「つまり、舞が集中するのはいつものことなんだけど……」
言ってしまってから、しまったもうずっと同じこと言ってる、と思うが
満がからかうでもなく咲の言葉に耳をすませているのでとにかく言葉を捻り出そうとする。

「舞が今まで悩んだり考え込んだりしてる時って、大体一人で抱え込んじゃってたんだよね。
 ちょっと心配になるくらい」
「ふうん」
「だから、その。今回はずっと薫と一緒で……」
――それはいいことなんじゃないの?
言いながら咲の中にこんな思いが湧いてくる。

――今まで一人で悩んでたけど、薫に相談できるようになったら舞にとってはいいこと
じゃない……。


咲はまた黙ってしまった。満は
「それで?」と続きを促す。
咲が突然ため息をついたので、満は怪訝な表情を浮かべると咲の顔を覗き込んだ。

「その、ね。何だか言うの恥ずかしいけど……」
満に覗き込まれて咲は珍しく目をそらす。

「今まではそういう時、私も舞のこと励ましたりしてたんだけど、
 今回は薫に……なんだか取られちゃったみたいで……」
咲の言葉はだんだん小さくなって消えた。へえ、と満は目を細める。

「あなたでもそんな風に思うことがあるのね」
「? ……どういう意味?」
「あなたはそんなこと考えないのかと思ってた」
相変わらず顔に疑問符を浮かべたままの咲をそのままにして、満は空を見上げると
「ふふ」と笑う。

「み、満……笑わなくても……」
「舞の家、行ってみる?」
満は笑って咲を見た。その表情がまるで何でも見通しているようで
――本当はそんなはずはないのに――咲を戸惑わせる。

「い、いいよ! 今、作品作ってるところなのに邪魔できないもん!」
「ふうん、いいんだ」
思わせぶりに満が笑う。咲はまた少し、癪に障った。


「私ね、今回美術部で粘土製作をすることになった時、真っ先に
 薫さんをモデルにしたいって思ったの」
舞の家では、舞と薫が紅茶を飲みながら会話を続けている。

「どうして?」
「それは分からないわ。何となく。でも、薫さんを造ろうと思ったのは
 いいけど、どんなポーズにしたらいいか中々決まらなくて。
 ……こういうの、初めてなの。絵だったら、描きたいと思ったときには
 もう絵のイメージは大体決まってるし……、だから薫さんに色々なところを
 見せてもらってイメージを決めようと思ったんだけど」
「なるほど」

――舞でも、そんなことがあるのね。

薫はそう思ったがそれは口に出さず、もっと舞を励ませそうな言葉を考える。
考える。考えてみる。……中々、思いつかない。

「舞、私で良かったら何でもするわ。自然な動きって言われたら自然にしてみるから」
「うん……ありがと」
薫がカップを置いて、何をしようかと腰を浮かせかけたとき玄関でチャイムの鳴る
音がした。

「ごめんなさい、ちょっと待ってて」
舞が走って応対に出る。薫が待っていると玄関から「満さん!? 咲!?」という
大きな声がしたので薫も出て行った。

「どうしたの? 二人揃って」
「薫と舞が何してるのか見てみたくて」
満は答えるが、咲は「そういうことじゃないよ」と否定している。
だがその言葉はいつもよりも弱弱しい。

「そ、そうなの?」
「ええ。薫が迷惑かけてないかと思って、ね」
余計なお世話よ――そういわんばかりに薫は満を軽く睨むが、満はそれを素知らぬ顔で
やり過ごす。

「そうだ、ねえもし良かったら二人とも、家に上がってくれない?
 二人と一緒にいる薫さんを見てみたいの」
「え?」
「その、今日は薫さんが自然にしているところを見てみたいんだけど
 一人だけでずっと私に見られてて自然って言っても難しいから」
ああそういうこと――と満は答え、

「うんうん、じゃあそうするよ!」
と咲は妙に元気に舞の家に上がりこんだ。

薫と満、咲は舞の家の庭に出る。舞は少し離れたところから三人の様子を見ている。
三人は舞が出してきたシャボン玉のセットを使い、一年前のムープとフープのように
シャボン玉を飛ばしていた。

