薫はカウンターで本を返却するとしばらく当てもなく図書館の中を彷徨った。
政治経済――ここはあまり興味を魅かれるようなタイトルがない。
資料のコーナーには百科事典や年表が並んでいる。何か調べたいことがはっきりしている
時なら便利なのだろうけれど。
自然科学。ここにはたまに綺麗な写真が載っている本がある。
生き物の写真であったり、空の写真であったり。
この前はいくつもの月の写真が載っている本を借りた。
満の目のように赤い月は本の中でも一際きれいだと薫は思った。
満に見せてみると、「ふうん」とあまり興味のなさそうな顔をしていたが。

日本文学。同じ国だと言うのに時代によって大分言葉遣いが変わる。
外国文学。これはもう時代や国によって同じ緑の郷の話とは思えないほど
いろいろなものが変わっている。薫は注釈が沢山ついている本のほうが好きだ。
知らない言葉や地名についている注釈を読みつつ、本文を読みすすめて行くと、
次第に本に描いてある土地のイメージが薫の中に産まれて来る。
それは実際のものとは全く異なっているのかもしれないが――、
それでも薫はどこか満足していた。

満に言わせると、
「本なんて読んだって、どうせ昔の話か作り話でしょ?」
だそうである。
だから、最近薫が良く図書館に行くのが信じられないらしい。

たまに本を読んでいる時に満が話しかけてきて適当に生返事をして怒られる。
満にとっては本は言葉の羅列でしかなく、国語の時間に読まされるものでしかないようだが、
薫にとっては少し違うものになっていた。

無言で薫は外国文学の棚の前を行ったり来たりする。
図書館には多くの人がいながら、互いに話すことはあまりない。
それぞれの人はただ本と対話するためにここに来ている。薫もまた、そうだった。
並んでいる本の背表紙には表情がある。
「アメリカ文学全集第○巻」――などというものなら、当然同じようなデザインの背表紙が
並ぶことになるのだが、その中でも他の本と比べて妙にくたびれているものや
他の本よりもずっと綺麗なまま残っているものがある。
薫は背表紙の列を眺めながら、今日はどの本にしようか、と思っていた。
外国文学というところまでは決まっている。今日の気分で。
あとはどれを選ぶかだ。
実際のところ面白いかどうかは読み終えてみるまで分からないのだから、
題名と想定の雰囲気とぱらぱらと二、三ページめくってみた時の印象で選ぶしかない。

腕を伸ばし、薫は上から二段目の本を手に取った。「O・ヘンリー短編集第一巻」――だけ
が棚にはあって、誰かが借りているのだろうか、二巻や三巻は見当たらない。

本を開けた時ふっと紙の匂いがした。それが気に入ったので、薫はこの本を借りてみることにした。
満はこの匂いに気づくだろうか? と薫は考える。
気づくわね、とすぐに結論を出す。
気づいて、何の匂い? と薫に聞いて、これよ、と本を出せばふうんと興味なさそうな
顔をするに決まっている。

本を右手に持ってカウンターまでぶらぶらと歩いていく途中に「児童文学」の棚がある。
いつもなら素通りするのだが、薫の足はそこで止まった。
児童文学のコーナーには小さい子供用に踏み台が置いてある。「やさしくのってね!」
というひらがな書きと、漫画のキャラクターのイラストだ。
みのりも好きなキャラクターである。
その踏み台が倒れていたので、薫は児童文学のコーナーに入り込み
踏み台を立て直した。

「……」
立て直すついでに、ここの棚に並んでいる本も見てみる。
幼稚園くらいの子供が対象らしい絵本から、紙芝居から、小学校の高学年
くらいの子供が読む物語――ここまでくると日本文学や外国文学の棚にある
本とあまり変わらない――まで、幅広く扱っている。

――あ、これ……
薫はどこかで見たような題名の本を凝視した。
確か、以前咲の家に行ったときにみのりがこの本を読んでいた気がする。
全七巻のシリーズものであったらしい。みのりが読んでいたのは、第三巻。

薫は四巻目の背表紙に指をかけて棚から抜き取った。

「あれ、霧生さん?」
呼びかけられてそのまま本を棚に戻す。
「あ……ああ」
「今日も来てたんだ。最近良く来てるよね」
話しかけてきたのは安藤加代。クラスの学級委員、というのが薫の認識である。
それ以外の印象はあまりない。

「見てたのか」
「うん、私も良く来るから。でも、このコーナーに来るなんて珍しいね」
「……」
薫は無言で返した。児童文学の場所に何故いるか、説明しようにも難しい。

「霧生さんが読む――んじゃないよね、誰かに読んであげるとか?」
「読んであげる?」
薫は加代の言葉を繰り返して尋ねる。「読んであげる」という言葉の意味が
よく分からなかった。

「そうそう、知り合いの小さい子とか」
「その、読んであげる――というのは?」
「というのはって、読んで聞かせてあげるってこと」
加代は当たり前のように答える。
「……自分で読むのと、人が読んでるのを聞くのとでは違うのかしら?」
「字も読めないくらい小さい子だったら、誰かが本を読むのを楽しみに
 していることもあるし。
 字が読めるようになっても、人に読んでもらうほうが好きな子もいるわ」
「そう……なの」
「そうそう。だから、もし誰か小さい子に知り合いがいるんだったら一度読んでみてあげたら?
 すごく喜んでくれるかもしれないし」
「……そうか」
「じゃね、霧生さん。あっちで宮迫君待たせちゃってるから」
加代は小声で言うと、そのまま薫を置いて静かに閲覧コーナーへと戻っていった。

薫は再び棚に目を戻す。
この本ならいいだろうか。いや、シリーズものだから彼女は既に読んでしまって
いるかもしれない。

これにしようか。表紙があまり綺麗でない。
ではこれは? 彼女にはすこし幼い本かもしれない。……

「みのり」
「なあに、薫お姉さん?」
翌日、薫はPANPAKAパンに立ち寄った。

「図書館で、本を借りてきたんだ。その、みのりこういう本が……ええと、読んで……」
「みのり、まだこれ読んでないよ」
「……そうか。じゃあ、これをその、私がここで読むから、みのりはそこで……」
「薫お姉さん、ひょっとして読んでくれるの!?」
「あ、ああ……まあ……」
「うん、早く読んで! 早く!」
みのりにせがまれて、薫は一ページ目を開けた。昨日満を相手に練習したとおりに読んでいく。


-完-

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