大空の木に辿りついた時、舞は一瞬息を止めた。

いつものように夕凪町を描こうと思ってトネリコの森を抜けてここに登って来たのだが、
大空の木の下には予期しない者が居た。
薫が大空の樹の根元にもたれかかるようにして座っている。
ただ座っているのではなく、眠り込んでいた。夕凪中の制服を着たまま、
表情には安堵の色が広がっている。

「薫……さん?」
本格的に寝ているらしく、小さく声をかけてみても起きる気配がない。
舞はスケッチブックを開いた。薫の顔には丁度夕日が当たっている。
いつも使っている鉛筆を取り出すと、舞は手早くスケッチを始めた。


「ん……」不意に薫は目を覚ました。オレンジ色の夕日が目にまぶしい。
目の前に立っている誰かの足が目に入った。そのまま視線を上にずらすと、
舞がスケッチブックを持って一心不乱に鉛筆を動かしている。
薫が目を覚ましたことに気づいたのか気づいていないのか、その表情からは
読みとれない。

おそらくはいつものように、薫が目を覚ましたのに気づいてはいても
目の前の光景を紙に載せることの方に集中していて反応できないのだろう。

仕方がないので薫はじっとしていた。座った姿勢を崩さないまま、
舞が描き終わるのを待つ。
10分も経っただろうか、舞が鉛筆を持つ手を止めてふうと大きく息をついた。

「終わった?」
「うん……薫さん、いつから起きてたの?」
「気づいてなかったの?」
薫は服についた土を払うと立ち上がる。

「いつの間にか起きたってことは分かってたんだけど、正確には」
「私だって何分前に起きたかなんてことは分からないわ」
薫は言って、置いてあった鞄を手に持つ。
大空の木に右手で触れると舞のそばへと近づく。舞はスケッチブックを閉じると
薫が自分の隣に来るのを待った。

「スケッチはもう終わりなの」
「ええ。いい絵が描けたから」
舞と薫は横に並び、町の方へと二人で歩いていく。

「でも薫さん、何か疲れてるの?」
「どうして?」
「あんまり昼間寝てるの見たことないから……」
舞の素直な疑問に薫は少しの間考えると、

「疲れてなんかいないけど。昨日あまり眠れなかったから、
 そのせいかもしれないわ」
「何かあったの? 眠れなかったって」
畳み掛けるように舞は尋ねる。
咲と舞から見て、満と薫は友達である――が、それ以上の存在である。

何しろ満と薫にはこちらの世界での身寄りがない。
しかも本人達が、無茶なことも平気でしてしまいがちである。

だから事情を知っている咲と舞にとって、満と薫はこの緑の郷で
自分達が守らなければならない存在としても映っている。
はっきりそうと自覚しているわけではないが、満と薫の日々の様子は
二人にとって気になることであった。

「ええと、その」
薫はまたしばらく考えると、

「気になってたのよ」
「何が?」
「今日はクラス替えっていうのが発表される日だったでしょう」
「そうね」
「咲や舞や満が身近に居ると安心だけど、そうでないと色々分からないことも多いし……」
小声で呟く薫の言葉に、舞は笑ってしまった。

「なに?」
「ううん、薫さんもそういうこと心配するんだなって思って」
「……」
黙ってしまった薫に、舞は私も気になってたの、と続ける。

「舞も?」
「うん。やっぱり、咲や薫さん達と一緒のクラスがいいなって思ってたから。
 クラス替えは先生の決めることだから私たちにはどうしようもできないし……、
 でも結局みんな一緒だったわね」
「そうね。心配することなんてなかったわ」
無駄だった――と言うような薫の言葉に舞はその方がいいじゃないと答える。
薫はふっと思いついたように、

「そういえば、舞」
「なあに?」
「さっき描いてた絵を見せてもらえる?」
「いいけど……」
舞はゆっくりとスケッチブックを開いた。
中央には大空の木。その根元で薫がゆったりと眠っている様が描いてある。

「……私、こんな顔してた?」
「うん、すごく気持ちよさそうに眠ってたわ」
「……」
薫は顔を赤らめてスケッチブックを閉じると黙って舞に返してよこした。
薫の足は少し早くなる。追いつくために舞は小走りになった。
「そういえば、薫さん。明日、部活があるんだけど」
「そうだったっけ」
「うん、美術部覗いてみない? 折角だから」
「う〜ん……」
薫はくぐもった声を返す。このところ舞は二、三回この話をしているのだが、
薫からはっきりとした返事は返ってきていなかった。

「入部するって決めなくても、見てみるだけでもいいと思うの。
 みんな、絵を描くの好きな人たちだから」
「でも、なんだか……」
薫が何を躊躇っているのか、舞には何となく分かった。

「一緒に行ってみない?」
空いている左手で軽く薫の右手を取る。
薫は目だけをちらりと舞のほうに動かした。

「そうね……見るだけでも……」
「じゃあ明日、一緒にね」
二人はトネリコの森を抜けた。そのまま夕日の当たる夕凪町をそれぞれの家に向って
歩いていく。

-完-

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