何度目かに薫が作ったシャボン玉は一際大きかった。ストロー部分から
離れるとそのままゆっくりと空に浮かび上がっていく。
舞の目も自然にそれを追いかけた。木の梢まで上がるとそのまま
空に吸い込まれるように割れて消えてしまう。

「私も大きいの作ろうっと!」
そう言って吹き始めた咲のシャボン玉はすぐに割れてしまった。満にからかわれて
むきになったように咲がまた挑戦している。満はと言うと、小さいシャボン玉を
いくつも連続して飛ばしている。

舞はそれを見ながら、何かを思いついたように鉛筆を動かし始めた。
――薫さんは風みたい……たまにさっきのシャボン玉みたいにすっと消えちゃいそうになる……。

「それはそうと、薫」
夜、家に戻ってきた満が薫に尋ねる。
「何かしら?」
「あなたは造るもの決まってるの? 舞はあんなに悩んでるのに」
「ええ、もう決まってるわ」
机の上で粘土をいじっていた薫は手早く何かの形を作り上げると
満の手の上に載せる。どしっとした重量が満の手にかかる。

「何よこれ……お団子?」
「ひょうたん岩よ」
満は手の上に載せた粘土の塊をためつすがめつ見る。そう言われればそう見えてきた。


美術部で作った作品は美術部の皆で見た後、美術室の後ろの方や部室に置いておくことが多い。
物によっては文化祭でも展示する。

今回の場合、部員たちの作品は部室にまとめて置いてあった。
咲と満が舞と薫のを見たい、と言うので昼休みに舞と薫は部室からそれぞれの
作品を美術室に持ち出してきた。

「へえ、こんな風になったんだ」
舞の作った薫像を見て咲は少し意外そうに声を上げた。
薫は何かにもたれるようにして座っている。

「うん。……その私、薫さんをモデルにしたいって思ったのは……、
 きっと、薫さんを地上に引き止めておきたいって感じたからだと思うの」
「……どういう意味?」
薫は不思議そうな顔をする。

変なこと言うみたいだけど、と舞は前置きして、
「薫さんって風みたいにどこかにいっちゃいそうに思えることがあるから」
「ふうん……?」
薫はまだよく分からないという顔をしていたが、咲には舞の言いたいことが何となく
分かった。

「それで薫、この薫の作ったのは何なのよ」
「大空の木よ、見れば分かるでしょ」
「ああ、何となく……でもこれ、別の木が混ざってない?」
「少し世界樹もイメージしたの」
「あ、そういえば! 世界樹って確かにこんな感じだったかも!」
咲はしげしげと薫の作った世界樹を眺めた。
「でも薫、ちらっと世界樹みただけなのによくこんなに覚えてたね」
「すごく綺麗で印象に残ったから……それでこれが、おまけ」
薫は世界樹のそばに小さな粘土を置いた。咲が取り上げて見ると、小さいながらも
チョッピの形をしている。

「チョッピだ〜、すごい、よくこんなに小さく作れたね」
「チョッピが一番世界樹のこと好きだったみたいだから」
「私もおまけ、作っちゃった」
舞が薫のそばに置いたのはチョッピと同じくらいのサイズのフープである。

「……二人とも、相談したの?」
満の疑問は当然だった。並べてみるとちょうど良く大きさが合っている。

「ううん、そんなことないわ。でも、薫さんも私も作ってたの」
「そ、そうなんだ……」
咲はどこか動揺した声を出した。それに気づいた舞はきょとんとした表情を浮かべ、
満はふふっと笑っている。

「咲、舞と薫に教えてもらってフラッピとムープ作ってみる? 
 チョッピとフープだけって言うのもなんだかムープたちが可哀想だし」
「う、うん……そうしようかな」
「じゃあ今日みんな、家に来る? 粘土の余りならあるから」
「うん、今日は舞の家に行くね!」

咲はまるで自分を元気づけるようにわざと大声を出した。
事情を知っている満だけが口の端に笑いをこぼしている。


-完-

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